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『海へ』

私は海を見るのが好きだ。波の音を聴きながら受験勉強に勤しんだこともある。しかし、なぜ好きなのかと聞かれるとすぐには答えられない。漠然と、好きなのだ。無性に海へ行きたくなる。海を見ていると、水平線を見ていると、なんだか不思議な気分になる。私が生きているのか死んでいるのか、その境目もわからなくなる。ただ、私はここにいると感じる。私はひとりじゃないと感じる。理由はわからない。海に思いを馳せる時間が好きだ。波打ち際に寄って、迫り来る波に当たるか当たらないかの場所に立つのが好きだ。だから、海へ行きたくなる。一日中、海の傍にいたいと思うも日もある。
小説なんかでも、海はしばしば登場する。少なからず、人にとって海はロマンだ。私たちの思いを一新させる、特徴的な、物語の重要なシーンに現れるのは、海だと思う。その海の広さに圧倒され、自分の思いをもう一度見つめるきっかけになる。つまりは、海は人の思いを変える。私には、これが不思議でならない。ただ広がっている海に、私たちは何を見いだしているというのだろう。もちろん私だって、海に何かを見いだしている人間のひとりだ。だからこそ、不思議なのだ。私が海をわざわざ好む理由がわからない。
初めて海を見た日の衝撃なんて覚えていない。だけど、いつも新しい気分で海を見ている気がする。遠くまで続く海を見て、自分を見つめ直している気がする。なぜだろう、海を見ていると、過去のありとあらゆる事柄が、ぽつりぽつりと浮かんでくる。部活の合宿で、夜に部活仲間と海辺で花火を振り回し、朝には砂浜を走り込み、海に向かって目標を叫んだ日。なかなか会えない幼馴染と行った水族館にすぐ飽きて、近くの海辺で駄弁った日。親の実家に帰省して、温泉帰りに砂浜に立った日。高校の修学旅行で、友達と海の波に任せて浮き輪で旅をした日。私の思い出の中には、海がいる。そのあまりの雄大さに、少し驚きすぎたのではないだろうか。いわゆる、思い出の棚の鍵になるのが、海なのではないだろうか。『海』というのがあまりに万能な鍵だから、それに頼りたくなってしまうのではないだろうか。そうならば、思い出したいのに思い出せない思い出を、無意識のうちに探しているということにはならないだろうか。
そうすれば、海が『人の思いを変える』理由もわかる。私たちが無意識下で探していた思い出を見つけたからだ。人の思いは単純なことがあるから、きっとその思い出を見つけたことで、忘れていたものを思い出して、「そうだ、本当は私、こうしたかったんだ」と考える。
そうは言っても、私は、海はそのままが良いと思う。ただ漠然と会いに行きたくなる、そんなものの方が、よっぽど魅力的な気がする。万能鍵で留まる海なんてつまらない。きっと本当は、もっともっとすごい何かを秘めている。現に、海のほとんどは未解明だ。
私は海を理由もなく好きでいたい。何もなくても、ぼんやりと見に行きたいと考えていたい。海を見て、「なんだ、自分生きてるんだ」って呆れ笑いが出るような毎日を過ごしてみたいと思う。そうやって、なんだかんだ言って幸せな時間を海と生きてみたい。波の音を聴きながらそんなことを考える。


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海へ行くと、もういないあなたを思い出す。
風が気持ちいいねと笑うあなたがいた。
もう長くないからと無理を言って飛び出した病院。
その笑顔は苦しそうだった。
今、あなたは海の向こうにいるけれど。
いつか私も、海を乗り越えてそこに行く。
そうしたら、また笑ってほしい。
元気な頃に海へ行った頃の、あなたの笑顔を見たい。

8/23/2024, 12:12:35 PM