『日常』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
日常はつまらない。
君に会うのはつまらない。
そう思えるのは会えるということが日常であるときだけ。
失ってから気づくんだ。
君自身のつまらなさに。
そうやって僕は今日も失恋の苦しみを君に投射してる。
日常を
過ごす今日こそ
幸せだ
空は雨でも
空が青でも
日常は
奇跡と軌跡
交わって
出来る日常
暖かい
「よつばと!」って知っていますか?
その漫画に「日常という奇跡」と書いてあるんですよね
日常漫画に言われるとより刺さりますよね。
日常
日常とはなぜに起きて欲しくない
ハプニングばかりが起こるのだろう
起きてしまった現実は受け止め
毎回対処してはいる
このハプニングを楽しいと言えるようなうつわではない私
バタバタしてしまう
そんな日常ではあるが
ちゃんと私なりに現実に向き合っている事に
私は表彰状をあげたいなぁ
と思うのだ
うつわはデカくなくとも
みんな自分をもっと褒めて生きても良いのでは
と思うこの頃なのである
『君の日常』
普段の君はなにしてるかって?
僕は知ってるよ。
君の一日はけたたましく鳴る携帯のアラームを止めるところから始まる。君はスヌーズを使わずにわざわざ6時50分から5分おきに目覚ましをセットしているね。几帳面なのか、それともスマホを使いこなしていないのか。
起きたら顔を洗って、服を着替える。おろしたてのTシャツを一度叩いて着る癖。たまに寝ぼけて前後ろを逆に着て慌てて着直すところはかわいいね。いつも決まってジーパンとTシャツの組み合わせはスタイルのいい君にとっても似合ってる。
階段を降りてキッチンで君のお母さんを手伝ってから朝食を取る。君はお手伝いもできるしっかり者だね。
朝食を食べ終わったら、少し新聞を読んだりテレビを見たりして、出発時刻の5分前には忘れ物チェックをするね。そして玄関を出るといつもあの幼馴染みと登校するよね。あいつはちょっと顔がいいだけの軽薄な男なのに何故かいつも一緒にいて気に食わないな。
もう、このくらいでいい?
君の日常を語るつもりが僕の日常を語ってしまったね。
君のこと、いつもよぉく見てるから。いつまでも、ね。
#日常
わたしより
家電の方がうごいている休日
いてくれてありがとう。
日常
朝起きて、洗濯物畳んで、食事して、洗面して、出勤して、夕方帰宅して…
そんな決まった事の繰り返しの毎日…何の変化もなくて、飽き飽きしてしまう…けれど、こんな平凡な日常も、何処か愛おしい…
片田舎での暮らしは、刺激も無いし、不便なことだらけ…だけれど、極度のストレスはなくて、ダラダラしてしまう…
そんな日々の移ろいに、何となく過ぎて行く時間…
ののは 「私もそろそろ毛が治らないかな……」
ののはの母 「(あんたがそんなのだから!)」
ののはの姉 「(ばっかみたい)」
看護師 「大丈夫よ。お母さんにも姉のりんちゃんにも伝えてあるから」
看護師2 「日常を大切にしてね」
かんな 「日常ってなに?」
看護師 「こら!かんなちゃん…起きちゃあかん」
看護師2 「日常はね、、いつもの日みたいな」
かんな 「ふーん」
ののは 「私の日常ってなんだろ。」
日常
爆弾が飛来し
街は 壊れた
戦火の中 生き延びることだけが
今の 日常
戦争前
何事もない 平和な 時が
あんなにも 退屈でつまらない
あの日常が
今は恋しくて たまらない
寝て起きて、ゆっくりご飯を食べてのんびりする
毎日そんな何事もない日常を歩みたいなと思います
まぁ、毎日はさすがに出来ないのですけれどもね
明日念願の白川郷に行く予定だったのに。。。天気予報は雨なの。。。。
日常
1940年昭和の15年 家庭には冷蔵庫も電子レンジもなく、勿論テレビもない時代。家事は時間と手間がかかり、なのに子供は三人四人兄弟姉妹が普通、女性は家庭に入り家事子育てに明け暮れる日常。
戦時下の暮らしでは、生活のあらゆる面が規制され制限されました。ラジオや新聞などのメディアも映画などの娯楽も戦争戦況軍事高揚目的の内容が多く報道されました。街には戦地での兵隊さんの苦労を思い、街頭には「贅沢は敵だ!」の看板が立てられ貧しさを我慢する清貧こそ尊ばれる日常になり、それが正しさであり正論であり正義でした。
明日を担う子どもたちも戦争という国をあげての殺し合い合法の時代に否応なく巻き込まれます。1938年昭和の13年に始まった学徒動員12歳以上は学校へ通いながら軍事用品に関する作業に従事しました。今ならとんだ児童虐待と言われる行動ですがそれが当時の日常でした。やがて、招集され少年兵は強制的志願の熱望するに丸印をし、特攻兵として突撃するという日常が男の子には待っていました、それが正しさであり正論であり正義でした。
終戦は1945年8月15日今から79年前です。
それから、20年1964年昭和の39年東京でオリンピックがあり、カラーテレビが普及し白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の三種の神器は、カラーテレビ、クーラー、自家用車の「3C」に変わりました。父親は24時間働き終身雇用は日本の高度成長を支え、ほとんど仕事で家に居なくても地震、雷、火事、オヤジ 親父の存在が大きいことが家庭の日常でした、それが正しさであり正論であり正義でした。
さらに、それから20年1984年昭和の59年バブル夜明け前1985年から空前のバブル全盛期到来「贅沢は敵だ!」から「贅沢は素敵だ!」に日常のスローガンは変わりました。1万円札を振りながらタクシーを止める時代でした。質素倹約清貧は美しいそれが正義の時代から44年間くらいの間の出来事でした。
それから、バブルは弾け不景気は訪れて輝くものは輝きのままにとどまらず3Cも携帯も人工知能も持ったけど何故だか不景気不安な日常がやって来ました。
親や大人は子供を躾たくないから少ない子供に嫌われたくないから、子供を高い高いし過ぎて
社会は子供を下げられなくなりました。そんな子供が大人になった結果ハラスメント社会は到来しました。そしてそんな大人が親になった時
日常は正しさは正論正義はどう変わるのでしょう。
良いことは良いなんてものの100年も経たないうちに変わってしまいます。
最後のギロチン処刑は1977年でした、罪人の首を切り落とすという残酷な処刑方法はそれでも最初は罪人に苦痛が無い処刑方法として考案されたものでした。
罪人が処刑される姿を見物させ民衆は見世物でも観るように歓声をあげ見物した時代からまだ50年経っていませんし、この一見野蛮な行為は、現代のネット晒し私刑と何処か似ていますね、正義ってなんでしょう?
正しさ正論正義なんてものは日常生活と同じに時代立場で変わり続けるものなのです。
それならば、何を信じて生きてればと思うとやはり自分なのではないのかという思いに行き着きます。
移ろい行く正しさや正論や正義に流されない自分という自我と意志なのではないだろうかと思います。
どんな細やかな市井の人の日常であっても 世間に流されないオリジナリティーを持つ人でありたい。
人間我が強いくらいで丁度だ。
移ろい行く日常と言う大河の一滴のような細やかな歴史の中で。
今日もハードな仕事が終わり、ひとときの自分の時間が、始まる。大切に大切にと、、やりたい事すべて野放図にさせておく。ゲームに読書に。
そして、深い後悔。
これが日常。トホホ。
当たり前にあるけどいつかは消えて無くなってしまうもの。その時までは確かにあったのに、あることがきっかけでそれまであった日常は日常では無くなってしまったから、あって当たり前とは思えなくなった。
日常
4人でお昼を食べるのが日常になった高校生活
最近4人でいるのが気まずいんだよね
私だけ上手く話せない、
どうしたら話せるようになれるかな
どうしたらいいんだろう
みんな仲良くなってるのに
幸せというのは、とても幸福で満たされている状態で、
私たちは、というか、多分、多くの人はそれを望んでいるのだと思う。
幸せになりたい、って。
私みたいな根っからネガティブ人間からすると、
『幸せ』というものすら、暴力的で攻撃的、綺麗すぎて刃物のような鋭さを感じてしまう。
偏屈すぎるだろうか?
でも、私は基本的に生きたくない。出来れば、生きたくない。
だからといって、死にたいわけでもないような、曖昧な状態。
幸せになりたいって、望むのは、とても前向きな心の欲求だから、それは生きたい人のためのものだと思ってる。
生きたくない、死にたい。
なんて、のらりくらり死んだみたいに生きてる人は、
幸せなんて望んじゃいけない。
幸せになりたいなんて、生きたがってるみたいで、自分が惨めな気持ちになる。
一生懸命頑張っている人を見ると、笑ってしまう。
馬鹿にしているわけではなくて、どうしてそんなに頑張るんだろうって、自分との温度差に冷めてしまう。
一生懸命頑張っている人は、とても素敵だと思う。
ただ、自分に対しては、何生きがってるの?――って、そう思うってだけ。
基本的に生きたくないです。
だから、幸せが眩しい。
ちょっと不幸なくらいが、ちょうどいいなんて、変ですか?
変ですよね。
自ら不幸になりたい人なんていないでしょうに。
幸せにならなければいけない。
本来素晴らしいものである幸せが、苦しい。
だから、ちょっと不幸なくらいがちょうどいい。
生きたくないな……と思いながら、何となく生きてて、
嫌になって、辛くなって、絶望してる日々。
その中だから、ほんの些細なことが、輝いてみえる。
雲の隙間から差し込む光みたいに、溢れ出た光を眺めるだけで、
生きたくない心に少しだけ明かりを灯してくれる。
そうやって、今まで心臓を動かし続けたきた。
これも、幸せだと言っていいでしょう?
でも、自信ないから、不幸でいることを望む自分をまた責める。
期待して、辛くなるなら、
最初から、絶望していればいい。
慢性的な生き苦しさを抱えているのと、失敗も挫折も味わっても立ち上がり続けるのとでは、どちらが辛くないんだろう。
停滞か、変化か。
今日は疲れた。
「日常」
朝5時40分に起きて、夫のおにぎりと子どものお弁当を作る。子どものお弁当を作り始めてからずっと写真を撮って記録しているが、最初に比べたら上達している気がするので記録していて良かったと思う
7時過ぎには子どもを起こして本格的に準備を始める。洗濯物もこのタイミングで干している
8時を過ぎて、そろそろ出発だ
「人形の服を着替えさせてよ!」「おもちゃ持って行きたい」「靴これじゃないのがいい」「私が自分でドア開けるから!お母さん手伝わないで!!」「車に乗りたくない」
他にも下の子がオムツにうんちをしていたり、突然喧嘩が始まり上の子の髪がグシャグシャになっていたりで
子どもたちの為に余裕を持って家を出ているはずなのだが、家を出る直前のトラブルのせいで結局いつもギリギリの時間になる
代わり映えのしない毎日は
まるで、ただひたすらにレベルアップのためだけに弱いモンスターを倒しまくる、あの地味な作業に似ていた。
だから、つまらなくて、だるくて、刺激がほしくなる。
こんな時間を費やす自分が馬鹿みたいに思えて、私は数学の問題集を閉じた。
階下に降りて、スニーカーを出す。
「こんな時間にどこ行くの?」
フェイスパック姿の母親が耳敏く気づいて、玄関まで出てきた。
そんな姿でこそ、玄関まで来ないでほしい。
「そこのコンビニで、模試の解答用紙コピーしてくる」
喉元まで出かかった言葉は、優良少女が使いそうなものにすり変わって投げられた。
「あら、だったら、拓磨についていってもらったら?」
母親は、上階を振り返って、いまにも弟に声をかけそうだ。
拓磨だって、部屋で思い思いに過ごしたいだろうに。
ほらね、受験勉強が絡むと態度が変わるんだよね。
「いいよ。部活で疲れてるだろうし。なんかレギュラー候補なんでしょ?大事な時期なんだし、ゆっくりさせてあげなよ」
私はすげなく答えて、スニーカーの靴紐を結ぶとトートバックを持って立ち上がった。
「そう?でも…」
母親は、また上階をちらりと見てから、私に視線を移した。まだ決めかねているようだ。
「コピーしたら戻って来るから。何か買うものがあったら、連絡ちょうだい。じゃあね」
長居は無用だ。
私は、母親が何か言い出す前に玄関を出た。
夜の空気は独特な感じがする。
毎日往復している通学路でさえ、朝の爽快さやまどろみが混在したものと、まるで空気感が違う。
薄闇が生き物だとしたら、知らずにその呼気を吸い込んで、自分が内側から侵食されていくような妄想すら描いてしまう。
コンビニは周囲の薄闇を退けて発光する、古びた宝箱みたいだった。
塾帰りの中学生たちが購入したホットスナックを噛りながら、小テストのできばえを話題に自動ドア付近に屯していた。
ああいう自由は、私の頃は無かったな。
私はコンビニの自動ドアを潜ると、雑誌コーナーを一瞥し、複合機に向かった。
#日常
お気に入りのソファに腰を下ろして
引き立ての美味しいホットコーヒーを飲みつつ
いろんなジャンルの映画やドラマを観て夜を明かす
あなたの隣に座って過ごす休日の夜が
毎週当たり前になればいいのに
『日常』
「貴方には普通の日常を生きて欲しいの。」
母の口癖だ。普通の日常ってなんだろう。
「ごめんね。普通の子に育てられなくてごめんね。」
昔、母が机に伏せながら俺に言ってきた。その側には、〈性同一性障害〉と書かれた紙があった。俺は戸惑った。俺は普通じゃないのか?分からない。しかし、一つだけ分かった。俺は母が望む子にはなれなかったのだ。その事がただ申し訳なかった。
「母さんは悪くない。私、普通の子になるよ。」
あの時決めた。私は普通の子になって、普通の日常を、人生を歩むのだと。
あの日から私は、普通の娘を演じた。学校では友達と恋バナをしたり、休日はカフェ巡りやショッピング。メイクやネイルは可愛い系。これが私の、普通の女子高生の日常。
「貴方が普通になって良かったわ。」
母はそう言って、嬉しそうに笑う。これがきっと正しい道なんだ。私は女の子。可愛いものが大好きな女の子。毎日そう言い聞かせて眠る日々。なんだか、疲れたよ。
「これでよしっと。」
部屋の天井にロープを吊るし終え、私は一息着く。やっと終われる。そう思うといつもより心が軽かった。俺は、鏡に向かった。今までは鏡を見るのが辛かった。見る度に、自分の性別を言い聞かせられるようで。でも、今の私は、ベリーショートの髪にメンズの服を身に纏っている理想の姿。
「最後ぐらい、俺の好きにさせてね。」
俺は空中に言葉を放った。返事がなくとも、心地よい。俺は、自分の首にロープを掛けた。静かな部屋で、俺の体が浮いたままだった。
なんてことない日常、
つい退屈に感じたり、ずっと当然に続くものだと思ってしまうけれど、
本当はそれがとても尊いものだということ、
失って初めて気付く。
(でも、そのショックと悲しみにも少しずつ慣れて、また同じことを繰り返していく)
毎日が退屈なものになるか、特別な1日になるかは、
本当は自分の計画と工夫次第なのに、不可抗力のように、環境に責任転嫁してしまう。
充実した良い1日だった!と心から満たされた気持ちで毎日寝落ち出来たら、どんなに幸せだろうか…!