『旅路の果てに』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
旅路に果てはあるのだろうか。
果て…。
果てとはなんだろう。
電車の中
ひとりじゃないけどひとりのじかん
がたんごとんがたんごとん
窓に切りとられた一枚の絵が姿を変えていく
旅路の最果て、
どこか楽しめる場所に辿り着ければいいなと思う
「旅路の最果て」
「あれが北斗七星で、あっちのがカシオペア座だから」
「じゃあ、あれが北極星?」
「そうだね」
テントのそばで身を寄せ合いながら、ひとつずつ星を見つけていく。
星明かりのおかげで暗いとは思わない。
「きれいだね…」
星空はきれいだ。でも、夜空に輝く星よりも、星に見惚れる君の横顔に見惚れてしまう。
「なに?」
それに気づいた君がこっちを見るけど、こんなセリフ、口が裂けても言えないな。
君のほうがきれいだ、なんて。
旅路の果てに(初投稿で、昔書こうとしていた小説のお話です)
私は今、旅をしている。
小さい頃に、両親から私が大人になったら旅に出ないといけない、と言われたからだ。
どうして、旅に出ないといけないのかと両親に聞いてみると、両親は、私は小さい頃から怪我を治す力があり、その力で、多くの人を助けられるから、旅に出た方が良い、と言った。
その言葉を聞いて、私の怪我を治す力で、誰かの役に立ちたい、と思うようになり、旅に出ることを決めた。
その後、色々な場所へ行き、怪我をしている人を見かけると、声をかけて、怪我を治した。
すると、怪我した人から、「あなたのおかげで、痛かった怪我が治ったよ、ありがとう」、と言ってくれて、凄く嬉しい気持ちになった。
私は、これからも旅を続けていこうと思う。
少しでも、人の役に立ちたいから。
そして、いつかは私の力が使えなくなる日がくる。
その時が、旅の終わりになると思う。
その日が来るまで、一人でも多く、怪我を治したい。
私だけが使える、怪我を治す力を使って。
突然なのだが、旅行は好きだろうか。
僕は嫌いだ。
なぜなら、旅に出るメリットがわからないからだ。
旅というものは、時間もお金も、体力さえも奪い、旅行でできるものは今の時代は全て家で完結する。
景色が見たいのなら、今どき皆が持っているその箱で調べればいい。食べ物が食べたいのなら、通販で頼めばいいだろう。
ただ。僕も一度だけ、旅行をしたことがある。
それは、今も僕の心の半分以上を埋めている。
一緒に旅行に行った彼女が、彼女という存在が、僕を何年も縛り続ける。旅の最後に死んだ彼女を僕は手放せない。
それから何十年経って、見合い相手と結婚した。妻との間に生まれた娘の名前は、彼女と同じ名前。
それからまた何十年。結婚すると、娘が連れてきた相手は『彼女と同じ名字』を名乗った。
旅地の果てには何があるのだろう。私は分からない。
まだ、そこに辿り着いていないから。
だけど、私は旅路の果てなんてないと思うんだ。
私が死んだとしても、誰かが私の旅路を繋いでくれると思うから。
ー旅路の果てにー
旅路の果て
これは一度も想像したことがない
でもさ
どんな旅でも
最後は''しあわせ''でありたい
旅にはいくつもの分かれ道があって
ひとつ違えば
また変わってしまうような
そんな究極のギャンブル
道筋は人それぞれ違うけれど
旅は
いろんな人や風景に出会えて
素敵なことだ
旅をしよう。
''終わり良ければ全て良し''
って言葉がある通り
自分も
少しずつの幸せを積み重ねながら
たくさんの愛をもらって
そして旅を終えたい
旅行に行きたいと思うけど1人で行く勇気がないんですよね。旅行行けそうな友達はいないし時間とお金も無いけども。
よく分からない悪い癖みたいなのがあって、1人で道に迷った時にそのまま「私迷ってませんよ」的な感じで進み続けちゃうんです。
一旦止まってスマホで調べるなり人に聞くなりするとか、来た道を引き返すとかすればいいとわかってるんだけど。
そのせいで10分位で行ける場所を1時間掛けて行ったりとか、乗り換えしたかっただけなのに1駅分歩いてたとかある。
さすがに待ち合わせに遅れそうとか他人に迷惑が掛かりそうな時は、ちゃんと止まるし聞くとかするよ。
何につけ
いつもどこかで
結果を
ゴールを求め
辿り着いた先にも
終わりの無い
道がある事に気づき
無意識にまた
次のゴールを目指して
歩き始める
きっと
果てなど無い
なのに求めるのは
旅は過酷で
疲れ果てるから
旅路の果てに
何がある?
何も無い
果てなど無いのだから
そう
何も無いからまた
何かを求めて
旅に出る
ゴールには
何も無い
そこは
ゴールではなく
始まりの場所
何も無かった
初めの場所
この道は
ゴールではなく
再びスタート地点に帰る旅
帰り着いてまた
行き先を変え
道を変え
各々の荷物を抱えて
旅に出る
終わりの無い
旅のループ
旅の目的
それはきっと
何者も知り得ない
永遠の謎を
解き明かす事
歩き続けて行くのは
きっと
自分が何者かを知る為
「旅路の果てに」
―旅路の果てに―
僕はあの場所から逃げ出したかった。
誰も僕の事を知らない土地へ行きたかった。
君と出会えて、居場所を見つけられた気がした。
何もかも捨てて来たつもりだったけど、時の流れに身を任せていたら失いたくないモノが増えていた。
僕の旅は、もう終わるんだ。
僕は君とここで生きていきたい。
「旅路の果てに」
ずっと人生という旅をしています。
その果てとなると、この世とのお別れの
時でしょう。
どんな最期であれ、この世に存在させて
もらい、たくさんの経験をさせてもらっ
たことに感謝して旅立ちたい。
「旅路の果てには何があるのでしょう」
隣の男に急に話しかけられたので面食らってしまった。よくよく見てみると草臥れた男の風体はまさに旅人のそれで、それもかなりの長い期間旅を続けている風であった。長すぎる旅路のせいで最早体力気力共に枯渇寸前。それ故に果てを知りもう終わったことにして解放されたいのかもしれない。
「何もありはしませんよ。」
「何も」
「ええ。何も」
男は呆けたように口を開き目を泳がせた。
「そう…ですか」
「少なくとも私の旅はそうでした」
私は、旅に出たんだ。
君を探すためにね。
どうして君が、私の前から消えてしまったのか、
理由は分からない。
でもそれを聞き出すつもりはないよ。
だって君は知ってるはずだ。
私と一緒にいるというのは、こういうことだと。
代償があって。恐怖があって。苦しみがあって。
それでも私と添い遂げることを選んだのは君だ。
私には君しかいないし、
君には私しかいない。
逃げられないし、逃がさない。
たとえ旅路の果てに見つけたものが、
君の、私への憎悪に満ちた顔だとしても、
私はその頬に口づけをしよう。
感謝と歓迎の言葉を添えて。
待っていてくれ。
私は必ず君を掴まえる。
#旅路の果てに
旅が好きな人のことを、僕は理解ができない。
旅を続けていると、最後に何が残るのだろうか。
友達。
経験。
体力。
知識。
これらが残っても、僕には必要がない気がするのだ。
友達なら少なくてもいい。
経験だって、旅の経験なんてどこで役立つのだろう。
体力はジムに通ったり川沿いを走ったりすればいい。
知識はネットで調べたり本を読んだりしてつければいい。
僕は、旅は時間を奪うものだと思う。
だから、僕は旅が好きな人のことを理解ができない。
けれど、旅をしている人に
「なぜ旅をしているのか」
と聞くと
「好きだから」
と言われる。
この「好き」という理由だけで旅を続けているのだ。
悪く言えば、ただの自己満足。
自己満足したいから旅をする。
やっぱり僕には理解ができない。
旅路の果てに
白い手袋に丁寧に包まれた銀色の指輪。飾り気などなく、しかし、裏にだけ規則的な傷がつけられている一品。
「お客様、お忘れ物はこちらでお間違いないですか?」
「えぇ。これです。有難う。失くしたと思っていたのよ」
「他にお持物はありますか?」
「それを、頂けるかしら」
少し大きめなロケットペンダント。値は張るが、残るものだという。
頷いた駅員に等価を渡し、受け取る。
きゅ、と握り締めて中を開いてみれば、なるほどその通り。鮮明に残らずとも、むしろ淡く根底に広がっていてほしいものがそこにはあった。
カーン、カーン、カララ……、ちょうど次の列車がくる。ベルを鳴らしていた駅員が規定通りに声を張り上げた。
「当駅に着きます列車は□□□□行きで御座いまーす。当駅からお乗りのお客様は、一号から四号までいずれかにお乗りくださーい」
「お客様はどうしますか?」
「これに乗ろうと思うわ。いろいろ有難う」
「いえ。どうぞ、良い旅路をお祈りしています」
「そうね。有難う」
オレンジがかった薄暗さ。静寂さの中に入り込んだよう。
入ってすぐの空間に、大きな人型が。
およそ三メートルはありそうな、車掌帽をかぶったもの。鋭い眼光で見下ろして。
「やあ、今晩は。荷物検査は終わり。ここは四号車。きみが選べる座席は向こう側。こっちには必要時にご案内。詳しいことはアナウンスするから、ごゆっくりしてて」
促されるままに座席に向かう。
木製の枠組みに赤色のクッションがついた固定クロスシート。気が向いた座席に腰を落とした。
ぽつりぽつり、と埋まる座席。
皆、思い思いの服装。誰一人大きな荷物はいなかった。
すると、さきほどの車掌の声。
『ご乗車ありがとう。この一号車から四号車、涯区間は後続車、始号車に合わせて運行。必要各駅停車。降りれない駅のときはアナウンス。それ以外は車掌にはなしかけて。終点にご案内。食事は車内に用意がある。これはお気持ちだから、好きなものを食べて。ただ逆行はできないよ。それではお時間。出発進行』
ゆっくりと動き出す。
星々が僅かな光をもたらす空間。
まだまだまどろむ気配はなくて少し手持無沙汰。脳裏に浮かぶのはやはり、あの時の寂しそうに見てきた顔たち。ぽろぽろとこころが落ちるけれど、それでもいいと思える。
アナウンスの通り、車掌に要望を言えばその通りの寸分違わず、においすら同じ、そんな食事が渡された。疑いつつも口に運べば、一気に蘇る映像と懐かしさ。
愛惜の念が押し寄せて。
もう口にすることは叶わないと諦念を持っていたしこりが、すーっとなくなってゆく。あれほどまでに空腹だった体内が満たされて、満たされて、もう減ることもない。
下に栄える夜景が流れてゆくのを楽しんでいれば、ぽつりぽつりと下車を希望する人が。そのたびにゆっくりと車掌が手引きして、あたたかく下車してゆくのが見える。
時間がくれば、否、望めば。
しばらくして、またアナウンス。
『ご乗車ありがとう。思い出をご購入した人にご案内。後続車、始号車にご案内。車掌につづいて』
言われた通り三メートルはあろう車掌のうしろについて、四号車の後続に案内される。
真っ白な清潔な空間。白いクッションのロングシート。なんとも近未来的。そんな列車に、小さな子たちが何人も。
一様に白いワンピースのようなものを着て、そわそわと。膝の上には長細い四角をした、クッキーのようなものを。
「どの子かはきっとわかる。しっかり渡してあげて」
そう言った車掌から視線を外して、小さな子たちに向ける。「あ」と声を漏らしながら思い出を握りしめた人たちが、一人二人……と。
はて、本当かしらと。
「あ」と声が漏れた。
座席の角で、口を尖らせながら俯いて足を遊ばせているあの子。
きっとそう。
そっと膝をついて目線を合わせる。
不思議そうに一瞥くれたその子はまた唇を尖らせた。
「今日は。はじめまして。あなたに渡したいものがあるのだけれど、いいかしら」
「……」
恥ずかしそうにきょろきょろと。けれど、小さな掌ふたつを寄越してくれた。そこにロケットペンダントを。
短い指がかちゃり、と遊ばせて。
チェーンを首に回してあげればぴったりな長さ。本当に誂えたかのよう。この子の未来を感じていられるような、嬉しいような、悲しいような、不思議な心地。
「いってらっしゃい」
一度だけ頬を撫でて。
やはりきょとんとしたその子は、けれど、手を小さく手を振って見送ってくれた。
四号車に戻りしな、車掌を捕まえた。
「ここで、降りようと思います」
「うん、とってもいいと思う。ご案内」
出口の前。
すり、と左手の薬指を撫ぜた。
「長旅お疲れさま。まもなく終点、涯に到着。こころ忘れないように気をつけて。きみが選んだ終点、安らかを祈ってる」
「えぇ、有難う」
やさしいエスコート。
白い白い瞼の中。ゆっくりと意識が――――
#旅路の果てに
旅ってしたことないな。時間がない、金がない、なにより心の余裕がない。
旅なんてのは若い頃にやっておくものなんだろうな。
大人になっても名所巡りだとか温泉旅行だとかが趣味の人もいるんだろうけど、現代じゃ勝ち組ぐらいしかできない高等な趣味よな。
今日はfgo の更新があってストーリー見るのに忙しいからこれで終わりにしよう。
今日というごちゃごちゃの旅の途中で
知らない誰かの淹れてくれたコーヒーが
最高の道連れになる日常
たまたま同じ車両に乗り合わせた人たちに
些細な理由で親しみを感じてしまう日常
空間の歪みをもろともせず
スマホとスマホが僕らを繋げる日常
記憶よりも早く上書きされていくシステムに
容易く打ちのめされる日常
その旅路の果てで僕らは眠る
次が始まるまでの休符、一個分
果てはないはずで
なりたかった仕事について
これからまた
進化できたら
そう思ふのが ヒト
なのかな
旅路の果てになにがあるかは誰にもわからない
それが面白い
考え方よったら不安な人、前向きな人さまざまな捉え方いるでしょうが貴方なりの人生を(成長)してください\(^^)/
旅路の果てに
人間の人生はすごく長い年月によって作られていると思う。
私はまだ20年くらいしか生きていないけれど、それだけでたくさんの感情を知っている。
私の人生はまだ50年近く続くけれど、その中でまだ出会ったことのない感情に出会うことができると信じている。
そして、その旅が終わったとき、私という人間はきっと完成するんだろうな。
その時ってすごく神秘的で言葉にも表せないくらいの素敵なオーラをまとっているはず。
それを楽しみに、今日も私は私という素敵な人間を作り出していくのだ。