『旅路の果てに』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
白い手袋に丁寧に包まれた銀色の指輪。飾り気などなく、しかし、裏にだけ規則的な傷がつけられている一品。
「お客様、お忘れ物はこちらでお間違いないですか?」
「えぇ。これです。有難う。失くしたと思っていたのよ」
「他にお持物はありますか?」
「それを、頂けるかしら」
少し大きめなロケットペンダント。値は張るが、残るものだという。
頷いた駅員に等価を渡し、受け取る。
きゅ、と握り締めて中を開いてみれば、なるほどその通り。鮮明に残らずとも、むしろ淡く根底に広がっていてほしいものがそこにはあった。
カーン、カーン、カララ……、ちょうど次の列車がくる。ベルを鳴らしていた駅員が規定通りに声を張り上げた。
「当駅に着きます列車は□□□□行きで御座いまーす。当駅からお乗りのお客様は、一号から四号までいずれかにお乗りくださーい」
「お客様はどうしますか?」
「これに乗ろうと思うわ。いろいろ有難う」
「いえ。どうぞ、良い旅路をお祈りしています」
「そうね。有難う」
オレンジがかった薄暗さ。静寂さの中に入り込んだよう。
入ってすぐの空間に、大きな人型が。
およそ三メートルはありそうな、車掌帽をかぶったもの。鋭い眼光で見下ろして。
「やあ、今晩は。荷物検査は終わり。ここは四号車。きみが選べる座席は向こう側。こっちには必要時にご案内。詳しいことはアナウンスするから、ごゆっくりしてて」
促されるままに座席に向かう。
木製の枠組みに赤色のクッションがついた固定クロスシート。気が向いた座席に腰を落とした。
ぽつりぽつり、と埋まる座席。
皆、思い思いの服装。誰一人大きな荷物はいなかった。
すると、さきほどの車掌の声。
『ご乗車ありがとう。この一号車から四号車、涯区間は後続車、始号車に合わせて運行。必要各駅停車。降りれない駅のときはアナウンス。それ以外は車掌にはなしかけて。終点にご案内。食事は車内に用意がある。これはお気持ちだから、好きなものを食べて。ただ逆行はできないよ。それではお時間。出発進行』
ゆっくりと動き出す。
星々が僅かな光をもたらす空間。
まだまだまどろむ気配はなくて少し手持無沙汰。脳裏に浮かぶのはやはり、あの時の寂しそうに見てきた顔たち。ぽろぽろとこころが落ちるけれど、それでもいいと思える。
アナウンスの通り、車掌に要望を言えばその通りの寸分違わず、においすら同じ、そんな食事が渡された。疑いつつも口に運べば、一気に蘇る映像と懐かしさ。
愛惜の念が押し寄せて。
もう口にすることは叶わないと諦念を持っていたしこりが、すーっとなくなってゆく。あれほどまでに空腹だった体内が満たされて、満たされて、もう減ることもない。
下に栄える夜景が流れてゆくのを楽しんでいれば、ぽつりぽつりと下車を希望する人が。そのたびにゆっくりと車掌が手引きして、あたたかく下車してゆくのが見える。
時間がくれば、否、望めば。
しばらくして、またアナウンス。
『ご乗車ありがとう。思い出をご購入した人にご案内。後続車、始号車にご案内。車掌につづいて』
言われた通り三メートルはあろう車掌のうしろについて、四号車の後続に案内される。
真っ白な清潔な空間。白いクッションのロングシート。なんとも近未来的。そんな列車に、小さな子たちが何人も。
一様に白いワンピースのようなものを着て、そわそわと。膝の上には長細い四角をした、クッキーのようなものを。
「どの子かはきっとわかる。しっかり渡してあげて」
そう言った車掌から視線を外して、小さな子たちに向ける。「あ」と声を漏らしながら思い出を握りしめた人たちが、一人二人……と。
はて、本当かしらと。
「あ」と声が漏れた。
座席の角で、口を尖らせながら俯いて足を遊ばせているあの子。
きっとそう。
そっと膝をついて目線を合わせる。
不思議そうに一瞥くれたその子はまた唇を尖らせた。
「今日は。はじめまして。あなたに渡したいものがあるのだけれど、いいかしら」
「……」
恥ずかしそうにきょろきょろと。けれど、小さな掌ふたつを寄越してくれた。そこにロケットペンダントを。
短い指がかちゃり、と遊ばせて。
チェーンを首に回してあげればぴったりな長さ。本当に誂えたかのよう。この子の未来を感じていられるような、嬉しいような、悲しいような、不思議な心地。
「いってらっしゃい」
一度だけ頬を撫でて。
やはりきょとんとしたその子は、けれど、手を小さく手を振って見送ってくれた。
四号車に戻りしな、車掌を捕まえた。
「ここで、降りようと思います」
「うん、とってもいいと思う。ご案内」
出口の前。
すり、と左手の薬指を撫ぜた。
「長旅お疲れさま。まもなく終点、涯に到着。こころ忘れないように気をつけて。きみが選んだ終点、安らかを祈ってる」
「えぇ、有難う」
やさしいエスコート。
白い白い瞼の中。ゆっくりと意識が――――
#旅路の果てに
旅ってしたことないな。時間がない、金がない、なにより心の余裕がない。
旅なんてのは若い頃にやっておくものなんだろうな。
大人になっても名所巡りだとか温泉旅行だとかが趣味の人もいるんだろうけど、現代じゃ勝ち組ぐらいしかできない高等な趣味よな。
今日はfgo の更新があってストーリー見るのに忙しいからこれで終わりにしよう。
今日というごちゃごちゃの旅の途中で
知らない誰かの淹れてくれたコーヒーが
最高の道連れになる日常
たまたま同じ車両に乗り合わせた人たちに
些細な理由で親しみを感じてしまう日常
空間の歪みをもろともせず
スマホとスマホが僕らを繋げる日常
記憶よりも早く上書きされていくシステムに
容易く打ちのめされる日常
その旅路の果てで僕らは眠る
次が始まるまでの休符、一個分
果てはないはずで
なりたかった仕事について
これからまた
進化できたら
そう思ふのが ヒト
なのかな
旅路の果てになにがあるかは誰にもわからない
それが面白い
考え方よったら不安な人、前向きな人さまざまな捉え方いるでしょうが貴方なりの人生を(成長)してください\(^^)/
旅路の果てに
人間の人生はすごく長い年月によって作られていると思う。
私はまだ20年くらいしか生きていないけれど、それだけでたくさんの感情を知っている。
私の人生はまだ50年近く続くけれど、その中でまだ出会ったことのない感情に出会うことができると信じている。
そして、その旅が終わったとき、私という人間はきっと完成するんだろうな。
その時ってすごく神秘的で言葉にも表せないくらいの素敵なオーラをまとっているはず。
それを楽しみに、今日も私は私という素敵な人間を作り出していくのだ。
長い長い、終わりのないように思える旅だった。
1番最初はただひたすら楽しかった。見るもの全てが新鮮で、何もかも知らなくて全てに興味を持った。
しばらく経つと悩みが生まれた。このままで良いのか、不安に苛まれた。苦しくて終わらせたくなることも多々あった。
それを乗り越えた頃、君に出会った。君といるととても楽しくて幸せで、旅をする楽しさを思い出せた。君に出会う為にこの旅を始めたんじゃないかと思うほど君に魅了された。
君と旅を続けてだんだん、こ慣れてきた。不安も減って、君がそばにいるのが当たり前になった。
君が旅をやめた。突然だった。何が何だかわからないまま君は僕の前から姿を消した。今考えても理由はわからない。君がいなくなったのが辛くて悲しくて、僕も旅をやめようかと思った。
けれど旅をやめることは出来なかった。君にまだ続けて欲しいと言われていたから。僕だけをおいて止めるなんて酷いじゃないかと思った時もあったけど、君が泣きそうに言うからやめられなかった。
でも、僕も旅を終える時が来た。そろそろ良いだろう?君の笑顔が見えて、僕は寝転んだまま旅を終えた。
「ご臨終です。」
今思えばあっという間に駆け抜けていた人生も、決して無駄にならず私の尊い財産だ。一人親元を離れ遠く仙台の町へ越した私は、地場の建築会社に住み込みで就職した。
仙台までの交通費を送金して貰ったあとの行動は、自分でも驚く程に実に早かった。どこにそんなに行動力と決断力が隠れていたのだろうか、それまでの人生の中で経験したことの無いものを私は感じていた。ゆうちょ銀行で交通費を下ろし、後には引けないという思いと大きな期待を胸に家へ帰る。仙台の会社に就職するから、明日の夕方に出発すると母に伝えたが「向こうに行っても家に金入れてね」という一言だけだったが、寂しさや悲しさはなかった。母親は女で一人で私を、兄弟を育ててくれた。看取してはいるが、些か金銭面に堪らしない所を感じていた。がめつさや執着のような、親ではなく人として好きになれないところがあるからだろうか。夜にひとり、バックパックに数着の着替えや日用品を詰めてそうそうに眠りについた。
広島駅には来たことがなかった為、バスプールがどこにあるか分からず交番や道行く人に道を訪ね歩いた。ピンク色のバスが見え、その車体には大きく私が乗るバスの名前が描かれていた。安い夜行バスの旅だ、広くはなく席は軋む。眠れないまま知らない景色が流れていくのを、ただただ呆然と眺めてはため息を漏らした。仙台に行くことよりも、バスを乗り継ぐことのストレスからくるため息だ。一睡もつかぬ内に新宿の停留所につく。案内の地図を見ても、携帯で乗り継ぎの手順を見てもよく分からなかった。「停留所を出て左方向に歩くと、三角のビルがある。その信号を渡り...」と画面に書いてあるが、はてどうしたものか。三角と言えば三角と言えるビルが沢山見え、頭を悩ます私に通勤途中のサラリーマンが声をかけてきた。どの建物のことだろうか、どの道のことなろうかと親身になって考えてくれたが分からなかった。諦めていると、件のサラリーマンがさらに道行くひとに声をかけ気がつけば10人くらいに囲まれていた。
乗り換え場所まで付き添ってくださった人々は、また日常に帰っていった。目の前にバスに乗れば、あとは仙台だ。仙台行きのバスに乗ったら連絡をして欲しいと、就職先の担当者からメールが来ていた。電話をかけようとするが、電池残量が僅かしかなく電話などとてもじゃないが出来ない。勇気を振り絞り、恥を忍んでバスの乗客に電話を借りられないかと頼み込んだ。怪訝そうな表示読まうではあるが、快く貸してくれたので電話を済ませお礼の言葉をかけた。
仙台駅近くの停留所でバスが停まった。「定禅寺通り」、そう書いてある標識と高いビルをみて不安が押し寄せてきた。こんな都会の街など来たことがなかった私の目には、この待ちそのものが恐ろしい魔物に見えたのだ。辺りを見れば、担当者がエルグランドで迎えに来ていた。挨拶をして乗り込むと、社長だと言って名乗る背の低い男がいたが一目みて反社の人間だと感じた。社長の事務所兼自宅の隣に社宅の戸建住宅に通され、坊主にされたことに驚いている間のなくたくさんの書類に署名捺印を強いられた。雇用契約書では無く、社長たちも「この後登録しに行くから」という。意味はすぐに理解したのは、派遣会社に連れてこられたからではあるが、それよりも何故ここにいるのか理解が出来なかった。訊けば閑散期は派遣で食いつないでいるからだというが、どこの世界に従業員を派遣会社に登録させる会社があるのだろう。ならば人を雇い増やすなと思いはしたが、もう後には引けない。
二年半だ。毎日見せしめに殴られ蹴られ投げられた。現場で下手を打つと、帰社直後に従業員が全員事務所に呼ばれた。事務所のリビングで、社長の前で全員が円になって正座をして説教された。説教だけで終わるようなことはなかった。毎日誰かが執拗に暴力で虐げられ、私も例に漏れず暴力に為す術なく耐えていた。一度だけ社長が激怒したことがあった。同い年の同僚が、社長の知人が店長を勤める店で窃盗を行ったのだからそれは当然だ。しかし、その店長というのがいけない。社長が世話になっていた人で、その人への迷惑もそうだが顔に泥を塗ってしまったという怒りが社長を鬼に変えていたのだ。大きなガラス灰皿が同僚目掛けて飛んだが同僚が避け、さらに腹を立てた社長がグラスを手にして同僚を蹴り飛ばした。その後は凄惨な光景だった。グラスで顔面を何度も殴りつけ、誰もがあまりに酷い様子に何も出来ないでいた。専務が代表を制止し、同僚が起こされ説教が続いた。そんな日々の中で、抜け出すタイミングを模索していた。もちろん、現場で様々な業種や職種の知人を作った。そうして二年半を耐えて過ごしたのだ。
知人が絵を描いてその通りにガラをかわし、ほとぼり覚めるや知人と共に起業をして人生を再スタートさせた。束の間だった。元請けの代理人が金を持って逃げたのは、仕事を受けて二ヶ月後の事だ。従業員も雇用して、みんなで盛り上げていくぞという時に詐欺の被害に遭ったのだ。もちろん逃がしはしなかった。ひと月かけてヤサを特定して囲みに行って、話をしたが既に借金返済に注ぎ込んでいたため泣く他なかった。そこからひと月は営業活動で瞬く間に過ぎていったが、なかなか決まらなかった。最後の綱と、一度だけお世話になった横浜で会社を運営している社長へ電話をして全てを話した。縁に恵まれたのは、運が向いてきたからなのか仕事が舞い込んできた。
一時は30人ほどの従業員が居たが、業務量が減ってきたことから件の横浜の社長へ面倒を見て貰えるよう頼み込んで紹介した。
起業して6年は思えば長いようで、あっという間だったが濃厚だった。知人と意見や会社の運営方針や方向性が合わず、解散したが後悔はない。普通では経験できないことを若いうちに経験させてもらったのだ、これほど嬉しいことは無い。充実した日々だった。色んな会社の社長達だけで集まりを開いて、食事をしながら今後のことを話し合ったり意見交換をしたりもした。ビジネスの場での振る舞い方をたくさんの人に叩き込んでもらったことは、私のゴミのような人生の中ではもっとも有意義だった。財産そのものだ。
私は辛く悲しく、厳しい人生の旅路の果てに今の人間性を得ることが出来たのだ。生きているだけで儲けもんだ。
旅路の果てに
#旅路の果てに
やりきれない思いや…
悲しみの底
どうしょうもない深淵に
落ちたときにも
誰も手を差し伸べてくれなかった
でも…
私のココロを
すくい上げてくれたのは
母が遺した優しさ言葉だった
旅路の果にあるものが
あなたの暖かな優しさならば
その胸で睡りたい…
#旅路の果てに
音のない世界
神様が音を取り上げた
ある日唐突にこの世から音が消えた
あれから僕らは無音の中にいる
声、曲、風の音、水のせせらぎ、
好きだった歌はもう歌えない
音が失くなり数年が経ち、みんなは音を取り戻すことを諦めていた、
でも僕は諦めたくなかったまたこの耳で音を聞ききたい
世界中を探し回って、僕は音を探した
耳を傾けて
歩き回った
どこまでも、どこまでも
旅路の果てには何もない
無音の海岸で僕は立ち尽くす
目を閉じて音を思い浮かべる
波の音、風の音、鳥の鳴き声、船の音、好きだった鼻歌
僕だけの音
在るはずだった音
鳥の様に歌い
花の様に笑み
風の様に生きる
自由気ままに東から西へ
或いは最の果てまで
己の赴くままに
何が在るのか
誰が居るのか
其処に安住を求めるのか
解らぬが
今日も今日とて歩く
歩き続ける
何処に着くのか解らぬとて
お題
旅路の果てに
【旅路の果てに】
叶えたい夢への道は厳しく、目の前に立ちはだかる険しい壁ばかりで平坦な道では決してないだろう。
何度も立ち止まったり、もう歩きを止めたいときもあるだろう。だけど、あなたはこれまで頑張ってこれたんだ。あと少しだけでも歩いてみようじゃないか。
そうして乗り越えた先に叶えたい夢はそこにある。
叶えた夢の先にも、歩きを辞めて新たな道を歩き始めた先にまた、新たな旅が待っている。いのちに則り、有限ではある旅路ではあるが、だからこそ無限の可能性の旅が待っている。
そうして最期の旅路の果てにこれまでにどれだけの旅をしてきたのかと振り返る。それは最初の歩みも見えない程歩いた道のり。長い長い、そして時に短い分かれ道。最期は度重なる旅があなたを飾るだろう。
想像も付かない.何とも語れない.
此路は合っていたのか
何も知らずには残す事すら許されざる者と成る.
こんな者じゃ旅に盍出たくも無い.果てに,朽ちた私を知らぬ顔で路とする貴方の旅先が不幸であらんことを願いましょうか.
あぁ,憐れな主よ,己を残さずとして此処を去るとは,
余りに勿体が無いぞ.
--《旅路の果てに》
何を求めるも無く、何処に行くも無い。
ただ、自分の人となりが、それなりの時分に、ふらりと足をいずこかへ向かわせるだけである。
息苦しいのだろうか。日々の生活が、自覚もなしに煩わしく感じているのだろうか。しかしそれにしては、愛おしいものができすぎてしまった様にも思える。全く、難儀なものである。
そういう訳で、たまの出張なんかを言い渡されたら、部下同僚は、それなりに嫌な顔をするのだが、自分はむしろ、心持ちモチベーションが向上する。忙しい時期じゃなければ、大抵は連ねる様に有休を取って、少し長めに目的地に滞在するのが、自分の中の一つ決まりとなっていた。
仕事仲間は皆気持ちの良い奴で、たまに長く留守にする自分は、それなりに迷惑をかけているだろうに、嫌味の一つ無く。貸しだと笑って、美味い土産を所望するばかりである。息子諸君も土産話を聞かせれば眼を輝かせ、妻も、埋め合わせにと同じ場所に皆で赴き、ガイドの代わりを少々やってくれればそれで良いと朗らかに言う。
そんな彼らに文句などつけようもない。自分は少し、恵まれ過ぎている。
……ああ、そうそう。どんな僻地へ訪れても、石ころの一つ、それもなければ面白い話を、自分は必ず土産に包むようにしている。何を当たり前の事を、と言う人があるかもしれぬ。だがそれの示す意味を考えたとき、ふらりと出掛けたくなる、などと言っておきながら、随分甘えたものだ、と我ながらの傲慢に笑ってしまった。
私の旅路の果てにはいつも、我が家へと帰る、片道切符が握られているのだから。
【旅路の果てに】
この狭苦しい
家から飛び出して
色々な土地を巡るうち
君と出会ったら
どんなにいいだろう
2人でもっと遠い所へいこうか
その旅路の果てで
2人は愛を交わし合う
もうこれで ゴールにしよう
人生という旅路の果てに
あたなと手をとり
静かな眠りにつきたい
どちらかが先に
旅を終えるのではなく
一緒に
終えたらいいのにな
たどり着いた先に悲しみしかなくても
わたしたちはそれぞれの旅路をいくしかない
旅路の果てに
仕事を辞め、アパートをひき払い
海外へ行ったのは24歳の時
ワーキングホリデーVISAを取得したものの、お金がないので、直ぐに住居と、仕事探し
英語が出来れば苦労はないだろうが
半年位は散々なものだった
当初、半年でお金が尽きたら日本にもどる予定も、日本人の観光客が多かったおかげで、どうにかVISAも更新し、国内観光も出来た
そんな旅行も3年目
結婚を意識し始める
相手は長男、ここにとどまるか
日本に帰るか
のんびりとしたこの国で、将来やっていけるのか?
もしこの先日本に帰る事になれば、ここにいたら日本復帰が難しいのではないか?
未練があるが、
やはり根本は日本人、真面目過ぎた、
そして帰国
いまだに未練がある。
旅の途中で歩き疲れても
周りはみんな頑張ってる
あたしだけかな。
あたしが弱いのかな。
旅って人生みたい。
ちょっと休もうなんてネットは言うけど
リアルはそんな甘くなくて
理解されないことの方が多くて
頑張りたいって理想と現実の狭間で
たくさん葛藤する子どもたち。
まだ君は頑張れるよ。
旅路の果てに何が見えるかな。
楽しみだね。
今頑張らなくていつ頑張るのって
自分を奮い立たせてる君たちが
幸せになれるのをずっと祈ってるよ
頑張れなかったオトナより。
『旅路の果てに…』
「人生」という名の旅路
その果ては みな同じだろう
どんな道のりを歩んだかにより
記憶に生きた証が残される
記憶の中で生きていく
わたしたちの旅路は生きた証
死しても尚 輝く人でありたいものだ