『旅路の果てに』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『人生とは 大河を泳いで渡るが如し』
これは、私がこれまでの人生を歩んできて悟った、1つの考えである。人生というのは色々なものに例えられるが、私は泳いで川を渡ることだと感じた。
人間誰しも自分の人生が良いものになるよう願い、また、行動していることと思う。川の対岸が自分の人生の到達点だとすると、対岸のより良い環境の場所へ渡れるように、そこ目掛けて人は泳いでいく。
そこへ向かうために、もっとスピードを上げた方がいい(努力した方がいい)と判断すれば、力を振り絞ってスピードを上げ(努力をし)、適した環境じゃないから体力を温存しようとなれば、ほどほどの力で体力を維持しながら進んでいくと思う。
ただ、思い出してほしいのは、泳いでいる場所はただ水が溜められたプールではなく、川ということだ。
川にはもちろん流れがある。
流れは速いこともあれば遅いこともある。
岸辺は遅く、中央は速い。
また、川が曲がっていれば、カーブの外側では速く、内側では遅いのだ。川の形状によって流れが変わるわけだが、それがどう配置されているかは分からない(全容は掴めないということだ)。
川の流れに流されながら泳いでいった先に「ここに到達したい!!」と思える岸が見えたとしても、そこの流れが凄まじく速く、容易にたどり着けない場所かもしれない。
そうなった時、どうするのか。
流れに逆らってでもその場所に到達しようと思うのか、流れに身を委ねて結果として到達した所を自分にとってふさわしい場所と思うのか。
人によって考え方はいろいろだと思うが、私は流れに身を任せて辿り着いた先が、自分にとってふさわしい場所なのだと思う。(重要なことは、そこに到達するまでにできる限りの努力をしてというのが前提としてあるということだ。)
私はこれまで、自分の思ったように人生は進んでいかなかった。
私の思った通り人生が進んだのであれば、中学の時にしていた部活は高校でも続けていただろうし、大学ももっと上の大学に行っていただろう。今の勤め先なんて、絶対に死んでも選ばず、第一志望がダメでも地元の企業に何がなんでも就職していたことと思う。
でもそうはならなかった。
なぜかいつも到達しそうになると、その能力を奪われるなどして、目指した対岸に行きにくくなるのである。
その結果悪い未来が待っていたか?
いや、そうではなかった。
結果として、よい未来に辿り着くことが出来たのである。
今後、困難な状況に立たされる可能性はあるが、目指していたところ(未来)よりもより良い所に辿り着いているのである。
その事に気づいた私は、自分の力ではどうにも出来ない環境の変化(川の流れの速さ)があったときには、それに抗わず辿り着いた未来が、自分にとって良い未来なのではないか。つまり、川の流れに流されて結果的に辿り着いた先が、自分にとって良い環境なのではないかと考えたのである。
人生とは大河を泳いで渡るが如し。
流れが速いところというのは流されるべき所であって、その流れに身を任せて辿り着いた先で、身の丈にあった幸せな人生を歩もうではないか。
社会人5年生の時にノートに書いていた文章である。長い旅路の果てに私はいったい、何を思うのだろうか。
旅路の果てに
旅人は皆、此処ではない何処かへ旅に出る。
居場所の無い自分が居るべき場所を求めて。
だが、居場所など何処にも無い。
でも、何処にでもあるのだ。
居場所は誰にも用意などされていないし、
相応しい誰かを待っている場所もない。
私が立つこの場所も誰かにとっては
此処ではない何処かになりうる。
誰かが立つあの場所も私にとっては
此処ではない何処かなのだ。
人は皆いつも孤独で浮いている。
何かを隠して笑顔で生きるのだ。
誰も他人の笑顔の裏側を知ることはない。
だが、それを知ったとき気付くことができるだろう。
此処ではない何処かなど無いということを
居るべき場所など何処にも無いということを
在るのはいつもの現実で、
そこには孤独を抱えた人々が生きる。
そして、自分も彼らと同じ孤独を抱えた一人である。
そう気づいた時に立っている場所が旅路の果てになるのだろう。
旅路の果てに
ずっと道が続いてる。
歩いてたら、別れ道があらわれて
どれに進んだらいいのかわからない。
でも、どれでも正解なのかもしれない。
いろんな国や場所に飛び回ってみたいものだ。
最後はどこにたどり着くのだろう、、
楽しみたい、人生を。
旅路の果てに「楽しかった」と思えるようにしたい。
旅路の果ては、「死」だと思っている。
別にキザな詩人ぶっているわけでなく、毎日に変化や新しいことを学びつつ日々を過ごしていきたい。定期的にマンネリ化し、怠惰にダラダラと進むこともある。人との軋轢に嫌悪したり、社会に圧され疲れることもあるだろうけど、適度に休み、寄り道し、仲間や愛する人たちと笑い。独りを愉しみ。そして時間は過ぎていき、旅路を進む。
あと50年続く道かもしれないし、朝目覚めず、今夜で終わりかもしれない。旅路の終わりは、いつ訪れるかわからないから、果ての一瞬でも、「よい旅だった!」と思えれば幸せです。
「少年よ 少しだけ話をしないか?」
僕の目の前に座った人は微笑みかけてきた
「いいですよ。」
なぜだか、目の前に座った人の話を聞きたかった僕は真剣な面持ちで頷く
「君は夢の果てを知っているかな」
「は?」
なんの話かと思いきや、意味が分からない。いや意味は何となくわかる。けれど、質問の意図が分からない
「答えてくれ。君は君の夢の果てを知っているかい?」
「夢の、果て………」
ボソリと呟いて手元のティーカップを見つめる。なかのコーヒーは揺らぐばかりだ。
「ない、と思う」
ポロリと出た言葉は問いかけよりも難解だった
「ない…か。そうだね。少年よ。夢の果てなどないのか」
まるで我が子に向ける慈しみのように優しげな顔をして目の前の人は納得しているようだ。
「だって、だから貴方は自分の夢を追いかけ続けているのでしょう?叔父さん。貴方は夢の最果てがみたいんだ。」
彼は僕の言葉に心底驚いたようだった
「その歳で達観したものの考えをするな。少年よ。」
はははと笑い、僕と同じコーヒーを口にする叔父は少し疲れている
「少年の言う通りだ。夢の果てなどない、 俺は俺の夢路を見たい」
自分に言い聞かせるがごとく呟く叔父の言葉を僕もまた自分に刻んだ
「ありがとう、少年。お前に聞いてよかった」
そういうと彼は足元に置いたケースを持ち、半分以上残ったティーカップをおいていく
僕は振り返らず、問うた
「また、会えますか?僕は貴方の人生の旅路を聴くのが好きだ」
「─────」
それ以降叔父に会ったのは、生涯ただ1度きりになった
彼は満足していただろうか?
#旅路の果てに
旅路の果てにあるもの。
ぶっちゃけ、そんなの、今の自分に分かるわけがない。
今はまだ、その路に色をつけている最中だ。
喜怒哀楽などなど
色んな記憶が、『私』という路を鮮やかに飾り付ける。
そんな路をくぐり抜けて、あるもの……
何も無いただの真っ白な空間?
それとも、何も見えない黒?
……やっぱり、分からないや。
今は、『私』を描くことに集中しよう。
うん、そうしよう。
〜旅路の果てに〜
『旅路の果てに』
死ぬ間際に
終わり良ければ全て良し
って言える
旅をしていきたい
『旅の果て』
何千年と、何万年と、歩んできたその先は
いつも夢に見ていたその先は
こんなにも暖かいものであったと想像もできないような今までの過去を優しく優しく包み込んでくれる
あゝ、終わりのない旅の果ての美しい思い出は
今までの過去と一緒に置いて行こう
ここから先にはきっと必要の無いものなのだから。
この先で、私は一体何を見ることになるのだろうか?いつか分かる日が来るのだろうか?今はまだ何も知らない。
#旅路の果てに
ずっと、ずっと続いてきたのかもしれない。
いつ始まったのか、いつ終わるのか。
それはきっと、解らないままなのかもしれない。
多分、それでいいのかもしれない。
知ってしまったら、きっと足掻くのかもしれない。
始まりは、何だったのだろう?
終わりは、どうなるのだろう?
それを見ることは、きっとないし、知ることもない。
それを知るのも、見るのも、自分ではない”ジブン”だから。
解らないまま繰り返した先に、どうか穏やかな終焉を。
”魂”と呼ばれる”深淵”に、”ジブン”もいることを願って。
旅路の果てに
旅路の果てに
旅をしてきた。
この旅の中で沢山のことを経験してきた。
好きなこと、考え方、自分自身
短い時間で、沢山のことが変化してきた。
旅路の果てにはどんな景色が待っているのだろう。
それはまだわからない。
果てが訪れるときだって、わからない。
だけどできるだけ続けようと思う。
だってまだまだ旅の途中
吐く息は白
胸いっぱいに深呼吸
心が冬でいっぱいになった
旅路の果てを[考える]
旅路の果ては[わからない]
旅路の果てへ[歩を進める]
旅路の果てに[ ]
何がある
もしそれを見つけてしまったら
"旅"は消えてしまうだろう
少し寂しげに微笑んで
#旅路の果てに
おまえの旅路におれがいられたら、おまえは今も笑っていたのだろうか。
おれの旅路の果てには、おまえとまた会えるのだろうか。
この僕の人生という旅路の果てに何があるのか、それは全く分からない、けど分からないなら分からないなりに頑張ってみようとは思う、死ぬ前くらいやれることやってみよう
旅路の果てにあったものは、なんて事はない今日だった。
解き明かされた謎があった。音にできない歌があった。文字にならない言葉があった。積み重なった時間が今を作り、それがまた礎になっていく。
また来る明日は、私を置いて過去になる。
長い長い旅。
辿り着くことのない旅。
「貴方はどこまでゆくのですか。」
そう問われても、自分でも分からない旅。
どこまでも、どこまでも、
その地平線の先に、道があるまで。
その道が途切れるまで。
その日まで、歩きゆく旅路。
途中にある水にも触れず、
途中にいる人にも触れず。
我が道を我がままに、進むだけの旅路を。
いつか誰か、途中で切ってくれる事を、
私は望んでいるのであろうな。
旅路の果てに
ここを出る前、靴がつっかえた
つくったおにぎり、食べれなかった
乗った電車は寝過ごして、気づいたのは
みっつ先の駅だった
おっかぁつくったみっつのおにぎり
今はつつみの真ん中に
慌てて食べたら喉につっかえ
涙がほろりと胸に落ちた
旅路の果てに…?
旅に終わりがあるのだろうか
旅とは
定まった居場所を離れて移ろいいくこと
川の流れるように 雲がすべり行くように
速さを変え かたちを変え とどまらずに
いのちもまた 旅をしているのだろう
刻々と
でもそうとわからないくらいに少しずつ
出会いごとに少しずつ その姿を僅かに変えて
いのちは
星々のかなたのそのふるさとを離れて
わたしたちという舟に乗り旅をする
舟が朽ちたとき いのちはふるさとに還る
そしてまた つぎの旅がはじまるのだろう
舟は朽ちても 旅がおわるのではない
くるくると くるくると
いのちは旅をつづけていくのだ
「旅路の果てに」
#3
何処まで行こうが何にもないよ
いい事だろうが悪いことだろうが
何をしようが関係ないよ
どこまで行こうが何にもないよ
どんな事しようが何を考えようが
結局は何にもならないよ
別に何も無くていいじゃん
旅路の果て