『新年』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
昨日の続き。
日常となんら変わらない。
改まって区別をつけるのは何故だろう。
幼い頃や学生時代にはそういう区切りがきちんと存在していて、知らずしらずのうちに自覚出来たものだ。しかし社会人、まして日付を跨いで仕事をするようになってからは、日付も曜日も単なる記号でしかなくなっている。
それを知覚するのは、せいぜい書類の日付を書いたりテレビ番組の録画をするためだったりとか、そんな時だけとなった。
今は年末=やたらと世間や周りが忙しない日、新聞のテレ番に終の字が着く日、新年=忙しなさがなぜか一時的に鎮まる日、新しいカレンダーがお目見えする日という認識しかない気がする。
友人がいない自分には、あけおめメッセージやLINEも無縁で、唯一家族と交わす朝の新年の挨拶と戴くお雑煮だけが日常との違いだろう。そのうちそれすらもなくなる。
…と振り返ってみて言うのも何だが。
暗くて草。
いや本人そんなこと微塵も、ちょっとだけ考えたけど、考えてなかったし思ってもないが、まあ今年はやりたいことを少しだけ出来るようにしてみよう。うん。
新年、の目標である。
新年
あけましておめでとうございます。
新年早々、大変な事になりましたね〜。
もう、不安しかないのですが!?
これからのいい出来事に期待したいと思います。
新しい陽が目の前に広がる
幸せな時間が さあ 始まる
輝きを増すこの地球で
魂をキラキラさせて生きよう
新年
ハッピーニューイヤー
2024年 新年あけましておめでとうございます。
なんて テレビでそんな テロップが流れ
テレビ画面は、お祭り騒ぎだ
出演者が着物を着て扇子を持って
馬鹿騒ぎ 大笑いだ。
何がそんなにお目出度いのか
俺には、さっぱり分からない
ただ 年度が変わっただけで なぜそんなに 騒がなければいけないのか....
俺は、欠伸を噛み殺し こたつに入り
みかんを剥いていた。
「何がそんなに目出度いのか...」俺がそう
ぼやいていると 正面から声が聞こえた。
「少なくとも あんたみたいに日がな一日
ゴロゴロしてる奴より 馬鹿騒ぎしてる奴の方がよっぽどマシよ!」
姉貴が呆れた様に溜息を吐きながら
俺の方を見て言った。
俺はジト目で姉貴を睨む
「あんた若いんだから 初詣とか
行って来なさいよ!!」
初詣と聞いて 俺は神社に並ぶ人の列を
想像し 気持ちが悪くなった。
俺はみかんを食べる手を早める。
早く食べて部屋に引きこもろう
姉貴の小言がこれ以上うるさくなる前に
俺はみかんを速攻で食べ立ち上がる。
俺の立ち上がる背中を見て 姉貴は、
何かを諦めた様にまた 溜息を吐き
テレビ画面に視線を向け それ以上は、
言葉を掛けるのをやめた。
俺は、自分の部屋のドアを開け中に
入ると鍵を掛けた。
俺の新しい扉が開くのは まだまだ先だ...
俺の時間だけが古びて 止まったまま
動けない
新年なんてクソくらえだ
時が進んで新しくなるにつれ
俺の時間は、停滞する。
あの日の事が降り積もって
俺の背中にのし掛かる。
クスクスとあざ笑う笑い声 空白の空間だけが残る 俺の席
あの日の出来事がまざまざと頭の中に
蘇り....
俺は、ベッドに入り 布団を被り
両手で耳を塞ぎ 目を瞑った......。
新年_6
新年 明けまして
おめでとうございます。
“記憶に残る1ページ”
そのようなものを目指したストーリーを
皆さんにお届けできたら嬉しいです。
拙い文章ですが
どうぞ よろしくお願いします。
それでは また明日から。
どんなお題が来るのやら…。
新年あけましておめでとうございます。
長らく更新できてなくて悲しくなりました。謎に。
地震皆様大丈夫でしょうか?
一日でも1秒でも早く復興作業に取り掛れることをお祈り申し上げます。
もし、募金が始まりましたら、私も協力しようかと考えてます。
新年。三が日も働くぜ。奴隷に休みなんて必要ねぇよなあ。
まぁ過去にいたガチの奴隷に比べれば現代は普通に休みあるしそれなりに贅沢できるしで全然奴隷じゃないんだけど辛いものは辛い。
そういえば今年は年明けから地震やら津波で始まったな。おめでたい空気が一気に変な空気に変わった。
俺も年明けはFGOの正月ガチャで爆死して最悪なスタートだわ。もうなにもかもが嫌になる。
まぁそんなことはどうでもいいとして新年と言えば目標だ。新年の抱負ってやつだな。
やっぱり小説を書きたいし今書いてるのを完結させたい。小説を書く。それ以外にない。
でも三が日はなんかやる気出ねー。三が日が終わったら本気出す。
新年
明けましておめでとうございます。
また1年が終わる頃、
あっという間だった…などと言っていそうですが。
あっという間の中でも、
やらなければならない事を、
着実に行動に移していける年にしたい。
…と強く思う年の始めです。
元日から、大きな地震が起こってしまいました。
被害に合われた方に心からお見舞い申し上げます。
paki
新年はとてもめでたい日であるし、そう思い込まれているただの寒い日でもあるが、私には後者に思われて仕方がなかった。どこもかしこも店はやっていない。店もサービスも良くて二日からでとにかく暇な一日なのだ。ただ、やってる店に世間が団欒をする中で働かせてしまって申し訳ないとは僅かに思う。
私は年初めからケーキを買いに出かけた。なにもお節料理の代わりというわけではない。今年は重箱に入ったものを食べておらず、質素極まりなく年を越し新年を迎えた。そんなだから、当然クリスマスや年越しそばも疎かにして、こっ酷く彼女に叱られた。こういうのは理屈ではないのだと。理屈で言うなら私はあんたでなくたっていいのだとまで。それを聞くと途端に身体が冷えて、それをいうなら俺はお前でなくていいなんて理屈は全く言う気にならなかった。一理ある。青い顔で頷いて、私は贖罪のケーキを買いに出たのである。
新年早々やっている数少ない店だけあって、個人経営といえど店頭はなかなかに盛況していた。たくさん並ぶ、ケーキと洋菓子。私はあまり詳しくないから、しばらく店内をうろうろ探索するしかない。じっとしていられない子供が後ろを駆け抜けてアイスクリームの棚に張り付いた。
いざショーウィンドウを前にじっと品定めしようとすると、焦る。店内の客は皆レジ横の小さなショーウィンドウを見にやってきている。私はうんうん唸りながら数度横へ退け、数度流された。彼女の好みがさっぱりわからないのだ。
「お店の人?」
「わ」
私のコートの端を、小さな子どもが引っ張っていた。
「違うよ、客だよ」
「ケーキ買わないでしょ?」
「買うよ」
「どれ?」
「えー……これとか」
「あ! だめ! ねえおかあさん、ダメだよね?」
子どもはなぜか母親の方を振り返って、ダメでしょ? と騒ぎ立てた。母親は人気だからと曖昧にその子を宥める。
「お姉ちゃんはなんでもって言ってたんだから絶対それなわけじゃないでしょう」
「でもおねえちゃんいつもこれじゃん。くだもの好きだし、いつもタルトがいいって言ってる。食べたいよ」
この親子はこのケーキでなくちゃいけないのか。そうか。私はいいんですよと再び売り場を離れた。
あきた
謹賀新年
あけましておめでとうございます。
お隣のそのまたお隣の石川県で大きな地震。
新年早々に。
やっぱり日本には……
絶対的な神様なんて居ないんだって思ってしまった。
日本の正月を根底から覆すことを思わずには居られなかった。
世界の何処の国でも、人というのは自分たちがワイワイ楽しみたいために偶像をでっち上げる不信心者が多いって、なにかの特集記事で読んだことがある。そして、私はそんな不信心者にはなりたくないと強く自分自身に願ったものだった。そしてそうやって神社が祀る神様を信じて生きてきた。
2024年1月1日。
私は人生で初めて不信心者と同じ心情を抱いてしまった。それこそ、私の心の中で大きな地震が起きたようなものだ。
だけど、そうなのだけれども。
どんな災害に見舞われようとも、諦めない限り人というのは復興できるということを、世界中の災害のあった国々のニュースや記事を視聴して読んで知っている。そしてまた人には信じることによって再生出来るチカラがあることも知っている。
……試練。
そんな言葉がよぎった。かの有名な哲学者ニーチェが自著『偶像の黄昏』の中で云っている言葉を思い出した。
〝Was mich nicht umbringt,macht mich staerker.〟と。
原文はドイツ語なのだけれど、これを英訳すると
「What does not kill me, makes me stronger.」となる。直訳するなら
「私を殺さないものは、私をいっそう強くする」なのだ。
しかし、一般に広く訳されているのは《生あるかぎり、すべてが試練だ》という言い回しである。私も学生の時に読んだその言葉のままで記憶に刻まれている。私の過ごした母校の大学には「全人教育」という珍しい科目があって、全ての学生が履修することになっているわけだが、その授業で教授から教わったことだった……
平和ボケしていたのだろうか、いつの間にかずっと大切なことを忘れていたような気がする。人は生きている限り試練の連続で、またその意思の選択の連続であるということを。
新年、1月1日という元旦に気づけて良かったと思う。
ニーチェのように絶対的なものを否定的に捉えるニヒリズムを主義とするものではないけれど、私もどちらかと言えば安易に絶対的なものを信じようとは思わない。
まずは自分が自分の中で経験してきたものから学び、その確かなものを信じなければ、本当の意味で地に足をつけて物事を考えることは出来ないのだと、改めて気づかされた。
こんなことを考える新年は、私の人生で初めてだったかもしれないなあ。
テーマ/新年
リセット癖のある私
ノートで1ページ上手く書けなかっただけで、そのノート自体の価値が失われたような気持ちになって
また新しいノートを買っていた
だから新年と言われると新しいノートを手に入れたようなワクワク感
今年こそは!というキラキラとした気持ちになっていた
でも新年って新しいノートじゃなくて、「人生」っていうノートの1ページにすぎない
上手く書けたページばかりではなくても、使い込まれたノートの良さがある
新年
なんて事ない新年って
あるんだな
母が、風邪引いて
長引いて
お汁粉食べられなくて
ああ、お汁粉のつくり方
教わっとくんだった
ただの1月の始まり
新年は自分のために生きていく。
自分の心地よさのためだけに生きていく。
ありのままの自分を肯定する。
お題「新年」
友人宅での新年会8年目
コロナを機に、集うのはこのときだけ
だから結構楽しみにしている
そんな日の朝トイレが詰まるハプニング発生
それでなくても元旦からの大地震で気持ちが不安定
マジかァ~と心の中で呟くことは許してほしい
とりあえず…詰まりは解消
無事出かけることはできそうだ
「不運を流した」ということで新年会を楽しみたい
新年あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
『新年』
新年どれだけいいスタートが切れても、どれだけ辛く悲しいことが起こってもこの1年は人生でたった一度きり。今年も周りを大切にして自分らしく生きる。生きているだけで丸儲け。
______やまとゆう
【新年】
新しい年の始めには、古びた社へと足を運ぶ。供えるのはみかんと雷おこし。子どものお遣いみたいなラインナップだが、ここの神様はこういうのを好むのだから構うまい。
パンっパンっと打ち鳴らした柏手が、新年の厳かに冷え切った空気を凛と震わせる。かつてであれば「また来たのかい?」なんて楽しげに笑う声が鼓膜を揺らしたけれど、今となっては社は沈黙を保ったままだ。
僕が幼い頃には時折透き通った姿を覗かせてくれた神様が、完全に姿を消してからもう五年になる。もしかしたら既に、信仰を失って消えてしまったのかもしれない。それでも。
「今年もまたよろしくね」
きっとこの声は、この信仰は、届いていると信じて。僕は今年もまた、無人の社へと語りかけた。
あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!
しんねん。
新しい年今年から、日記を書いている。
先は、長い、30年の記録をつける、頑張らないといけない。
新年明けましておめでとうございます。
あけましておめでとうから始まる
新しい年は気持ちを新たにできる気がして
私は好きだ。
各SNSでみんなからのメッセージを送り合い
もう新年か...
なんて思ったりする。
カメラロールを漁った。
昨年の写真を見る。
どれも笑顔でどれも思い出せる。
今年は昨年よりもたくさんの思い出を残したい。
今年はもっともっといい事が待っていたらいいな
なんて私はそう思う。
─────『新年』