『愛があれば何でもできる?』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
愛ですかー
愛があればなんでもできる。
うーーーん
お金ですかーー
お金があればなんでもできる
うん? 電話か?
小川か? うん? 1.4ドーム?
ああ、わかった?
体調?
ああ、元気だ。
元気?
元気ですかーー
元気があればなんでもできる
これだ。
『愛があるなら』
愛してる そのくだらない 言葉から
生きる勇気を もらって5年
-
辛いこと 悲しいことに 痛いこと
君のためなら すべてが微風
-
愛あれば 無敵になると 父が言う
それがわかる日 まで生きてみる
【愛があればなんでもできる?】
「愛を知らないかって?」
旅人に話しかけられたキツツキは、木をつつくのをやめて、きょとんと首をかしげました。
「動物の国じゃ、聞いたことがないね。そういうのは、人間のほうが知ってるんじゃないかなぁ。人間の国はあっちだよ」
翼で方向をしめし、またせわしなく木をつつきはじめます。
旅人はキツツキにお礼を告げて、人間の国へと旅立っていきました。
「あい? それがあればなんでもできるって、ほんと?」
旅人に愛のありかを尋ねられた人間の子供は、目をまるくしました。
「あたしもほしいなぁ。そうしたら、あたしもおとうとも、さむくないのに」
裸足の子供が抱えた小さな赤ん坊は、裸も同然でした。子供たちは、震えていました。
「そういえば、ろぼっとはなんでもできるって、きいたことがあるよ。もしかしたら、ろぼっとがあいなのかも。ろぼっとのくには、このみちのさきだよ」
旅人は子供にお礼を告げ、ロボットの国を目指して旅立ちました。
「ザンネン、ナがら、トウコクの、データに、アイは、ノってイませン」
古いブリキのロボットは、旅人の問いにたどたどしく答えました。口元のネジが錆びついていて、うまく喋れないようです。
「トウコクには、アりませンが、トナリの、ペテンシのクニで、アイのバイバイが、オこなわレた、というキロクが、ノコッテイます」
旅人はロボットにお礼を告げて、ペテン師の国へと旅立っていきました。
「ああ、愛か。いくらでもあるぜ。ほれ」
ペテン師の男は、旅人に人形をほうり投げました。布と綿で作られた人形は、埃と土で薄汚れていました。
「あんたの有り金ぜんぶと交換だ。愛はそれだけ価値のあるものだからなァ」
旅人からたっぷりお金を受け取ったペテン師は、機嫌良く笑いました。
「愛は人によってかたちが違うらしいぜ。俺にとっちゃ、この金こそが愛なんだ。これだけあれば、なんでもできるだろうよ」
旅人はもらった人形をよく洗って、ぴかぴかの人形にしました。そして、もと来た道を戻りました。
ロボットの国では、人形の目のボタンを使って、古いロボットの錆びついたネジを開けました。人形のもう一つの目で新しいネジを作って、ロボットの口がスムーズに動くようにしました。ロボットはとても喜びました。
人間の国では、子供が連れている赤ん坊に、人形の服を着せてあげました。さらに人形の皮を使って、子供の靴を作りました。靴には人形の綿をすこし詰めました。子供はたいそう喜びました。新しい服を着た赤ん坊も、キャッキャと喜んでいるようでした。
動物の国では、キツツキの巣穴を、残りの人形の綿でふかふかにしました。キツツキは「これで卵を温めやすい」と大喜びでした。
動物の国を出たころには、旅人の手元にはなにも残っていませんでした。
旅人は自分の国に戻り、愛は他の国では見つからなかったと、主人に告げました。
主人はがっくり肩を落としました。
「それさえあれば、もっと素晴らしい世界を創造できるはずなのだが」
神の国に住む主人は、がっかりしながらも、旅人の旅をねぎらいました。
「そういえば、そなたはいつからわたしに仕えていてくれたのだったかな。……なに? わたしが生まれたときからだと?」
主人は驚いて、まじまじと旅人を見つめました。
「そうだったか。そなたをしょっちゅう旅に出していたから、忘れてしまったようだ。たしかにそなたは、ずっと昔からわたしとともにあったな。わたしの兄弟のようなものだ」
主人は旅人の手を取り、改めて感謝を告げました。
「おお、いまなら素晴らしい世界を創れる気がしてきたぞ。よし、さっそくとりかかろう。そなたも協力してくれ」
旅人は満足そうに笑って、うなずきました。自分こそが愛だということは、黙っていました。愛は寡黙なのです。そして、しょっちゅう見失われるものなのです。
題.愛があれば何でもできる?
愛はきっと有限。お金は無限。
『愛があれば何でもできる?』
マザーテレサの言葉に
「愛とは分け隔てをせず、ただ与えるもの」と、いうのがある。
愛って、『何でもできる?』とか、そういう大袈裟で俗物的なことではないと、思う。
もっと海みたいなものの気がする。
「赤いね」
「…うん」
「特に匂いとかないんだね、生臭いとか。日にちが経ったらすごくなるのかな」
「え?」
「これって水で拭いてから空拭きすればいいのかな?床赤くなっちゃうのかな。木だし、なんか残りそうだよね」
「うん…」
「どう思う?残りそうだよね。俺、頭今あんまり働かないから陽菜に任せていい?俺は、どうしよ、あの、あれする、これお風呂持ってくよ。わかんないけど、なんか漫画で見たよやり方」
ぐだぐだ。
不穏だ。
「陽菜、聞いてる?」
「…っあ、ごめん、めっちゃあの、ごめん。なんだった?」
「だから、陽菜は床拭いてくれる?俺はお風呂持ってくから」
「…え、何がお風呂?」
「だから、陽菜が床を」
頭が、生まれてきて初めてだ。
眠っているのに、ドクドクしてるような、焦っているような。
頭の中がねずみ色の雲で覆われている。
とりあえず動こうとするも、がくんと膝が折れて、情けなく床に手がつく。ぽたりと床に垂れる透明な液体は、私の涙か、汗か、はたまた赤に見えないやつの血か?
そうであれば、私はもう既におかしくなっている。
「陽菜」
晴生が私のように体勢を低くし、私を抱き締めた。晴生の白いジーンズが床の液体を踏み、赤く滲む。その光景に、思わずはっと息ができなくなる。自分がしたことの現状が、今やっと理解できてきているようで。
「陽菜、ね、大丈夫だから」
「……」
「俺が、俺が何とかするから。陽菜は大丈夫。大丈夫だよ」
何も大丈夫じゃないというのに、晴生は泣きながら微笑んでいた。苦しそうな微笑みが胸を苦しくする。
優しい彼が無駄な優しさを行っていることを、早く指摘して、早く彼を解放しなければいけないのに、私は、
「大丈夫。陽菜。俺が頑張って隠すから。明日から、また一緒にゆったり過ごそう」
「……うん」
ありがとう、が口に出なかった。何も、口にできる気がしなかった。
泣きながら横で床を雑巾で擦る彼は、私のために何でもするようだ。
その愚かさにたまらなく胸が締め付けられたのに、私は何も口にできず、行動できず、ずっと頭はねずみ色の雲のままなのだ。
愛のためならなんでもでき、/
愛があれば、何でもできてしまうのかもしれない
でもそれは、本当に愛なのか
相手を想ってのことなのか
エゴを押し付けてしまっていないか
ー愛があれば何でもできるー
愛はキレイなものだと、小さい頃は思っていた。
薄っぺらい愛、狂った愛、叶わない愛、望まない愛、
成長するにつれ、複数の愛が存在すると知った。
「愛してる」が口先だけのものだったとしても、
それが愛だと思えば愛になる。
愛は魔性、人を盲目にする。
『愛があれば何でもできる?』
できるよ
できるに決まってんじゃん
君のためなら何だってする
何でも
だよ
だから
僕以外要らないでしょ?
不確かなものを信用出来てしまう程
僕は馬鹿じゃないよ
愛があっても、何でも はできない
でもちょっと強くはなれる
【愛があれば何でもできる?】
愛があればなんでもできる?
聞き間違いかと疑った。
明らかに面接において不要な質問を眼前の面接官はしてきたのだ。
一対一の面接である。
突然そのようなことを言い出すのだから、私の緊張は一気に弛緩した。
まあ、聞き間違いかもしれない。
「えっと、すいません。もう一度お願いします」
「いいよ。愛があればなんでもできる?」
聞き間違いではなかった。
面接官は満更でも無い表情で、こともなげに言う。
私より二十は上の男である。
丁寧語くらい使えと言いたいところだが、仕方ない考えてみるか。
うむ。
そもそも私は愛を知らない。
生まれてすぐに英才教育が始まった。父も母も厳格な人だった。与えられたのは知識ばかりで愛情は無に等しい。
それゆえ、質問には答えかねる。
そもそも私は、まだ小学六年生である。
小学生にする質問だろうか?
受ける中学校を間違えたか?
無論、小学生の私に恋人といえる者もいない。
愛など知る由もないのだ。
しかし結論は出ていた。
愛などなくてもなんでもできる。
私は現時点で大学数学を解けるほどの天才小学生である。
勉強だけじゃない。この前の運動会で赤組を優勝に導いたのは私のおかげだと自負している。
だから、答えは――。
「え、あ、ごめんね。泣かせるつもりではなかったんだよ。ただ、君があまりに賢い答えをするから、つい気になってしまって」
私は泣いていた。
それが恥ずかしくて、逃げるように席を立ち、教室を後にした。
校門を出ると、父と母がいた。
二人は優しい口調で何があったのか訊いてきた。
偽りなく、事実を話した。
怒られると思った。
けれど、二人から出た回答は予想に反したものだった。そしてすぐに二人の体温に包まれた。
私は愛されていた。
今の私なら、なんでもできそうな気がする。
愛があればなんでもできる。そう思えた。
〜愛があればなんでもできる?〜
恋をしてわたしは、弱くなった
夜は長くって 退屈で
みんなキラキラ見えて
わたしはなれなくて
いつだって羨んでる 苛立っている
わたしを、そしてあなたすら 壊したくなる
いつか 恋が愛になれたなら
泣いてばかりの弱さもかなぐり捨てて
抱きしめたい
自信なさげに揺れているその瞳を
そのために生きてる 今
その時までどうか、そばにいてほしい
愛が有れば何でも出来る?どんな痛みも、どんな苦しみも乗り越えられる?──そんなはずがあるものか。彼を失った胃を捩じ切られるような痛みも、喉を締め上げられるような苦しみも、代替の愛が与えられたところで癒えはしないのだ。愛を求めて得た痛みを愛で癒そうとも、その後には必ず痛みがやってくる。私達は終わりの無い苦しみの果てを目指して日々を歩んでいくのだ。これからもずっと。
ニューロマンサー
画面に表示された貴方の虚像を追っている
電子の海へとダイブする
貴方を探して
内在する虚構のどこかに貴方がいるのなら
私は追い続ける
ニューラルネットワークの光
貴方との記憶のメモリーを辿る
マトリックスの世界
胡蝶の夢
円環の廃墟
私は貴方に辿り着く
何もかもが新鮮になっていく…
「愛があれば何でもできる?」
「何でもできる?」
疑問符がついてる時点で
「愛があれば」を否定してるよね
愛があれば?
可笑しいね。何でもできるわけない。
愛の数だけ憎しみがある
憎しみは時に人を殺す
愛するがゆえ?
どれだけ正当化しようと殺人に変わりはない
愛は確かに人を救うでしょう
家族 友人 恋人 他人さえ
しかし、愛し尊重するより
愛が人を狂わせることを人間(わたしたち)は知っている
#愛があればなんでもできる?
30愛があれば何でもできる?
だんな様には毎日「好きです」って言ってほしい。
それは祖母が結婚するときに出したほとんど唯一の条件だったそうだ。
祖父はそれを最後まで守った。98歳。結婚してから70年だから、だいたい25500回くらい。大喧嘩で冷戦状態のときも、歯がなくなって発音がおぼつかなくなってからも。安保反対デモに出た帰りも、オイルショックでトイレの紙がなくて困ってるときでも。一日一回、きっちりと。十年くらい前からは、お仏壇に向かって。ここ一年くらいは、ベッドの上で。三日前からは、ほとんど意識がなくなっても。
そしてたぶん、今日が最後になると言われていた。もううつらうつらしているだけで、ほとんど目も開けない祖父が、何か言おうとしている。
ほとんど聞き取れないけど、たぶん最後の「好きです」なのだろう。返事をしたら本当に終わりになってしまう気がして、私も父もおばさんたちも、ただ黙っていた。祖父がちいさく微笑んだ気がした。
愛があればなんでもできる時もあればできない時もあると思う。
人生愛だけでは何もできない時もあると思う。
愛があれば何でも出来る、何て言う下らない精神論がある。嗚呼確かに、愛と言うものを免罪符に叫べばこの世界ではなんだって許されてしまうのだろう。
世界を滅ぼすほどの強大な力を持った魔王を庇っても、自分がいる限り悪さはさせない何て言って置けば許されるし、愛する人のためにと語れば幾らでも人を殺したっていい。
そんなはずがないだろう。愛のためにと起こしたことがすべて許されると言うのなら、その過程で踏みにじられた愛にだって行動する権利があるはずだ。
恋人を魔王に殺された魔法使いにも、邪神を愛したカルト教団の生け贄にされた無辜の民にも、ただ一人でいることを愛していただけの悪魔にだって、その愛を貫いて生きる権利があったはずだ。
被害者たちは仕方のない犠牲? 愛のための礎? そんなもの誰が認めてやるものか。
故に、我々は声をあげた。手を広げ、足を伸ばした。我々が踏みにじられたことは愛の前では些細なことだと言うのならば、我々の愛でお前達が踏みにじられることも仕方のないことなのだろう?
では存分に、我々の愛を思い知ってもらうとしよう。