『愛があれば何でもできる?』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
愛があれば何でもできる、
わけではなく、
何かがいつもよりできそうな気がする、
な気がする
『可能性の音楽』
或る少女の16ビートが響く午後 バスケットシューズがきゅんと泣く朝 遠く遠く背の高いフェンスまで伸びる影があなたの長所に見えたんだ 優しさをたくさんもらった私はきっと誰かに妬まれる それでもいいと関係ないやと思えるほどのドキドキを私はちゃんと持っている 今この瞬間何でもできる 付点四分音符浮かんだ初夏だ そうだ、何でもできる
『元気ですか〜!!』
本日のお題を目にして思い出した
確かに愛があればなんでも出来る期間
とでも言いますか
3食毎日考えて作ることだって
眠い目擦りながら家事をこなしたり
仕事終わりに座りたいが我慢することだって
ぜーんぶ
愛があればこそですね
かつてのパートナーへの思いが
完全に覚めてしまった瞬間から
本当にご飯を作る気力が無くなったのを
思い出しました
与える愛は勿論ですが
貰う愛の方が効力が高めですかね
愛があればなんでもできる?
できないけど、愛は原動力にはなるんじゃないか?
ちなみにここで言う愛は、広い意味での愛ね。
友愛、家族愛、恋愛、自己愛、趣味やアイドルへの愛。
愛を人として良い方向の力に向けたいよね。
なんでもと言って、悪に走る人もいるから怖い。
なお愛があっても力になるけど、愛がないのもそれはそれで影響があるよな。良くも悪くも。
愛の有無・多い少ない、さまざまな経験を通して、いろいろ起きる。
なんであれ優しさを発揮して、人に手を差しのべる人もいたりする。
人として生きる限り、愛とは切っても切り離せないよな。行動の端々に、見えない力として存在してるようだ。
愛を育てたりコントロールするのも、一種人間力なのかも。
愛があればなんでもできる
人それぞれだけど
それが家族だったり
恋人だったり
友人だったり
私が何でもやってやるって思う時は
家族の時が多い
過ごしている時間が長い分
一番愛がある
家族にだけは無償の愛なのかもしれない
愛があれば何でもできる?わけではないけれど
お金さえあれば大抵のことは解決する
愛を守るにはお金が必要
衣食足りたら愛あるひとになれるかな
守れる人になるために
明日もみんなと働こう
(愛があれば何でもできる?)
愛があれば何でもできる?
お金があれば
時間があれば
カッコ良かったら
美人だったら
可愛かったら
勉強ができれば
スポーツができれば
才能があれば
センスがあれば
○○があれば
できない理由を探して
安心したいのかもしれない
多分、○○があってもなくても
何でもできる人はできるし
できない人はできない
愛は
やっぱりあっても、できないことはできないし
愛を盾にして
自分や相手をはかること自体
ナンセンスだと思うのよね
そんなことはない
愛があっても
それを守れなければ意味がない
守る力が
資金が
無いものにはなんにも守れはしない
愛だけでは、何もできない
愛があればなんでもできるというのなら
崩壊寸前の家庭を
いつ遭うかもわからない事故から
ありとあらゆる危機から
守れるのだろうか
救うことはできるのだろうか
そんなことはないだろう
愛なんてものはあまりにも弱すぎる
金が、力がなければ
何もできないほどに
それでも、愛がないと守るための力をつけようがないが…
お題:愛があればなんでもできる?
タイトル:矛盾
朝、いつものように起きると母が既に忙しそうにしていた。
顔を洗ってから朝食を食べる、シャケ、玉子焼き、味噌汁にアツアツのご飯。
全て母が作ったものだ。
パジャマから制服に着替える。
パリッと糊の効いたブラウスとスカート、アイロンをしてくれたのも母だ。
早くしなさい遅刻するわよ、母に急かされ玄関へ。
きっちり揃えられた革靴、つるつるピカピカに磨かれていた。
駅まで一緒に行こう、父が先に玄関で待っていてくれた。
つるピカの革靴を履いて父と玄関を出る。
いってきます。 いってらっしゃい。
お見送りの母に父がチューをする。
母は、何だかとっても嬉しそうだ。
テーマ「愛があれば何でもできる?」
貧しい恋人たちがいた。クリスマスの夜、彼らは食べ物でも服でもなく、聖なる夜にふさわしい、真っ赤なポインセチアを買う。
ふたりは凍えて飢え死にそうになりながら、自分たちに不釣り合いなほど立派なポインセチアにうっとりとして、温かな微笑みをかわしあうのだ。
そんな物語をどこかで読んだことがある。
愛があるというだけではいずれ死んでしまうだろうと、その時思った。
どれだけ恋人を想う清らかな心を持っていたとしても、ポインセチアだけで真冬の夜を越えられるわけがなく、生きていくことはできないのだ。
でも、彼らにとって、クリスマスの夜にポインセチアのない人生など、生きている意味がないに等しいものなんだろう。
それに、白い聖夜にひっそりと燃える深紅の花びらのあたたかさを知るのは、きっと彼らしかいない。
愛を食って生き長らえている。
それは他者から自分に与えられた愛であり、あるいは全く別の方向へ向けられる愛から零れ落ちた破片だった。
それを栄養とし、愛だと認識することはなかった。
「この世は愛が全てなんです」
盲目的に渦巻く目を細め、正面に座るその人は吐き気を催すほどの多幸感を振りまきながら言った。
「愛によって生まれ、愛に振り回されて生き、愛のせいで死を迎えるのです」
いくら耳を塞ごうと、反論の言葉を捻り出して突き刺そうとも、その人は聞く耳など持たず、いかれた声でこちらの思想を塗り潰そうと笑っている。これでさえ愛だとほざくのはその人があまりに無知で純粋な証拠なのだろうか。
「愛されないというのは自分の方へ矢印が向けられていないというだけの話です。そう嘆き、憤っている間にも誰かから別の誰か、もしくは何かへと愛は向けられています。愛されたいと願ったあなたはそれらの愛の副産物で構成されているのです。」
「愛が、愛から派生した感情が生命を巡らせて、世界を回しているのです。それに、気が付けていないだけ」
万病に効く薬などありはしない。精神論なら尚更だ。
ただ、愛という感情・状態への愛に全身を浸けたその人は、これこそが万能であると信じて疑わない。
目の前で湯気を立ち上らせるティーカップの中、幾重にも色が重なり合った、濁る透明な液体が毒々しく甘い香りを漂わせていた。
人が定義付けしきれない愛のようだった。
「愛が人によって、人のためだけに存在するものだと誰が証明できるでしょう。ひとりの持つ愛がたった一つだと誰が言ったでしょう」
「自身の歩んできた道に顔を覆う誰かは不幸に愛されているのでしょう。その生命を呪う誰かは死と孤独に愛されているのでしょう。あなたが何者であろうと愛はついて回ります。だからこそ世界は変化するのです。愛にはそれだけの力がある」
宗教じみている。しかし神となる者さえ話に聞くには愛に掻き乱されているのだから、何も間違いではないのかもしれない。強いて言うならば途方もないその感情に名前をつけたことが間違いだった。
その人は自分の手元にあるティーカップを優雅に傾けた。得体の知れないその中身をよく見知った風に口内で転がしては、至上の美味を味わい目を伏せた。
「私はあなたを愛しています」
驚きはしなかった。心のどこかでそう言われることを勘づいていた。
「恋愛、親愛、敬愛、友愛、慈愛……何と分類しようとこの事実だけは変わりません。私は他ならぬあなたを生かし、殺す愛の一部でありたいのです」
愛でいかれているからこそ、その願望はどこまでも純粋だった。深く曖昧で信用の置けない感情はもう拒否することさえ馬鹿らしい。そもそもこの告白に返事など必要なかった。ただ、その人はこちらに向けた愛を持っているという事実の宣言でしかないのだから。
どんなに微細だろうと関わりを持った以上、その人は、その人の愛は、こちらの生に影響を与えるのだろう。それが自分にとって利益になりうるかはまだ分からないが。いや、きっと一生気が付くことはないのかもしれないが。
愛という概念を何よりも愛しているその人ならば、愛が引き起こす可能性のある、全ての事象を可能としてしまうのだろう。そこに倫理や道徳など関係は無い。
愛のみがある。
意を決してカップの中身を流し込む。
無意識に消費し続けた、数多の誰かの愛の味は思い出せなかった。知らなかった。
結局は断言できないものなのだ。
世界を構成し続ける全ての要素が愛に関連していると信じるその人にとって愛は万能に違いなく、そんな風に考えたこともない自分には、愛というものはせいぜい生きる手助けをする程度のものに思える。
ただ、それだけ。
【愛があればなんでもできる?】
「僕のためになんでも出来ちゃうの?」
「そっすね。はい。愛の力でやってやりますわ」
「きゃー!頼もしー!」
信じていないという様子の君。
でも、私は本当に何でも出来るよ。君が欲しいといった物はなんでもあげちゃう。君がキライといった人は、みんなの君から遠ざけちゃう。君がもし、もし私に死ねといったら死ねてしまう。
そのくらい君を愛してる。
「愛があれば何でもできる?」
「なんでもできる」というよりは、
「なんでもがんばれる」じゃないかなあ。
君のため、あなたのために。
結果が伴わなかったとしても、君は僕を侮蔑しない。
私はあなたに感謝を伝える。
もちろん、がんばりすぎてただの押しつけにならないように。
【愛があれば何でもできる?】
愛があれば何でもできる?
良い意味でも、悪い意味でもできる事はあると思う。
愛している人のために働き支え、
その人の願いを叶えたりなど、できる事が色々ある。
その中で、人を殺めたり盗みを働いたりなど、
逆に愛していれば何をしてもいいと言う人もいる。
愛があれば"何でも"できる。
それが原動力になって頑張れる人がいるのは確かだけれど、
何でもはさすが難しいと思ってしまう。
そんな困難も乗り越えられてしまうのが
愛なのかもしれない。
愛があれば何でも出来る?確かに、愛があれば大切な人の為や、自分の好きな物に対して出来るだろうけど、僕はそうは思わない。愛だけでは長続き出来ないし、愛だけでは事も上手く運ばないだろう。長続きさせたいのならば、努力を。事を上手く運びたいのなら、それなりの知識や経験を。
少なくとも、僕はそう思う。人それぞれになってしまうとは思うが、僕はそう思うよ。もしかしたら、人によっては愛があれば何でも出来るよと言う人もいれば、愛があっても何でもは出来ないと言う人もいるだろう。
愛さえあれば何でも出来る…
この言葉を映画やドラマで見て
フィクションでしかないと思ってた
でも実際ホントなのかもしれない
愛が無かったら…私は死んでたかもしれない…
1年前
下校中にトラックに跳ねられて私は死にかけた
肺に折れたあばら骨が刺さって私の肺は機能しなくなった
その時…双子の兄が…
僕より生きた方が良いとドナーとして…
私は親にガッカリさせる気がした
入院中は一度もお見舞い来なかった親が…
ドナーを許した?
DV男とクソ女が?
弟しか味方がいなかった 退院後が怖かった
現在は普通に過ごせている
ただ一つ違う…弟がいる…
愛さえあれば何でも出来るらしい…
このことに気づいたのは天才だと思う
愛、?なにそれ?
僕らの世界には暴力と武力しかないでしょ?何夢見てるの?
今日も君は愛を騙る。『アイ』なんてこの世界には存在しやしないのに。
こんな世界でも、君だけは好きだよ。アイしてる。
【愛があれば何でもできる?】9
重力や磁力、風力
他にも戦力圧力握力眼力。
この世には「力」がたくさんあり、
力を持つ者は強く尊敬され恐れられる。
しかし最も強く美しい力は「愛」だ。
どんな壁の前にも愛の力は最強だ。
自分愛するものの為なら殺しも盗みも何でもする。
今までずっとそうしてきた。
君が望むものは手に入れたし、
嫌うものは排除してきた。
なのにどうして?
こんなにも愛しているのに、、
拒まないでよ。好きなんだ。
君のこと。
愛の力は最強。
君の為ならナンデモするよ。
「愛があればなんでもできる?」
1年前と同じお題を提示され、正直どう書こうかしばらくの間、頭を悩ませた。
さて、どうしたものか。
その結果、せっかくなので書き比べて見ようという結論に至った。
良ければ読み比べて貰えばと思う。
1年前
結論から話すと愛の大きさにもよるが
なんでもという点では叶えるのは容易では無いと思っている。
つまりどれだけ愛があっても、出来ない事はある
というのが私の考えだ。
何故なら根本的に出来ないものがあるからだ。
非現実的な事や論理上無理とされた事などを
愛の力で実現できたとしたら、こう言ってはなんだが、それは実に出来すぎた話で、もし仮に愛を持っているだけでなんでも出来たなら皆苦労しないだろうと思ってしまう。
しかし、なんでもという点では無理であるが
愛の力は人を動かす原動力や力になるとは思っている。愛は形に出来ない為に証明は出来ないが、形にして測れないからこそ愛には大いなる可能性と未知なる力があると私は考える。
もしかしたら、不可能を可能とする力をも
持っているかもしれない。
あくまでも可能性の話だが。
1年後
愛があればなんでもできる。
そんな考えは正直言って甘いと思う。
しかし、そのような考えで居られる人を羨ましいとは思う。
何故なら、その人には愛する人が居るからだ。
愛を知っているから、なんでもできると言える。
愛に溺れているから、そのような考えが出来る。
なんでも出来る。など、そう簡単に思えることでは無い。
愛という事をよく知らない私にとっては羨むほどに手に入れたい考え方だ。
現実的な考え程につまらない考え方はないだろう。
夢を見ている、夢に溺れている人程、幸せな人はいないだろう。
傍から見れば浮かれている人に見えるかもしれない。
周りとは浮くかもしれない。
それでも本人が幸せならそれでいいのだ。
少なくとも私はそう思う。
けれど私は現実的な考え方しか出来ないつまらない人間なのだ。
けれど、いつか愛を知れたなら。
愛に溺れる事が出来たなら、私も現実離れした楽しい毎日を送れるかもしれない。
人でごった返す駅の改札を通り抜け、新幹線切符売り場横の店の自動ドアをくぐった。
入ってすぐの券売機の前で立ち止まり、制服のカーディガンのポケットに入っていた小銭を数枚投入する。並ぶボタンの上を視線でなぞった。
〖家族愛〗〖親愛〗〖友愛〗〖恋愛〗〖おまかせ〗
「おまかせ」のボタンだけが古びてヒビ割れている。私もそれを押した。
みんな、何が欲しいのか意外と分かっていないのね、となぜだか安堵した。
(愛があればなんでもできる?)