愛を食って生き長らえている。
それは他者から自分に与えられた愛であり、あるいは全く別の方向へ向けられる愛から零れ落ちた破片だった。
それを栄養とし、愛だと認識することはなかった。
「この世は愛が全てなんです」
盲目的に渦巻く目を細め、正面に座るその人は吐き気を催すほどの多幸感を振りまきながら言った。
「愛によって生まれ、愛に振り回されて生き、愛のせいで死を迎えるのです」
いくら耳を塞ごうと、反論の言葉を捻り出して突き刺そうとも、その人は聞く耳など持たず、いかれた声でこちらの思想を塗り潰そうと笑っている。これでさえ愛だとほざくのはその人があまりに無知で純粋な証拠なのだろうか。
「愛されないというのは自分の方へ矢印が向けられていないというだけの話です。そう嘆き、憤っている間にも誰かから別の誰か、もしくは何かへと愛は向けられています。愛されたいと願ったあなたはそれらの愛の副産物で構成されているのです。」
「愛が、愛から派生した感情が生命を巡らせて、世界を回しているのです。それに、気が付けていないだけ」
万病に効く薬などありはしない。精神論なら尚更だ。
ただ、愛という感情・状態への愛に全身を浸けたその人は、これこそが万能であると信じて疑わない。
目の前で湯気を立ち上らせるティーカップの中、幾重にも色が重なり合った、濁る透明な液体が毒々しく甘い香りを漂わせていた。
人が定義付けしきれない愛のようだった。
「愛が人によって、人のためだけに存在するものだと誰が証明できるでしょう。ひとりの持つ愛がたった一つだと誰が言ったでしょう」
「自身の歩んできた道に顔を覆う誰かは不幸に愛されているのでしょう。その生命を呪う誰かは死と孤独に愛されているのでしょう。あなたが何者であろうと愛はついて回ります。だからこそ世界は変化するのです。愛にはそれだけの力がある」
宗教じみている。しかし神となる者さえ話に聞くには愛に掻き乱されているのだから、何も間違いではないのかもしれない。強いて言うならば途方もないその感情に名前をつけたことが間違いだった。
その人は自分の手元にあるティーカップを優雅に傾けた。得体の知れないその中身をよく見知った風に口内で転がしては、至上の美味を味わい目を伏せた。
「私はあなたを愛しています」
驚きはしなかった。心のどこかでそう言われることを勘づいていた。
「恋愛、親愛、敬愛、友愛、慈愛……何と分類しようとこの事実だけは変わりません。私は他ならぬあなたを生かし、殺す愛の一部でありたいのです」
愛でいかれているからこそ、その願望はどこまでも純粋だった。深く曖昧で信用の置けない感情はもう拒否することさえ馬鹿らしい。そもそもこの告白に返事など必要なかった。ただ、その人はこちらに向けた愛を持っているという事実の宣言でしかないのだから。
どんなに微細だろうと関わりを持った以上、その人は、その人の愛は、こちらの生に影響を与えるのだろう。それが自分にとって利益になりうるかはまだ分からないが。いや、きっと一生気が付くことはないのかもしれないが。
愛という概念を何よりも愛しているその人ならば、愛が引き起こす可能性のある、全ての事象を可能としてしまうのだろう。そこに倫理や道徳など関係は無い。
愛のみがある。
意を決してカップの中身を流し込む。
無意識に消費し続けた、数多の誰かの愛の味は思い出せなかった。知らなかった。
結局は断言できないものなのだ。
世界を構成し続ける全ての要素が愛に関連していると信じるその人にとって愛は万能に違いなく、そんな風に考えたこともない自分には、愛というものはせいぜい生きる手助けをする程度のものに思える。
ただ、それだけ。
【愛があればなんでもできる?】
5/16/2023, 3:09:59 PM