『忘れたくても忘れられない』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
あなたの息遣い
貪るように絡めあった唇
ひとつに重なるように
求めあった夜
忘れたくても忘れられない
例え後で貴方の正体が
悪魔だったと分かったとしても
「忘れたくても忘れられない」
忘れたいのに忘れられない事と言えば、黒歴史。
若い頃は常識を知らなくて、今思えばとても恥ずかしい事や失礼な事をしてしまった……
友人の結婚式に膝上のミニスカートで出席したり、喪服もただの黒スーツで代用したり。
敬語も満足に使えないし、ビジネスマナーなんて全く駄目だった。
何が常識で何が非常識なのかも知らない、わからないまま、本当に酷かったと思う。
でも、自分でもホントにどうなん?って思ったのは、お客様からの電話を受けて、先方が名乗らなかったのでお名前を頂戴する時。
頭の中で「どなた様?」「お名前は何とおっしゃいますか?」「どちら様?」って、もうどう言えば良いの軽くパニックになって。
で、最終的に口から出た言葉が「何様ですか?」だったと言う、漫画のような、嘘のようなホントの話。
幸い先方も笑って許してくださって、怒らせずに済んだけど、敬語ってすぐに出てくるように使い慣れてないと駄目だな、と思った。
そんな、忘れたい過去。皆さんにもありませんか?
あの歌?
そう、あの歌
あの海?
あの海がね…
あの空?
うん あの空だよ
君が忘れた思い出
今は価値の無い思い出
………
ほぼゼロらしい
君が、私達を思い出す確率
でも、言ってたよね、君
「例え、この夢が叶う確率がゼロだとしても…夢に向かいたい。みんなと進みたい!」
そんな言葉に
今は価値が無いけど
いつか
価値があったって言える日まで
…頑張れるかなぁ?
…無理だ
だって…みんな
…いなくなった
…いやだ!
ぜんぶ、いやだ!
………
僕が記憶を失っていた間に
色んなことがあったらしい
妹から聞いたことだ
あの日
…僕たちが事故に遭った日
僕とアイツを庇ったアイツとアイツ
…死んでしまったらしい
もう一人、
残されたアイツ
…精神に異常を来たして、病院送りだとか
医者からは
君と同じで事故を忘れようとした
記憶を無くしたかと思えば
思い出して暴れ出す
…僕と同じか。
そうだな
僕たち、そっくりだったもんな
好きな物も
好きな映画も
好きな言葉も
好きな奴らも
同じぐらい苦しいよなぁ
今も薬が手放せないけど
事故の記憶は
すっぽり抜けてる
多分、かなりの思い出も
アイツは…
忘れたくても忘れられない
【忘れたくても忘れられない】
そのひ、変なぼうしを被ったマジシャンは、「すてきな君に一生忘れられない、ティーパーティーを」と言った。
そらからぱらぱらと落ちてくる飴玉と、大きな大木にあいた丸い穴。
「さぁこっちだよ。」
てを引かれるまま、穴にまっさかさま。
不思議な仲間と、からくりじかけの友達。なんだか僕もたのしくなってきて、彼らと笑いあった。
にがい紅茶を飲み干したところで、マジシャンはじゃあねといって…
「おはよう、楽しい夢でもみてた?」
そこは陽も沈みかけの教室だった。
なんだ、夢か。
「すごい楽しそうな顔してたよ。」
目の前で笑う彼女に僕もつられて笑う。
名もしらない彼女に、僕はマジシャンのことをいつの間にか話していた。
それが10年前の話なわけだけど。
「懐かしいね。」なんて横で笑う彼女と、それを興味深そうに聞いていた娘に、僕も応える。
「でも、きっとあの日のことは忘れたくても一生忘れられないだろうね。」
初めてレシピを参考にしながら料理に挑戦をしたのは小学3年生の夏休み、ホットプレートで炒め物か何かを作ったと記憶している。広島県の生まれだもんでモダン焼き(広島のお好み焼き、私の地元の呼称)なんかも作ったりしたもんだ。年の離れた父代わりのような姉のアドバイスを聞きながら、慣れないターナーの扱いに苦戦して完成したものは輝く宝石のように輝いて見えた。家族が口々に美味しいと感想を口にするもんでとても嬉しかった、そして飛び切り美味しさが増すのを感じた。
料理の楽しさ、食べたいものを自分で作ることの面白さ、作ったものを美味しいと食べてくれる喜びを知った私は、夏休みの間は毎日のように新しい料理を作っていた。失敗をして、形が崩れ、味が整わず悔し涙を流したことも嗚咽して姉の腕に抱かれたこともある。けれど、その失敗で挫けることなく姉と二人、時には妹と私の二人だけで甘味作りもしたりしては料理にのめり込んでいった。
小学6年生のいつだったか、母の夕飯作りを手伝っていた時のこと、白菜を刻んでいた時に指を深く切ってしまった。事故などは慣れぬうち、そして慣れ始めと慣れてしばらくすると発生する可能性が高くなる。ハインリッヒの法則を見れば直感的にわかる事だが、当時の私は怪我こそしないものの危うい場面が幾度と見られた。指を切ったのは、それ故のことだろう。慣れ初め、小さな危険因子に気が付かず、気づいても気にも留めず注意を払わなかった。
切った瞬間は何も感じなかった、ドクドクと脈打ち溢れ出る血を見た時に置かれた状況を理解して痛みを自覚した。左手親指の先は表皮も真皮も超えて深く切り込まれており、落ちたものは白菜と共に赤一色のまな板の上にあった。泣き叫ぶ私の状況を理解した兄が私の親指の根元を強く握って止血を試みて、母が張った氷水に私の手を無理やり押し込んだ。激痛に泣き叫び、喚き、大粒の涙を流し続ける私に兄が優しく励ましながら頭を撫でた。どれほどの時間が経ったのだろう、実際には数分だったのかもしれないと思うが私には何時間もそうしていたように思えた。
兄や母の処置が良かったのだろう、傷口は塞がり血が滲むことはもう無くなっていた。ズキズキと、それでいてしっかりと鼓動に併せて強く痛む指先に涙は枯れ果てても、私はいつもでもべそをかいていた。兄の膝の上で指から目を背ける私に、兄弟が慰めの声をかけ、兄と母は消毒や傷の保護と処置を続けてくれていた。ガーゼが指先に触れる時、包帯がガーゼに触れる時、テープを貼る時、何をする時にも激痛を伴う度に枯れたはずの涙が再び流れた。数日後に傷の状態を見ようと、ひとり包帯を解いてみたときには只々、途方に暮れてどうしたものかとあぐねいていた。滲出液とともにびっちりと一体化して固まってしまったガーゼや絆創膏は、私の傷口から離れそうにはなかった。
バケツにぬるま湯を張り、傷にしみないか不安な気持ちを抱えながらそっと指先をふやかしてみることにした。無理に剥がしたりしなかったことが幸いして、傷を悪化させることも、沁みることも、少しの痛みを感じることもなく綺麗になっていく指先に心を撫で下ろした。乾かして改めて消毒と傷の保護をして数日様子をみてみれば、傷は癒えて綺麗な指に戻っていた。失った部分は歪な形になっていたが、強く刺激しない限りは痛みを感じることは無くなっていた。
包丁が、料理が怖くなった私は随分と長いあいだ料理が出来ないでいた。21歳の冬、ルームシェアをしていた会社代表や同僚にご飯や弁当を作ることになった私は、昔の痛い記憶、そしてトラウマを振り払ってレシピサイトを眺めていた。代表が大量の加熱用のまぐろブロックを買ってきたものだから、その処理をどうしたものかと頭を抱えていた。
加熱用のまぐろは血合いの臭みが強いため、酒や生姜などで臭み抜きをして竜田揚げや煮物にしていった。冷凍庫や冷蔵庫に無秩序に、そして無作為に放り込まれている食材は全て料理をしてご馳走に変えていけば、再び料理の楽しさ面白さを感じることが出来ていた。私の作る料理を美味しいと言って喜んでくれる代表や同僚に、私は料理が、食事がもたらす幸せを実感した。それからは皆と現場で汗を流し、帰宅すれば全員の夕飯と翌日の朝食やお弁当の用意をするようになった。月に一万円の手当も貰えるようになった、食費などの経費の管理も任せて貰えるようになった。毎日の食事の用意は大変だったが、感謝されることが嬉しく、必要とされていると感じるとやる気も湧いた。事務作業も頼られるようになり、使い方も知らぬパソコンを独学で学び、オフィスソフトに悩まされた。負担は大いに感じていたが、大好きな料理と事務の手伝いで月々の手当は増えていき、喜ぶ姿もまた増えたことで活力に変わっていた。
代表たちのもとを離れ、ひとりアパートを借りて新しい職場と出会いと仕事に不安を抱えながらも料理をしている時だけは自分らしく、そして楽しく過ごすことができた。自分だけの空間で、自分の食べたいものだけを作ることのできる暮らしに料理好きは加速していった。フライパン、鍋、ターナー、菜箸にお玉など思い思いに好きなデザインやメーカーのものを揃えていけば新しいレシピも創作料理も増えた。
和食しか作って来なかったが、気がつけば中華料理にも興味を持ち始めていたころ、月々の支出はさらに増えていた。日本中華も好き、四川料理も好きと来ればさらに沼に嵌っていくのは必至だった。恋人にも料理を振舞っては二人で幸せを噛み締め、料理が人生にとって重要なものであるという実感と果てない高揚感や幸福感が私を包み込んだ。
いま私は恋人もいなければ、職場でのパワハラや病気の母のことなど不安や懸念、心痛で精神的に追い込まれている。けれど、料理のことを考えている時、YouTubeで料理系クリエイターの動画を観ているとき、そして料理している時には他では決して味わうことの出来ない満足感を噛み締めている。
ストレスのせいだろうか、さらに料理への意欲と関心が高くなった。だから料理に関連するものも
増えた。例えば中華なら、北京鍋と広東鍋があるし、ジャーレンと中華お玉は鉄とステンレス。その他に鉄フライパンが一つと、パンケーキ用の鉄フライパンが一つ。南部鉄器の玉板も増えて、私の家はこの子達で大所帯になっている。
南部鉄器の玉板は良い、フッ素加工のものでは味わえない美味しい卵焼きが焼けるし、程よい大きさから餃子や目玉焼きにも重宝する。活躍の幅は広く、適切な手入れさえしていれば真っ直ぐ育ってくれる。そして卵焼きを焼きあげる時間が早くなったことも、私の生活をさらに豊かにしてくれた。というのも、私は大量に作り置きをして冷凍するのだけれど卵焼きもその限りだ。何枚も焼いて、切り分けて包んで冷凍すればお弁当や朝ごはん、夕飯にだって頂けるのだ。
中華鍋は北京鍋と広東鍋で使い分けをするが、炒め物も揚げ物も、煮物も、料理なら大抵のものはあっという間に大量に、美味しく作り上げることができる。中華の調理道具たちというのは本当に万能で和食を作りたい時にも、その秘めた力を余すことなく発揮してくれる。そして、調理器具や道具ではないが中華は調味料も豊富であることから、これらの新顔も増えて、キッチンに収まりきらなくなってしまった。中華との出会いは、初めて料理をした時の感動を鮮明に思い出させてくれるほどに素敵なものだ。
いつまでも長ったらしく、そして私にしては珍しく言葉が乱れながらも書き連ねた今日の私は、いつになく素直に語ることが出来たのではないだろうか。私の投稿はいつも無駄に長い、いやいや長く書いている節もあるのだけれど付き合って読んでくださる方々への感謝は尽きない。昔から作文など自分の思いの丈を文字にして、文章に起こすことが好きで堪らない。文章を書くこと、活字を読むことは語彙力の向上に良いなんてことをたびたび耳目する。そんなことはどうでもいいし、私には語彙力など微塵もない。ただただ、好きなことを好きなだけ書き連ねている。それこそ無秩序である。
それでも、読んでくださる方々。応援してくださる方々の存在は私の活力と、継続力と幸せの大きな支えになっている。だからこそ、こうしてアプリを続けていられる。好きな文章を書いて、誰かが背中を押してくれる、それだけが私の生きていく糧になっている。
いま、精神的に弱っていることや不安定なこともあっていつに増して話がまとまらず、綺麗に締められない。けれど、ただ語りたかった。いま、これを読むあなたに甘えたかったのだ。
きっとこの先、このアプリでの活動とあなた達と紡いだ時間は忘れたくても忘れられない、尊い記憶として私の胸に光り続けるのだろう。
なんて言えばいいんだろう…
なんかこう、きゅうって萎んで、ふわっと膨らむ感じ。
片手でしても良いけど両手もまた良い…
あの甘い匂いもいいよね、、
手につくからずっと漂うの。
やりすぎたら鼻が痛くなるけどね、笑
忘れられない。
忘れたくても忘れられないなぁ!
_____私、実は未だにスクイーズ好きで集めてるんだよね。笑
人間って単純なもの程よく物語る。
親友に嫌われた。そんなことは察していた。だからいつも通りに、距離を置くだけで過ごすことができた。けれどさ、
一緒に行こうって言ってたカフェとか。
一緒に食べたいねって言ってたパンケーキとか。
一緒に、をふとした瞬間に思い出してしまって泣きそうになる。
#忘れたくても忘れられない
忘れたくても忘れられない
妖艶で
美しい
そんなあの人に体を貸す瞬間
緊張感とともに開放感もある
1秒たりとも気を緩められない
麻薬的中毒性がある
嗚呼もう一度
あなたにあげる
僕と一緒に踊ってください
(忘れたくても忘れられない。)🦜
忘れたくても、
忘れられない物って
いろいろ、あるよね。🦜
・僕が、最初に見つけたのに
横取りされた、稲穂。🦜
・僕の大好きな
お昼寝する
とまり木が、風で
折れてしまった事。🦜
(でもね。)
「覚えたくてもね
覚えられ無い
事の方も、有るんだよ。」
✣僕が、眷属で幸せを
運ぶ時に
唱える呪文とかね。🦜
【でもね、今迄に一番に
忘れられない事はね
娘すずめ、しゃん。の
誕生日にプレゼントを
あげる約束を忘れて
娘すずめ、しゃん。が
しばらく
口を聞いてくれなく
成った時の事
なんだよ。】
❝これは、一生忘れられない。❞
胸が押しつぶされそうな大恋愛をした
あっけなく終わっちゃったけど
忘れたくても忘れられない
できるならもう一度君と大恋愛をしたい
忘れたくても忘れられない、
そんな場面に一度たりとも、出会う事は無かった
人間には喜怒哀楽、人間関係、津々浦々、
羨ましいこと、妬ましいこと、恨むこと、
何事も、必要だったのだろうけど、
病気では何もできないのだ。
"生まれた意味は何でしょうかね、あはは…。"
神様、生まれるのにハンデを渡すなよ…。
ただの生き地獄じゃねぇかよ。
〜忘れたくても、忘れられない〜 小説
花が落ち芽吹いてくる葉の香り
きみが姿を消したのは、この季節だった
夏の始まり、春の終わり
花粉症が無くなっても、心に残るむず痒さに腹が立つ
きみは、今どこで何をしているのだろうか
今も、あの頃の「きみ」のままだろうか
もしかしたら、この街に戻って来ているのではないだろうか
もう、私の事など頭の片隅にも置いていないのだろうか
そんな考えが頭を巡る度、私はきみへの思いを抑えることができなくなっていたんだ
でも、もう大丈夫
きみが街から姿を消して、もう何年も経ったけれど、やっと見つけた
きみはもうずっと…これからも私の近くにいるから
そのはずだから
だって、死体がひとりでに動くはずが無いでしょう?
葉の香りや、夏の始まりの不愉快な暑さを覆い隠すように
錆び付いた血の香りが鼻を掠めている
きみを殺めてしまった罪悪感
きみが「きみ」でなくただの物になった悲壮感
もうきみが何処にも行かないという高揚感
体は汗をかくほどに暑いはずなのに、頭はツンと冷えきっていて、酷く冷静だった
包丁を持ってきみを壁に追い詰めたときの悲鳴
どくどくと流れる真っ赤な血
そのときの感情も、情景も香りも
忘れたくても、忘れられない
いや…忘れたくもない
ダイスキな君と過した、ダイジなジカンだから
【忘れたくても忘れられない】
最近はあだ名で呼ばれることが多くなった
苗字を少し文字ったあだ名だから
名前で呼ばれることが極端に少なくなった
名前を知らなかった先輩もいたくらい
旧知の友達も幼馴染も
苗字のあだ名の方がわかりやすくて呼びやすいから
ほとんど苗字で呼ばれることになった
でも名前で呼んでくれる人がいないわけでない
呼び捨てで呼んでくれる
昔はちゃんづけなんで山ほどいたのに
今ではみんなあだ名か呼び捨てなんだな…
親友は私が何を言おうと ちゃんづけ だったっけ…
私も親友をちゃんづけしてたけど
今では名前すら呼んでくれないや
目も合わないし逃げられる。
嫌われちゃった。
私が何かしたんだろうけど 思い当たることが多すぎて
離れて当然だと思ってしまった
未練タラタラな様子を知ったら笑ってくれるだろうか
もう戻らないことは頭ではわかってるのに
何かの間違いで戻ってきてくれないかと夢を見る
相変わらずの妄想癖だ
買い物の時、よくお母さんと親友の話をする
「これ、親友ちゃんが好きなやつだ」とか
その癖は昔っからそうで買い物したら必ず呟く
今もその癖が治らなくて勝手に苦しくなってる
悩みがほとんどない私でも悩みの一つや二つはある
でも大体は結構重い話だから下手な人に話せない
だからよく親友に話を聞いてもらってた
今はもうそんなことできないけどね……
話を聞いてもらってたけど他は全然だったな
遊びに行ったりとかお泊まりしたりとか
ただ話すだけでなんもしなかった
話したい時に話して、別にいい時はいい。
そんな関係。
都合のいい友達って心の底で思ってたのかもしれない
そんな関係が嫌で離れていっちゃったのかな
昔、私が君にしちゃったことまだ気にかけてたかな
私が知らないうちに私が君に変なこと言ったかな
もしかしてその全部?
ずっと我慢してくれてたのかな
何かのアニメみたいに絶対的力があれば
どこかのゲームみたいにご都合展開があれば
君を取り戻すことも、
離れていった理由を知ることも、
簡単なのだろうか……
こんなことに悩んでも何にもならない
忘れたらきっと楽になれる
でも同時に何かが無くなる気がする
忘れられなかったらずっと辛いはずなのに
忘れてしまうのはもったいない気がする
これだけ戻らないのに
君の話をしてしまう、君のことを考えてしまうのは
友情とは違う何かがあるのだろうか
それとも、
ただ支えが欲しいという自分勝手な感情だろうか
いつものただの悩みであればすぐに笑い飛ばして
友達に笑い話としてさりげなく相談するのに
この悩みだけはどこをとっても笑えない
昔の思い出でさえ悲しい記憶になってしまった
この記憶さえも未来では笑い話なんて
本当に笑えない……
君が戻ってきてくれたなら 笑い飛ばせるのかな
〜忘れたくても忘れられない〜
このお題で良かった
昔みて気に入ってた風景が
今日また見れた
私の心にずっとあったあの空は
あの輝く月は
スーパームーンだったんだね
ずっと探してたけど
今年はたまたま見れて
よかったよ
忘れたくても忘れられない
恩、愛、夢、感動
一つでも、持ちたいね。
信頼している友達だから、
秘密を教えてくれた代わりに
私は誰にも言えなかった悩みを話した。
毎日絶望して辛いよと。
でもお互い毎日希望を持って楽しく過ごそうねと。
半年後、妊娠しました!と
仲良しグループのラインでその子は連絡をくれた。
それは私がおかしくなった瞬間。
あぁ、あの子は子供はしばらくいらないと言ってたのに、私の話を聞いた後、すぐにできたんだな。
赤ちゃんが途中で死んじゃう心配なんか全くなく、まだ妊娠数ヶ月なのに、人に報告できちゃうんだな。
そして、こんなにも辛いと言ってる私に
平気で妊娠したよと伝えられるんだな、
自分が幸せだったら、それでいいんだな。
激しいストレスで眠れなくなり涙が止まらなくなり、その時私のお腹にいた赤ちゃんの命は
消えてしまった。
忘れたくても忘れられない、
あの時感じた絶望と悲しみを。
トラウマで友達からのLINEが見れなくなった。
仲良しグループのLINEからは
仕事が忙しいと嘘をついて抜けた。
いつになったら、
私は元通りに、
友達と遊べる日が来るんだろう。
♯忘れたくても忘れられない
忘れたくても忘れられない
とりあえず◯◯を感じさせるものをゴミ袋に入れる
まだ足りない
とりあえずベッドを粗大ゴミにだす
まだまだ足りない
とりあえず引っ越す
全然駄目だ
待ち合わせたあの場所があったから
ともに食べたあの場所があったから
ともに過ごしたあの場所があったから
ホームセンターの片隅で
マッチとロープを見比べて
正しい選択ができたなら行くべき場所に出発しょう
忘れたい。なのに、脳裏にこびり付いて、剥がれない。
かつての場所で言われてきた陰口。言われのないもの。
ふとした瞬間に思い出す。思い出される。トリガーは忌まわしくも不明と来ている。
しかも、言ってきた本人たちはそのことを忘れている。嫉妬に狂いそうになる。
忘れられるなら忘れたいのに。それができないのに。できる者はできに者のことを知ろうとしない。欠落した盲人の配慮は慰めにもならない。
嗚呼、だがしかし、私は知っている。彼らの末路を。
彼らの望んでいた未来は、私がいること前提で構築されていた。
だが、私は彼らの元から去っていった。前提が崩壊したのだ。私の不在が彼らの望んでいた未来を狂わせた。
私は聞いた。私の不在がもたらした影響と連なる者たちを。
私は見た。連なる者たちの集まりに参加することで。
私の不在影響はデータとして遺されている。調べた者は認めざるを得ない状況に置かれた。
彼らの望みは叶うのか。それは、私は知らないし、どうでもいい。
ただ、今の私に分かるのは、彼らは転職することはできない。冷めゆくぬるま湯に浸り続けるしかできなくなったと言うことだけ。
忘れたいのに忘れられない。そうさせた者たちを遠くから嘲笑うだけだーー。
切り離された方は
忘れたくても忘れられない事のが多い
切り離した方は
多分忘れようとせずとも忘れられるだろう
君はまだ僕を覚えているか
僕は
毎朝、眠りから覚めるように
いつもの日常に君を落とし込んでいるよ
忘れる気など更々ないから
忘れたくても忘れられない
あなたの匂い
あなたの声
あなたの笑顔
あなたの手の硬さ
あなたとのキスの味
全部、忘れられないの。
ほんと、醜い女だと思うわ