『心の健康』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
─心の健康─
「健康な心ってどんな心だろう?」
キミはそう言った。
健康な心か。
嬉しいことを嬉しいと思える心。
楽しいときに楽しいと思える心。
嫌なことを嫌と言える心。
それとも、誰かのことを思いやれる心?
一番大切なのはどれだろう。
もしかしたら、
全部揃って初めて「健康」になるのかな。
健康な心ってどんな心だろう。
その答えが分かるのは、多分
ボクの心が健康で、幸せになったときだ。
それから、ボクだけ健康な心が分かったとして、
キミにそれを伝えるのは、なんだか違う気がする。
「…それなら、
キミが答えを知るそのときまで、
ボクがそばにいてあげるのはどう?」
受験を思うと心が重くなる。
傷つくのが怖いから期待しすぎず、でも絶対に受かりたい。
そんな気持ちがずっと渦巻いている。
これを乗り越えたら少し心が成長できるのかな。
麦わら帽子
「あはは見て!とてもきれいだよ!
ほら早く来なよ!」
「嗚呼そうだな。」
青空に青い海あまりの青さに目が痛くなる様な青さと絵画のように綺麗すぎる目の前の
情景に不気味さや空恐ろしいものを感じた。
君の白百合のようなワンピースが潮風に靡かれ
膨らんだと思えば咲いて、
君は白波の様に波立つワンピースの中で
泳いでる。
裸足で浅瀬の寄せたり引いたりと揶揄う様な
波と攫われまいと遊んで
麦わら帽子が風に飛ばされないように両手で
強く握ってる。
ありきたりな映画のワンシーンのようだった
そんな彼女がふとまるで泡のように
青い夏に溶けてしまうのではないかと
怖くなった。
空恐ろしさを上手く言語化出来ないもどかしさ、
子供の言い訳ようなおかしな文句、
僕を置いて満面の笑みで楽しむ彼女の無神経さに苛立ちと焦燥感を覚える。
早くここから逃げ出したい。
「もう帰ろう。」
僕は君の細くしろい手首を
彼女がちゃんとそこに実在する事を確かめるように離さないように強く握った。
麦わら帽子を抑えてた手が一つ失った途端
強い潮風に攫われ麦わら帽子が高く飛んで
青い夏に消化された。
あ…やってしまった
僕はただ高く舞い上がる麦わら帽子を呆然と
自分がなにも出来ないという無力感に
浸りながら事の顛末を見ていた。
あの日から
麦わら帽子を見つけると思い出すかのように
あの青い夏に溶けた君を探すんだ。
心の健康なんて、考えたことなかった。
いつだって体の健康で精一杯だった。
それに、ほら。
学校いけばダチいっぱいいるし。
別に成績もいいし。
部活も楽しいし。後輩も入ったし。
委員長とかやっちゃってるし。
だから、だから
食えねーもんいっぱいある重度のアレルギー体質だとか、走ったらすぐ喘息出るとか、寝起きはほぼ毎日吐いてるとか、いまだに年一は入院してるとか、さいきんよく眠れないとかおなじ敷地内に住んでるのに父親とほとんど顔合わせたことないとか使用人はおれと目もあわせてくれないとかはんぶんだけ血のつながってる姉には完全にきらわれてるとか俺のすんでる離れには外からもかかるかぎがあるとか本邸にはちかろうがあるとかせっかくいっしょに引っ越したのに母さんはおれのことなんてみむきもしないでそとで遊んでばっかだとか
そういうのをあと一歩ふみだせば考えないですむかなっておもって、
俺は、
出演:「サトルクエスチョン」より 仁吾未来(ジンゴミライ)
20240813.NO.21.「心の健康」
心の健康は身体の健康からつくられるという
規則正しい生活をして適度に人に会い適度にひとりになることで保たれるという
食べることが好きではなくて
毎日目を覚ますのが怖くて朝が嫌いで
逃げるように眠りについて
人が怖くて
恋人以外に会うのが怖い
生きていると言える時間は
読書をしている時と恋人に会っているときだけ
私は健康ではないのだろう
健康になりたいとすら思ってはいないのだろう
本が読めて大切なぬいぐるみがいて恋人がいて
それで満たされてしまうほどに
私の世界は閉じている
大人になればなるほど人が怖くなっていく
読書をしている時が1番心が安定している
どうしようもないくらいに嘘と作り笑いが上手くなる
無条件に人を信じて疑うことすらせずに生きていた私と
無条件に人を怖がって信じないということに身を窶す私
どちらも私でどれも私だ
恋人を縁にして会いたいと願う資格は私にはないのかもしれない
健康とはなんなのだろう
生きる意欲があればそれは健康に繋がるのだろうか
どうしようもなく明日が怖い
毎日毎日朝が怖い
どうしようもなくひとりのときは読書以外に楽しさを見出せない
健康とはなんなのだろう
心の健康
心の健康を保つために必要な栄養は
適度なおしゃべりと
適度なひとり時間と
適度な睡眠
それに
ほんの少しの非日常を加えれば
健康に
しなやかに
生きていける
心の健康
心の健康とは……?
心が健康なときなどあるのだろうか。
ストレスがない日はたぶんない。
みんななんかしらのストレスはかかっている。
誰かに悪口を言われて傷つくこともあれば、好きな人に振られて病んでしまうこともある。
心が健康ってどんな状態のことを指すのかわからない。
そういえば、考えたこともなかったな「心の健康」なんて
【心の健康自転車に乗って】
coming soon !
『心の健康』
自分以外の誰かの心の健康を思って
言葉を選べるだけの余裕
たぶん、それが、私の心の健康の証
体の健康を維持する方法は山ほどある。トレーニングやランニング、食事や睡眠。本当に数えることは出来ないほどだ。でも僕の心の健康を維持する方法はたった一つしかない。君の笑顔を見ることだ。僕にとって君の笑顔は最高の処方箋だ。今日も心を健やかにするために学校に行く。
心の健康って、何より元気なことだと思うの。
だから、ちょーっと上を向いてご覧なさい。
昼だったら太陽が見える。
夜だったら月、星が見える。
もしかしたら、飛行機やヘリコプターが飛んでるかも。
ね、ちょっとは元気になった?
人って、上を3秒見つめるとポジティブな気持ちになるんだよ。
だから、たまには上を見ない?
空が晴れていたら、きっと君の心も晴れるよ。
心の健康は体の健康
心の健康は私の健康
心の健康は皆の健康
うるさいんだよ
心、心って 俺の心を何も見てないくせに
知ったかぶってきやがって
お前らが俺の心をズタズタにしてんだろ
何様だよ
でも、この感情は意味があるのか?
この感情は誰のものだ?
俺はなんなんだ
ただ八つ当たりしてるだけじゃないのか
振り返ると、優しい人ばかり
あぁ、俺が、俺の世界を閉ざしてただけなんだ
もう泣くのはこれで最後だ
ただの私の愚痴でした
今日も、疲れた。
嘘の笑顔を、貼り付けて1日過ごす。それを毎日繰り返す。
いつから、そんなことをするようになったのかなんて、覚えてはいないけれど。
"自分を保つ為"に、"自分を偽る"。
決してこれが、賢い生き方なんて思ってはいない。
それでも、そんな風にしか、生きれない。
心が壊れないための、自己防衛。
でも、苦しさは塵のようにじわじわと積もって来るから、そんな時は、その思いを書き殴ってスッキリさせる。
そうしてなんとか、心の健康を保っている。
死を待つこと
怖くてどうしようもなくて
目を背けようとして
やがて諦める
身体が少しずつ
自分から離れていくような気がする
だけど心は
自分のものであって欲しい
心の健康
死を"待つ"より
美しく強いきもち
最後の最後の吐息まで
自分の人生を
生きていく
心の健康
「ストレッサーは成長にいい」
「思春期だから悩むのはよくあること」
私はよくこの言葉を聞いた
まだ大人じゃないから
この言葉を正しく受け取れていないのかもしれない
それでも私はこの言葉がすごく嫌いだ
私達の心の健康に向き合ってもらえてない気がして
私達の悩みを投げられたような気がして
それで死んだらどうするの?
それで学校に行けなくなったら、
苦しくて体を壊したら、
「なんで言ってくれなかったの?」っていうんでしょ、
それじゃ、少し遅い
そんな風にずっと思ってる
私達はまだ心の健康を一人では守りきれないと思う
脳、と言えば身体の一部であると誰も疑いはしないのに、なぜ心だけは別物として扱われるのだろう。心は脳の機能の一部であって、すなわち身体の一部であるというのに。しかも、脳が身体全体の司令塔である以上、心の不調は身体全体の不調に直結する、由々しき事態であるはずなのに。
/お題「心の健康」より
何も考えずに楽しいことを笑えて好きなことを好きでいれてやらなきゃいけないことをできることが心が健康なことだと思う。
自分の中でおっきな出来事が重なって
他人から見たら弱いなって思うのかもしれないけれど
わたし、苦しかったの
そんな時に差し伸べられた手は
勇気づけようとして一緒に見た海は、星空は
あまりにも広くて美しくて
こんな私でもこんな素敵な景色の中
隣にいてくれる人がいることが嬉しくて
自分に自信なんてないけど、せめて
わたしのことを大切に思ってくれた人を、場所を
守れる強さは持ちたいな、って一丁前に思ったりした
#心の健康
心の健康
これ大事よね。
幸せって3角形を横に三分割されて、下から
心の健康(セロトニン的幸せ)
↓
人とふれあい、繋がりの幸せ(ドーパミン的幸せ)
↓
お金がある幸せ
なんだってー!
それで、土台に心の健康(基礎)がないとお金があっても幸せにならないんだねー!
なるほど!と本を読んで勉強になりました!
幸せそうな人ってイライラしてないよね?
幸せそうな人ってお金持ってても、威張ってたら幸せそうじゃないよね?
幸せそうな人って仲間がいて、自分で幸せを見つけられる心の健康がある人だよね?
ま、幸せは人それぞれだけど、仕組み的にこうなってるらしいですよ。
ちなみに私が言う心の健康とは、心の病気を持っていても、心から幸せに思えればそれは心の健康だと思います。
心は素直だ。
嬉しい時は気分が良いし悲しい時があったら
体に異常を知らせてくれる。
それに気づかぬ振りをすれば心身共に疲れ壊れてしまう。
だから心がしんどいときついと知らせてくれる時は
素直に従うことにした。
昔は気づかぬ振りをしたけれど今それをすれば
守らなきゃいけない人達を生かしていけない。
だから心が悲鳴をあげているのなら休んだほうがいい。
その原因となってるところを思いきって断てばいい。
大丈夫。
世界はそれでもなんとかなっていくから