『後悔』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
あと5分と思い寝過ごした
朝涼しいと思いきや暑くなってきた
洗濯を外干しにしてくればよかった
昼休みにスマホを見過ぎた
帰りのスーパーで買いすぎた
おやつを食べ過ぎた
洗剤の詰替えを忘れてた
野菜炒めの塩があまかった
けど 全部なんとかなった
まあまあ大丈夫な小さな後悔なら
今日も明日も明後日も
#後悔
今日は早くに目が覚めた。
だから思う存分、優雅な朝を過ごした。
紅茶を飲んで、クラッシックを聞く、、そんな朝を。
だが、それが間違いだった。
学校に行き、机に必要なものを置いていく。
しかし、何かが足りない、、。
そう、ラブレターだ。
今日私は1組の雅くんにラブレターを渡すのだ。
昨日、精神統一をみっちりしたため、
そして今日彼は部活がないため、
私は今日渡そうと決めたのだ、そう、決めたのに!
あぁ、、、優雅さを求めなけりゃ良かった。
でも、今日しかない、、、。
紙ではなく声で伝えてみようかな、、
そんな考えが頭にうかぶ。
選んだという感覚が後悔を引き連れてくる
今日の空模様自体に悔やむ人がいないように
人は自身が因果関係の外にいることには後悔はない
自由意志を持ち自ら選択し因果の内にいると
そう信じているときに初めて後悔が現れる
しかしスピノザが言うように人は結果しか知り得ず
原因は捉えきれないとすればどうだろうか
今こうすることを選んだという自分の意志も
そうさせる捉えようのない原因に従っていると
この決定論は因果の内に自身を置きながら
その繋がりを透明にすることで自由意志を否定する
自由意志を前提とした責任社会においてこの思想は
あまりにも無責任極まりない不合理なものだ
だけど自責や後悔に押しつぶされそうなときには
この不自由な思想が考えを開放する術になると思う
肯定と否定を使い分けて自由意志を自由に信じる
一貫性よりもその曖昧な態度こそが人の強度であると思う
スピノザが本当にそんな思想であるかの責任は取りません
私の1日は後悔で終わる
あんな言い方したけどよかったかな
あれ買ったけどやめとけばよかった
あのときの態度わるかったかな...
後悔しない日なんてねぇよ
〈後悔〉
たった一回の成功で
今までの失敗,後悔は報われる
そのために
たくさんの失敗,後悔をしようとも
たくさんのことに挑戦していけばいい
ーーーそう思いつつ
今日も、また眠りに落ちて行く
作品番号1 「後悔」
あの時もっと攻めていたら
あの時余計なこと言わなければ
貴方の隣は私だったのかな
まさか貴方に彼女ができるなんて
思ってなかったから
ちょっとでも期待した私がいけない事も
いい感じって勘違いしてた事が
恥ずかしくて悲しくて嫌になってくるよ
#後悔
[後悔]
私はこれまでにどれだけ後悔したことがあるだろうか。 数えきれないほどある気がするけど1つも覚えてない
忘れるってことはまだ本当の後悔をしたことがないのかな
私はいまでも後悔している。あの時1番だった友人を傷つけてしまったのにちゃんと謝らなかったことを。
やらなかった後悔は、しばらく引きずる
どんなに忘れたくても、心の中で染みついて離れない
だから、思いついたらすぐ行動するのが大事なんだよね
これは私が学生だった頃の話。
いつも一人で過ごして、遠巻きにされていた先輩がいた。
仲良くしていたけど、家のゴタゴタに巻き込んでしまって……詳しいことは省くけど、私を庇って、片目と脳の一部を失った。見舞いのときも私は泣いて謝ることしかできなかったけど、先輩は私を責めることもなく、凪いだ目をしていた。
「謝るのを止めろとは言わんが、これだけは覚えておくと良い。お前も、私も、こうやって生きて帰れた」
未だ震える手で水を飲み、先輩は息を吐いた。
「お前の身に何かあったら、私は人を殺めただろう。思うことはあるだろうが、やらぬ後悔よりやる後悔だ」
包帯に覆われた痛々しい姿だが、先輩の手は温かい。
「お前のせいではないし、庇ったことを後悔していない。一つ頼むとするなら、これからも変わらず接してくれ。先輩と後輩としてではなく、友人の一人としてな」
Title「貴女の背を追って」
Theme「後悔」
『後悔』
傍にあるのは身に宿った治らない病気。やがてどうなるかは決まっているけれど、残り時間がわかるのは少しだけ良いことのように思える。
取り返しのつく後悔と取り返しのつかない後悔があって、今は取り返しのつく方をどうにか解消しようと日々を送っている最中。なにをするかといえば、それは謝ること。あのとき気にかけてくれていたのに何も返せていなかったのを謝った。ずっと借りていたものを返せていなかったのを謝ってちゃんと返した。人のせいにして自分が悪いと思っていなかったのは間違いだったと謝った。人によって反応はさまざま。もう気にしてないよ。わざわざ来てくれてありがとう。こっちも悪かったよ。
後悔を減らしていくと自分がいかに意地や見栄を張っていたのがよく分かる。なにをそんなにこだわっていたのだろう。自分の中身がないことが今では身軽だと笑うこともできる。
取り返しのつかない方とはこれから先も付き合っていくことになる。ひどく傷つけてしまってもう会いたくないと言った人。それからもうこの世にいない人には謝っても届いているのかわからない。今までやってきたことがもたらした後悔は自分を何度も突き刺すことになるのか、それともいびつにも心の支えのようになってくれるのか。ほんのりと楽しみのようなものを感じながら、時間と向き合っていく。
「お題の連想ゲームは、結構心がけてるわ」
人生ぶっちゃけ後悔の連続だと思うがどうだろう。某所在住物書きは去年の今頃購入した某グミ付属のソードピック数本を眺めて、呟いた。
金のピックは無かった。しかし青は残り1本でコンプリートだったのだ。
何故その残り1本を当時追わなかったのか。
「『後悔』、だろう。後悔『する』のか『しない』のか、そもそも『何に対する』後悔か。
『後悔』が花言葉の花は複数あるが、その中のカンパニュラ、後悔の他に『抱負』や『誠実』なんて花言葉もあるぞ?――って具合に」
買って後悔せよ。買わず後悔するより良い。
「……ガチャは得てして『後悔』多しよな」
結局コレなのだ。物書きは大きなため息を吐き、再度青いソードピックを眺める。
――――――
ガチャと人生と恋愛は、神引きと爆死と後悔の連続。のめり込み過ぎると痛い目を見る気がする物書きです。今回はこんなおはなしをご用意しました。
だいたい8〜9年前。まだ年号が平成だった頃。
都内某所で、とある雪国出身者が、初恋のひとの前から突然姿を消しました。
雪国出身者は名前を附子山といいました。
同じ職場で前日まで、普通に一緒に働いていたのに、まるでコインをひっくり返したように、あるいは長々書いていた文章を全選択して一括削除したように。
附子山は、電話番号もグループチャットのアカウントも、住み慣れたアパートの一室さえ、
すべて、ごっそり、さっぱり。消して絶って引き払ってしまっておりました。
これに一時パニクって、ガッツリ後悔しまくったのが「初恋」側。思い当たる節が多過ぎたのです。
失踪当日から1週間程度、急きょ有休を申請して、行方を探し続けました。
初恋側は名前を加元といいました。
(別垢で、愚痴ってたのがバレた?)
加元にとって附子山は人生二度目の恋人。顔に惚れ、性格に解釈違いを起こし、趣味が地雷でした。
(皆愚痴るでしょ?あれでも我慢した方だよ?)
「地雷」、「解釈不一致」、「話合わない」、「頭おかしい」、等々。
吐き出せる場所が呟きアプリの鍵無し別垢しか無くて、毒を数度、ポロリしました。
前の恋人と比較して愚痴って、それでも附子山を捨てられなかったのは、「恋」のステータスを手放したくなかったから。
恋に恋するタイプの加元にとって、恋人は己を飾るジュエリー、あるいは自分を映すミラーでした。
(まだ間に合う?まだ元に戻せる?)
ごめんなさい。言葉が人をこんなに傷つけることを、ちゃんと理解してなかっただけなの。
せめて目の前から消える前にこっちの言い分を聞いて、話をさせて。勝手に逃げて一人勝ちしないで。
弁明と抗議を伝えたくて、区内は勿論、近隣も日夜探し続けましたが、手がかりひとつ見つからず。
珍しい名字のひとだから簡単に足がつくだろうと、依頼料の金額に目をつぶって頼った探偵も、「都内にこの名字は居ませんね」と空振りでした。
そりゃそうです。
附子山、加元が自分を追ってくることを見越して、既に合法的に手を打っておったのです。
詳細は過去作5月4日&3日投稿分あたりで紹介してますが、スワイプがバチクソに面倒なので、気にしない、気にしない。
「会いたい」
それから何度か誰かと恋をして、誰かを振って誰かに振られて、また別の誰かと恋をして。
結局「あの二度目の恋人」が、トークも性格も解釈不一致で地雷だったけど、一番優しくて誠実なひとだったと、気付いて再度行方を追って。
「どこにいるの、附子山さん……」
ちなみに執着と所有欲の強い加元、今年になってようやく附子山の勤務先を突き止めまして、そこへの就職にも成功したのですが、
先月から始まった1ヶ月新人研修のせいで未だに本人と会えてないようで、
相変わらず、8〜9年前に附子山を「解釈違い」としてディスったことを、後悔し続けているとか、むしろ姿を隠し続ける附子山に毒を吐き続けているとか。
どっちでしょう。ほっときましょう。
[後悔]
復讐モノの漫画を読んでいる。
相手はどうしょうもないクズで、同情の余地はない。
だが、復讐をする優しい主人公が、後悔しないかと気になっていたりする。
思い出してはいけない。
深く深く、心の奥底に沈めて。
蓋をして、鍵を掛けて。
戻ってはいけない。
悔いるほどに、落ちてしまうから。
ありえない未来を幾重幾百と描いて
すべてが
昏い思考の渦に飲まれてしまうから。
『後悔することのないように』
いうだけなら、容易い。
どれだけそう思って動いても
真に何も思わず——となるのは
極めて難しい。
今、自分にあるすべてを
選べる手段の中で、できることを
あるいは、静観を。
『あの時に、できることはやりきった』
『選べる手段の中で、最善と思うことを選んだ』
そう、思えるのが最上。
たとえ、もっと何かがあったと気付いても
それはもう、未来にいかすしかない。
悔いても、戻れないから。
どうにもならないことが、あるから。
深みにとらわれる前に。
進まなくては、ならない。
全部を抱えて進む先に、きっと
よりよい未来があることを、信じて。
あの人の後ろに道は出来た
私の後ろにも道が出来ている
かもしれない。
ふと振り返ってみると
悔いが、点々と落ちている。
「みちなかば」
【後悔】
好きです
この言葉への返事は、
無言で立ち去ること、だった
ごめんなさい
も無くあっけなく振られてしまった
次の日から話せなくなった
あんなに仲が良かったのに
なんで想いを伝えてしまったんだろう
伝えないと後悔するよってよく言うけど、
こんな後悔もあるものなのかと学んでしまった
この後悔によって今も私の心はブレーキをかけ続けている
「好き」なんて言わなきゃ良かった
後悔
人生は後悔の連続だ。それでも後悔しないような選択をしなければならない。
そんな名言っぽい毒にも薬にもならないことを書いてみる。
今日のお題は幅広くてどんな風にも広げられそうなお題なんだけど不思議と書くことがない。書きたくないし書けないと言うべきかもしれない。
だって後悔したことなんて多すぎるし詳細を書こうとしたな長くなりすぎる。そもそもシンプルにそういったことを書きたくない。
後悔ってのはその多くが過ち、過去の傷だと思うんだよな。そんな忘れたい記憶を日記にしたくないって思っちゃうな。
ああ、でも一つだけ書ける後悔があったな。俺の人生で酒は金と時間の無駄だった。あんなものは飲まなければよかったと心から思っている。
後悔なんかしたくない。
だから走った。
力の限り走った。
君に伝えたい言葉が、ある。
もう手遅れかもしれない。
こんな心変わりを、受け入れてもらえるだろうか。
どちらにせよ、この想いだけは君に伝えたい。
だって本当に好きだから。妥協はしたくないから。
ずっと付き合っていきたいから。
だから走った。
力の限り走って、やっと君のもとに辿り着き、声を大にしてこの想いを伝える。
「さっきカツカレー注文して、銀行にお金を下ろしに行っていた者ですが、やっぱり大盛りにしてもらえますか?」
想いは伝わった。
しっかりと愛情大盛りのカツカレーに出会えた。
これに出会えなければ、きっと今日一日後悔したことだろう。
昔にやっておけばな、と思うことがある。
あの時にしっかりと勉強して、偉くなっておけば今はこんなに苦労することはなかったのかな、と思う。
だけど、その人生を選んだのもまた私なのだ。
だから、この後の未来で後悔しない道を、選ぶのだ。
人生で、後悔をした事がない、なんて人は恐らくいないだろう。
私も良く後悔をする日々である。
特に若い時は酒を飲み過ぎ、家に帰る筈が何故か横浜の方へ着いてしまい、そのまま外で夜を明かした事もあった。
昔は、なぜあんなに酒を飲んだのだろうと不思議に思う程だ。十分に酔い、腹も満ちているのに、まだ飲み続けたのである。
言い訳のようだが、世の中がそういうのに寛容だった、のは間違いない。
今はもう、飲んでも水割り2杯でストップしてしまう。昔の私から見たら驚かれるかも知れない。
「後悔を先に立たせて後からみれば、杖をついたり転んだり」
これは都々逸の文句だが、よく古今亭志ん生(しんしょう)が、噺の枕で使っていた。
落語というものは、人情噺のように講談めいたものもあるが、もともとは滑稽譚であり、人が失敗するのが前提で話がすすむ。
あまり、真面目で、偉くて、苦難の末に成功を勝ち取った、立志伝中の人は落語にはならない。
古今亭志ん生という人は、恐らく東西の噺家の、歴代でも最高峰の噺家だと思う。
何しろ、志ん生自身の生き方が落語そのもの、失敗に継ぐ失敗を重ねた人で、
ああきっと、この人は後悔ばっかりして来たのだろうと、誰もが想像してしまうから、落語の信憑性が他とは違うのである。
志ん生の写真を見ると、いかにも名人の風格が漂い、厳しく、重厚な風貌のようだが、
志ん生が売れたのは50歳を過ぎてからで、戯作者の宇野信夫は若い頃の志ん生と良く付き合っていたが、
その頃の彼は、痩せていて貧相なネズミのような風貌で、「コイツは売れそうもないな」と思われていた。
志ん生があまりに貧乏な為に、宇野信夫が計画して(他の落語家も呼んで)年の瀬に落語会を開いたのに、ぜんぜん客が入らなくて困ったという。
そして、恐ろしく酒が好きで、強かった。弟子の志ん馬に言わせると、毎日3升の酒を飲んでいたらしい。
普通そのくらい飲んだらアルコール依存症になるか、中毒になるのだが、彼はならなかった。
貧乏な頃は金がなくてそれほど飲めなかっただろうが、何だかんだで稼いでも、すぐに飲んでしまったし、贔屓からもらった着物も全て質に入れて流してしまった。
そんな悲惨な、荒んだ生活をしていたのに、戦後、志ん生の人気は爆発し、押しも押されもせぬ大看板になってしまうのである。
けれど、そうなるまでは、自分は兎も角、女房子供にも惨めな思いをさせて、仲間にも不義理したりして蔑まれ、毎日が後悔の連続であったであろう。
けれど、落語に登場する主人公達は、大抵がそんな立場の、恥ずかしい思いを重ねるような人なのだ。
これが、正に人間の本質なのである、人は愚かであり、目先の欲に目が眩んでしまうものである。
このような下賎の、最低の芸能を、受け入れ、愛しんで、磨いて来た日本人の懐の広さよ。
漱石も、子規も落語が好きだったように、庶民だけでなく、文化人も落語を大切にし、価値を認め、文学の基礎としていると思う。
後悔するのは人間の証拠なのである。