『待ってて』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「待っていて欲しい」
なんて言えなくて
「待っているから」と
言って欲しかった
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「待っているから」と
言えなくて
「待っていて欲しい」と
言って欲しかった
#待ってて
待ってて
君が姿を消して約1年。
本当に長かった。
辛かった。
やっと君のいる場所を見つけられた。
ただの家出かと思った。
でも違かったんだね。
僕のせいなんだよね。
気づいてあげられなくてごめんね。
やっぱり君には僕は重すぎたね。
でもやっぱり君が好きだから。
今からそっちに行くから。
待っててね。
白いドレスを纏ったきみに
相応しいのは僕だけだから
棚の中から出番を待つよ
お皿の上で待っててね
/ 待ってて
風の便りに風見鶏は
ひと吹かれの恋に落ちる
「待っていてほしい」と想い人へと
誰かが風に託した言葉
決して自分宛ではない
他の誰かに向けられたもの
だけどそよ風の静けさと
突風の強さを持って自分を
撫でた便りを忘れられず
それからずっと帰りを待つ
さみしさが胸に芽生えてしまって
風上に乗り飛び立って
あの風を追いかけたい
風下の中を羽ばたいて
託した人を一目見たい
託された風へのものなのか
託した人へのものなのか
この気持ちの向きはどちら
それからどんな風を指しても
胸の指針は壊れっぱなしで
「待ってて」
「今帰るから待ってて」
「少し待ち合わせ遅れそう!ごめん、待ってて」
そういう相手がいるのって良いよなぁ
当たり前だけど一人じゃ待つも何もないから…
待ってて
待ってろ
一番の笑顔を輝かせる自分
もっともっと自分を磨いて
もっともっと自信持って
もっともっと明るい自分になるからな
『待ってて』
待ってて
もうすぐ
花開くから
あなたが華やぐ
顔が見たい
ほんの1週間の
出来事だけど
ボクは賭けてる
今年の桜は見事だったと
あなたが笑顔で
過ごせるように
綺麗に散って
風に舞ってみせるから
待ってて
待ち合わせ場所には誰も来なかった
1時間経った冬の日、指先は現実を教えてくる。
きっと君は憎たらしい顔をして現れる。
自信なさげな僕はそれに軽く愛想笑いをして
この場所から歩きだすのだった。
[待ってて]
どいつもこいつも
どいつもこいつも彼氏できたー
報告要らんし..
幸せ自慢ですか??
は?
今までは私と一緒で彼氏なんて要らんとかゆってやん.
僕は器用でも、天才でも、頭の回転が速い訳ではない。
だから、人一倍覚えたり作業するのに時間かかる。
そんな自分が嫌になる。もっと皆んなみたいに早く覚えて作業したい。もっと任せられることを増やしてほしい。
そんな願いは、願いのまま終わるのかな。いや、それはダメだ!少しでいいから待っててほしい。
待ってて、
すぐ行くから。
待ってるのに。
すぐってどのくらいだよ...
来ないじゃん...
ねえ、早く来てよ。
待ってて
すぐ行くから
それが最後に聞いた言葉に
ならないように
Byそこら辺の中学生
- 待ってて -
タッ、タッ、タッ、
はぁ、はぁ、はぁ、、、
*
少し離れた所で整える息
きっと君だよね
君のことは
音だけでわかるよ
光を失ったあの日から
音だけで君を感じてきたんだから
「いつもの公園で待ってて」
いつもの優しい声に
いつもと違う緊張と喜びを感じる
幸せな音
いつもありがとう
僕からも君へ、心を込めて
Happy Valentine♡
#待ってて
『ここで待っててね』
そういってママはいちどもかえってこない
しらないおとこのひととどこかにいっちゃった。
ドアはテープがはってあってトイレにいけないから5さいなのにオネショしてしまった。
おでんわが、つながらないからママはこないのかな
いもうとは、ずっとないていたけど、きのうからなきやんでしずかになった、めをあけたままねむれてすごいとおもった
いつまでまってたらママはかえってくるかな
はやくかえってこないかな。
俺はいつも待たせてばっかりだ。
それでもあなたは待ってくれてる。でも本当は早く迎えに行きたいんだよ。それでもまだ迎えに行くことはできない。
ごめんね。
ごめんね。
今はまだごめんねしか言えない。
でも絶対迎えに行くから。必ず迎えに行くから。
君の笑顔が見れる日を
ずっと待っている
そんなこと言ったって
絶対に叶わないのもわかっている
それでも君だけを待ち続けている
君との約束
僕はわすれてないよ
たとえ君が忘れても...
おまえはいうことなどきかない
抱き上げてもすぐつっぱねる
本気で抵抗して
わたしの愛をうるさがる
そのくせ膝の上で長居する
少し待っててねと
コーヒーを淹れて戻ってくると
おまえはもうそこにいない
ほんとうは忍耐強いくせに
ひとが頼むと待ってはくれないんだ
そういうやつだおまえは
おまえとわたしは似ているな
あまのじゃくなたちなら
わたしだって負けちゃいないんだ
#待ってて
言葉が降りてくるのを待ってて
1年
3年
あのときはまるで祝福のようにことばが降りてきて
詩の庭にいっぱいの花が咲いた
言葉が降りてくるのを待ってて
5年
10年
あの頃は多くの人と切磋琢磨して詩を磨くのが楽しかったな
言葉が降りてくるのを待ってて
20年
30年
あの時代の詩はひと昔前のきらめきを放っている
けれど今の詩ことばと少し違う気がする
言葉が降りてくるのを待ってて
50年
100年
あの世紀の詩は今はもう通用しない
常識や美しさが異なるように
わたしはいつまで言葉が降りてくるのを待っているのだろう
私自身が変質する前に
今すぐペンを取らなければいけない
#待ってて
お題「待ってて」
予定にはなかったはずの雪が、優しく舞い降りてくる。
「あ、雪」
私は、君にだけ届く声で呟いた。
どこに着陸しようか、揺れながら悩んだ小さな結晶は、やがて私の掌に降り立った。
そういえば、あの日も雪が降っていた。
君と、初めて会った日。
何度も見てきたはずの雪に、これほど心揺さぶられるのはきっと、あの日、大好きな君が隣にいたから。
「早く会いたいな…」
私は、ほぅっと一息ついた。
白く染まった吐息は、すぐに消えてなくなった。
そしてまた、一歩踏み出す。
次は、私が会いに行く番。
君は寂しがり屋だから。早く会いに行かなくちゃ。
またすぐに、会えるから。
「待ってて」
待っててね
チーンチン。
スプーンで、猫用皿を軽く鳴らし。
愛猫を呼ぶ。
ニャー。
我が愛猫よ。
ご飯だよ。
帰ってくるの遅くて、ごめんね。
待っててくれてありがとう。
今はもう会うことは出来ない友が一人いる。顔こそはっきりとは思い出せないが、時に怒って時に無邪気に笑う彼の姿は瞼の裏に焼き付いて離れない。否、魂に刻み込まれているようにいつまでも焦ることなく私の記憶の中にある。彼との出会いや思い出は先の記事で触れたのでこの場では触れずに話進めようと思う。
私の家族は母に兄弟が五人で構成されているが、父が居ないのは私が幼少の頃に他界したからだ。かといえ、寂しさや悲しさというものは無いのは可愛がってもらった記憶が全くないからだ。極道の事務所の構成員だった父は、母や私たちに関心がなかった。兄弟で唯一可愛がられたのは長男だけだろう。極道を辞めた後の父はろくに仕事をせず、借金をつくっては母が頭を下げていた。家のものを持ち出しては、勝手に質に入れてはその金でギャンブルや酒に使う。どこまでも母に負担をかけては、自分は怠惰な生活を送っていた。幼かった私の記憶などあるはずもなく、全ては母や兄弟から聞いた話であるが胸焼けのする内容であることは確かである。記憶がなくて良かったといえる。
ある夜、いつものように酒を煽っていた父は大量の血を吐いた。救急車を呼ぼうとする母を「呼ぶな。ワシが生きとったら迷惑をかける」といい制した。母の呼んだ救急車の中で搬送中に息を引き取ったらしいが、最後に「迷惑をかけたのう」と言い残したと母は語る。世話になった覚えも、親子としての記憶も父との間にはないが考えてしまう。父はどうして極道の道に進んだのどろうか。本当はどのような生き方をしたかったのか。心の内では何を思い、何を考えていたのだろうかと仕方の無いことを考えてしまう。心残りがあったのではないか。本当は家族と上手く向き合えないだけだったのでは無いかなど、私が考えたところで無意味であるが最期の時を自分に置き換えると胸が苦しくなる。
関係や記憶の薄い相手でさえ、この世を去った者のことを考えるとキリがなくなってしまう。人というのは、生きている人間には言うほど強く意識をしない。好きあったり嫌い会ったり、憎んだり寝たんだリはするが表面的であるように考えている。というのも、わたしも人間であるから人を嫌うことはあるし疎ましく思うことがある。亡くなった友や父に祖父や祖母のほか、自衛官の頃に亡くした同期のこと。生きている人間のことを考えている時と言うとは、感情が激しく起伏するのを感じるがもう会うことの出来ない人のことを考えると深く深く考え込んでしまう。いや、考えるというより思いを馳せるという表現が近いだろうか。直接聞く事は出来ず、表情を見ることも出来ない。そういったことがそうさせるのだう。
癇癪の気持ちや、後悔の念などは誰にでもあるものだろう。そして胸に秘めていることだろう。しかし、直接伝えるというのは好きな相手や嫌いな相手にかぎらず生きているうちにしか出来ない。仏前で手を合わせて心を込めて祈ったところ手間、相手のことは分かりようもない。生きている人間はすぐに反応をしてしてくれるだろうが。
「毎日、言葉にして伝えた方がいい」とよく耳にするが、これは正にその通りであろう。「明日でいいや」、「今度伝えよう」、「分かってくれているだろう」などのエゴは全てが無駄で愚かである。今生きている時間というのは有限であり、その時というのは誰にも分からない。タカをくくっていれば、その時に公開をするのは本人だ。そして恐らく故人もまた、心残りを抱えて心静かに眠ることが出来ないだろう。伝えたいことはどのような些細なことも、思い立ったその時がベストなタイミングであることを忘れてはならない。
私は母や兄弟、知人などには声を出して伝えるようにしている。いつ会えなくなるとも分からない大切な人たちだからだ。しかし天国に先だった友や同期、親戚などにはもう伝えられないこの想い。いつ尽きるの如何様に果てるか分からないが、この人生を終えた時にはあちらの世界でまた会い見えよう。そしてその時に精一杯の気持ちをぶつけるのだ。いつになるか分からないが、あちらの世界には時間などというものは無いという。ならば、私の生きる時間など考えたところで仕方の無いことだ。いったときに笑顔で久しぶりと手を握ろう。肩を抱こう。面と向かって煮詰めた気持ちを投げかけてみるとしよう。
さて、果てるその時まで
とりあえずは今日を生きてみようか。