今はもう会うことは出来ない友が一人いる。顔こそはっきりとは思い出せないが、時に怒って時に無邪気に笑う彼の姿は瞼の裏に焼き付いて離れない。否、魂に刻み込まれているようにいつまでも焦ることなく私の記憶の中にある。彼との出会いや思い出は先の記事で触れたのでこの場では触れずに話進めようと思う。
私の家族は母に兄弟が五人で構成されているが、父が居ないのは私が幼少の頃に他界したからだ。かといえ、寂しさや悲しさというものは無いのは可愛がってもらった記憶が全くないからだ。極道の事務所の構成員だった父は、母や私たちに関心がなかった。兄弟で唯一可愛がられたのは長男だけだろう。極道を辞めた後の父はろくに仕事をせず、借金をつくっては母が頭を下げていた。家のものを持ち出しては、勝手に質に入れてはその金でギャンブルや酒に使う。どこまでも母に負担をかけては、自分は怠惰な生活を送っていた。幼かった私の記憶などあるはずもなく、全ては母や兄弟から聞いた話であるが胸焼けのする内容であることは確かである。記憶がなくて良かったといえる。
ある夜、いつものように酒を煽っていた父は大量の血を吐いた。救急車を呼ぼうとする母を「呼ぶな。ワシが生きとったら迷惑をかける」といい制した。母の呼んだ救急車の中で搬送中に息を引き取ったらしいが、最後に「迷惑をかけたのう」と言い残したと母は語る。世話になった覚えも、親子としての記憶も父との間にはないが考えてしまう。父はどうして極道の道に進んだのどろうか。本当はどのような生き方をしたかったのか。心の内では何を思い、何を考えていたのだろうかと仕方の無いことを考えてしまう。心残りがあったのではないか。本当は家族と上手く向き合えないだけだったのでは無いかなど、私が考えたところで無意味であるが最期の時を自分に置き換えると胸が苦しくなる。
関係や記憶の薄い相手でさえ、この世を去った者のことを考えるとキリがなくなってしまう。人というのは、生きている人間には言うほど強く意識をしない。好きあったり嫌い会ったり、憎んだり寝たんだリはするが表面的であるように考えている。というのも、わたしも人間であるから人を嫌うことはあるし疎ましく思うことがある。亡くなった友や父に祖父や祖母のほか、自衛官の頃に亡くした同期のこと。生きている人間のことを考えている時と言うとは、感情が激しく起伏するのを感じるがもう会うことの出来ない人のことを考えると深く深く考え込んでしまう。いや、考えるというより思いを馳せるという表現が近いだろうか。直接聞く事は出来ず、表情を見ることも出来ない。そういったことがそうさせるのだう。
癇癪の気持ちや、後悔の念などは誰にでもあるものだろう。そして胸に秘めていることだろう。しかし、直接伝えるというのは好きな相手や嫌いな相手にかぎらず生きているうちにしか出来ない。仏前で手を合わせて心を込めて祈ったところ手間、相手のことは分かりようもない。生きている人間はすぐに反応をしてしてくれるだろうが。
「毎日、言葉にして伝えた方がいい」とよく耳にするが、これは正にその通りであろう。「明日でいいや」、「今度伝えよう」、「分かってくれているだろう」などのエゴは全てが無駄で愚かである。今生きている時間というのは有限であり、その時というのは誰にも分からない。タカをくくっていれば、その時に公開をするのは本人だ。そして恐らく故人もまた、心残りを抱えて心静かに眠ることが出来ないだろう。伝えたいことはどのような些細なことも、思い立ったその時がベストなタイミングであることを忘れてはならない。
私は母や兄弟、知人などには声を出して伝えるようにしている。いつ会えなくなるとも分からない大切な人たちだからだ。しかし天国に先だった友や同期、親戚などにはもう伝えられないこの想い。いつ尽きるの如何様に果てるか分からないが、この人生を終えた時にはあちらの世界でまた会い見えよう。そしてその時に精一杯の気持ちをぶつけるのだ。いつになるか分からないが、あちらの世界には時間などというものは無いという。ならば、私の生きる時間など考えたところで仕方の無いことだ。いったときに笑顔で久しぶりと手を握ろう。肩を抱こう。面と向かって煮詰めた気持ちを投げかけてみるとしよう。
さて、果てるその時まで
とりあえずは今日を生きてみようか。
2/14/2023, 6:51:35 AM