『幸せとは』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
自分は思う。
幸せは誰にでもいつかは来る、と
人生を諦めない限り誰にでも平等に来るものだ。
だけど、途中、辛いことがあるだろう。
辛いの辛に一を足すと幸せの幸になる。
これは、綺麗事だが、辛くて大切な事を見失うかもしれ
ない
でも、諦めないで欲しい。
見えてないだけで、知らない事が沢山あるから。
逆に、幸せの幸から一本とったら辛いと辛になる
つまり、幸せはすぐ壊れてしまう。無くなってしまうの
だ。
急な経験談だが、小四の頃だったか、ずっと一緒にいる
と思っていた母の方がある日、姿を消した。
離婚だ。
自分たちに離婚するなど言わず、家を出るとも言わず、
でも元気に生きている。
幸せとは、不安定なもの。
そもそも幸せを定義する必要は無いかもしれない。
人それぞれだもん。
ま〜、でもいざ幸せかを考えてみても分からない。
ちなみに自分は、普通でただ生きて働いて、
働いた金で好きな事をする。
そんな平凡な生活がしたい。
幸せとは…つまり人それぞれ!!!(大事なので二回目)
私は幸せ者。
周りの人に恵まれているし、
痛い思いもひもじいもすることもない。
でも同時に満たされていないとも感じる。
幸せとはプラスの感情で自分の器を満たすこと。
幸せな人は他人の幸せで自分を満たすこともできるんだろう。
やけ食いって物理的に器を埋める作業なのかもしれない。
「幸せとは」
小学生の頃、フルーツバスケットを友達に借りて読んだ
少女漫画のラストはヒロインとヒーローが結ばれてキスして終わると無意識に思っていた少女漫画読者デビューしたての当時。フルーツバスケットの最終回は私にとって衝撃だった
ヒロインとヒーローは無事に結ばれ、孫ができるくらいに年齢を重ね、ラストは年老いた2人が仲良く手を繋ぎ散歩をしているシーンで締められる
キスをしないのも主人公が突然歳をとるのも衝撃的だったが、最後に残った感情は「いいなあ…」だった
物語が終わっても2人には色々な幸せと困難があったのだろうが、2人で共に乗り越えて、晩年も仲良く手を繋ぎ共に歩んでいる。そんなパートナーと一緒になれて2人は幸せ者だ
私もこんな風に歳をとりたいと、今でも憧れている
身近にあって共有しあったり、与えたり、奪ったり。幸せを感じるときはみんなで笑い合うことですかね。
【幸せとは】
日々の生活を、ありふれた毎日だと思えること。
一緒に住む前、りずちゃんからはいつからか線香の匂いがした。少しカラオケへ行くときも、東都へショッピングに行くときも。百円ショップで売っているようなチープなものじゃなくて、白檀の香りがするような。それこそ、会って初めの頃は一種の香水なのかと見紛うような。
それが一緒に暮らし始めてからはパタリと無くなった。ついに私の鼻がおかしくなった可能性は否定できないが、ルームシェアしているこの部屋に仏具の一つも見当たらないのでは鼻が慣れたという考察は見当違いだろう。
私はその時〝幸せ〟を感じた
私が線香を手向けられた人の代わりになった、私がこの子の特別なんだ、と。
**
帰宅した彼女から揺蕩う、線香の匂い。
そうか…今日は。
「お墓行ってきたの?」
「なんでわかるのー?」
「線香の匂い」
「そんなに匂うかなぁ」
線香の匂いが、彼女から消えたとき。私は確かに幸せを感じた。でも、それと同時に寂しさも。彼女自身のものかもしれないし、私のものかもしれない。でも今は、年に一度、線香の香りをつけて私の元へ帰ってくる、このときだけは。
幸せとは、自分次第である。
幸せへの感度が低いと、幸せになりにくい。
空を鳥みたいに飛べたらなぁって言う何人かに
会ったことがあるんだ。
人生に終止符を打とうとしてる人達、
もしくは純粋に空中に浮いてみたい人とか
そういう人を見てきたんだけど
私は寄り添い方とか知らんし、
優しい言葉をかけて
相手は辛いのに
自分の無責任で延命させるのも可哀想だし、
最近は
そうなんだ。で終わらせてる。
寂しくはなるけど
結局自分で決めてかなきゃいけないから。
1の意見として捉えるとしてもね、
あんまり参考にはならないもんで。
鳥ってそもそも
自由なのかなって所からなんだけど、
羽があって、足もあって、
自由の象徴にもなってる鳥。
生涯の半分以上を
空で羽を羽ばたかせて生きる生き物。
私にはなんだか
怖がりのただの人に見えるんだ。
人が近づいてきたら逃げて、
高いところに停まって
また空を飛んで逃げる。
逃げない人なんかいないでしょ?
飼われてる鳥は別として
鳥も同じ気がするんだよね。
怖がって逃げてばっかりで
逃げ回ることが自由ってことではないと思う。
ただ逃避行してるようにしか見えない。
鳥にとって幸せとはなんだろう?
空を飛んだところで
足枷が外れるわけでも
天敵がいなくなるわけでもない。
共食いをする鳥もいる。
ちょっと長くなったけど
空を毎日飛んでる鳥でさえ
幸せかどうかわかんなくて
逃げてるのに
人が逃げる先が空に飛ぶことでいいのかなって。
ま、私が言えることじゃないんだけどね。
"Good Midnight!"
月明かりが照らすのは
私の背中に生えた真っ白な羽。
否定するのは違うから
私は別に構わないと思うよ?
幸せとは。
あの人が私のことを想ってくれている、と感じれること…感じれていたこと。
『幸せとは』
幸せとはなんだろうか
幸せは人によって違う
私は幸せを考えても思いつかない
平凡に暮らしていただけなんだ
もしかしてこれが幸せなのかもしれない。
'25年1月4日 幸せとは
自分が幸せになりたいとか誰かを幸せにしてあげたいとか、そんなことを意識して生きてきたわけじゃないんだよね。
ただ目の前に現れる壁を乗り越えたり、困難にぶつかっても逃げずに何とか解決しようと努力したり、たまに良いことがあったり。
そんな色んなことを経験できたことが幸せなのかなと思う。
その経験をもとに、幸せかどうかを決めるのは自分の心次第だと思っています。
しあわーせーとーはー
ほしがふーるよるとーまぶしーあさーかー?
くりかえすようなもーのじゃーなーい
たいせつなーひとーにー
ふりかーかあったー
あめにーかさーをーさせるーこーとーだ
小学生の頃この歌が好きでよく聞いていた
…謎に哲学学んでて面白い笑
幸せとは。
たまに考えてしまうテーマです。
よく悩んでしまう時はね、ほんっとに切羽詰まってて、苦しくて、逃げ出したくなる時。
でも頑張らないといけない時
明日も学校があったり、行かなくちゃいけなかったり、
色んなことがあるときに、よく考える
その時にすっごく思うのは、生きてるだけで幸せだってこと。
生きてて、ご飯食べてて、服着てて、家があって、家族がいて、ベッドで寝れる。
こんなに幸せなことない。
なのに、なのに
いつもどうでもいいことで怒ったり、悩んだりしてしまう。
仕方ないかもしれないけど、自分は幸せなんだって忘れちゃダメだって、そこでいつも思い返す。
私の好きなバンドの歌の一節
逢いたい人がいるこの世界に
今日も目覚める 僕はきっと幸せですよ
本当にその通りだ。
だけどなかなかそうおもえない。
会いたくても会えない人がいる。
会えたら幸せだけど、会えないから今日もつまらない。いいことだってない。
そう考えちゃう。
こんな自分を変えたいな。
私は今幸せです。
今年もよろしくって
ほんとに思ってる?
変わらないようで
遠くなったこの距離は
透明な壁に覆われて。
見栄も気遣いもいらないけど、
君にはなんだか必要みたい。
幸せとは
a little happy ちょっと嬉しいを見つけること
例えば 砲弾が飛び交う中でも
お腹が空いていても
瓦礫の下でも
拘束されていても
ちょっと嬉しいを見つけられる人は幸せな人だ
「ライフ・イズ・ビューティフル」のお父さんのように、少年の父は世界一の幸せを息子に遺して逝きました、、だからきっときっと息子は幸せな少年です、私はそう思っています。
幸せとは、どんな状況下でも置かれた場所でちょっと嬉しいを見つけだすことだ。
人生は四苦八苦とお釈迦様は教えた、ならば、生まれなければ老いなければ病を得なければ死ななければ、愛する人と別れなければ、憎しみ合う者と出会わなければ、求めるもの全て与えられ思うがままに振る舞えれば幸せなのかと言えば、そうでもない。生まれて老いて病気して死ぬ人はその時間を考えることが出来るから愛する人との別れを悲しみ、憎しみ合う苦しみに出会うから許し合うことを覚え、求めるものは全て与えられないと知るから自ら求め働きかける力を得ようとし、思うがままに振る舞うことを慎む謙虚さを覚える。深い苦しみに四苦八苦するから幸せの価値を知ることが出来る。
幸せとは四苦八苦するから得ることが出来るものであろう。
そして
時代は過ぎ去って
街も人も変わってしまった
俺は忙しさにかまけて
大事なものを見失ってしまったよ
お前に熱く語った
夢なんか何処かへ消えちまったよ
現実の壁に阻まれて
ぼんやりと今を生き延びて来た
そうさ気づかぬうちに時間に流され
諦めること覚えた
いつも信じたものに裏切られ
己の愚かさに怒り震えた
思い通りにいかない
人生なんてそんなものだろう
だけどもう一度だけ
信念貫く覚悟で頑張ってみないか
夢を死ぬ気になって追いかけてみないか
そうさ中途半端に逃げてばかりの
己の生き方に終止符打って
いつか時代の波に飲み込まれる前に
立ち止まり足元を見つめ直せ
思い通りにいかない
人生なんてそんなものだろう…
「友よ人生を語る前に」
作詞 ポール・マッカーサー
古希になっても、こんな言葉を掛け合える友が直ぐ側にいることだろうね、SNSのチャットルームブールーライトの向こうの息づかいの聞こえないどこの誰とも分からない体温のない幽霊みたいなお友達100人よりも、息づかいと体温を感じ心が図れるような友をたった1人でもいいから持て、それが幸せだ。
a little happy 「ちょっと嬉しい」何時も読み解けないのは君が馬鹿な訳じゃない、寄り添っていないから、間違いを探しているから、自分が正しいと思い込んでいるから、だから中学生レベルの英語訳も、書き手の気分を読み解けないから分からないのだよww a little happy ちょっと嬉しいが分かったら、幸せだよね(笑)
続き
「幸福論」とは哲学者ならたとえ自称でも作家なら一度は書いてみたいものらしく沢山あり、「前向きの勧め」みたいなものや「楽観主義」なものから、生きる道は自分で切りひらけな「実存主義」寝ている子を起こすな的な「刺激を与えるな」などなどあり、有名なもので「3大幸福論」なんてあるけど、どれも西洋哲学でそもそもエデンの園で神様に与えられ護られ何もせず日がな一日遊んで暮らしていた人たちその子孫が考えた「幸福論」それが西洋哲学の「幸福論」ですから東洋人ましてや島国日本の日本人とは随分違いがあると気づきます。つまり、幸せの定義は人の数ほどあると気づかなければならない、大人なら普通に(笑)それは正義と同じように。まさに、「幸せはいつも自分の心が決めるもの」が真理なのでしょう。まあ、西洋哲学「人間の外側」と東洋哲学「人間の内側」の違いとでも言いましょうかねw
そもそも、お題は「幸せとは」なのに何もしないことはちょっと答えとして(苦笑)何もしない何も悲しみを知らないでは幸せも喜びも知ることはないから「幸せとは」と聞かれても分からない、つまり知識が経験が無いってことが「幸せか?」ってことになります。アダムとイヴだって、蛇に唆されてか何か知らないが、神様との約束を破りエデン園から落とされたから、エデンの園の満ち足りた幸せを知るに至ったのだ。だから西洋人は働くことを美徳とは思わなくて働くのが好きな人を「ワーカーホリック」とか言って毒つけて呼ぶんだよねぇ(笑)
日本人は、働くことは美徳で幸せなことでした
「働き者」は毒つけて呼ばれることではなく褒め言葉でしたからね。
「幸せとは」なかなか興味深いお題でした。
令和7年1月4日
心幸
幸せとは、ずっと心が温かくなって嬉しく感じる時かな
自分基準でしか判断することが出来ないから、他人に言われたから私は不幸せだとか、他人と比べて不幸せだとか決めることでは無いと思う
今の幸せは家族や友人が私の誕生日を祝ってくれたこと
一生大切にしていきます
幸せとは
お金持ちでなくても、普通に元気に、穏やかに暮らせるのが、一番の幸せ…
そう口にするけれど、本音では、贅沢したいし、人並みに、年一回位は、泊まりがけの旅行をしたいし、趣味も、充実したい…ひよっとしたら、人より、欲が強いかもしれない…
したい事なら、どれほどあるだろう…無いものねだりで、自分に嫌気がさすこともある…
でも、そうやって、色々思う事自体が、一番の幸せかもしれない…
「ねぇ幸せってなんだろうね」
隣に座って一緒に映画を見ていた彼女が、暗い画面に流れるエンドロールを眺めて呟いた。見ていた映画のせいだろうか、彼女の瞳には水溜りができていた。そして、そんなことを口にしていた彼女は死んだ。
彼女が亡くなって三年が経った今も、恋人は作っていない。あの時何も返せずにいた自分を呪った。彼女は自殺。原因は未だに分かっていない。タバコを咥え、あの日見た映画をつける。隣にもう愛する人の姿はない。口から吐かれた煙が、部屋を覆いつくす。なんとも表せない匂いが心を落ち着かせた。映画は全く頭に入らなかった。最後に映画の主人公の男は笑った。自分は幸せだと言わんばかりに。
あの日の彼女の言葉を、声を、頭の中で反芻する。
幸せとは、愛する人が自分を愛し、傍にいてくれることだと僕は思う。
あの時の彼女の涙に、意味は存在したのだろうか。
幸せとは?
敬愛する あなたへ、
あの日、あの時あなたに救っていただき本当に感謝しています。
あなたがいなければ私はここにはいないでしょう。
人生を諦めかけた その時、貴方に救われました。
本当に本当に感謝しています。
あなたはいつも笑顔で笑いかけてくださいましたね。
その表情で、私の心が何度奪われたでしょうか?
本当に愛しておりました。
こんな姿になって帰ってこないでくださいよ。
私が命を立とうとした時、あなたは言いましたね。
まだあなたは幸せになれる。
そう言われ、私は生きようと思ったんです。
私が問うた幸せとは何か
貴方は、
楽しいこと、嬉しいこと、
何を幸せと定義するかは自分次第
そう、おっしゃいましたね
確かに貴方と過ごした日々は温かく、穏で幸せでした
ですが、今気づいたんです。
穏やかで幸せに溢れたいいた。
もどかしく切ない、悲しい日々だって
貴方がいたからこそ幸せにられた。
私の幸せは貴方でした。
そう、そう、だったんです。
ごめんなさい。
せっかく育ててもらった命、今、ここで無駄にしてしまいます。
本当にごめんなさい。
ごめんなさい。 ごめんなさい。
でもせめて幸せだったと思える 日々を忘れたくない。
失いたくない。
だから最後に挨拶に行きました。
ありがとう御座いました。
最後まで伝えれませんでしたね、愛してます。
その後の記録は無い
この体から抜け出して
天に召されるとき
お気に入りのピアスも
頑張って貯めた貯金も
見つかったら恥ずかしい日記も
なにも持っていけないけれど
あなたと過ごして得たもの
楽しかったことだけじゃなく
あなたに喜んでもらいたくて準備したことが
ひとつも響かずダメ出しされて 悔しくて
でもそれは、
“喜んでもらいたい自分” になれなくて悔しかったんだって気づかせてくれたこと
わたしの言った何気ない言葉で
あなたが死んでしまったんじゃないかって
とっても後悔していること
わたし自身が こんなにも大切な人に尽くして
報われることがなくとも、
それでもいいと思えたこと
あなたと過ごした日々のなかで
経験したことすべて
魂になっても持っていられる
だから
この魂ひとつで天に召されても
多分わたしは 寂しくない
◇しあわせとは◇
『幸せとは』というテーマについて…
愛犬と遊んでいる時にふっと思う…楽しい、幸せだなって…
動画や写真などをとっているときもふっと思う…幸せと…
何気ない時間が幸せなのかもね…
携帯を触ってても…出かけていても…
疲れてても…どんな場面が来ても…最後は幸せと思うんだね…結局幸せが勝ってしまうね…
出会うことも…初めての人と出会うことも幸せだね…
仲良くなるまでには時間が必要だけど、幸せかもね…
友達と会ってても…幸せだね…
自分が思う『幸せとは』っていうテーマになったかもね…