『幸せとは』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
お題 幸せとは
私にとって幸せとは、心から満たされる『好き』を感じた瞬間である。
私は何が好きなのだろう?と幾つも幾つも繰り返して、感覚だけを頼りに探し当てていく。
好きの根源は何か。
枝分かれのようにその先の果実をもぎ取って咀嚼していく。
そしていつの日か、全てを食べ尽くしてしまった後、残ったものだけを凝視し、思考を巡らせ、ようやくたどり着く。
根っこはこれだったのかと。だから、どれも似たような味がしたのだと。
真を見つけられた瞬間こそ、私にとっての幸せになる気がする。
他者から見た幸せの代表が、自分にとっては息苦しく感じたり、納得がいかなかったりすることもある。
たとえ、家族でさえも。
私の幸せは、私が決める。だから、見つけてやる。
いつまでも、探し求めていく。
アホくさ。
裏切らないで。とか、裏切られたらどうしようとか。一切心配して生活するのはやめよ。
用心はしなくちゃ。
裏切ったことがわかったら自分のタイミングでばっさり捨ててやろう。
それまで生活の基盤を整えよう。手に職や現金、それから人脈。
なんでなんも覚えてないの?
なんで人のせいなの?
ありがとう!あなたのおかげで人脈があります。ならば、この人脈を活用しない手はない。
今、出来ること最大限に。
夫婦の間の収入はばっさりもってかれるから。
過去の自分の人脈は、もういいや。
大した人脈じゃないわ。
もっともっと上にいこう!
もっともっと楽しんで生きてやろう!
深夜スーパーの人魚姫(解凍待ち)
新年一発目の出勤日。
休憩時間。同僚から今年の抱負は? と聞かれた。
「寝坊しないことです」と答えた。
「げっ」
すっからかんの惣菜売り場。弁当さえない。
潔くあきらめてこういう時の救世主・鍋焼きうどん。
明太子も欲しい。卵はうちにあったな。
ついでに大してめでたくもないが半額シールのおはぎ。
あと明日のためにメロンパン。そうそう。牛乳もいる。
照明に照らされて不気味な光を放つエナジードリンク。
目についたラベルの発泡酒をつかんだ。
無人レジのおしゃべり。
「あれ」
あくびをかみ殺して目を擦る。アイシャドウのラメ。指の背が、鱗のように銀にきらめく。
すぐさまティッシュで拭おうとして、やめておいた。
捨てどきの分からないくたびれたエコバッグを手にさげる。
ずしりと重い。
ここが海ならちっとも上手く泳げている気がしない。
物語未満の人生。
年始から残業三昧だ。劇的とは程遠い。
陽気な店内ソングを置き去りに、帰途につく。
外は恐ろしく寒かった。
これじゃ海なんかじゃない。冷凍庫だ。
冷凍庫の奥底で静かに果てる魚の干物に思いを馳せた。
「化石はいやだなぁ」
朝になったらニュース番組で流れるのだ。
××県◯◯市で氷漬けの遺体が発見されましたって? 嫌過ぎる。
ならば内側から身体を温めればよいと家に着くまでのあいだ、おはぎをつまみに、発泡酒を二本あけた。
いい気分だったのでひとしきり電柱とダンスする。
王子様が迎えに来る気配は一向にない。
なんなら酔っ払って公園のベンチで凍死する確率のが高そうだ。
翌朝。幸いニュース番組に取り上げられることはなかったが、猛烈な二日酔いで新年早々寝坊した。
自分でもどうかしてると思う。
幸せは歩いてこない
だから歩いてゆくんだね
ってそんな元気はもう無いからお前が来い
全身満たすほどに降り注げよ
溢れるほどに湧き上がってこい
なんてね、
「幸せとは」
自分が今幸せだなーと思うこと。
内面的なことや自分の嫌なところをを考えすぎず、これが嬉しかった!楽しかった!を考えていられる時間が幸せ。
何かに向かって頑張ってる時。
「幸せとは」
心が ふんわりすること
嬉しかったり 楽しかったり
悲しい気持ちに ならないこと
自分が決めること
どんなことでもいい
心が やすらぐこと
些細なことも 何でもないようなことも
しあわせ しあわせ しあわせ
特別なことが 幸せではなく
平凡なことが 幸せなのだ
ここに こうして 息をしている
いま あたりまえに 生きている
幸せは 今 感じていること
決して 特別なことではなく
いつもの朝
いつもの挨拶
いつもの生活
幸せは 自分がつくるもの
幸せとは そういうもの
幸せは 近くにある
©️紫翠
ソレはありふれている。
されど、際限なく広がる人の欲望から、ソレに到達することはない。
「コレが欲しい」、「コノ人と居たい」、「コレを失いたくない」。
幾つ手に入れてもまだ足りないと渇望する。何が手に入ればソレに到達するのか、きっと誰も知らない。
見る角度によってソレは如何様にも変わり、価値を変動させ続ける。
戦争を知らない人間と、平和を知らない人間とで、著しくソレの価値を変えるように。深い深い欲望の先にあるのは、また深い深い欲望なのだと私は思う。人はソレを体感する事なく一生を駆け抜け、今際の際、ほんの少しを鮮烈なスローモーションとして微かにソレに触れ、生涯に幕を閉じるのだと私は信じてみてたい。
コレもまた、深い深い欲望。
「幸せとは」
幸せとは
幸せとは、幸福ということだろうか。
幸福とは、幸せということだろうか。
では、逆に
不幸せとは、幸福ということだろうか。
幸福とは、不幸せということだろうか。
それはなんか違うと思うのか。
一つ一つの言葉には、人それぞれ認識の違いがある。
色んな人がいるのと一緒で、似ている言葉にも違いがある。
幸せとは、幸せとは。
幸せとは、貴方自身なのかもしれない。
#29
『幸せとは』
考えてみて、私がいちばん幸せだと思ったのは、
隣であなたが笑った瞬間だった。
自分より、あなたのことを思えている。
それが、私にとってはいちばん幸せだ。
もし許されるのならば、
明日も、隣にいてくれますか。
北東の洞窟に、火竜の番いが住み始めた。しかも、子育てを始めるようで、二匹の竜が代わる代わる食事を摂りに行ったり、巣の材料に使う用であろう大木を運んだりしている。
北東の洞窟に住み始めた二匹の竜の情報は、国中をかけ巡った。多くの国民たちは、神獣と敬う、魔法の如き力を用いて火を扱う火竜が国に住み始めたことに歓喜し、毎夜北東に向かって祈りを捧げてから就寝している。
しかし、一部の上流階級の人間たちの反応は違った。
その理由は、北東の洞窟がこの国唯一の、氷の採取場だったからだ。
ある騎士は、酒に入れる氷が無くなったことに苛立ち、訓練でも刃入りの剣を使うようになった。
ある公爵夫人は、氷を使った良い美容法があったのに…と、派閥の夫人たちに愚痴をした。
ある王子は、大好物の氷菓が食べられなくなったことで、元々の我儘放題が、更に悪化した。
⸺気づいていない者もいるかもしれないが、この話の世界では、人間は魔法が使えない。まぁ、特に必要性の無い情報だがな。さて、ここで質問だ。”この国”は、幸せな国だと言える?………まぁ、大概の回答は概ね想定通りだろうがね。
【氷の使い道って意外に思いつかない…】
こんな疲労困憊な時に幸せについて考えるのは野暮だな
結局、根底は自分の心がどう満たされてるかじゃないか。
心に余裕がある時ってどんなに疲れててもって楽しいことや希望で満ちている。
そういうのを考えながら生きるのはもっと楽しい。
レールに敷かれてないような予測できない未知の世界を想像するのは楽しい。
運命的な繋がりがあるから人生は面白いのかも。これからくる出会い、経験、そしてそこから込み上がる感情、ワクワクでいっぱいだ
幸せとは
それは目に見えて、目に見えない。
これは触れられて、触れられない。
こんな音を感じ、音が聞こえない。
そして匂いを嗅ぎ、匂いがしない。
そんな味があり、味が無い。
ボクにとって、幸せは五感で感じるもの、だと思っている。
美味しいご飯を食べる時、ふと思った。
ボクはその時、風邪を引いたから匂いがしなかった。
だから、五感の中にある嗅覚がない状態で食事をすると、
不思議な事が起きた。
それは、美味しいご飯を食べた、という記憶が残りづらくなった。
味は美味しいし、見た目は美味しそうだし、料理から聞こえる美味しそうな音、触って感じる美味しさ、それはあったのに、嗅覚が無いだけで全く記憶に残らなかった。
それは何故?と思ったボクは凄く考えた。
その結果、ボクの中で理解したのは、美味しいご飯は五感で堪能するからこそ、記憶の中に残るんだ。と感じた。
例えば、モナカのバニラアイスを食べるとして。
カラカラなモナカと冷たくて溶けたアイスを手で感じて、
見た目は薄茶のお菓子の間に挟まる薄黄色のアイスクリーム、
パクッと食べた時に聞こえるモナカの砕ける音とアイスを含む音、
ふわっとした甘い味がするバニラと、
少し無味だが優しい味がするモナカを舌で感じ、
そして、甘いバニラの香りと、優しいお菓子の匂いを感じる。
こうすることによって、
頭の中でパズルみたいに組み立てて完成して、
完成したパズルを綺麗で美しい額縁に入れて飾る。
そうすると、記憶として残る。のだとボクは思った。
食べてる時や、記憶として残ってる時、また食べないな、と思う時や、誰かにその話をする時、それはきっと、幸せな気がする。
美味しいご飯を食べれば幸せだし、それなら記憶として残ってる時も幸せだろうし、また食べたいな、と思うのも美味しかった幸せとして思い出してるし、誰かにその話をして、美味しいというのを共有する事も、幸せなのだと感じる。
幸せとは、五感で感じる事だと、ボクは思う。
ああ、こんな話をしてたらバニラアイス食べたくなっちゃった。
美味しそうだなぁ、食べたいなぁ、美味しかったんだよなぁ。
うん、明日、食べよう。
幸せとは
「幸せって、なんなんだろーな」
いつかの夜にそんな言葉を零していましたね、ナツキさん。僕はようやく分かりましたよ。愛する人の笑顔と、言葉と、声と、未来と……つまり、誰かを愛する気持ちじゃないかなーって思います。あなたが何度も辛い夜を超えてこれたのは、愛する人がいるからでしょう?僕だってそうです。
愛する友人がいて、支えたい人がいて、仲間がいて……
だから、これでいいんです。愛する人が傷つくなら、僕が傷つけばいい。それで愛する人が守れたなら、幸せでいてくれるなら、それが僕にとっても幸せです。
だから、泣かないでください。このくらいで思い詰めないでください。ナツキさん。
幸せとは
たとえば
「ありがとう」という気持ちの
向こう側にあるもの
陽の当たる縁側。
半分こした肉まん。
銭湯で飲むフルーツ牛乳。
ストーブの前で食べるアイス。
きみがちいさい手で握ってくれたおむすび。
『幸せとは』
誰かと比べて自分が優れていること。
人に羨ましいと思われる人生を歩むこと。
私にとって幸せとは、
いつも自分じゃない他の人の視線の先にあった。
でもそう、君に出会って知った。
他人の存在に依存する幸せほど脆く弱いものはないと。
自分が本当になりたい姿さえ知らないまま、
みんなが憧れる何かを惰性で目指すことの不幸さを。
自分を嫌い貶し続けて得た強さは、
何ひとつ救ってはくれない。
だからこそ、自分を尊重する心を忘れないこと。
誰かにとってじゃなく私にとって、
いつも誇れる自分であること。
前に進むために必要なのは自分を否定することじゃない。
少しづつ、自分らしく変わること。
君が好きだと言ってくれた私を、
私は消してしまいたくないから。
幸せ、それはどんな時も自分を愛し成長させられること。
そして人の幸せを願えるぐらい強く優しい人であれること。
幸せとは、きっとそういうもの。
___幸せとは
【幸せとは】
足を暖炉に近づけながら、ふと私はそんなことを呟いた。ぽつり、と呟いただけだが少し恥ずかしくなって周りを見渡す。でも、そこにはいつも通りの部屋。自分以外が入った形跡など全くない、そんな部屋だった。それによって少しホッとしたと同時に孤独感というのも感じてしまった。孤独感という言葉を聞くと、とても嫌な雰囲気がするのが最近の世論であろうとは思うが、それは孤独死など、孤独を孤立と交錯させたそんな思考が拡がっているからでは無いかと私は考える。今年で26となる私ではあるが、正直まだそう言う時期は遥か遠い未来のように思っている。しかし、それがあるのも現実であり、このままだと私もあなた達の後を着いていかせていただく形になってしまうのもまだ事実だった。話を戻すと、幸せとはという問いに対して私は「そんなことを考えなくていい時間を多く過ごしていること」だと考えた。これが私自身の言葉かそれとも受け売りの言葉なのかは、これまで多くの文学に触れすぎていて判断のしようがないことである。まぁこんなことを言うと、哲学者の方たちは幸せではないかと思ってしまうのだが、だから私は哲学者はとても不幸な思想そのものだと考えてしまう。幸せをとても多く理解しているであろう彼らはそれ以上の不幸を知っているからだ。ここで、私はもう1つの考えというか、仮説がたった。それは、「不幸を全然知らない人ではないか」というものだ。しかし、これは直ぐに私の中で却下された。何故かと言うと、人は不幸があるからこそ幸せを存分に噛み締められると感じたからだ。哲学者の皆さん、今あなた達を不幸といった無礼をどうか許してください。私はまた脳だけで届いていないであろうそんな言葉を落とした。この足は暖まりすぎていた。
幸せとは
幸せとは、大切な人がいること。
大切な人が目の前にいることは
このウエなく幸せなこと。
大切な人に大切にされることは
このウエの上の
アイほど幸せなこと。
『幸せとは』
なんだろう?
自分が幸せと思えたら幸せなんだろうなと思う。
でも、田舎に住んでいるせいかどうしても周りの目が気になるし、周りの物差しで測られているような気持ちがずっと消えない。
今、健康で、お金に困ってなくて、仕事があって、両親が元気で、猫がいて、実家に住まわせてもらっているってこともかなり恵まれているんだろうなと思う。
でも30代で実家に住んでることに引け目もある。
幸せってなんなんでしょうね。
幸せとは
人それぞれ幸せは違う
美味しいご飯を食べて幸せと感じる人
恋人と一緒に過ごせて幸せと感じる人
何気ない日々が幸せと感じる人
たくさんの幸せがあると思う
幸せはこれ!と言う結論はなく、一人一人が思う幸せが幸せなんだと思う