【幸せとは】
足を暖炉に近づけながら、ふと私はそんなことを呟いた。ぽつり、と呟いただけだが少し恥ずかしくなって周りを見渡す。でも、そこにはいつも通りの部屋。自分以外が入った形跡など全くない、そんな部屋だった。それによって少しホッとしたと同時に孤独感というのも感じてしまった。孤独感という言葉を聞くと、とても嫌な雰囲気がするのが最近の世論であろうとは思うが、それは孤独死など、孤独を孤立と交錯させたそんな思考が拡がっているからでは無いかと私は考える。今年で26となる私ではあるが、正直まだそう言う時期は遥か遠い未来のように思っている。しかし、それがあるのも現実であり、このままだと私もあなた達の後を着いていかせていただく形になってしまうのもまだ事実だった。話を戻すと、幸せとはという問いに対して私は「そんなことを考えなくていい時間を多く過ごしていること」だと考えた。これが私自身の言葉かそれとも受け売りの言葉なのかは、これまで多くの文学に触れすぎていて判断のしようがないことである。まぁこんなことを言うと、哲学者の方たちは幸せではないかと思ってしまうのだが、だから私は哲学者はとても不幸な思想そのものだと考えてしまう。幸せをとても多く理解しているであろう彼らはそれ以上の不幸を知っているからだ。ここで、私はもう1つの考えというか、仮説がたった。それは、「不幸を全然知らない人ではないか」というものだ。しかし、これは直ぐに私の中で却下された。何故かと言うと、人は不幸があるからこそ幸せを存分に噛み締められると感じたからだ。哲学者の皆さん、今あなた達を不幸といった無礼をどうか許してください。私はまた脳だけで届いていないであろうそんな言葉を落とした。この足は暖まりすぎていた。
1/4/2025, 2:02:22 PM