『小さな命』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「小さい命」
手で光を包み込んでみると
手の隙間から見えるのは小さな光
でも手を広げてみればそれは大きな光になる。
それがこの応えだと思ってる。
ドクン、ドクンーー
私の手の中で、小さな心臓が力強く音を鳴らす。肌に伝わるその温もりが、その子が存在することを実感させる。小さな身体を懸命に震わせ、大きく声を上げる。
私は生きてる!
世界にそう訴えかける。今にも消えてしまうんじゃないかと思える弱々しい身体で、文字通り命懸けで、世界に自分の存在を証明しようとしている。
『小さな命』
君の中の小さな命
淡く光る小さな命
君が嬉しい時には輝き
君が悲しい時には光り弱く
君の中の小さな命
君の努力を知ってる
小さな命
君の人生を知ってる
小さな命
君の中の小さな命
小さい命って?
お年寄りや赤子など、社会的に価値がない人達のこと?
人間を除いた、知能の低い動物や虫、植物のこと?
赤子や、生まれたての哺乳類動物のことを見て、小さい命や小さき命と呼んでいる場面を見たことがある。
ネットで、あるいは現実で。
じゃあ、成人した人達の命は、対比で大きい命とでも呼ぶの?
なら命とは、体や精神の大きさに比例するものってこと?
そもそも、〝命〟に大きいや小さいなどの形容詞を当てはめていいのかなあ。
私は、命はどんな生命にも平等に与えられた等しい価値のものであって、サイズ感的な形容詞を当てはめるには向いていないと思う。
だって、赤子を小さき命と呼ぶなら、大人は大きい命?
小さいと呼ぶなら大きいも無くては駄目だけど、大きい命っていうのは何に当てはめるのが正解なんだろう。
それが分からない以上、人類史の中に小さい命なんて言葉は存在させてはいけないのでは?
【小さな命】
小さな命=こどもたちという繋がりがあり、やはり守るべきであるのは言うまでもない。
私たち大人もかつては小さな命であったのだ。
なぜ大人になれば人は傲慢になっていくのであろうか。
命は平等である。私もそう思う。
小さな命は守られるべきである。私はそう思う。
だがそれは人間の中の話である。
虫となると話は変わってくるのだ。
夏になると私は深夜に蚊と戦う。
奴らは音も立てず忍び寄るくせに、耳元で壮大な羽の音を鳴らしていくのだ。
刺された後は腫れ、痒みを帯びるのだ。
この音は私の安眠の終わりを差す。
安心な寝室は危険な戦場と化すのである。
このような時、命は平等などと言っていられない。
蚊と話し合えれば良いが、奴らも命懸けなのである。
私も眠れなければ明日の生活にかかわる。
私の目は血眼になり、この身果てようとも戦う覚悟なのである。
蚊取り線香など意味はなく、いつの間にか現れ消えていく様は忍者と相違ない。
私は蚊ではなく忍者と戦っているのだ。
そう思うと気が引き締まるのである。
このように、命は平等であると述べるには私たちはいささか傲慢なのである。
自分の身が危うければ、前提を覆すことも厭わなくなる。
私の手で殺めてしまった命もある。
本当に済まないと思うが、私の身を守るためにはしようがないこともある。
もう少し寛大でいたいのだが、そうも言っていられないのだ。
世知辛い世の中である。
植物
小動物
子供
その全てが、尊い「小さな命」
でも
命に大きい小さいって
あるのかなって
ちょっと思ったりもする
ああ今日も冬の名残のハレーション
レンズ越し見る萌出る翠
題目「小さな命」
命に大きいも小さいも無いよ。
みんな平等。同じでしょ。
ははあ、そいつはお綺麗事だ。ごちそうさま。
全員を救うことなんか出来ない。わかってるだろ。
わかってる。わかってるけどわかっちゃだめなの。
優劣なんてつけるべきじゃ無い。だめなんだよ。
君がさっき叩き潰した虫にも命があっただろうに。
そういうとこ、意地悪いよ。
ううん?
小さな命
小さな命
小さな命。
命に大きさはあるのだろうか
赤子の命は小さいのだろうか
太っている人は心臓が肥大化すると聞くが
命とは心臓のことだろうか
なにかもっとあたたかく詩的なものだろうか
それとも物質的なものではなく表現だろうか
小さな命は価値も少ないのだろうか
命の価値といっても表面上の価値の話ではないだろう
罵詈雑言蔓延る世の中はあの人だったらとその人を過剰に擁護し他を叩く
そんな世の中なのだから小さな命かもしれない
命もミニマムだとでも言いたいのだろうか
命ミニマリストとでも言うのだろうか
過剰な擁護は崇拝と呼ぶものだ
気色悪い事を申して申し訳ないが
誕生している時点で大きな命なのかもしれない
小さな命などどこにもないだろう
誤解はしないでくれ
日向の人間ではない日陰の人間だ
湿っぽい人間であり辛気臭いやつである
小さな命があるならば大きな命もあるのだろうか
未成年か成年かの命を区別して
未成年の命を小さい命というのか
それとも命は脆いので小さい命と言うのだろうか
はたして未成熟な未成年の段階に価値があるのだろうか
それとも成熟し憂いを纏う成年に価値があるのだろうかこれは完全にその人の好みと性癖によるものであろう
命を消費するような悲劇的で残酷的な物は世間に受けがいいものだ
なんて不謹慎な事をというかもしれないが実際そうだ
悲劇的であればあるほど劣情を誘うのだろう?
泣けば可哀想だと思うのだろう?
泣けばもっと泣かせたいと下に拠点を張るものもいるのだろう?
切なく呆気ないほど良いのだろう?
しぶといやつなら早く死ねよとさえも思うのだろう?
なに人間そんなものだ。
それをいかに外に出さずに健常を装って生きれるかの勝負をしているだけだ
勝負は敗北が付き纏う
人間は悲劇的なものが好きだろう?
呆気なく散っていき、負の連鎖を描いた作品はどうも受けるようだ
そんな作品が芸術として世間に出回っている
果たして、命は小さいものか大きいものか
命を定規で測ろうものなら取り出さなくてはならない
結果的に人は死んでしまう
死なないと命の大きさと重さが分からない
悲しみと辛さを教訓として美化するのは
少しばかり、いやだいぶイカれてる
優しさや脆さをアイデンティティにするなよ
個性にという枠に当てはめてみたって
痛々しいだけだ
枠組みにはめたら今度は枠組みの中での人間関係に苦しむ事になる
その枠組みの中でも辛さはリサイクルされ
辛さが循環して負の連鎖が始まる
そもそも人型の枠などどうしたってないのだから
人を枠組みに当てはめるなど無理なのだ
枠組みから抜け出したくなるのも無理はないけれど
その枠組みから抜け出した人もまた新たな枠組みを作り上げる
その枠組が苦しくなった人が抜け出し
また新たに枠組みを作る
そのループだ
小さな命
ってなんだろう
全てのものに命はある
そこに大きいとか
小さいとかはないと思う
体の大きさとか、考え方は千差万別ではあるけれど
そこにあるのはみんな等しく
この世界に息づく命であること
そう、たとえそれが人間でなくても。
動物も、植物も、虫も全てが
等しく愛おしい。
そう思うのは間違っているのだろうか?
小さな小さな命。
今日もどこかで生まれる。
それを誰かが大切に育てて、大きくなって。
悩んで迷って。挑戦して諦めて。
笑ったり泣いたりして。眠って。起き上がって。
誰に賞賛されることもなくても、毎日同じような小さな日々を生きて。
ずっと誰かに見つけられるのを待って、誰かを見つけて。
小さな想いを抱いて、また諦めて。
走って走って、ときには立ち止まって。
転んで。それでもなんとか歩き出して。
神を恨んで、悪魔に祈って、結局何もできなくて。
辛くて。
でも何かを、誰かを探して、いつか、夢とか希望だとか馬鹿みたいなきれいごとを叶えるために。
わたしたちは小さな人生を生きる。
こんな悲惨な世界に生まれ落ちた新しく小さな命に、少しでも救いがありますように。
たったひとりの愛娘。
可愛い可愛いと愛されて
出掛けるときはいつも一緒。
大人になっても愛されて
ママの車で送り迎え。
可愛い可愛い小さな命。
端から見れば立派なこどおば
「………。」
「…サツマさんは、何でサツマって名前なんですか。」
オンラインゲームで知り合った男と会うことになって、回転寿司に来た。でも何か冴えない人だし、会話が弾む気がしない。チャットでやりとりしてた時はあんなにテンションあがってたのに、いざ会うとどうしてこうなるんだろう。私は席で淹れる熱々のお茶が好きなんだけど、この人は席に向かう途中で当たり前のように冷たい水を持っていくタイプ。些細なことが気になる。
「普通に、さつまいもが好きだから、かな」
薩摩出身とかじゃねえのかよ。理由つまんなすぎ。
つまんなくなると、すぐ気がそぞろになる。本当に暇な時にペットボトルとかのラベルの成分表示を見ちゃう、って言う人がいるけど、私は暇じゃなくてもちょっと嫌な気持ちになるとすぐそういう成分表示的なものに逃げたくなる。本題から目を逸らして、意味のないことを考えたくなる。
いくらが割と好きだけど、今日は余計なことを考えてしまう日だ。いくら1粒1粒が卵で、命だって。それを一気に口に入れるって、ヤバいよね。これを私が食べないことによって、この鮭?サーモン?は未来が変わったりするの。でもこの店でもう調理されてるんだから別に変わんない?どっちにしろ何か気持ち悪い。この男が生理的に無理だから、食べるのが気持ち悪くなってるだけ?でも他の寿司は別に食べたいし。なんかエンガワとか、白っぽくて害のなさそうなものでも食べようかな。何の魚かよくわかんないけど。
「…雪菜さんは、なんで雪菜って名前なの?本名?」
本名じゃねえよ。お前はずっとガリでも食ってろよ。
【211,お題:小さな命】
初めて守るものができた日
「お姉ちゃんだね」その言葉が意味もなく嬉しくて
腕に抱いた小さな命は、しっかりとした力強さと重さがあった
私が守らないといけないんだ、小さく決意した温かな秋の日
小さな命
コーヒーの香りに混じる湿布の匂い
輝くビル群の美観に佇む暗い公園の奇観
自分らしいアイデアを持ち合わせる風変わりな趣味
褒め言葉に浮き出る皮肉な冗談
純粋無垢と稚拙無知の共存
定義された自由は不自由を認識させ、果てには自由を見失う
闇は光の母、光は闇の母
馬鹿と天才は紙一重
愛と憎しみは互いを育て上げる
あなたの赤はわたしの青
どちらが卵でも鶏でも
たとえこの世界が夏休みの自由研究でつくられた「宇宙キット」の中でも
駄々を捏ねてやっと買ってもらった金魚鉢の中でも
わたしたちはそんな小学生と変わらない小さな命
命に大きさなんてあるわけないじゃないですか。目の前に消えそうな命があるのに、自分がいれば助かるのにどうして止めるんですか?危ないってなんですか?今が危ないんじゃないんですか?
生き返るから大丈夫?何が大丈夫なんですか?こんなにも出血しているのに?脊髄がやられて、頭に銃弾を受けているのに生き返るからここは危ないから撃たなくちゃいけなくなるからってなんで止めるんですか。自分はただ命が消えないように助けているだけなのに。
おかしなせかいだ。
では、また。いや、またなんてない方がいい。
安静にしていてください
2026年3月日記まとめ
自分をアホだと思えってね
2026/03/05㈭
歩く歩く
2026/03/04㈬
キャラメルコーンお雛様桃味
2026/03/03㈫
古い家
2026/03/02㈪
4月出版の本の予約
2026/03/01㈰
自分勝手
わかっちゃいるけど
我も必死
小さな命
真夜中来る蚊
お題☆小さな命
(ややセンシティブに感じられる内容と思われるものを含みますの読む際はご注意願います。あくまでも創作物の詩として読んでいただけたらと光栄に思います(*^^*))
むかし、むかし、あたしはね
快楽と云う名の イタズラの道具にされてたの。
それからというものね
愛されるのも、愛するのも
身体や心が強張るようになってしまったのでした。
ちやん、ちゃんー。
小さい頃からね
母親になるのが憧れだったのに
あたしのカラダときたら
あの日から厳重警備になってしまったのさ
ちゃん、ちゃんー。
なのにアイツらときたら
若気の至りでとかと言い訳してさ
幸せになりたいとかいって
あっという間にだれかの命の親になっていったよ。
世の中ってなんだか、おかしいね、。
心や命を弄んで
何が若気の至りだよ、
ちゃんと命に責任をもてってんだよ。
その一方であたしはさ、
たくさんの時間をかけて
科学の力を借りて
小さい命を宿すことを
諦めきる努力をしたんだ。
そしてようやく気づいたんだ。
あたしのカラダが
厳重に命を拒み続けた理由をね。
あたしのカラダはさ、
ずっと自分を守ろうとしてたんだよ。
自分が守れなかったあたしをよそに
カラダはずっと孤独に闘い続けてきたんだよ。
小さき命にもなれなでいるあたしの子どもの卵がさ
ずっと自分を大切にする意味を
あたしに教え続けてきたんだよ。
命を宿すのは奇跡って
簡単にいうけど
ほんとうはさ、ものすごい奇跡の連続で
もっともっとすごいことなの。
それでね、
どうかこの先は自分を大事にしなさいと
その卵はあたしに問いかけて
その殻を破ってくれたのでした。
守るよ、そのちいさな命。
守るよ、あたし自身も。今度こそ。必ず。