『子供の頃は』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
子供の頃は無敵で
世界全てが味方で
繋がっていて
いつの頃からか
恥じらいを覚え
今の私になってる
たくさんの夢をみて
たくさん笑って
失ったものもあり
あの時私幸せだったんだなあって
母が連れて行ってくれた図書館
言ってればとりあえず褒められたし
嫌いだった水泳や ピアノ
憧れだった英語 バイオリン バレエ
子供に夢を託す なんかそんな自分に
なるなんて 産む前はわからないよなー
親になると無敵にならざるを得ないのか
人を好きになるって、
とってもステキなことだと思ってた。
すきな人と、おハナシして
いっしょにアソんで、たのしいニチジョウ。
アイテのことばにヨロコんだり、カナしんだり、
そういうニチジョウに憧れていた。
でも現実はそんなにいいモノじゃなかった。
悲しくて辛くて寂しくて、切なくて、
でもほんの少し嬉しくて満たされて、
そんな甘い蜜に依存して。
全く、無知で無垢なあの頃が
今はずっと羨ましい。
【子供の頃は】
子供の頃は。
楽しいことと辛いこととあって、どちらも今に影響を与えている。
楽しいこともあったけど、子供の頃に戻りたいとは思わない。
自分より強い大人や、いろんな人たちに振り回されて精神ボロボロの時期もあったし。正直楽ではなかった。
今もそうだけど、まだ自ら逃げられる力がある。
子供から大人になるまで完全な自由になることはないよ。
人間1人では生きられないから。
まあ仙人みたいな暮らしして、自給自足とかならできなくもないのかもしれないが。特殊事例。
下手に完全なる自由になろうとしすぎると、変な思想にはまってしまって危険かも?
悩みがあったとしてもあくまで、現実に沿った解決策を見出したいね。
子供の頃は
今よりだいぶひょうきんな子どもだった
たぶん小1のときにいじめ…っぽいこと起きてからだんだん内気になっていったのかなぁ…
あいつと出会っていなかったら今の自分の性格はどうなんだろ、ってパラレルワールドを何度も考えちゃう
【子供の頃は】
子供の頃はよく、鬼ごっこやってたね。
自分の方が足が速くてさ。
今度は自分が追いかけるよ。
遠くの街に行ってしまう君を。
子供の頃はね、苦手な野菜を一生懸命食べてたの
早く大きくなって、あなたの隣りに立ちたかったの
04 子供の頃は
よく寝る子供だった。
夏特有の籐のカーペットの上で、母親のリズムよく野菜を切る音を聞きながら、意識をおっことしていた。
そうして、夜ごはんの掛け声に飛び起きてはどうして寝ていたのか不思議に思ったものだ。
いつぞやの夏休みには、飛び起きて時計を見て、丸っと一晩寝てしまったと思ってラジオ体操に駆け出そうとしたこともあった。
(小学生のおさないこどもが読みやすいように、12時間表記のデジタル時計を使っていた。)
いまでも夕方にうとうとするのはその名残なのかもしれない(平日の残業疲れかもしれないけれど)。
カーペットも、もう随分古くなって、端がほつれ始めているけれど、今年も現役で頑張ってほしいと思う。
水拭きを終えたので、覚書とする。
子供の頃は、全くわからなかった。
そうだ。と言われても、そうなの?って思ってた。
けれど、同じ立場。親になって、子育てが大変だ。という意味がわかった。
子供は、ちょっと目を離すとどこかに行っちゃうし、危ないことを理解できてないから、危ないこともする。
親としては、子供優先だから自分の欲しい物は後回しだし、自分がゆっくりできる時間がなかなか取れない。
子供が大きくなっても心配は尽きないけど、それでも、生まれてきてくれたから、親の大変さが少しはわかり、感謝の気持ちが生まれたし、親にしてもらえたから、辛いときも頑張ろうと思える。
子供の頃はわからなかったけど、子供がいることで理解できたことがいろいろです。
育ててくれた親にも、大変さを教えてくれた子供にも感謝です。
子供の頃。僕はおとなしい性格。今もそうだが。あまり思い出したくない記憶。それが子供の頃。
子供の頃
夢を抱くのが好きで、
よく自分が幸せになるのを想像してた
自分が世界の主人公なんだって思ってた
『子供の頃は』
子供の頃は、一年が長かったです。
大人になると一年が早く感じるのは、トキメキが少ないからなんだそうです。一年が早く感じるようになるボーダーラインは19歳くらい、とのこと。
5/23から「良い事メモ」を続けています。
寝る前に、その日にあった良い事を五つ箇条書きするだけの簡単なメモです。
5行日記みたいなものですので、「トキメキ」と、まではいきませんが、今年は少し一年が長く感じられるかもしれないので、続けてみます。
もっとピュアな心で、子供の頃の心をもっていられたら、毎日が輝くのかもしれないですね。
心を取り出して洗えたらいいのになぁ、と、思う土曜日の夕方です。
「もう6月、か。」
最近特に時間が早くなった気がする。
昔はあんなに早く終わって欲しいとか思ってたけど
すぐに進むのもそんないいことでは無いなぁ
聞いた話では大人になると発見が減ることから
時間が早く感じるらしい。
本当のことかは知らない。
でも本当なら、
私の生活が一定だから。なんだろうな。
ちょっと昔みたいにまたキラキラな世界を見てみたい。
「私にもできるかな。」
子供の頃
子供の頃は書きたいものを書いていた。
ただひたすらに。迷いなんてなかった。
荒削りで、ご都合主義で、だけど伸び伸びしていて。
昔の作品を読むのは恥ずかしいけれど、
書く楽しさが伝わってくる。
今はどうだろう。
文章の良し悪しが自分なりに解るようになった。
書きたいこと、表現したいことが増えた。
だから迷いがある。不安がある。
バックスペースを触る回数が格段に増えている。
自分は成長しているのだろうか。
下手になってはいないだろうか。
時々わからなくなる。
だけど一つ言えるのは、
書く世界の広さを知ったということ。
このワクワクが続く限り、きっと前へ進んでいける。
だから今日も僕は机に向かう。
新たな発見への期待と、少しの野心を胸に抱いて。
子供の頃はサッカー選手が夢だった。
ずっとカズさんを追いかけてきた。
40過ぎまでプレイヤーでやってこれたのは周りの人たちのおかげです。
そして今度は周りを支える番だ!
子供の頃は、内気でまわりの人と話せなかったりしてた
今は、少しずつ話せてきて少しは成長したかなと思う。
これからも、自分から話しかけられるように頑張りたい。
子供の頃は覚えていない。ずっと独りで、あるとしたら両親の葬式くらい。
だけど
それよりも私は今の暖かい生活を鮮明に覚えていたいから私は昔の子供の時のことなんて思い出さない。と思う
子供の頃は
沢山「夢」があった。
沢山「好き」があった。
沢山「楽しい」があった。
沢山「未来」があった。
沢山「希望」があった。
でも今じゃ、
沢山「諦め」がある。
沢山「嫌い」がある。
沢山「つまらない」がある。
沢山変えたい「過去」がある。
沢山「絶望」がある。
なんで何時からこうなったんだろうか。
只ひたすらに考えても、
全て『自分の所為』としか、結果がでなかった。
子どもの頃はただ信じるだけで良かった
疑うことなんて知らずに
騙されず騙さず
見聞きするものはすべて真実
だったのに――――
/6/23『子供の頃は』
これは夢だ。
わたしは今、夢の中にいる。
(これが明晰夢ってやつなのかな? だったら今すぐ覚めてほしい。なぜなら――)
何故なら今、わたしは何かに追われているから。
それが何なのかはわからない。
けど、とても怖い。
後ろを振り返って確認したいが、とてもそんな余裕はない。
もつれそうな足を懸命に動かして走る。走る。
(バス停のあるビルを曲がれば少しはまけるだろうか!?)
知らない場所のはずなのに、その先に何があるかを理解していたわたしは、まっすぐ行くと見せかけて角を曲がった。
追いかけてきた何かは目論見通りすごいスピードで直進していった。
(これで一安心)
路地の影から何かが通り過ぎるのを見て息を吐いた。
しかし頭の奥で警鐘が鳴っている。“わたし”ではないわたしが言っている。神視点のわたしが言っている。安心するのは早いと。
それを頭のどこかでわかっているのに、何かをまいて気を抜いた“わたし”は気づかなかった。
何かが過ぎた通りを背にし、路地を通り抜けようと前を向いた時。
“それ”は目の前にいた。
息を呑む。
形は同じだが先程と別の個体だと何故かわかった。
だが危機的状況は同じ。
(やばい!起きろ!起きろ!)
体が硬直する。動けない。
目の前の影のかたまりのような真っ黒い何かは、大きな口を開けてわたしを飲みこんだ。
夢から覚めたのは、飲み込まれる瞬間。
目覚めた私は、怖い夢を見た記憶しかない。
起こした体にパジャマが貼り付いている。
(私はなにから逃げていた――?)
/05/30『ただ、必死に走る私。何かから逃げるように。』
「子供の頃は」
これが全ての世界だった
小さな家族 小さな家
一つの学校 一つの町
小さな自分 狭い友達
なんだ大人になってもたいしてかわらん
何かもが全てキラキラして見えて大好きだった
友達との遊びも学校の勉強も自分にくれる言葉も疑うこともせず
それがどれだけ幸せだったのか、だから魔女宅急便の曲は大好きなんです
小さい頃は神様がいて不思議に夢を叶えてくれた
やさしい気持ちで目覚めた朝は
大人になっても奇蹟は起こるよ
(やさしさに包まれたなら)
子供の頃と変わらないのは少し夢を見てることかもしれないですね