『子供の頃は』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
子供の頃は とても幸せだった
何不自由なく愛され、自分にとってありふれた生活だった。
だがそれは世間的に見れば、常識からも希望からも外れきった、異常な形だったのかもしれない。
#子どもの頃は
子どもの頃は、虫を捕まえたり川で遊んだり、友達と他愛のない話をした、時には、意味のわからない遊びや、話、子どもの柔らかい頭で考えた遊びが大人になってからは理解ができなくなり
話すことも、遊ぶことも無くなった。
子どもの頃のように無邪気に走り回っていたあの日が懐かしい
大人になった今、子どもの頃を思い出しながら過ごす日々
それはそれで幸せな事だ。
子供の頃は楽しかった。
春は野原を走った。毎日毎日、よくもまぁ飽きずにやったものだ。つくしやたんぽぽ、桜。蝶々、鉢。暖かな春の風。兎に角心地好かった。
夏はまず梅雨が来た。梅雨が来ると野原を走れない。だけど、梅雨には梅雨の楽しさがあった。傘に雨粒が当たる音、水溜まりと靴がぶつかる音。。蛙に蝸牛。梅雨がシーズン真っ盛りの紫陽花。雨音が好きだった。
夏が本番になった。夏といえば夏休み。クラスの皆とは少しお別れ。沢山持ち物があって大変だった。
夏はおばあちゃん家に遊びに行く。おばあちゃん家には畑があって、季節に合ったものを植えるので、毎年スイカをくれた。おばあちゃん家はうちより更に田舎だったから、カブト虫もクワガタも、セミも。沢山虫が居た。夜中におじいちゃん、お父さん、お兄ちゃん、俺で懐中電灯構えて虫取りに行くのが楽しみだった。
秋は少し寒くなって、山も色付いた。どうやらイチョウが沢山生えているらしくて、銀杏の匂いが少し臭かったけど綺麗で好きだった。
秋は毎年ストーブの上で焼き芋を焼いて食べた。お母さんに「どのくらいで焼ける?」と何度も聞いた。平和な秋が、好きだった。
冬は本格的に寒くなって、雪かきをしたり雪だるまを作ったり、ソリで山から滑ったりした。怖がる僕をお姉ちゃんが無理矢理乗せて滑ったソリが俺の初めてだったけど、凄く楽しかった。山の前にあるデカイ公園には、沢山雪像が作られた。夜の石像は蝋燭が置かれていて綺麗だった。寒いけど凄く楽しかった。
楽しかったな、何も考えず、ただただ駆け回るのは。
楽しかったな。
「子供の頃は」
波がひたひたと脚を濡らしている、輪郭のないひかりがとろとろと溶けだす、わたし、あのとききみとの思い出が永遠でないことを恐れてた、わたし、きみを冷たいとこに沈めるためにここにきた
地面が近かった
タンポポをよく見てた
ダンゴムシを手に乗せて
ツツジの蜜を吸った
今では見えなくなってしまったものを
彼女は目を輝かせて見ていた。
『子供の頃は』
#子供の頃は
大人はもっとかっこいいものだと思ってた。
全部正しくて、間違いなんかない。
知らないことなんかないと思ってた。
もっと世界を知っているものだと思ってた。
こんなに子供のまま大人になってしまった。
お題︰子供の頃は
ずーっと子供ですから「子供の頃は」なんて懐かしむものありませんよ。「子供の頃はああだったなぁ」「そりゃ子供の頃はね」なんて、まるで「大人になった」と言っているみたいで言えません。自信がないですから。ただ年だけを重ねた。子供のまま。現在進行系、子供。
子供の頃はこの先のことなんて考えなくても良かったのにね
【子供の頃は】
我儘を言っても我儘だと認識していなかった
助けを求めても誰かが
聞いてくれるものだと信じて疑わなかった
謝ったら許してくれる世界だと思っていた
そんな過去の感情は
いつの間にか消えていて
消えた今は大人だと胸張って言える
大人になったら
助けてなんて言えなくなる
子供の頃が愛おしいと思う日々
子供の頃に戻りたいと思う日々
でも戻れない現実に
僕は子供の頃の僕に恋をした
きっと永遠に忘れられない恋だ
子供の頃は
子供の頃で
子供心に
不思議だった
いまが大人だとしても
不思議だけど
子供の頃にもよく解らなかった
なんでなのか
いまなら多少説明出来るかもしれない
でも子供の頃に正確ではない
よく解らないまま
対峙していた
未来に無関心だったし
なりたいもの
なれるものにも興味が無かった
終わらせたらそれだけで
あとは関係あるとは思わなかった
必要な時には勝手に寄ってきて
私とは無関係なのに巻き込まれてた
拒絶することもなく
ただそうするべくしてそうして
ただ無関心に付き合ってた
同じ様なことが繰り返されていた
真似をしてみても
嘘をついても
奪っても
何も得られなかった
なんとも思わなかった
周りが誇るものは
私には無価値だった
『思い』
子供の頃は無邪気でいられた。
どれだけ人が必死に生きていて
私たち子供を育てて居たか、
子供の頃は知らなかった。
この世の愚かさも、人間の汚さも。
ただ純粋に、目を通して色々な見たことのない情報を取り入れることに必死だったあの頃に比べて、
随分と醜く、汚くなってしまった。
そして、そんな風に子供の頃を思い出している記憶でさえ、汚れていることにも気が付いている。
子供の頃は純粋だった。
ただ、ただ今を生き、将来を考えることもなく
幸せに生きた過去。目の前で起こる新鮮な物事に興味を引かれたあの日。突然沸いてくる疑問、初めて見るもの。
ただ純粋にモノやコトを見ていたからこそ見えた
この世の者でないモノ。
子供の頃はよかった。
だけどもう子供の頃には戻れない。
今はもう、昔に思いを馳せるだけ。
お題:《子供の頃は》
~子供の頃は~
大きくなったら
字が綺麗に書けるようになって
いろんなことを出来るようになって
頼れる大人という存在になるもんだ
と思ってた
でも、いまなら分かる
みんな頑張って大人をやってたんだなって
子供の頃は…
よく一人で遊んでいた。一人で遊ぶのが好きな子だった。
父はいなくて、母はずっと働いていた。
お母さん遊ぼう?と言っても、後でねと言われるだけだった。
子供の頃の私は…
その後でがいつ来るのか分からず
数分程度でまだ?とよく聞いていた
そしてよく叱られた。後でって言ったでしょ!…と。
私は孤独な幼少期を過ごした。
そのせいか友達を作るのが苦手な子になった。
家でも、保育所でも一人で遊ぶようになった。
母には遊ぼうと徐々に言わなくなった。
それは小学校に上がっても変わらなかった。
大人しい性格だったせいもあり、入学早々いじめにあった。
他人とどう関わってどう仲良くなれば良いのか分からなかった。
いじめにあって以来、より一層性格は大人しくなった。
学年が変わるごとにいじめや仲間はずれが当たり前になっていった。
結局私は一人になった。どこに行っても一人だった。
そうして時は経ち…社会人になった今もたくさん裏切られ、騙され、嘘をつかれ…
人間関係に嫌気がさして疲れきった私は職場以外の人間関係を断った。
今は職場と母とネットの中の関わりとメンクリの医者含めた関係者のみだ。
私はどこで何を間違ったんだろう…生まれてきたこと自体間違いだったのだろうか…
何が正解だったのだろう…こんなはずじゃなかったな…
子どもの頃は
子どもの頃は…吃音の為に、引越込み事案で人と接することが怖く、名前すらまともに遺跡言えずに…そ、してせっかちと言う色々面倒くさい奴だった。
子供の頃は
はやく大人になりたかった
芋くさい小学生中学生をやって、
高校も適当にやりすごして、社会人になった
やっと大人になって、仕事をして、大人の遊びを散々した
そしたら、子供の頃がどれだけ貴重な時間だったか知った
幸せのピークだったことも...
なにも遊具らしいものがなくても、いくらでも遊べて
好奇心も、体力だって、いくらでもあった
損得勘定なしで、友達をつくれた
その年頃特有の悩みもあったんだろうけど、
そんなの忘れた
そんなことより、また子供の頃に戻ってみたい
まだ30歳なのに、もう30歳でもある
人生の1/3は過ぎ去ってしまった
また本を読みたい
しぬほど絵を描きたい
子供の頃は
きっと今より世界が輝いて見えていたのだろう。
自分が知らないだけで世界は素晴らしいもので満ち溢れれていて、大人になった自分はそこにいるのだろうと。
何にも知らない子供だったから当たり前のようにそう思っていた。
少しだけ大人に近づき、現実は自分が夢見ていたような綺麗なものだけではないことを知った。
けれど、殻に閉じこもるばかりでは自分はいつまでも子供のままで成長なんてできない。
何の夢もない自分を変えようと思った
夢を見るだけでなく叶えられるようになりたいと思った
やる前から諦めるのはもうやめだ
「子供の頃は『ガラケーすら有りませんでした』なら『時代背景』、子供の頃は『内気な性格でした』なら『人物描写』。他にどんな切り口があるかねぇ」
これ、今現在「子供の頃」のユーザーって何書くんだろうな。某所在住物書きはスマホの画面を見ながら、首を小さく傾けて、思慮に唇を尖らせた。
「時代と、人物と、なんだ、バチクソ難しいぞ……」
俺の頭が単に固いだけかな。物書きはガリガリ首筋を掻き、長考に天井を見上げて……
「むり。全然思い浮かばねぇ」
――――――
最近最近の都内某所。ひとりの女性が、職場の先輩のアパートの、玄関越えてリビングに至るドアの前で、ため息を吐き、ややあきれ気味の虚無な表情で、立ち尽くしている。
「良い加減『人』を見ろ脳科学厨!」
「私に命令をするなPFCガタガタの脳筋め!」
「『蛋脂炭(Protein・Fat・Carbohydrate)』ガタガタの低糖質主義はお前の方だろう!」
「『前頭前野(PreFrontal Cortex)』だ!誰が今栄養バランスのハナシなどするか!」
眼の前で繰り広げられているのは、部屋の主たる先輩と、その先輩の親友たる隣部署の主任の大喧嘩。
力量と体格、いわば剛の技でぶつかってくる主任と、主任の勢いと重心を利用して柔の投げ崩しを仕掛ける先輩の、双方子供の頃はこういうじゃれ合いしてたんだろうなと想像に難くない「何か」。
防音防振対策の徹底された、このアパートならではのアクティビティである。
ポコロポコロポコロ。
掃除を日課とする綺麗好きの先輩の部屋にもかかわらず、まるでカートゥーンかアニメーション作品のデフォルメ演出のごとく、
ふたりの周囲だけ都合良くホコリの煙幕が舞い、パーカッションを連打する効果音が聞こえる心地がする。
何故であろう。 フィクションだからである。
アクションシーンの不得意な物書きが「子供の頃は」の題目で「子供の頃はよく喧嘩してた」程度しか閃かなかったゆえの、ごまかしである。
ひとまずポカポカさせておけば喧嘩っぽくなる。
細かいことを気にしてはいけない。
「せんぱーい……」
何故主任が先輩の部屋に来ているかは知らないが、後輩たる彼女としては、先輩との先約があった。
来週月曜から手をつける予定の、仕事の打ち合わせである。それを名目とした先輩宅での晩餐会である。
「あのー、打ち合わせ、どうすんのー……」
低糖質低塩分、高食物繊維に定評のある先輩の料理は、滋味深く、食うに罪悪感が無い。
よってよくよく腹を空かせ、準備空腹万端整えて、先輩のアパートを訪ね、部屋に来たのだが。
見よ。肝心の先輩は子供と子供の大乱闘中である。
人間嫌いの寂しがり屋で、人間の心より人間の脳の傾向を信じる先輩に、なんやかんやあって主任が「心を見ろ」と一喝したか。
有り得るだろう。
主任と長い長い付き合いの、雪国の田舎出身である先輩が、今年の今回に限って、実家から大量に届いた季節の恵みを主任にお裾分けし忘れたか。
こちらの方が自然であろう。
それとも、ちょこちょこ先輩の部屋を訪れているであろう主任が、先輩の部屋の冷蔵庫にプリンを置き去りにして、それを先輩が食ってしまったか。
それは確実に修羅場であろう。
真相は推して知るのみである。
「せんぱい……」
ねぇ。先輩。「晩餐会(うちあわせ)」。
後輩たる彼女は腹をぐぅと鳴らし、5分10分、ホコリの舞うのが収まるまで、己の先輩とその親友との子供対子供の如きポカポカを見続けた。
喧嘩の理由は「子供の頃は」の題目に相応しく、双方覚えておらず、ひとしきり暴れ倒してスッキリした後はケロッと元通りの仲良しに戻ったという。
おしまい、おしまい。
子供の頃は、ひたすら苦しかったことを覚えている。
喉元を過ぎてしまったので、
何で苦しかったのか、どうやって脱却したのか思い出せないけど。
覚えていない方がいい事もあるので、
わざわざ振り返る気も、
思い出そうとする気もない。
苦しかった中にあった楽しい事だけ、
思い出せればそれで良い。
なんて、完全に忘れ去る事が出来たら、どんなに良かっただろうね。
ふとした時に思い出す“それ”のせいで、
何度叫びたくなったことだろう。
早く大人になりたいだなんて思ったことなどなかった。
理不尽に怒られることも、力では敵わないことも、夢は夢でしかないのだと、両手に抱えてきた大事なものを取り上げることも。大人は勝手だと、そんな汚い大人になんてなりたくないと、そう思いながら大人になってしまった。
自分なりに真っ直ぐ生きてきたつもりだ。いつかなりたくなくても大人になってしまった時、子どもの頃の自分に胸を張っていたいなと思いながら。それでもえらい大人にはなれなくて。情けないちっぽけな大人になってしまったよ。だから子どもの頃の自分には期待に応えられなくてごめんねって謝ることしか出来ないよ。
ねぇ、ごめんね。こんな大人にしかなれなくて。死にたがりの大人の自分は今日も子どもの頃の自分に縋りながら懺悔する。
情けない大人。でも子どもの頃の自分が好きな物、ちゃんと覚えているよ。それだけは握りしめてここまで来たよ。これからもきっと無くさないでいるから。だから預けていてよ。
きっとそれだけでいいよ。
子どもの頃の記憶が不確かだなと、宮崎江理はデスクに、両肘を着き、指を組み、そこに顎を乗せ、なんとはなしに考えていた。
四橋出版時事録編集部。そこで彼女はカメラマンをしている