『好き嫌い』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
好き、嫌い、好き、嫌い
友だちが花占いをしている。花びらを一枚ずつちぎって、最後の一枚がどちらになるかで決まるやつ。
このままだと「嫌い」で終わってしまうと気が付くが、まあいいか。
にんじんが、好きか嫌いかを確かめてるだけのようだから。
好き嫌い
あの人の細い目で笑う笑顔が好き
でもあの人のチクチクした無精髭が嫌い
あの人とお互いに背中に手を回して
ギュっとするハグが好き
でも感情が溢れだしてしまって
力加減できなくなる痛いハグが嫌い
少し焦げしまったお菓子のように
甘いのだけどどこか少し苦味がある
でもいつか甘さが増して
苦みもきっと甘くなる
好き嫌い
は存在する。人間であればあるほど私はその人のことが嫌いなのかもしれない。笑
やっぱり賢い人が好きな理由っていうのは、賢くないと理解できないほど難しい存在だからということだ。
つまり仏陀が説くお経と同じだ。
——-
今日は、小学生の時の友達と会ってきた。
気さくに話せると言うかなぜか安心感がある友達。友達ってこうだなって思う感覚にしっかり当てはまる。利害関係ないのが1番良いよね。
最近カフェで飲むコーヒーも良いなと思うから、
少し前に誘おうと思ってたお友達になれそうな子のとこに行って、カフェしてこようかな😌☕️
———
私の気持ちは、好き嫌い程はっきりしない。それで良いんだろうとは思う。けど、好くないとも思う。だって、その裏にはどうでもいいが含まれているから。
好きな言葉はなんですか?
嫌いな言葉はなんですか?
好きな色は何色ですか?
嫌いな色は何色ですか?
私のどこがすきですか?
嫌いなところはありますか?
好きと嫌いは背中合わせ
両方あるから
人間っておもしろい
両方が合わさって
個性が生まれる
小さい子のふわふわしたスキキライは可愛い
誰かを傷付ける強さもなく
誰かを否定する弱さもない
ずっとそんな風でいたかった
大人になって、苦いものが食べられるようになった。
大人になって、辛いものが食べられるようになった。
子どもの頃に食べられなかったものが食べられるようになるのって、味覚が変化するかららしいね。
なんて、お酒を片手にかつて苦手だったものを食べる。
楽しいね、大人。
好き嫌いが無くなることって、「大人」を存分に噛み締められることだと思うんだよなぁ。
…うん、美味い。
好き嫌い
舌がこえてくると昔のものは食べられなくなると言う。それは感覚が磨かれてきたと言うことかもしれない。歳をとると食べ物に一層こだわりを持つようになる。昔は好んで食べたものでも、今は食べられなくなっていることもある。これは舌の感覚が日々上達している証拠だろう。だからと言って必ずしも高価な食品ばかり食べる訳ではない。地元の食材や季節にあった食べ物も素晴らしい味わい持っていることが多い。年齢を重ねることによって本当に美味しいものが分かるようになる。舌がこえたからこそ、新しい味わいを探し求め、今まで知らなかった料理に舌鼓をうつことが出来る。食への探究心は食生活を充実させ、人生を楽しいものにしてくれる。
ニンジンはキライ。
リンゴは大好き。
干し草はキライ。
青草、クローバー大好き。
キャベツ、好き。
なんかツブツブしたやつ、好き。
えん麦とかヘイキューブ……、リンゴと一緒なら許す。
お水は常温で、夏は氷を入れてね。
扇風機の強めの風、す〜〜〜き〜〜〜ぃ〜〜。
食後の運動、大っ嫌い。
食後のお昼寝、だいすき。
テーマ「好き嫌い」
#34「好き嫌い」
好き、嫌い、好き、嫌い
花によって答えのわかってる花占い
どんな願いを乗せていただろう
好きな人ができること?
いじめてくる親のこと?
友達のこと?
最後の花占い、どんな内容で
どんな結果だったっけ
好きか?嫌いか?
君の心に聞いてみなよ
素直になれば簡単さぁ…
なんてねぇ…
なんてそう言ってみてもさぁ…
俺…素直が足らんなぁ…
いい歳して照れるからなぁ…
先月いつかの雨の坂道の途中でバッタリ…
坂の上から傘を持ち首を傾げながら…
気持ち覗き込むから心秒殺され…
ただ…
可愛いくて…
可愛いくて…
ただ…
照れくさくて…
照れくさくて…
俺は…ニヒルな顔して坂を上がった…
嫌いなわけないでしょ…
素直でなくて
ごめんよ…
いつも想ってる…
ミーチャンだけ…
ねぇ…キスしよ…
あしたも
坂道の途中で会えますように!!
桃色のシャツのミーチャンに会えますように!!
野菜はだいたい食べられる。
昔は嫌いな物もあったけど、
大人になって美味しいと思えるようになった。
ゴーヤの苦味も、玉ねぎの辛味も、
アボカドのクリーミーさや、
ふかしたじゃがいもの粉っぽいところも。
今一番よく食べるのは、ブロッコリー。
栄養豊富でダイエットの味方と知ってからは特に。
1週間に2〜3回は食卓に出す。
レンチンで食べられるし、サラダとしてはもちろん、
グラタンやシチューの具材としても使える、万能野菜。
でも子供達は、あんまり好きじゃない。
茹でても蒸しても焼いても消えない独特な味と、
ふさふさ小さい木のような見た目も苦手なんだって。
だけと、栄養バランスや彩りを考え、
マヨネーズもたっぷり用意して、
今日も、食卓に出します。
「またブロッコリー!?」はぁー…。
次女の、文句の後の大きなため息。
「文句言わない。すごく体にいいんだから、ちゃんと食べてちょうだいね。」
軽く諭してから、次女に背を向けフッと笑う。
これは、絶対に言えない。
子供の頃に、ブロッコリーが大っ嫌いだったなんて、ね。
ひとと感情を共有するなら好きなものより嫌いなものの方がいいね。
だって好きの共有は難しいもの。
好き嫌いは
誰にでもあるしあって当たり前のもの
食べ物で
『好き嫌いは行けません』って
子どもの頃はよく言われてきたけど
今考えると
あってもいいんじゃないかなと思うの
確かに健康のためには
バランスのとれた食事は必要だけれど
味や見た目、食感
五感を使って楽しむのも食事
その中で好き嫌いが出てくるのは当たり前
子どもじゃなくても
好き嫌いはあるし
嫌な思いをして食べるより
食べたいという気持ちが大切
好き、嫌い、好き、嫌い……
一枚一枚の花びらを地面に落としていく。
好き、嫌い、好き、嫌い……
神様は私にどっちの選択を与えるの?
大好きなあの人のことを思い浮かべながら、花弁を取っていく。
そして、出た結果は。
……す、き。
――本当かよぉ。
なんて頭で思いながらも、花占いの結果に、何だか嬉しさが込み上げていた。
〜好き嫌い〜
どうしてあんなに好き嫌いしていたんだろうな。
歳を重ねるごとに、大丈夫になるものが増えていく。
むしろ、大好きになるものだってある。
そして最終的に、
「好き嫌い」は無くなる。
残ったものは、「好き嫌い」ではないのだ。
本当に、嫌いなもの。苦手なもの。
さあ。どう向き合っていこうか。
#好き嫌い
『好き嫌い』
確か三歳かそんな頃、母親に食事の時に「好き嫌いしては駄目でしょう」と言われた記憶がある。
今となってはとても懐かしい言葉だ。
食べ物の好き嫌い。
その頃、何を食べていたのか、今は記憶にない。
地球の温暖化がどんどん進み、人口は減らずむかし口に出来た物は、今では何一つない。
太陽フレアから守る為、人々は決まった地区で暮らし、そこには大きなドームが高い所にある。
この幾重にもなっているドームの中は放射能から守られ、空調設備のおかげでみんな暮らしていける。
やはり、その方が住みやすいのか、朝になるとドームは青空を映し雲が流れていく。夕方になると空は夕焼けに染まりだんだん暗くなり星まで見える。
食べ物はプレートに入れられ銀色のシールで塞がれている。衛生的な工場で作られ、食べるまで雑菌が入る余地はない。
みんなでテーブルにつき、いただきます、と言いシールを開ける。
それぞれ隅にちゃんと名前が印字されている。
政府によって国民すべてが管理されている。年齢、性別、身長、体重、体内の脂肪、骨密度など細かくデータ化され、一日の消費カロリー、病歴などから最適な食事が各自配られるのだ。
プレートの中はいくつかに仕切られ、緑色のペースト、赤っぽいペースト、黄色のペースト、白いペースト、など家族でも少しずつみんな違う。量はとても少ない。スプーンですくって口に入れた途端なくなる。
でも、満腹感を得られる物質が入っているのでお腹は一杯になる。
食べ終わったプレートは各町にある回収ボックスに入れてくる。
それらは溶かして、また新しいきれいなプレートになるらしい。
特別な技能がない場合、働いている人の大半は、このペーストに関わる何らかの仕事をしている。
工場の中でペーストをプレートに詰め、シールし個人名の印字までは全て無人の完全機械化の工場で作られる。その工場はあちこち無数にある。
人々はプレートを作る仕事だったり、納品する仕事だったり、工場の部品の交換時期のチェックだったり。あとは夕方、各家庭に特別なボックスに、一日の家族分の食事が入った物を玄関前に配っていく仕事の人もいる。
ペーストを作るのは、政府に関係のある人達だけと決められていた。
今は一日に朝と夜にこのプレートに入ったペーストを食べる。
食べる物は、他には何もない。
毎日毎日、同じ味のペーストを食べるのだ。食べなければ死んでしまう。だから食べるだけ。
年配の人の中には、むかしの食べ物が載ってる紙の本を持ってる人がいる。見せてもらったが、今と全然違う。
大きな器に細いひものようなものが色のついたお湯に入っている。
上にはいろんな形や色のものが乗っている。ラーメン、と言うそうだ。
他にも見せてもらったが、色がとにかくすごい。どぎついのだ。
黄色い楕円形の物を器にのせ、そこに真っ赤な物がかかっている。
見ているだけで、毒々しくて怖くなる。しかし、年配の人達は、訳の分からない会話をよくしている。
「私はオムライスが大好きだったよ」「私はパスタね」「俺はビールを飲みながらギョーザを食べるのが最高だったな」「シメのラーメンがまたうまいんだ」「新鮮な寿司はうまかったな」
その頃は、食べすぎて病気の人がいたが、今は管理された食事のおかけでそういう病気の人はいない。
みんな同じような体つきをしている。
私などは、むかしの食事の覚えがない為、年配の人のように違うものを食べたい、と思った事などない。
それは、違う水が飲みたい、というのと同じだ。
喉が乾けば、合成された水が飲める。水に種類はない。喉の乾きを癒やすため飲む。
食事もそれと同じだ。
むかし、いろいろな物があり、いろんな物を食べていたという年配の人は気の毒なのかもしれない。
その点、自分たちは当たり前にこれを食べるので幸せなのかもしれない。
昔あった、好き嫌い、という物は、いろんな食べ物があったから起こったのだ。今はいい時代だ。
花びらを 千切る端から数えゆき
最後はまとめて「好き」にする 嘘
#短歌 #書く習慣 20230612「好き嫌い」
#好き嫌い
好きなものはぱっと浮かんで書けたり話せたりする。
嫌いなものは浮かんでも何となくすぐ言葉にしたくない。もしかしたらこれから好きになるものかもしれない。
これから好きになる人かもしれない。
好きになってから笑いながらほんとは嫌いだったって言えるぐらいが素敵じゃない?
嫌いかもってなっても言葉にしない。
秘密にしとく。秘密が多い方が魅力的なんだって。
でも、きっと、
嫌いなものがあるから
好きになるものがある。
生野菜と和菓子のほとんどが苦手
会食はだいたい苦行
せっかく貰ったおみやげを食べられないことも多い
人の嫌な部分ばかりが目について
減点方式でどんどん嫌いになってしまう
そういう自分も人格者には程遠いのに
この好き嫌いはなくしたいと、頭では思う
思うだけで、なくならない