『善悪』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
善悪の現れる度合いは対峙した相手によるような気がする。
誰もがその信念を持って生きてる訳じゃない
正義だろうと悪だろうと
どっちでも良く生きてる人は多い
大人になってから知った
だったらどうして学生の時の私たちは叱られたの?
善悪
僕には善と悪の区別がどうしても出来ない
その人にとっては善ある行動だったとしても他の人にとっては悪意ある行動になってしまうのに…
善悪があるならもう何もかも消えて無くなってしまえばいいのに…
『善悪』
気まぐれに蜘蛛を助けた悪人が地獄に堕ちたとき、善神は気まぐれに救いの手を差し伸べた。かぼそい蜘蛛の糸に群れた亡者を蹴落としてしまったがために悪人は善神から見放され、地獄に舞い戻る羽目になった。
悪人は亡者たちと話し合う。
「あの仏様ほんとに俺を助ける気があったんだろうか」
「亡者が群がるのが想定の範囲外とは考えにくいな」
「いろんな力を持ってる仏様が見積もり悪いとかちょっとがっかりだよな」
チラとかつて蜘蛛の糸が降りてきていた箇所を見つめてみるが特段変わりない。揃ってため息を吐く悪人たち。
しかしその日の地獄のおつとめは獄卒たちが少しだけ手を緩めてくれていた気がする、とのちに悪人は述懐した。
韓国ドラマの見過ぎかな。。
法律の勉強して検事や弁護士になるか
裁判官になってみたいと思ったことがある
一般人の”善悪”の判断は
ただもどかしいだけで何の力もない
反社会的かもしれないけれど
Death note があったらな。。。
呪縛に囚われず
ただ苦しむ人を助けたい
『善悪』
善悪の区別は赤ちゃんもするそうです。
勧善懲悪のストーリーも、幼い頃から身近にあります。
でも悪はなくなりません。
善とは?悪とは?正義とは?
誰もが惻隠の心を持てるわけではないのでしょうね。
善が特別な存在なのか、悪が逸脱した存在なのか、善悪の区別もまた人それぞれなのかもしれません。
「まだ外せないのか。」
「ああ、たぶん一生な。」
黒ではない。しかし白であると言いきれない。
薬指の誓いに縛られているのは自分だけなのか。
そうだとしたらそれはとても悲しいし何より癪だ。
「そうかい。なら一生待つまでだ。」
「待て、なんか出来ないだろ。あんたは。」
「はは、良くわかってら。」
「最低の奴だな。」
「お前さんもな。」
最低な人間には最低な人間がお似合いか。
そうだな。少なくともこの屑野郎と一緒に過ごす時間はとても気が楽だし空いた何かを塞いでくれる。
子供にだって理解できるくらいの善悪の
悪の方に染まってしまった体はもう戻れない。
「いざとなったら全部俺のせいにすればいいんだよ。
こいつに唆されたってな。なあ、俺って善い奴だろ?」
「そんなわけにいかない。俺もお前も同罪だ。」
「優しいじゃねえの。しかしな。」
理解のあるふりをするな。お前の中に善性を見付けたくないんだ。
「お前と俺と同罪なわけがあるか。」
知ってるさ。
善悪
私には善悪が分からない
いい文を作ろうと取り繕った心情では無い
私のガチの悩みだ
人の陰口を言う青年がいる
これは悪と言えなくもない
だが彼の毒舌は時に人を笑顔にする
これを私は彼のいい所と考える
性格の悪い青年がいる
これは悪といえなくもない
だが頭がキレて頼りになる
これを私は彼のいい所と考える
面食いの少女がいる
これは悪といえなくもない
だが素直で綺麗な心を持っている
これを私は彼女のいい所と考える
私はいっその事
「自分に都合が悪ければ悪」と
考えようとしたがいい所を知っている今
罪悪感が募るばかりなのだ
どう善悪を決めればいいのだろうか?
うん、いやマジでわからんのよこれが
どうしよーーー!!!
善悪…
場合によってはどちらにもなるもの
表面上では善悪の見極めは難しい…
善は人それぞれあると思うけど
悪は裏で自分の欲の為に人をあやつり
本人だけが利益を得る行為…
一択だと最近思った
子供のウソなんてかわいいもんだ
表面上優しそうな大人ほど恐ろしいものはない
善悪の判断が出来るかはとても重要だと思う
ただその判断は意外に難しいもので
例えば本人からしたら「正義」と言える善意の行動をしても他の人から見たら悪意のある行動だと口出しされることもある
お互いの「正義」がぶつかり合うことだってある
それも本人達は自分の意見が「正しい」と思っているからできることで
どちらかの意見を全うに否定することは難しいことだ
でも人が生きて行く上で意見を実現させる必要があるかもしれない
大事なのは「お互いの立場になること」
自分の意見ばかり突き通すのではなく相手の状況や立場で考えれば
自分の意見や相手の意見のメリットやデメリットが出てくるはずだ
善悪の判断は人それぞれ違うからこそ
独自の視点で考えるとより面白い
善悪がわからないほどバカじゃない。
今さらなことだし、俺が楽になりたいだけだってことも、キミを戸惑わせるだけだってこともわかってる。
わかってるけど、だけど言わせてほしい。
キミのことが好きだった。って。
そしたら俺は、幸せそうに笑うキミの幸せを、心から願えるはずだから。
優しいあなたが心から笑って息ができる世界を作りたかった。それだけなのに、どうしてこうなってしまったんだろうか。
肩を震わせて泣くあなたを見ている。小さな嗚咽はいつしか号哭に変わって、涙に濡れた瞳が私を睨みつけた。
「どうして、」
私を責める言葉に私は何も言い返せない。選択を間違えた。善悪が簡単にひっくり返るこの世界で私の選択は最悪の結末を生んでしまった。
どうして、なんて私が知りたかった。
ただひとつ確かにわかるのは私とあなたの友情はもう永遠に交わらないこと、それだけだった。
善悪は立場によって変わるもの
ニーチェがまさにそうだが
それは結論ではなく前提だと思う
人によるとか人それぞれとか
否定してはいけない押し付けてはいけないとか
道徳的な人間になる為の呪文に疲れた
均一的なものよりも偏ったものに惹かれる
どうしても持ってしまう人間の偏りを
自覚して引き受けている人に魅力を感じる
善悪などの超自我的なものよりも
好き嫌いという手前の価値観で感情を動かしたい
善悪の彼岸ではなく目の前の価値観で
【善悪】
とある物語の勇者がやったことは悪い国の王を倒した。その勇者は世界中から称えられ、宝石やお金を沢山貰った。
一方その頃のある悪い国では王の葬式が開かれていた。王には大切な家族が居た。国民皆が。王が亡くなってしまったことに涙していた。
この物語は誰が「善」であり、他の誰かからは「悪」とされているだろう。
この物語の結末は誰もわかりません。
君のこととなると、僕はすぐ空回りする。
行動一つ一つの善悪が分からなくなる。
現に今、なぜ僕は君を泣かせてしまっているんだろう。
悲しませたくなんか、ないのに。
でも君の涙は綺麗だと思ってしまう。
だから泣き顔を見るのも悪くないな、と可笑しな発想にいきついてしまう。
君のことをどこまでも求めると、時にこうして君を傷つけてしまうことがある。
それでも君は僕を否定しないから、僕はあいも変わらず暴走してしまう。
分かってほしい、総ては君のためなんだ。
傷つけたり怖がらせたいわけじゃない。
不器用で、ごめん。
これだけは信じてほしい。
君への想いはいつでも変わらないこと。
いつかは君を何もかもから守れるようになってみせるから。
だからどうか、こんな僕を受け入れて。
善、彼は優しい。みんな彼が好き。重たいのは持ち、人が困っていたら助ける。
悪、彼は悪い。みんな彼を嫌う。すぐに切れるしすぐに殴る。暴力なんて当たり前。
私は悪が好き。中学生特有の悪いやつが好きって感情ではなく彼の本当の姿だから。
善は好かれる親からも。
悪は嫌われる親からも。
生きてて得するのは善。
彼の本当のすがたは悪。
私は本当の彼が好き。
善悪という真反対の彼。
世間の中で真反対の私。
恋では無い、、、と言いたい。
善悪
親鸞上人が説いた「悪人正機」の
“悪”とは、仏法上の悪事です。
要するに、悪食帯妻の事で、
出家したものが生臭(獣の肉、魚)を
食らい、女人を娶(めと)る事でしょう。
今の刑法判とは違うでしょう。
「善人なおもて往生を研ぐ
悪人おや?」
上人自体、悪食妻帯で仏法上の悪人だったのでしょう。
酒は飲んでたのでしょうか?
高野山真言宗は、般若湯(はんにゃとう)と言って、僧侶が酒を飲んでいたらしです。
山の魚の山女魚(ヤマメ)は食わなかったみたいです。
女人禁制だけでなく女と付く物は何でも禁止だったのでしょう。
女魚禁制!
無人島に一冊本を持って行くなら
まだ、歎異抄(浄土真宗の聖典)より
エロ本を持って行きたい!
「善人勃起」の 徳博 🤭
通算99作目
♡もっと読みたい♡1131♡記念号
―――曰く、髪には不思議な力が宿るといいます。
特に長い髪は、遥か昔から目に見えぬ霊力の様な宿ると信じられております。
それ故、その手の職を担う者は髪を長く伸ばしている者もいるのです。
また、幼い頃から言い聞かされて伸ばしていた髪が身代わりとなり、幼少時から目をつけられていた魑魅魍魎から守ってくれた、などという逸話もあります。
更にいうと、古より呪術の類で毛髪が用いられる事例は、枚挙にいとまがありません。
このように髪には力が宿り、古今東西なんであれ力にはあらゆるモノが惹きつけられるのです。
それこそ、善いモノも悪いモノも関係なく。
善いモノであればよいですが、悪いモノだと知らぬ内に宿主に降り掛かることがあります。
ところで『魔が差す』という言葉をご存知でしょうか。
『魔』の文字通り『悪魔』が囁き唆し、それに抗えぬ人は出来心で罪を犯してしまうのです。
そしてその『魔』もまた、力が宿った髪に惹きつけられて近寄ってきます。
『魔』を払うためには髪を切る、または髪を整えることが大切です。
整えられた髪は善の状態となります。
悪いモノは近寄り難く、逆に善いモノがより集まりやすくなり、それらが幸運を授けることもあります。
最近、嫌なことが続いたりツイてないと思ったら『魔』が寄ってきている可能性があります。
先程のような兆候を感じたら是非、当美容院のスタッフにご相談ください。
専門の美容師が、お客様の髪を善の状態へと導きます。
「投函されたチラシより抜粋」
⊕善と悪
【善】あなたが 私にとって 心の拠り所で
【悪】逢瀬を重ねてはいけない人だということ
#善悪
善悪は人にあらず自らの心にあり
(現代語訳)
相手が善人であるか悪人であるかは、相手がどうこういうのではなく、自分の心次第で善人でも悪人にもなる