『善悪』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
善悪なんてどうでもいいので
早くこの職場を辞めたい
善悪/2023.4.27
「あのとき嫌だったんだ」
苦笑いする君の顔は、まだ過去のものにはできてない表情。
あれは僕なりの気遣いのつもりだったのだけど、そうはならなかったようだ。
相手に伝わらなければ、そう捉えられなければ、意味は変わってしまう。
「早く言ってよ」
思わず冗談めかして言うことが、善か悪かはわからないけれど。今の僕にはこれ以上言うことができなさそうだ。
タンッと足音を踏み思いっきり飛び、会場に入ると何処からか悲鳴が聞こえた。はぁ…うるさ。
「っ?!お前は……!」
何者かが俺を見ると顔色をかえ、近くにあった包丁を俺に突きつけた。
「…………」
「おい!!!何する気だ!」
「なんにもしてないっすよ」
「嘘だ!お前は人殺しだと噂になってるぞ!」
「でもなにもしてない他人に包丁を突きつける方がやばくないすか?」
「人殺しは悪だ。それなら先に殺した方がいいだろ?」
「誰が善悪なんて決めたんですか?」
「っ……そう言って俺の気を紛らわそうとしてるんだろ!!」
「別に気になっただけですよ」
「悪者の言うことなんて信じられるか!」
そう叫ぶと思いっきり包丁を上げ、振り下ろす。
でも少し震えていたせいか簡単に避けられる程のスピードだ。避けられて青ざめている男に俺は問う。
「なんで善悪なんて決めつけるのでしょう?貴方はなんでそれが合っていると思っているのですか?人殺しは悪いんですか?」
「人殺しが、いたら…みんな生けていけない、だろ…」
「でもこの世は弱肉強食です。強いものが生き残って当然ではないですか?」
「っ………で、も…ころさないで、くれ…」
嗚呼、人はいつかは死ぬのに。何をそんなに怯えているのだろう。
「俺が納得するような答えが出たら見逃してあげますよ。」
「…………分からない。」
「そう。じゃあ死んで下さい。」
俺は銃口を男に向けると、傍観者は皆悲鳴を上げる。傍観者は悲鳴しかあげられないのか…?
男は銃口を見た瞬間青ざめた顔をいっそう青ざめて泣きはじめた。
「やッめて、下さ、い…」と必死に命乞いしている姿は惨めで醜い。
「…さようなら。」カチャッ
バンッ!!!!!!と大きな音がなり、男は倒れた。
「……ねぇ、傍観者。」
傍観者達も必死に助かろうと逃げようとする。
「無理だよ。締めといたから。じゃあ、誰か…」
さっきの男の回答をかわりにしてくれたら見逃して上げる。勿論、俺が納得するような…ね。
#善悪
高熱が出て寝込んでました…。まだ具合は悪いです。なんとか書き上げたんで載せときます。
善悪
善か悪、○か✕、白か黒。
世の中はどちらか2つに分けられると
思っていた。
事実は、やや善、どちらかというと悪。
事実は△□や◎、事実はグレーゾーン。
事柄によるし状況にもよるし人による。
その曖昧さが争いにもなるし、
それで均等がとれるときもある。
善悪さえもあやふやで、理性が善くて
本能が悪いとも限らない。
当たり前ができることは正しい事?。
努力しないことは悪い事?。
綺麗事を愛する事は偽善者?。
現実主義を徹底する事は成功者?。
ありのままを晒すのは善人か?
騙し隠すのは悪人か?。
一つ一つ正しいと言われる行動する。それら一言一句の挙動を観察した他人が評価した結果こそ、表に出せる正しい社会の自分。
だけど、私は綺麗事が好き。当たり前ができない平均以下。どんなに辛くても、笑顔で隠し通す。
世間のあらゆる美辞麗句と矛盾ばかりする本当の自分は悪人でしょうか?。
テーマ〈善悪〉
#善悪
知恵(善悪の知識)の樹
エデンの園の中央部にあった2本の木のうちの一つ。
もう一つは生命の樹。
知恵の樹の実を食べると、神と等しき善悪の知識を得るとされる。
知恵の樹の実はいかにも美味しそうで目を引き付けるとされる。
『創世記』によれば、人間はエデンの園に生る全ての樹の実は食べても良いが、知恵(善悪の知識)の樹の実だけは、神により食べることを禁じられていた(禁断の果実)。
なぜなら知恵の樹の実を食べると必ず死ぬからである。
しかし人間を神に背かせようとする蛇に唆されて、初めにイヴが、その次にイヴの勧めでアダムが知恵の樹の実を食べたことによって、善悪の知識を得たアダムとイヴは、裸の姿を恥ずかしいと思うようになり、イチジクの葉で陰部を隠した。
どう思います?
絶対食べちゃダメって言われていたのに
美味しそうだったから食べちゃったって…
子供か!?www
この事件で人間は楽園から追放されて
永遠の命も剥奪され
死ぬことになってしまったって理由だ
オイオイ! アダムとイブよ〜
ホント何やっちゃってくれたの〜!!
大迷惑じゃん!
急に全裸が恥ずかしくなって
陰部隠してる場合じゃないよ!
しかも葉っぱで(≧∇≦)
人間って愚かですね…
ダメな事はやっちゃダメなんだよ
ダメな事やっては罰が当たる…
性懲りもなく
それを繰り返し生きてる人間って
滑稽でもあり
馬鹿らしさが愛おしくもあるね
みんな同じ馬鹿な人達だと思うと
なんか悩まずに生きていける気がする…
v(´∀`*v)ピース
🌈黒猫のつぶやき🌈
なんか
ダメでもいいんだって気がしてきたwww
善悪は人の主観に左右される。1人がそれは悪だといっても、違う人から見れば善だという人がいるからだ。しかし、失ってはならないのは自身の善悪を決める基準である。それは、選択を指し示されたときに何も答えらず、行動できなくなるからだ。もう一つは自身の善悪を信じきらないことだ。固定概念に縛られその場に応じて答えられなくなるからだ。
良かれと思ってやることは
誰かにとっての悪
悪いことだと決めつけたそれは
だれかにとっての善良
「善悪の区別もつかないのか」
絶対の悪もなくは無いけど
一方向からしか見ていないその善良は
悪になり得る危険なそれ。
、
「あなたのためにやったのよ」の善良は
実は自分の為の善良、相手の悪
、
その悪は人を救う為の善良。
そして、
私の発言は
人を傷つけまいとする善良のような悪。
–善悪–
善悪
何が良くて何が悪いのか。
僕らを平等に照らす太陽でさえ人によっては善悪がある。
日照りは悪、恵の太陽は善。
太陽は決まった時間にいつも同じ顔で同じ動きをしているのに、僕らは自分たちのおかされた状況次第で、そこに意思がなくても勝手に善悪を決める。
人はいつも自分たちの都合で善悪を決めつける。
それはルールや規則なのか、それとも自分勝手の自己中なのか、僕らが人である限り本当の善悪はわからない。
やっていいことと悪いこと、物事の分別がある。例えば、困っている人を助けてあげるのが善。反対に人を困らせることは悪。単純明快だ。
もし、困っている人を助ける術が誰かを傷付けることなら。必要なら仕方がないと諦めて実行するだろうか?じゃあ、それが人殺しになった時は?それも仕方がないなんて言えるのか?善のための悪…。
なんて、小難しくあれこれ考えるのはやめよう。
信頼という鎖で君を縛った。ありもしない危険をでっち上げて大事な大事な君を部屋に閉じ込めたんだ。
「狙われて危ないから、ここにいてくれる?必要だったり、欲しい物があれば買ってくるよ」
「でもあなたの負担になるんじゃ…」
「ならないから、お願いだ…。言うことを聞いてくれ」
君の両手を握り、懇願する俺はどの役者よりも名演だったろう。君の瞳は不安に揺れて小さく頷いた。
本人の同意のもと部屋から一歩も出さないのは、はたして『善悪』のどちらに該当するのだろう?
俺は困っていたんだ。君がどうしても欲しいのに周りの人間が君を連れていくことを頑なに拒むから…。君を得るのは俺にとって善いことなのに。
【善悪】
人の善悪とは、はたしてどうやって決まるのだろう。壁一面が本棚に埋め尽くされた君の部屋の机の上、堂々と座す黄金色の天秤を私は軽くつついた。
たとえば肉食を禁じる宗教の信者にとって、牛の肉を喰らうことは悪だろう。だけどその宗教を信仰していない人にとっては、肉食は悪でも何でもない。全ての人類の善悪を画一化された基準で秤ることなんて、できようはずもなかった。
「人間社会における善悪なんて、僕だって知らないよ」
私の素朴な疑問に、君は淡々と応じる。面倒くさがって部屋から追い出しにかからないあたり、それなりに気を許してくれてはいるのだろう。そう思うと、少しだけ鼓動が早くなった。
「でも、この天秤が何を基準に傾くかなら、それは簡単な話だ」
君の意図に呼応するように、天秤は私の指を離れ君へと飛び立った。持ち主の手の中に行儀良く収まった天秤は、その輝きを美しく増す。眼鏡の向こうから私を見据える君の空色の瞳は、ただ凛と澄んだ光を映していた。
「その人間が、自分自身の行動を善悪どちらと評価しているか。僕が秤るのはそれだけだ」
死した人の魂を彼岸へと導くのが私の役目なら、そうして招かれた魂の善悪を秤ることが君の役目。自らに与えられた責務を忠実に果たし、彼岸の世の秩序と安寧を守るためだけに、私も君も造られた。
私たちは機械。私たちは人形。彼岸を成立させるためだけの、自由意志など持たぬただの機構に過ぎない。そんなことは分かっている。分かっている、けれど。
「……なら、その天秤で教えてよ。私は善悪どちらなのか」
君のことが、好きなんだ。君とずっと、一緒にいたいんだ。私のこの想いは正しいものなのか悪しきものなのか、自分でも見失ってしまったその認識を、どうか君の口から教えてほしい。
縋るように頼み込めば、ゆっくりと君の瞳が瞬く。机の上へと無言で天秤を戻し、何故か君は私の身体をそっと自身の腕の中へと抱き寄せた。
「どっちでも良いよ、そんなの。それが善でも悪でも、芽生えた気持ちが消えるわけじゃないんだから」
囁くような声だった。視界の片隅で、天秤がフラフラと揺れている。どちらにも傾くことなく、まるで判断を迷うかのように。
背中に触れた君の指先の温度が、ひどく熱く感じられた。
善悪の判断って誰がするものなの?
私が善だと思ってしてきた事が、全部悪に変わってしまった。
これを偽善と呼ぶのかしら。
自分にとって善でも、相手にとっては悪。
自分にとって悪でも、相手にとっては善。
あぁ、善悪の判断は自分がするものなんだね。
善悪とは、誰が決めたものなのか。
自分が善だと思っていても、他人から見たら悪だったなんて、よく聞く話だろう。
そこで、善悪とは何なのか。
定義の疑問として同じく、常識とは何なのかという疑問を浮かべたことはないだろうか。
「常識で考えてわかるでしょ?」
「あなたのそれは間違えてる。」
そんなことを言われた時、常識とは何なのか、何を基準に間違ってるって言われなくちゃいけないのか。
そんな思いが私の脳を駆け回る。
常識とは、『社会的に当たり前と思われている行為』
だそうだ。この社会は常識に囚われて、自分の『好き』を隠す傾向がある。
「あなたは○○なんだからこれが好きなのはおかしい。」
○○の中はなんだっていい。
例えば、「あなたは男の子なんだからプリキュアが好きなのは変だ。」や、「あなたは女の子なんだから仮面ライダーやスーパー戦隊が好きなのは変だ。」
知らない人から、好きなものを否定されるほど辛く、しんどいものは無いと(私は)思う。
話を少し戻して、男の子でプリキュアが好きなのは『悪』女の子で仮面ライダーやスーパー戦隊が好きなのも『悪』男の子は仮面ライダーやスーパー戦隊が好きなのが正しい。女の子はプリキュアが好きなのが正しい、所謂『善』
そんなことを言われるのはこの時代、少なくなってきている。だが、完全に無くなった訳では無い。
私は女だが、仮面ライダーやスーパー戦隊が大好きだ。今でも欠かさず、日曜朝9時に見ている。小さい頃から、プリキュアよりも仮面ライダーだった。だが、そのことを知る人はほとんど居ない。
私が隠しているからだ。
昔、1度だけ友達の女の子に言ったことがある。その時に、
「女の子なのに仮面ライダーが好きなの?」
そこまでなら、良かった。のに、
「変なの。そんなものより、プリキュアの方が面白いのに。」
その時、私の中には
(なんであなたにそんなものって言われなきゃならないの? )と言う思いがあった。
今、思えば好きなものを否定的に言われ、腹が立っていたのだろう。
「女の子がプリキュア好きなのは常識でしょ?」
そう言い、親戚は何かある事にプリキュアのグッズを私にくれた。(小学生前には終わったが)従兄弟は仮面ライダーのグッズを貰っていていいな。と思っていた。
それでも私は、「ありがとうございます。」と笑顔で言わなければならないので笑顔でありがとうございますと言っていた。それで、親戚も喜んでくれたと思ったのだろう。私は、プリキュアを見ていないので、誰が好きなの? って聞かれても分からず、適当にこの人です。って言っていた。
そんなこともあり、私はプリキュアに対してそんなに良いイメージは持っていない。
『善悪』って言われると少し、想像しづらいが、身近な所から考えてみてはいかがだろう。
これを読んでくださった人が『善悪』や『常識』について少し、考えてくれたらありがたい。
11 善悪
週末までのタスク
・冷蔵庫のヨーグルトを食べる
・残業手当ての精算
・部屋を片付ける
・アミちゃんの誕プレを何にするか考える
・実家に電話
・ハサミとクリップとファブリーズを買う
・たまってる段ボールを潰す
・サブスクの更新を止める
・サボってた筋トレ
・冷凍庫の古い肉を捨てる
・耳鼻科に行く
・上司を殺す
痛みに呻いて叫びたくなるとき
神様に懺悔したくなるのは何故だろう
痛みに善悪なんてないのに
躊躇いなく悪に仕立ててしまう
人が何をもって善とするか悪とするか
その線引きが難しい
人が嫌がることをしたら悪
じゃあ人の嫌がることって何?
私だって分からない
私は私の善悪の区別をして行動する
─────『善悪』
絶対的な悪はあると思うよ
例えば誰かの生命を踏み躙るような行為とか
どんな理由があろうとも
例えば自分の生命や自分の大切な人の生命を踏み躙られたとしても
同じ行為をやり返していいって理由にはならないと思うんだ
だってその理由が成り立ってしまったら
もう人の社会自体が成り立たなくなる気がする
じゃあ絶対的な善ってあるんだろうか
例えば誰かの生命を救うとか
例えば誰かの心の安寧を取り戻すとか
それらは確かに善いことだと思うけど
僕は善いことってすぐには結果が出ないことなんじゃないかと思うんだ
自分はその人を助けたと思っても
自分はその人に優しくできたと思っても
その人もその時は助かったと思っても
優しくしてもらったと思っても
人の気持ちってすぐに移り変わるから
またすぐに落ち込むかもしれない
その時してもらった優しさを素直に受け入れられなくて
逆に嫉妬してしまうことだってあるかもしれない
だって人の心って難しいし
でもできるなら簡単に染まりやすい悪に流れるよりも
困難で大変で割に合わない善を
それでも信じてやり続けられるような
そんなふうになれたなら
そんなふうな人が増えたなら
少しは人々の悲しみが減ってくれるんじゃないだろうか
なんてことを偉そうに述べてみたけれど
僕自身だってまだ
善悪とは何かを未だ問い続けている
【善悪】
人はそのままでは長く生きすぎる
悪という管理人のマリオネットとして
化石になるまで働き続ける
それを悟った先人は
正義という自決を考えついたのだ
そもそも、「善」と「悪」を定めるものは何だろうか。神様だろうか。人の心だろうか。だとしたらなんて曖昧で不確かなものに判断を委ねているのだろう。
「人を叩いちゃいけません」
「法律違反はいけません」
「泥棒はダメよ」
「相手の嫌がることをしないの」
そのルールが間違っていたらどうするのだろう。相手が嘘をついていたらどうしたらいいんだろう。自分の物は盗られたのにどうして自分は盗っちゃいけないのだろう。叩くことでしか自分のこの悔しさや感情を相手に伝えきれなかったらどうしたらいいんだろう。
人は皆、行動に善悪をつけたがるが、思い考えていることには善悪をつけたがらない。なぜなら、その人自身の内にある状態では善も悪もないからではないだろうか。
考えてみて欲しい。友人が「銀行強盗でもしよーかなー」とヘラヘラしながら言ったとして、自分は本気で怒るだろうか、あるいは止めるだろうか。「悪」ということについて語るだろうか。友人を「悪だ」と断じるだろうか。
いや、恐らく大半の人間はしないだろう。
何故ならまだ実際に行動していないからだ。
と、ここまでを振り返ってみた時、「善悪」を定めるものは分からないが、「実際に行ったこと」に対して「善か悪か」をジャッジするのだろうことは分かった。誰しも人の頭の中は見ることができないし、見たところで自分に実害が無さそうならば誰も諌めはしないからだ。
ならば、善悪を定めるのは、結局のところ「自分にとって害が無ければ善、害があれば悪」となるのだろうか。それもまた曖昧ではあるが、合理的とも言える。つまりは「大多数の人間にとって害がなければ善であり、大多数の人間にとって害があれば悪である」というのが、あらゆる場面で適応されている気がするのだ。
ここに、少数の意見はきっと反映されていないのに。
何?
悩んでる人がいて、相談受けるは善か悪か?
悪だろ、そんなもん。人の不幸を聞いて喜んでるだけだろうよ。
そんで、自分の考え押しつけてるんだろ? 良いことなんて、一つも無いよ。
じゃあ、悩みを相談していいのか? って?
悪だよ! 悪!
悩みを言いたいだけだろ、そういう奴は。自分の中で、本当に悩んでるのか、言いたいのかを分別してから言わなきゃだめだろうよ。
じゃないと、さっきみたいな奴が物知り顔で説教してきて気分悪くなるからよ。気をつけなきゃなんねぇんだ。
うん? 善と悪って難しいね?
ああ、そうだ。良く覚えとけよ。
だから今、質問してるお前も、そして答えてる俺も悪だ。
だけどな、人生、悪があったほうが面白いんだよなぁ、これが。