『同情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
学生時代、運良くイジメにはあわなかった。
偶然そっちの方向に流れなかっただけの話。
どこで躓いてターゲットにされてもおかしくなかったのかもしれない。
あの時代だって、誰かをイジメようと狙ってた奴は少なからずいたはずだ。
単なる自己満足のために。
イジメられる方にも原因があるとかたまに聞くけど、どうしたらそうなるのかさっぱり分からない。
イジメを始めるのはいつだってイジメる方だ。
始める理由がイジメられる側の言動にあるとか言うが、それはその人の個性であり、決して他人が大勢で攻撃する理由にはなり得ない。
それを言うなら、イジメる側の性根の方が問題であり、周りの人間の力で叩き直すべきだ。
と、偉そうに言ってるが、幸い自分がそんなイジメにあったことが無いので、これはイジメられている人に対する同情でしかない。
だが、あまりにも理不尽なイジメの末、命を絶った子供のニュースなんかを目にすると、同情が怒りに変わる。
当然ながら、イジメていた奴らへの怒り。
そして、イジメられて死を選んでしまった子への怒り。
どうして、誰もが悲しむ道を選んでしまったのか。
その勇気で、現状を打開する別の方法を取ることは出来なかったのか。
死ぬことは人間の最終地点だ。
その前に、まだやれることは残っていたんじゃないのか。
偉そうに言っても、所詮その子の苦しみを理解出来ている訳じゃない。
だけど、そんな理由で我が子を失った親の気持ちだけは、痛いほど分かるつもりだ。
立場上、そちらへの同情が先に立つのかもしれない。
本気で相談してくれたら、本気で一緒に闘ったのに。
我が子を失うくらいなら、世界を敵に回すことだって出来る。
だって、親にとって、我が子を失うことは世界の終わりと同じだから。
パニックに、なっちゃうのかな。
もう、どうにもならないと。
でも、そんなことは絶対にない。
イジメてる方は、単なる遊びのつもりだ。
遊びでしかないんだ。戦争とは違う。
最終地点はまだまだ遠くにあるはずだ。
言葉をうまく使おう。逃げたっていい。
冷静になって、信じられる人の笑顔とこの先の未来を、自分勝手にポジティブに、心に描こう。
絶対にその未来は来る。
いや、自分で作り出す。
それを見届けるために、
もう少し先へ、もっとずっと先へ、
泣きながら怒りながら、笑いながら、ゆっくり歩いていこう。
悪くない同情されるの
何だっていい寄り添っててくれるなら
〈同情〉
そんなものをくれるなら、本当に必要な愛情をちょうだい。
【同情】
同情って悪いこと?
心配して寄り添っているだけなのに
意地で気持ちを受け取らない方が
どうかしてると思うよ
だけど哀れみの視線や見下すような言葉なら
嫌悪感があるのは確か
同情にも種類があるのだろう
良い同情は素直に受け取って
今度は自分が誰かを助けよう
同情された時
私はわかってくれる人が居たって
嬉しくなる。
みんなと同じなんだって
安心する。
みんなとズレていたら
不安になる。
一人ぼっちになってしまうから
アイツと合わないなんて
影で言われて
作り出した仮面に同情の言葉を貼り付けて
仲良くしようとしてくるから。
もうこんな自分にサヨナラしたい
─────『同情』
同情
ほんとのこというと
優しさと同情の区別がつかない。
同情なんて、クソ喰らえ。
なぜなら同情の言葉を吐かれる時、向けられる瞳が嫌いだから。
かわいそうだね、雄弁に語る瞳が、私を惨めにさせるから。
どうせ、君の腹の中には口に出るのと反対の言葉が、ぐちゃぐちゃに入り混じっているくせに。
善人ヅラして、分かるよ、と言う言葉は偽物のくせに。
お前なんかに分かってたまるかよ。
上部だけの言葉が嫌いだ。
空っぽの言葉が嫌いだ。
自分が虚の言葉で慰められている、その現状が嫌いだ。
私は断じてかわいそうなんかではない。
だから、絶対に同情なんて要らない。
私はそこまで弱くない。
同情
それはとても難しい。
同情してもらえた事で気持ちが落ち着く時もあれば同情される事で苦しい時もあるから。
でもそれを頭でごちゃごちゃ考えると
何て言葉をかけるべきなのか分からなくなる。
だからもう何も考えない事にした。
私は同情する。
目の前に大切な人が苦しんでいたら
同情してあげることで手を差し伸べたい。
それがたとえ辛い感情で受け止められたとしても
いつか あの時あの言葉をかけてもらえたから
今の自分がいるのだと思ってもらえる時がくると信じ
私は同情する。
Mii
現役生のときに受験で全落ちした僕は、一年間浪人しても再び全落ちした。
予備校に通い詰め、模試でも納得のいく結果を出していたのに、本番になると調子がおかしくなってしまったからだ。
不安はなかったし、緊張もしていなかった。むしろワクワクしていた。
だというのに、この有様だった。
昨年に引き続いて絶望を味わった僕は、親に対してどんな顔をすればいいのか、てんで見当がつかなかった。
今後の生き方にも思い悩むから、なおさら辛い。
浪人すればするだけ、同い年の人たちからは出遅れる。難関校や超難関校、医学部を志望しているのなら理解できるけれど、僕の場合はそういうわけでもないから、諦めて就職することも視野に入れないといけない。
しかし僕は、紙面の勉強としか向き合ってこなかったため、職業のことをほとんど知らなかった。どういう試験を受けて、どういう訓練を積まなければならないのか。職種によって異なるのだろうけれど、そういった方向に暗いのである。
自室の布団の中で打ちひしがれていると、友人から連絡があった。
『結果、どうだった?』
嘘を吐いても虚しくなるだけなので、『全落ちしたよ』と正直な内容を打ち込む。
既読の文字が下に表示されても、彼が返信してくる気配はなかった。
何を言えばいいのか、考えているのだろうか。
違う、と思った。きっと彼は、下手に同情して僕を傷つけないために、あえて何も言わない。
既読無視されるだけ、マシだった。
両親にも結果を報告し、家族会議を重ねた結果、僕は自衛隊学校に行くことになった。学ぶとともに、お金を貰えるからだ。
そのことを彼にも伝えた。彼からの返信は、たったのひと言だった。
『頑張れよ』
同情をくれない彼のその言葉は、優しさに溢れていた。
この人と友達でいられることを、僕は誇りに思う。
同情なんてしなくていい。
同情なんてしなくていいから、わかって。
同情されるなんて、惨めだから。
自分が、惨めに見えるから。
苦しい。生きたくない。
やっぱり、同情してほしいや。
わかってほしいや。
惨めでもいいからさ。
同情
あなたに同情する。
その気持ちも分かるから。
同情してほしくない気持ちもわからなくもない、
そんなこと誰にでもあるから、時間が解決してくれるかもしれない。
一緒にいたのは愛情というより同情だった。
辛い過去を曝け出してくれた君を、守ってあげたいと思った。
だから、君のわがままを何でも聞いてあげた。すぐ泣き出してしまうのも仕方ないと思ったし、怒るのはきっと俺に心を許してくれているから。
……ちょっと疲れた。
幼馴染みで腐れ縁の女友達に弱音を吐いた。怒られた。それは彼女の為にならないと。
同情はいいが、わがままを全て聞いてあげるのは間違っている。
彼女と少し話すことにした。
家に帰ると、彼女は包丁を持って立っていた。「どこに行ってたの?」
――今、一番同情してほしいのは俺の方かも。
『同情』
一見、同情はするもされるも地獄。
いろんな考え方の人が集まると大きな力が生まれる。
人とつながることは必要な事だと思うけど、良いことばかりでもない。
同情は、その良いことばかりでない方何だと思う。
人間なんだから、同情もするしされる。
うまく付き合って行くしかないんだと思う。
誰かが辛い思いをしていたら、私たちはきっと「可哀想に。大変だったね。」と言うだろう。純粋にそう思っているし、実際社会における自分の立場においてもそうした方がいいから。人間はとても感情が豊かな生き物で、こうして人の喜びや悲しみを分かち合うことができる。
しかしその同情も結局上っ面でしかない。
「じゃあどうすればいいんだよ。神様なんかじゃあるまいし、何ができるっていうんだよ。」ー そう。どうすることも出来ない。いや、どうもしないのだ。私たちはどうもしないという選択をするのだ。
私たちは責任をとりたくないから、可哀想だけど何かをする勇気も時間も、労力もないから、同情で済ます。
だからこそ同情は本当に無責任なのだ。
私たちは、同じ人間として、同じ感情を持てる人間として、その感情を抱くだけでなく、そこから何ができるか一緒に考えるべきだと思う。
もし身近な人が苦しい思いをしているのなら、支えになること。もし世界で人が苦しんでいるのであれば、それを視野にいれて自分を見つめ直し、行動すること。
自分に何故同情という感情が湧いたのか。それを考えなければならない。それはきっと彼らの立場にいたら同じ嫌な思いをするからだ。ではその立場にいたら私たちは何を望むだろうか。何をしてもらいたいだろうか。
同情は人間の感受性の豊かさと苦悩を分かち合える優しさを表すとともに、人間の自己中心的な側面をも表す、二面性を持つ非常に考え深い言葉だと、私は捉えている。
同情
高校生の時、今でも覚えている小論文の問題文がある。
爆撃を逃れようと、子供を抱えながら家族で川を渡る写真。ベトナム戦争時に撮られた『安全への逃避』。沢田教一のピュリッツァー賞受賞作が載っていた。問題文はこうだ。
このカメラマンはカメラを置いて手を差し伸べるべきか、それともシャッターを切り続けるべきか。
今でもたまに考えることがある。難しい問だ。小論文は何が正しいかを追求するのではなく、論理的な文章を書ければそれでいいのだが。写真の引力に惹かれて、正解を求めてしまう。
当時は、すぐに助けるべき、という方向性で書いたように記憶している。若かったな。
いまは逆。究極のジャーナリズムは、ただ出来事を伝えること。極端に言えば、カメラにまかせて終わり。今なら、動画のライブ配信といったところか。
そこには誰の思惑も同情もない。事実のみ。それをどう受け止めるかは、見る者の自由、または責任。
こんなふうに考えるようになったのは、メディアの人間の醜悪さを学んだからだろうか。人の死や名誉を、自分達の良いように利用しようとする人間のなんと多いことか。
情報は刃物だ。扱う者は知性と覚悟がいる。情のみで振り回す幼児、あるいは幼児の如きメディアには任せるわけにはいかない。
しかしながら改めて、この小論文、本当に難しい。このカメラマンは、という問題文なら、前述の通りだ。だが、あなたなら、と問われたらどうだろうか。自分の名前を公表し作品の側で、人命よりもシャッターを優先したのかと問われた時、僕はどんな顔で答えるのだろう。
まだまだ正解は遠いな。これじゃメディアの人間に偉そうに言う資格もない。
同情してもらうのって
思ってるより大変
【同情】kogi
ああ、そう。
私貴方に全て話さなきゃ良かった
無駄に信用しすぎたね。
あの子に同情したのか
親友とかほざいてた私が馬鹿みたい
【同情】
✂ーーーー⚠ーーーー✂
神様はいると思う。
まぐれだろう、きっと。
でも、確かに願いは叶った。
「僕が小学生の時に‥」
無口な貴方が語った生い立ちは余りにも残酷でした。
あの時、私は産まれて初めて他人に対して同情の涙を流しました。
この人だけは命を懸けてでも見離すことはしないと決断してから15年。
結局、貴方が私を見離さずに居てくれた。私は傲慢だったと深く反省します。
同じ時代に産まれた奇跡‥…貴方に出逢えたことが、私の誇りです。(本心)
同情 2/21 (水).
「同情するよ」
そう言って私の頭を撫でる彼。
同情なんていらなかった。
ただ、慰めが欲しかった。
頑張ったねとか、俺は味方だよとか。
私はただ そんな言葉が欲しかっただけなのに 。
同情?なにそれ。
同情するよって、困ってる人に言う言葉かなぁ。
あー、死にたい。
私はそう言って彼の手を押し退けた
私の隠れた体質
人間の3代欲求とよく言うが
食欲、睡眠欲、性欲、物欲の4つ。
それにずっと悩んでる
君かいなければ、食欲、性欲が出ない
あるのは睡眠欲、物欲
きみに会いたいけど
今は我慢の時。
食欲一日一度多めに食べれば後はお腹空かない
物欲君に会いたい気持ち我慢して性欲が出ない物欲に
要らないのに買ってしまい物欲で寂しさ、幸せを
満たしてる。
眠くなったらさらに睡眠欲で食欲、性欲を満たす。