『友だちの思い出』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
最後の友達の思い出には僕の姿が映っていた。
僕との野球が友の最後の思い出になった。
今でも思い出してしまう。
帰り道、君は夕日を背景にして
こっちを振り向き手を振った。
そして君は僕の目の前から姿を消した。
僕はその事実を未だに受け入れることはできない。
ベッドに入るとふと思った。
あのクラスで私のことをいじめてきたあいつは今、私より幸せなのだろうか…と。
正直、私は幸せの絶好調にいる。趣味も、優しい仕事仲間も、さらには恋人にまで恵まれている。だからこそ時々怖くなる。この生活がいつか終りを迎えて全てなくなってしまうのだろうかと。
この前たまたま会った昔の同級生が言っていた。
【私】ちゃんのことをいじめてた子いたじゃん?そいつ今結婚して子供最近産んだらしいよ~そんなやつが親なれるわけなくねw?
私は思った。
なんで不幸になってくれないの?
私より幸せにいることが許せない。
あいつの旦那不倫してるの知ってるのかなw
はやくバレて離婚しろよw
何故か思考回路は悪い方に、悪い方だけに進んでいった。
気づくと夜が明けて、窓からは少し明るい光が差し込んできた。
私は寝返りを打った。するとそこには恋人の寝顔が目に映った。ものすごく愛おしくて仕方がない。
彼が私と一緒のベッドにいることが嬉しすぎてついつい思ってることが口に出てしまった。
「もうすぐであいつじゃなくて私の旦那になるのね…」
そんな昔の思い出を振り返りながら
私の復讐劇はまだまだ始まったばかりだ。
お題:昔の思い出
#7『友達の思い出』
私には親友がいた。
でもその関係は10年で終わった。
保育園児から小学生までずっと一緒だった。
夏休みは毎日外で遊んだりお互いの家で遊んだりした。
中学生になってからお互い仲のいい友達が出来て関わるのはだんだん無くなった。
写真の私はいつも笑ってる。
戻りたい。
題【友達の思い出】
友達の思い出?
うーん。分からないな。
えっ、なんで分からないかって?
えっ、逆にわかってたら怖くない?
だって、私は友達のプライベートなんて知らないよ?
友だちの思い出
社会人になってから、中学でクラスが同じで一応友だちと言えるか言えないかくらいの相手から電話を受けること数十回程度。
毎回選挙の話されました。
親から、それは○○の人なんだねと聞き、初めてそういったシューキョーとセイジの関係があることを知ったのでした。
電話では、ふーん、そうなんだなるほど、選挙には行ってみるよ!と答えつつ(誰にいれるかはもちろんワタクシの自由ですが)毎回大変だねえ、とねぎらうと、電話しなくなったら活動やめたと思ってください、などと返された記憶。
すっかり電話は来なくなりました。元気にしてるかな。会いたくはないですけどね。
「友達の思い出」
友達沢山いたなぁ
友達沢山いなくなったなぁ
そんな思いでいた
そんな思い出
友だちの思い出
幼い時の友だちは素直に裸の心で付き合えた。大人になるとお互いに腹を探り合う。時にお酒は距離を縮めてくれる。結局、向き合う努力が必要だよね。
友達の思い出
友達いないから…友達の
思い出はないの…
周りは友達の思い出とか
文集に書いていたなって
思った
なんで、友達の思い出なんか
あるのかと疑問だった
それは、普通のことなの
だろうか
それがないわたしは
普通ではないのかと
思った
1番仲のいい男友だちのことが前は好きだった。でも、もう友だち。この関係がずっと続くといいなって思ってた。でも、仲のいい後輩が彼の事が好きって言ってた。それを聞いて、知ってたのに、性格悪いよね。彼の事私も好きになった。好きになったんじゃなくて本当は何度も意識してたけど、この関係が崩れるのが怖くて認めたくなかったんだ。ずっと好きだったけど彼は私の事なんてただの友だちとしか思ってないだろうから、私も友だちのままで、友だちの思い出だけを心の中に閉まっておくことにする。
全教科優秀だったが照れたときマジで蹴ってたあの子が母かあ
題-友だちの思い出
「友達の思いで」
思いでのアルバムを開いてみていると友達のアルバムがあった。ちょっと気になって見ていたら不思議な文がかいてあった。「貴方と私の境界線今開くとき結ばれる」まじてなにか分からないことでどうせ、あいつが書いたポエムだろうと思って見過ごした。後ろを見るとあいつがいたいないはずのあいつがいた。俺はビックリしてアルバムをひっくり返した。
「なんでいるんだお前は今はもういないはずじゃ」
『なに勝手に私のを!』
彼女はすぐにそのアルバムを手にとって抱えた。
「これは、違うんだ別に急にお前のを見たくなった訳じゃ」
『あーもう、うるさい!恥ずかしいからやめてよ』
そんなことを言いながらソファーに座った。
「このアルバムは昔は友達のアルバムだったのに今は妻のアルバムになったのか、」
友だちの思い出
数人で遊びにでかけたあと
自分自身の映りの良さだけで
SNSにあげる写真を選ぶ人も多いけど
人の可愛い瞬間を逃さなかったり
おんなじテンションで撮れたものを大切にしたり
一緒にいることを楽しんでくれたんだなと
嬉しくなるくらい伝えてくれる
そんなあの子に出会えて本当に幸せだと思う
私は何ができるかな
『友達の思い出』
今を生きている過半数の人は、人生を友達との思い出で
彩らせてきたのだろう。私も、同様である。ただ、人生の中でたった2人「私の普通」からはみ出た友達がいた。
確か高校の頃だったと思う。
1人はビデオカメラと携帯(まだガラケーだった)をずっと持っていた。目立たないけどすごく綺麗な顔立ちだった。携帯を持ってると言っても、写真を撮ったり、動画を撮ったりすることしか使わなくて。なんか、不思議な雰囲気を持つ子だった。
もう1人はすごく明るくて自由だった。補習がある日でも先生の前で堂々と遊び行こー!なんて笑いながら言ってくるような子だった。周りにはバカにしか見えなかったかもしれないが、私には強かに見えた。
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“ずっと続けばいいのになー。”
“学校でバカみたい笑って、放課後プリクラ行ってつけま貰って。そのまま誰かの家行ってメイクして。1日全部楽しすぎて、卒業が遠く感じるくらい。”
ビデオカメラを持ったあの子が急にこんなことを言った。急な事だったから2人で驚いた。
「急にどうした?ウチらはずーっと一緒だよ。」
私は不思議がりながら反論した。
[プリクラにも書いたじゃん。ズッ友って。]
プリクラを見せたその子はチュッパチャプスを舐めながら言った。
“そっか。そーだよね。じゃあさ、もし葬式やったら来てね。”
[何年後の話してんの?]
“うーん。数億年後?”
「まぁだろうね。ウチらさいきょーだもん。」
そう言って私たちは放課後の教室で、3人だけで笑いあった。
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数年後、私は大学に進学した。上京をする時に、携帯をなくしてしまったのであの2人との連絡は途絶えてしまった。丁度、夏休みで実家に帰省していた時、一つだけ私宛に大きな封筒が届いた。その封筒の中には1つのビデオカメラと訃報と書かれた葉書が入っていた。私はセミの泣き声と同じくらい泣いた。
#006 友だちの思い出
祭りの時期が近づくと、友だちの思い出が蘇る。
毎年約束をして、
一緒に楽しむのがお決まりだった。
成長するにつれ、
連絡を取り合わなくなってしまったけれど、
久しぶりに連絡をしてみようか。
君との思い出を、また作りたいんだ。
親友もいるし良い友達もいる。
でも、嫌な思い出しか咄嗟に出てこない。
コミュニケーションが空回りして気まずくなるし、それを何回も思い出して泣くし、何度も孤独でありたいと願う。でも結局1人では生きていけず、友達が欲しくなる。そしてまた空回り。
繰り返して繰り返して、絶望の悪循環。
人間関係やだ
消えたい
人間関係辞めるなら自分が消えるのが手っ取り早い
嫌だなぁ
もういいよ
一緒に頑張ってきたと思ってた。けど、思い過ごしだったみたい。ただ、私が一緒に頑張ってたつもりになっていただけだった。
自分の手元に何も残らずまるで溶けていくように消えていく。込み上げてきた何かに上を見上げる。
嗚咽が止まらない。最初から、期待なんてせず、適度な距離で居続けるべきだったんだ。
「友達」だと思っていた今までも思い出もぜんぶ、ただのまやかしだった。
私が見てきた友達の記憶はすべて、嘘と虚像で作られていたんだ…。
【友達の思い出】
【友だちの思い出】
古くからの友人と毎年、年越しと初詣を一緒に過ごしていた。
どちらかの家に行っては、ボードゲームやテレビゲームなどのゲームで遊ぶ。
その後は神社の屋台に遊びに行った。
これを大人になった今でも続けている。
毎回遊んだだけで記憶に残る大事件など何もなかったが、どれも懐かしい思い出だ。
これからも思い出を重ねられると良いな。
中学高校のことなど殆ど覚えていないのだが、彼がアスファルトに落とした青いアイスキャンディーだけは妙に鮮やかな色で残っている。
あの後自分のものを分けてやったのだか、笑ってやったのだか、その辺りはわからない。
No.14 友達の思い出
今回 ノ お題 は
少し 難し ゐ 。
いつか
゛ 思い出 ゛
という モノ が 作れたらな 、
と
時折 思って ゐ ます 。
煙草をふかして、マンションから海を見ているといつも思い出す。
今から何年も前のことだ。
俺が小学生の頃、藤野という友達がいた。会った時から仲良しになった。
一緒に宿題をしたし、喧嘩もしたし、帰った。
今考えてみるととても幸せだったなと思う。
そんな日常も簡単に砕け散るのがこの世ってものだ。
5時限目、ただ退屈で、外を眺めていた算数の時間。
ガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン
世にいう「東日本大震災」
花瓶は倒れ、扉は外れ、黒板はバチンと倒れ尽くす。
暫くすると止んだ。しかし安心はできなかった
この学校はとても海に近かった。
すぐに、校庭に集まるようにと放送が。
校庭へ集まる俺たち。どうやら自衛隊が来るまで待つというのだ。
あの先生たち馬鹿だ。そんな暇あるなら逃げろってという単純な話なのに。
その時、藤野がひそひそ声で話した。「おい、バレないように裏山へ走れ」
先生達が慌てふためく中、藤野はすごい力で俺をバチンと押した。
藤野の言う通り、先生に気づかないように裏山へ走った。(音は立てなかった)
裏山の麓の電柱並ぶ所まで走ってきた俺は疲れた。咄嗟に横を見ると、
海から大きな波が盛り上がっているではないか。
すぐに校庭は飲み込まれる!ここもやばい!!
すぐに感じた俺は山頂へ馬車馬のように走った
不安の混じった冷や汗がダラダラと流れ続けた。
ドパァァァン!!ドドドドドド!パパパァァン
遠くから音がする。でももうひたすら山頂へ走る俺。
暫くして、山頂へ着いた。
俺が水筒を飲みながら光景は、黒い水に飲み込まれている校庭。
校舎も2階の方まで飲み込まれていた。
藤野は? 先生は? 友達は?
もう心は只管に焦り続けた。感じたことの無い海への畏れ。哀しみ
涙が止まらなくなっていた。
麓の方まで波は来ていて、危なかった。
遅れていたら呑まれていただろう
その後、夕暮れの時間。
ヘリが飛んできた。救助隊だった
微かな希望が膨れ上がり、「オーイ!」「助けて!」と叫ぶ俺。
気づいてくれて、ロープで助けてくれた。
救助隊の話によると、俺の思った通り
校庭で待機していた人は悉く波に飲まれ、行方が分からない人が多いらしい
じゃあ……藤野は?
今までの思い出がフラッシュバック。
数多の青い思い出に勝るものは無かった。
これが東日本大震災の悲しい体験談である。