『友だちの思い出』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
全教科優秀だったが照れたときマジで蹴ってたあの子が母かあ
題-友だちの思い出
「友達の思いで」
思いでのアルバムを開いてみていると友達のアルバムがあった。ちょっと気になって見ていたら不思議な文がかいてあった。「貴方と私の境界線今開くとき結ばれる」まじてなにか分からないことでどうせ、あいつが書いたポエムだろうと思って見過ごした。後ろを見るとあいつがいたいないはずのあいつがいた。俺はビックリしてアルバムをひっくり返した。
「なんでいるんだお前は今はもういないはずじゃ」
『なに勝手に私のを!』
彼女はすぐにそのアルバムを手にとって抱えた。
「これは、違うんだ別に急にお前のを見たくなった訳じゃ」
『あーもう、うるさい!恥ずかしいからやめてよ』
そんなことを言いながらソファーに座った。
「このアルバムは昔は友達のアルバムだったのに今は妻のアルバムになったのか、」
友だちの思い出
数人で遊びにでかけたあと
自分自身の映りの良さだけで
SNSにあげる写真を選ぶ人も多いけど
人の可愛い瞬間を逃さなかったり
おんなじテンションで撮れたものを大切にしたり
一緒にいることを楽しんでくれたんだなと
嬉しくなるくらい伝えてくれる
そんなあの子に出会えて本当に幸せだと思う
私は何ができるかな
『友達の思い出』
今を生きている過半数の人は、人生を友達との思い出で
彩らせてきたのだろう。私も、同様である。ただ、人生の中でたった2人「私の普通」からはみ出た友達がいた。
確か高校の頃だったと思う。
1人はビデオカメラと携帯(まだガラケーだった)をずっと持っていた。目立たないけどすごく綺麗な顔立ちだった。携帯を持ってると言っても、写真を撮ったり、動画を撮ったりすることしか使わなくて。なんか、不思議な雰囲気を持つ子だった。
もう1人はすごく明るくて自由だった。補習がある日でも先生の前で堂々と遊び行こー!なんて笑いながら言ってくるような子だった。周りにはバカにしか見えなかったかもしれないが、私には強かに見えた。
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“ずっと続けばいいのになー。”
“学校でバカみたい笑って、放課後プリクラ行ってつけま貰って。そのまま誰かの家行ってメイクして。1日全部楽しすぎて、卒業が遠く感じるくらい。”
ビデオカメラを持ったあの子が急にこんなことを言った。急な事だったから2人で驚いた。
「急にどうした?ウチらはずーっと一緒だよ。」
私は不思議がりながら反論した。
[プリクラにも書いたじゃん。ズッ友って。]
プリクラを見せたその子はチュッパチャプスを舐めながら言った。
“そっか。そーだよね。じゃあさ、もし葬式やったら来てね。”
[何年後の話してんの?]
“うーん。数億年後?”
「まぁだろうね。ウチらさいきょーだもん。」
そう言って私たちは放課後の教室で、3人だけで笑いあった。
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
数年後、私は大学に進学した。上京をする時に、携帯をなくしてしまったのであの2人との連絡は途絶えてしまった。丁度、夏休みで実家に帰省していた時、一つだけ私宛に大きな封筒が届いた。その封筒の中には1つのビデオカメラと訃報と書かれた葉書が入っていた。私はセミの泣き声と同じくらい泣いた。
#006 友だちの思い出
祭りの時期が近づくと、友だちの思い出が蘇る。
毎年約束をして、
一緒に楽しむのがお決まりだった。
成長するにつれ、
連絡を取り合わなくなってしまったけれど、
久しぶりに連絡をしてみようか。
君との思い出を、また作りたいんだ。
親友もいるし良い友達もいる。
でも、嫌な思い出しか咄嗟に出てこない。
コミュニケーションが空回りして気まずくなるし、それを何回も思い出して泣くし、何度も孤独でありたいと願う。でも結局1人では生きていけず、友達が欲しくなる。そしてまた空回り。
繰り返して繰り返して、絶望の悪循環。
人間関係やだ
消えたい
人間関係辞めるなら自分が消えるのが手っ取り早い
嫌だなぁ
もういいよ
一緒に頑張ってきたと思ってた。けど、思い過ごしだったみたい。ただ、私が一緒に頑張ってたつもりになっていただけだった。
自分の手元に何も残らずまるで溶けていくように消えていく。込み上げてきた何かに上を見上げる。
嗚咽が止まらない。最初から、期待なんてせず、適度な距離で居続けるべきだったんだ。
「友達」だと思っていた今までも思い出もぜんぶ、ただのまやかしだった。
私が見てきた友達の記憶はすべて、嘘と虚像で作られていたんだ…。
【友達の思い出】
【友だちの思い出】
古くからの友人と毎年、年越しと初詣を一緒に過ごしていた。
どちらかの家に行っては、ボードゲームやテレビゲームなどのゲームで遊ぶ。
その後は神社の屋台に遊びに行った。
これを大人になった今でも続けている。
毎回遊んだだけで記憶に残る大事件など何もなかったが、どれも懐かしい思い出だ。
これからも思い出を重ねられると良いな。
中学高校のことなど殆ど覚えていないのだが、彼がアスファルトに落とした青いアイスキャンディーだけは妙に鮮やかな色で残っている。
あの後自分のものを分けてやったのだか、笑ってやったのだか、その辺りはわからない。
No.14 友達の思い出
今回 ノ お題 は
少し 難し ゐ 。
いつか
゛ 思い出 ゛
という モノ が 作れたらな 、
と
時折 思って ゐ ます 。
煙草をふかして、マンションから海を見ているといつも思い出す。
今から何年も前のことだ。
俺が小学生の頃、藤野という友達がいた。会った時から仲良しになった。
一緒に宿題をしたし、喧嘩もしたし、帰った。
今考えてみるととても幸せだったなと思う。
そんな日常も簡単に砕け散るのがこの世ってものだ。
5時限目、ただ退屈で、外を眺めていた算数の時間。
ガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン
世にいう「東日本大震災」
花瓶は倒れ、扉は外れ、黒板はバチンと倒れ尽くす。
暫くすると止んだ。しかし安心はできなかった
この学校はとても海に近かった。
すぐに、校庭に集まるようにと放送が。
校庭へ集まる俺たち。どうやら自衛隊が来るまで待つというのだ。
あの先生たち馬鹿だ。そんな暇あるなら逃げろってという単純な話なのに。
その時、藤野がひそひそ声で話した。「おい、バレないように裏山へ走れ」
先生達が慌てふためく中、藤野はすごい力で俺をバチンと押した。
藤野の言う通り、先生に気づかないように裏山へ走った。(音は立てなかった)
裏山の麓の電柱並ぶ所まで走ってきた俺は疲れた。咄嗟に横を見ると、
海から大きな波が盛り上がっているではないか。
すぐに校庭は飲み込まれる!ここもやばい!!
すぐに感じた俺は山頂へ馬車馬のように走った
不安の混じった冷や汗がダラダラと流れ続けた。
ドパァァァン!!ドドドドドド!パパパァァン
遠くから音がする。でももうひたすら山頂へ走る俺。
暫くして、山頂へ着いた。
俺が水筒を飲みながら光景は、黒い水に飲み込まれている校庭。
校舎も2階の方まで飲み込まれていた。
藤野は? 先生は? 友達は?
もう心は只管に焦り続けた。感じたことの無い海への畏れ。哀しみ
涙が止まらなくなっていた。
麓の方まで波は来ていて、危なかった。
遅れていたら呑まれていただろう
その後、夕暮れの時間。
ヘリが飛んできた。救助隊だった
微かな希望が膨れ上がり、「オーイ!」「助けて!」と叫ぶ俺。
気づいてくれて、ロープで助けてくれた。
救助隊の話によると、俺の思った通り
校庭で待機していた人は悉く波に飲まれ、行方が分からない人が多いらしい
じゃあ……藤野は?
今までの思い出がフラッシュバック。
数多の青い思い出に勝るものは無かった。
これが東日本大震災の悲しい体験談である。
久しぶりに会った友達は変わっていた。
イラっとして。
合わないなって思って。
話すのには気まずさを感じて。
そんな自分に驚いた。
あんなに仲が良かったのに。
あんなに「親友っ!!」ってお揃いの物買って笑ってたのに。
でもしょうがないよね。
時間は人を変えるから。
でもあの頃仲良くしてたのは変わらない。
だから何があっても嫌いにならないよ。
あっちも同じだといいな
スマホをポチポチッて操作して。
誕生日おめでとう!
そう送った。
一緒にいるとなんだか安心できて、
この先を少しの間だけ心配しないで笑っていられた。
まだもう少し続いていって欲しい、友だちの思い出。
「友だちの思い出」
部屋の整理整頓をしていると、卒業アルバムが出てきた。
卒業アルバムを手に取りながら、学生時代を思い出す。
「懐かしいな」
卒業アルバムのページをめくりながら、私は独り言を呟いた。
色々な性格の人がいて、面白かった。
友だちの思い出で、思い出すのは、友だちと一緒に、好きなアーティストのライブに行った事がある。
あの日は、すごくすごく楽しかった。ライブ後に、お互いに感想を言い合って、またライブに一緒に、行こうね!と約束した楽しい友だちとの思い出。
今でもその友だちとは連絡を取り合っている。
スマホの通知音が突然、鳴った。
通知を見ると、友だちから好きなアーティストのライブにまた一緒に行かないか?というメッセージがきて、私はすぐに、行く!と返信をした。
友だちとライブにまた行けると思うと、楽しみだ!と思った。
たくさんの
人と出会いし
半世紀
友と浮かぶは
夏の日の君ら
コロナ禍に入学したせいで、休校期間が続いて、初登校は6月だった。
一ヶ月もすればあっという間に期末テストで、それが終われば夏休み。
夏休みも外出自粛期間で友達と遊ぶことが出来なかった。
そして、私は夏休み明けにストレスから起立性調整障害になり、2学期からは不登校になった。
3学期は1日たりとも学校に行かなかった。
それでも、ときたまクラスの子から「体調大丈夫?」とLINEが来るのが嬉しかった。
起立性が治ってきて、勉強も兄に教えてもらってかろうじて追いつけたから、2年生に上がるタイミングで学校に復帰した。
同じクラスだった子たちとは一ヶ月くらいしか直接関わったことなかったから、正直ほとんどの人が自分のことを無視すると思ってたし、イジメられるかなとも思ってた。
だけど始業式、私の名前が書かれた席に私が座ってるのを見て、話したこともなかった子たちが「久しぶりだね」「おかえり」って微笑みながら声かけてくれた。
3年以上も前の話だけど、その場で泣いちゃいそうなくらい嬉しかったことを覚えている。
当時の子たちとは今でも仲良し。
これを機に、改めてありがとうって伝えてみようかな。
/友だちの思い出
初めての友だちは
何才だったのだろうか
いくつもの友だちと
出会いと別れを
繰り返しながら
大人になっていく
そして大切な友だちは
いつも会えなくても
ずっと会えなくても
会えば一瞬で
私に戻れる存在
今でも一緒に思い出を
重ね続けている
【友だちの思い出】
小学生のころ
私はずいぶんと大人しい子供だった
だけどそれは本当の私ではなく
成長するにつれ
自分はお喋りな性格だと気が付いた
だから、家では家族とたくさん話していた
けれど大人を含め、周りのみんなは
私を大人しい子だと思い込んでいる
そのイメージをいきなり破壊するような勇気も
堂々としていられるような図太さも
当時の私にはなかった
だから私は
「大人しい子」として振る舞い続けた
でも、そんなある日
転校生がやって来た
その日の昼休み
私が教室で一人、本を読んでいると
転校生が話しかけてきた
なんの本を読んでるの? とか
そんな感じだったと思う
この転校生はまだ、私が「大人しい子」だと知らない
だから普通に話すことができた
楽しかったし、嬉しかったけれど
私はこのあとのことを考えていた
みんなの前で「大人しい子」として振る舞う私を見たら
この子はいったいどう思うのだろうと
結局、私とその転校生は
時々話すくらいの仲になった
でも深く仲良くなることもなかった
それから、その子は別の友だちをどんどん作っていった
よくよく考えたら当たり前だ
その子は、私が一人でいたとはいえ
知らない子に話しかけられるような
社交性の持ち主なのだから
私は私で
同じように本が好きな友だちと過ごすことが増えて
その子と関わることがほとんどなくなってしまい
そのまま学校も卒業して会うことすらなくなったけれど
私はやっぱり
その転校生とほんの数分話したことが
今でも忘れられないのだ
友達の思い出
いつだっただろうか。
最後に話したのは…
たしかバイクの上だったね。
君は私を守って天国へ行ってしまった。
私と君は一生の親友だよ
あれは友達の思い出と言っていいのだろうか。
小学校低学年の時、掃除の時間に話しかけてきた子がいた。
膝も腕も傷だらけ。転んだんだ、と言っていた。
私の家に遊びに来たいと言うので放課後家に呼んだら、何時になっても帰ろうとしない。
親は怒って、その子の家まで送り届けようとしたけれど頑なに拒否する。
私は学校で初めて話しかけてくれた子とトラブルになって悲しかった。
母親が噂を聞いてきた。
その子は継母に暴力を受けている事。
大人しそうな子の家に居座って食事をしている事。
また遊びに来たいと言われたのを断ったら、二度と話しかけてくれなくなった。
そのうち学校からいなくなって。
施設に引き取られた、と聞いた。
同じ年のその子はちゃんと大人になれただろうか。
どこかで元気にしているだらろうか。