『友だちの思い出』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
初めて友達ができたのは、5〜6歳の頃。
内気で友達が1人もできず、保育園でいつも1人でいた私に、先生が「あの子と友達になったら」と話しかけてくれた。
多分自分からは言えなくて、先生がきっかけを作ってくれたんだと思う。
もうそのきっかけは全く覚えていないけど。
初めての友達は、礼子ちゃん。
わたしのたった1人の友達だった子。
多分その子も人見知りで、ひとりぼっちだったんだろうな。
同じような2人をそっと結びつけてくれた先生、めちゃくちゃ優しい。
そして、一人一人の子をちゃんと見ていてくれたんだと思う。
小学校に入っても、ずっと仲良しの友だちで、毎日のように遊んでた。
いっしょにいても気を使わない、特にはしゃぐ2人ではないけど、とても気が合っていっしょにいるだけで良いって感じの関係だった。
上級生になってクラスが分かれて、なんとなく疎遠になってしまった2人。
何せ性格が似てるから、お互いにもうクラスも変わって親しい友だちができてるんだろうなぁ、私なんてもう忘れられてるに違いないなんて思って声もかけられなかったんだと思う。
今ならそんな事気にしないで、話しかければよかったのに!って思うけど。
幼い2人にはそれができなくて。
だけどずっと忘れられない、懐かしい存在。
今でも故郷の町に行くと、礼子ちゃんどうしてるかな?って思い出すし、町で偶然会ったりして!なんて淡い期待をしてみたり。
会っても2人ともおばあちゃんだから、多分わからないだろうな。
でも、何か感じるはずだとも思ったりする。
私の友だち第一号は、一生礼子ちゃんなんだからさ!
友達の思い出
いっしょに泣いてくれた
おともだち
助けてくれたおともだち
など
長くは続かなかったけど
…
親しくもなれないけど…
でも
そこには
優しさがあった
温かさがあった
それだけでいい
ありがと
拙いことばで
人には伝わらないけど
それでも
すこしでもつたわれば
いいなぁってきもちで
かいてます
見てくれてありがとう
ございます
かんしゃ
秘密基地。
親友の君と僕だけの秘密基地。
そこで一緒に遊んだり、おしゃべりしたりしたよね。
君の弾けるような笑顔を見て、
辛い時は寄り添ってくれる君に、
僕は恋してしまった。
僕は今日、君にこの気持ちを伝えようと思うよ。
〜友だちの思い出〜
友達となんかいろいろあっても
結局振り返って見る友達との思い出はキラキラしてる
─────「友達との思い出」
「友だちの思い出」
私の友だちはいつも何が思い出に残っているのか分からない。
テストの事か?それとも違う子との遊びか?何だろうと考えてしまう時がある、友だちの思い出は何だろうと。
友達の思い出。
あの日のあの夕焼け。一生忘れられない思い出だな。。
変わってしまったと思うのは
時の流れのせいなのだろうか
そして、それはきっと自分もだろう
変わってしまった
だから、その陳腐な言葉は、酒と共に飲み下した
同窓会とはやけに苦い味のビールが出るものだ
お題:友達の思い出
友達の思い出
友達ってなんだろうなってふと思う時があるんだよね。
喧嘩したり、信じれなくなったり、急に普通に話すようになったり。いろんな思い出があるな。
でも、友達は多くなくてもいることだけで幸せ。
「…引っ越し?」
「うん、結構遠くに行くことになっちゃった」
平然とした態度で、隣にいる親友__トモコは事実を伝える。
引っ越し。意味がわからない。何故そんな平気そうなのか。
悲しくないのか。私が嫌いだったのか。
(否定したいけど、否定できない。トモコも、こんな私に愛想が尽きたのかな)
「__楽しかったよね、色々」
(何で今さらそれ言うの)
「……そうだね」
「二人で買い物に行ったときはさ__」
それからトモコは、思い出を話し始めた。止まることなく。
(…速く、どっか行けよ)
ふと、あることに気づく。
トモコの語る声が段々頼りなくなっている。
そして、最後には、「ごめんなさい。ごめんなさい」とすがりつくように、私に謝る。
「ほんとは、引っ越し、なんか…行きたく、ないんだ。ユミと、一緒に、いたいよ」
__友達との最後の思い出。
じぃわじぃわと、蝉が鳴いている。
食卓には、母が盛り付けた色鮮やかな野菜のサラダが、ガラスの器で出されている。
こんな時は、あのひと夏を思い出す。
* * *
サンダルの裏で踏み締めた小石は、朝から太陽に晒されて、すでに熱を持っている。蝉の声が、うるさいほど耳に響く。叔父の家から、祠の脇を通り、近くの川まで歩いてくるだけで、ぼくはもう汗をかいていた。
川べりにしゃがみ込んで、指先を浅い水に浸けてみる。
気持ちいい…。
この夏休みに入って、母が急に入院することになり、ぼくは山間の叔父の家に預けられることになった。
それまで、親戚の葬式でしか顔を合わせたことがなかった父親の兄は、寡黙な人だった。たぶん、ぼくとどう接していいかわからなかったのだろう。
独身の叔父の家には、ゲームも漫画もない。ぼくも、何を話していいかわからず、日中畑仕事を手伝った後、黙々と食卓を囲むだけの日が二、三日続いていた。
「何してんだ?」
唐突に、頭上から声が降ってきた。
しゃがんだまま見上げると、ぼくより少し歳上らしい背丈ーー中学生くらいだろうかーーの人影が立っていた。
逆光になっていて、顔はうまく見えない。
「や、別になにも…」
叔父の家にいても、やることがない。持ってきた学校の宿題も終わってしまったし、遊べる知り合いもここにはいない。つまり、暇を持て余している。
「そかそか。じゃ、おれと遊ぶか?」
声の輪郭がぼやけたような、不思議な話し方だった。この人影が来てから、少しひんやりとした涼しさも感じていた。
「うん、いいよ」
相変わらず、相手の表情は見えない。でもなぜか、笑ったような気がした。
それから数日間、ぼくとその相手は、色んなことをして遊んだ。川沿いで待ち合わせては、蝉取りや、木になっている果物を食べたり、上流の沢に行って泳いだりもした。あまり、お互いに踏み込んだことは聞かなかった。彼は、本当に泳ぎがうまく、水をかく指の間に、薄い膜があるように見えた。
「危ないところもあるから、一人では、泳ぎに来るなよ」
「足がつかないから?」
そう聞くと、彼は困ったように頭をかいた。
「おれの仲間に、ふざけて、水中から足を引っ張るやつがいるんだよ」
なんの冗談なのか…?
ぼくは、急に体が冷えたような感覚に身震いした。そういえば、どんなに目を凝らしても、彼の姿ははっきりとは捉えられないのだった。
「それって」
「…さて、楽しかったな。そろそろ帰るか」
帰り道は、二人とも無言で歩いた。
いつもの川のところまでくると、彼は、じゃあ、と片手を上げた。
「気をつけて帰れな」
「あの、ありがとう」
そう言うと、ちょっと驚いた気配の後に、「おじさんにもよろしく」と返事が来た。
「叔父さんのこと、知ってるの?」
「ああ、キュウリおいしかった、って言っといてくれ」
キュウリなんか、誰かにあげたりは…いや、昨日、祠に採れたての野菜を供えに行ったな…。
「君、って…」
彼は手を振って、こちらに背を向けた。ごそごそと平たい何かを懐から出して、頭の上に乗っける。
あの祠に祀ってあるのって、たしか…。
帰ってその話をすると、叔父は変な顔をして聞いていたが、祠へのお供えものには、明らかにキュウリの割合が多くなった。それから、叔父とも少しずつ会話が増えた気がする。
* * *
その後、また彼と会えたことはないが、久しぶりに叔父の家に行ったら、あの川と祠に行ってみたい。たくさんの野菜を持って。
『夏の川と童』
(友達の思い出)
「友達の思い出」
友達の思い出と言うより
大切な人との繋がりは
ここの人達
しか思い浮かばない
いろんな意味で
私の中で変われた感じするから
なかなか本音言って怒る人なんか居ないょ
教えてくれてありがとう
言われると言う事は
まだ相手にされてる事?
昔の友達より
今の人達が繋がってる方が強い感じがする
人はどう思われてるのか分からないくらい
私の中では 怖いけど
ずっと 考えさせられる
ずっと前から
この先も
頭から離れないから
彼は何時もパン1でした
家に遊びに行くと
大抵 パン1でした
彼はエビせんに七味マヨネーズを
こよなく愛してました
飲み物は三矢アップルでした
彼の弟もパン1でした
弟は魚肉ソーセージにマヨネーズでした
彼はマギーシローさんが好きでした
彼はよく真似てました
よくハンカチの話をしてました
私は爆笑してました
彼は伊東四朗さんも好きでした
やはり真似てました
よくナウゲットチャンスと言ってました
もう遥か遠い昔の事
急に居なくなるから…
今はあなたにほめられたくて今も1人挑み続けてるよ…
今日も真似して…
いつかかならず会えたら…!
友だちとの思い出、ではなく、友だちの思い出。だから友だちに聞こうと思ったのだけれど、やめてしまった。彼女は初めての身近な死に傷心中だから。
友だちの思い出、たくさんあるはずだけど全部なくなってく
友達の思い出
6年の修学旅行のホテルの部屋で電気消して懐中電灯で顔照らしながら俺を3人で襲って来たこと
めっちゃ怖くて友(1人)の顔面にキックを食らわせてしまった。まじで申し訳ない
なお、未だにそれを思い出として俺をおちょくってくる
あと俺はビビり
君は覚えているかな
私達が初めて話した日の事
私達が仲良くなったきっかけ
私はもう覚えてないや
君は覚えているかな
放課も授業中も
沢山話して笑いあったこと
共通で好きな実況者さんの話を
毎日何回も何回もしていたこと
小学六年生後半のほとんどの下校も
中学生の頃の登下校も一緒にしたこと
同級生にカップルだー!
なんていじられまくったこと
誕生日やバレンタインに
私が家までプレゼント渡しに行ったこと
君と私が疎遠になったきっかけ
私は覚えてるよ
君との思い出は楽しい事ばかりじゃなかった
だけど私にとって君との思い出は
どれも楽しくて幸せでなによりも大切な思い出
私の思い出に友だちはいるけれど
友だちの思い出に私がいるかはわからない
時々ふと不思議に思う
どうして神様は僕達をこんなふうに
出会わせてくれたのだろうと
小学校帰りに急いで家に集まって
親に注意されるまでままごとで遊んだことも
中学校の頃一度だけ席が隣になって
授業なんてそっちのけで絵しりとりをした事も
高校からはバラバラだったけれど
合間を縫ってゲーム大会を開いたことも
大学の頃一度全てが嫌になった僕を
予定を蹴って家に泊まらせてくれたことも
今でもたまに話題にあがるそれらを
僕は一粒でも取りこぼしたくはない
今日のなんて事もない出来事でさえ
取りこぼさないように飾りつけてみる
同じものを見た時に
同じものを決まって連想するほど
僕らの思考はそっくりになって
けれど君は僕と違ってただ明るくて
前例のない突拍子もない行動をたまにしては
僕を翻弄させて笑わせる
こんなくだらない世界で
春の嵐みたいに突然僕の前に降ってきた君
他の誰にもとって変わりはしないから
どうか幸せでいてください
#友達との思い出
残念なことだが、友達との思い出にあまり良いものはない。私の人間性に難があるのか、それとも相手が悪いのか、その両方なのか。別に一緒にいる時のその時一瞬一瞬は楽しい。一緒にいる間は不快ではない。しかし、結局のところ私は相手の1番の親友にはなれない、その他大勢のモブにしかならないため、人生に一区切りつく時に必ず別れがやってくる。はっきりと別れがある場合もあれば、ゆっくりとフェードアウトする場合もあるが、どちらにしろ縁は切れる。そしてその縁切りには大抵ネガティブな事象がつきまとう。
こう、ただつらつらと書き連ねても面白くないから、一つ例を挙げてみようか。
私にはAという幼稚園以来の友達がいた。私たちは仲良く地元の小学校に入学し、最初の2年間は同じクラスだった。その後クラスが別れた時に友情は崩れ始める。Aと同じクラスであったBちゃんが、Aに執着し行動制限を課した。Aに私と遊ぶなと言ったのである。
尚、Bと私も友達ではあった。ただ、Aほどの親友ではなかったというだけである。私の記憶では、Bに対して特に意地悪をしたことも、仲間外れにしたこともない。私とAが遊んでいる時にBが来ても、それはそれで仲間に入れて遊んでいたはずである。私とAとBは仲良し3人組として周りから認知されていたほどなのだ。それなのに私はBによって仲間外れにされるのだから、不思議で仕方がない。
私とAは隠れて遊んだこともあったが、結局遊ぶ頻度は減り、クラスが違う状況が続いたこともあって少しずつ疎遠になっていった。Bは私立中学校へと入学したので、中学校では特にAと友達付き合いをしても支障はなかったのだが、いかんせん4年間も離れていたのだ。趣味も何も共通点がなくなってしまった。結局同じ部活に所属していたものの、言葉を交わす機会はさほどなかった。私は卒業する時になってやっとスマホを持ったが、Aと連絡先を交換しなかった。
ちなみにBとは中学時代において、役場主催の中学生向けの研修旅行に参加した時だけ関わりがあった。私立中学に進学したBは研修旅行参加者の中ではアウェイな存在であったから、参加者の中では一番付き合いが長かった私に絡んできた。それを私は無碍にせず、旅行期間中は友達として一緒に行動した。仲直りできた(そもそも喧嘩した覚えもないが)のかとこの時は思ったが、現実は甘くないことを数年後に知る。
高校、大学は別々のところに進学した。私とAでは興味も違うし、成績も異なっていたので、Aの志望先は気にもならなかった。幼稚園以来の付き合いだけだあって親同士は仲が良いので、高校以降のAに関する情報は全て親から聞いた。Aは県外の私立大学に進学していた。Bに関しても親から県内の私立大学に進学したことを聞いた。
そして、成人式。久々に3人が揃った。「仲良し3人組」が揃った。私たちが離れている間も、親同士は交流があったので仲良さそうに喋っていたが、私たちの間には通り一遍の挨拶をした後は気まずく笑い合うしかなかった。Bの親が写真を撮ろうと言い出して、会場前の成人式の看板前に並んだ。AとBはピタリとひっつきあって看板の左に立つから、私は一人右側に並んだ。写真を撮り終えて親の目が逸れると、AとBはそそくさと連れ立って会場の中へと入っていった。成人式の場であるが、大人の振る舞いはそこにはなかった。小学校時代から何も変わっていなかった。
私は一人で会場に入った。そこで運良くメイクしていても識別可能な、それでいて手持ち無沙汰そうな元級友に会ったので、学生時代は特別親しかったわけではないものの、並んで座った。互いに近況を話し、互いの晴れ着を褒めあった。周りの子の様子を見て、何色を着ている子が多いとか、どの子の髪型が良いとか、無難で楽しい会話をした。
こうして、私とAの関係は切れた。Bとは勿論である。これから先も、親から近況を聞くだけで実際に会って話すことはないだろう。それで十分だ。私はもうAとBに興味がないし、2人も私のことを知ったところでどうでも良いだろう。終わりよければすべて良しというが、本当にその通りだ。途中がどんなに楽しくても、終わり方が悪いと全ての記憶に蓋をしたくなる。
よって、友達との思い出というのに、あまり良い感情はない。むしろ友達とは呼び難いがそこそこ親しい知人との方が、楽しい思い出があるように思う。友達付き合いというのはその時だけ楽しんで、相手から特段求めがない限りは人生の節目でスパリと、潔く関係を断ってしまうのが一番合理的なのではないかと思う今日この頃である。
ねえ、覚えてる?
私たちが小学5年生ぐらいの頃のこと、私貴方が好きだったのよ。
帰り道、誰も居ないからって手を繋いだでしょ?私すっごい嬉しかったんだからね。
バレンタインも、クリスマスも、貴方の誕生日も、私は欠かさず手作りのお菓子を持っていったわね。
私ね、貴方の家に仲いい子ですらあまり入れないってことを聞いて嬉しかったのよ、だって貴方、私をさらりと家に入れたじゃない?
絶対に脈アリだと思ってた。でも、貴方は別の人が好きだった。
今私は別の人と、幸せに過ごしています。
貴方が前にくれたメッセージ。
「君のこと、まぁすきっちゃすき。」
ケータイの扱いにまだ慣れていなくて、誤字ばかりだった貴方が、初めてちゃんと打てた文字。
その時私は既に今の彼氏と付き合っていた。
ねえ、なんでかなぁ、なんで、あの時にその言葉を言ってくれなかったの?
もう、手遅れだよ。
でも、私はずっと、貴方と手を繋いで帰ったあの帰り道を忘れない。
#友達の思い出