じぃわじぃわと、蝉が鳴いている。
食卓には、母が盛り付けた色鮮やかな野菜のサラダが、ガラスの器で出されている。
こんな時は、あのひと夏を思い出す。
* * *
サンダルの裏で踏み締めた小石は、朝から太陽に晒されて、すでに熱を持っている。蝉の声が、うるさいほど耳に響く。叔父の家から、祠の脇を通り、近くの川まで歩いてくるだけで、ぼくはもう汗をかいていた。
川べりにしゃがみ込んで、指先を浅い水に浸けてみる。
気持ちいい…。
この夏休みに入って、母が急に入院することになり、ぼくは山間の叔父の家に預けられることになった。
それまで、親戚の葬式でしか顔を合わせたことがなかった父親の兄は、寡黙な人だった。たぶん、ぼくとどう接していいかわからなかったのだろう。
独身の叔父の家には、ゲームも漫画もない。ぼくも、何を話していいかわからず、日中畑仕事を手伝った後、黙々と食卓を囲むだけの日が二、三日続いていた。
「何してんだ?」
唐突に、頭上から声が降ってきた。
しゃがんだまま見上げると、ぼくより少し歳上らしい背丈ーー中学生くらいだろうかーーの人影が立っていた。
逆光になっていて、顔はうまく見えない。
「や、別になにも…」
叔父の家にいても、やることがない。持ってきた学校の宿題も終わってしまったし、遊べる知り合いもここにはいない。つまり、暇を持て余している。
「そかそか。じゃ、おれと遊ぶか?」
声の輪郭がぼやけたような、不思議な話し方だった。この人影が来てから、少しひんやりとした涼しさも感じていた。
「うん、いいよ」
相変わらず、相手の表情は見えない。でもなぜか、笑ったような気がした。
それから数日間、ぼくとその相手は、色んなことをして遊んだ。川沿いで待ち合わせては、蝉取りや、木になっている果物を食べたり、上流の沢に行って泳いだりもした。あまり、お互いに踏み込んだことは聞かなかった。彼は、本当に泳ぎがうまく、水をかく指の間に、薄い膜があるように見えた。
「危ないところもあるから、一人では、泳ぎに来るなよ」
「足がつかないから?」
そう聞くと、彼は困ったように頭をかいた。
「おれの仲間に、ふざけて、水中から足を引っ張るやつがいるんだよ」
なんの冗談なのか…?
ぼくは、急に体が冷えたような感覚に身震いした。そういえば、どんなに目を凝らしても、彼の姿ははっきりとは捉えられないのだった。
「それって」
「…さて、楽しかったな。そろそろ帰るか」
帰り道は、二人とも無言で歩いた。
いつもの川のところまでくると、彼は、じゃあ、と片手を上げた。
「気をつけて帰れな」
「あの、ありがとう」
そう言うと、ちょっと驚いた気配の後に、「おじさんにもよろしく」と返事が来た。
「叔父さんのこと、知ってるの?」
「ああ、キュウリおいしかった、って言っといてくれ」
キュウリなんか、誰かにあげたりは…いや、昨日、祠に採れたての野菜を供えに行ったな…。
「君、って…」
彼は手を振って、こちらに背を向けた。ごそごそと平たい何かを懐から出して、頭の上に乗っける。
あの祠に祀ってあるのって、たしか…。
帰ってその話をすると、叔父は変な顔をして聞いていたが、祠へのお供えものには、明らかにキュウリの割合が多くなった。それから、叔父とも少しずつ会話が増えた気がする。
* * *
その後、また彼と会えたことはないが、久しぶりに叔父の家に行ったら、あの川と祠に行ってみたい。たくさんの野菜を持って。
『夏の川と童』
(友達の思い出)
7/6/2023, 9:14:06 PM