『優しさ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
優しさが身を滅ぼす、優しい人間が損をする、だから優しい人を見るたびに不安になる、いつかその優しさが呪いにならないかと不安になる
今日、学校で二時間目に校長先生からお話がありました。その話は、平和についての話でした。去年の五月に修学旅行で知覧特攻平和会館に行き色々な事を知れました。その中で私は戦争が何回あったかが分かりませんでした。今も戦争をしてるところがあります。戦争で残る基地みたいな物は十四個ぐらいで種子島も入っていてビックリしました。
戦争になる原因は私はこう思います。悪い言葉一言だけその言葉は、広まり分かれてしまし、戦争になると思います。なのでこれからわ皆んなと仲良くして、皆んなが少しでも優しくいれたら戦争は、起こらないと考えました。
最近気がついたのは、私の優しさは無責任の表れでしかないということだ。
相手の意思に委ねる。責任まで全て預けられたように感じるが、相手に委ねるという私の意思と折半なので、実の所まったく責任から逃れてはいない。その上、あなたにお任せしますという触りのいい言葉で自己陶酔にまで陥るから本当にたちが悪い。
これに気づいてからは私自身の意志を表明するようにしている。いつまでも相手に責任を擦り付けて、お客様気分でいるからうまくいかないのだと分かってきた。こんな当たり前のこと、周りの人間がとうに到達したレベルに今更取り組んでいるように感じられる。未熟だ。
優しさ
私だけが知ってる
本当のあたたかさ
あなたから溢れ出る
私だけが感じる本当の…
優しさ
私はこの投稿を始め
初めてながら頑張って投稿しました。
文の作りも難しく お題も難しく
すぐ消すと思いましたが、
今でもやり続けているのは
色んな人が自分の投稿に
いいねしてくれているから
色んな人の優しい言葉で、
支えてくれて、今直続けられています。
皆さんありがとうございます🥀
優しさ
優しさ時が辛いと感じる時がある
なんでこんな私に優しくするの?って思ってしまう
優しさ
悲しい時や苦しい時は
ずっと側にいるよ
そうすれば
痛みを半分こに 出来るから
もちろん
嬉しい時や 楽しい時もね
どの瞬間も
僕たちの 大切な時間だけど
その中でもより多く
君を笑顔にしたいんだ
優しさ
昨日のできごと。
夜道に自転車を走らせたところ、ライトが点いて
いないことに気付いた。街灯の下で一度立ち止ま
り自転車をいじくっていたところ、白いトラック
が通り過ぎろうとしてた。トラックはスピードを
落とし、少しバックをしながらヘッドライトを私
の自転車に当てて停まった。
おじさまが降りて来て、『どうされましたか』と
声をかけてくれたのだ。ライトが点いたのを確認
すると、颯爽と走り去って行かれた。
まるで、白馬(白いトラック)に乗った王子様(おじ
さま)に会った気分で、通りすがりの見知らぬ方の
優しさに、心がほっこりしたのだ。
このほっこり連鎖を、私も誰かにつなげよう。
優しさを持つことがいけない事なのかな?
優しいだけではダメだよ、会社で上司に言われた一言から考えた。
なんでダメなんだ、優しさは僕たち人類の味方となる力なのに。
優しさに指図するなと僕はその時思った。
今はだめ、お願いだから
それ以上は何も言わないで
ひっそりと堪えていた涙が
情けないくらいに溢れてくる
私は優しさを知らない。
だから私はダメ人間製造機と呼ばれてしまう。
でも、頼まれたら断れないじゃん。
謝られたら許しちゃうじゃん。
抱きつかれたら抱きしめ返してあげないといけないじゃん。
それのなにが間違ってるの?
これは優しさじゃないの?
じゃあ、優しさってなに?
優しさは、想像する事だと思う。
人には目には見えない困難や苦しみがそれぞれにあって、気付かれないものは存在しない物として扱われてしまう。自分が配慮をする必要がある事に最初から気付かなければ、その方が楽だと感じる人も多いだろう。
それでも、相手に対し色んな可能性を自分の中で想像し、その上でどうするべきなのか考えられる力を、人は優しさと呼ぶのだと思う。
ほんとの「優しさ」は気づくことが出来ない
目に見えない、気づかない「優しさ」が
本当の優しさ
ほんの些細なことに優しさがあるのだ
優しさは雨のようには降ってこない。
優しさは自らが与えるんだ。
待ってるだけでは来ないし
悪い事をしたら優しさに見放される。
優しさにもたくさんの種類があるんだ。
教えない優しさ
嘘をつく優しさ
助ける優しさ
支える優しさ
数々の優しさがある
人それぞれの優しさがある。
でもその優しさを与えてくれる人は
与え続けたらいつか崩壊してしまうだろう。
でも、その時は
優しさを与えてもらった人が
やさしさをあたえたあげればいい。
【優しさ】
✂︎-----------------創作⚠⚠⚠⚠-------------------✂︎
死にたいよ、つらい生きている意味がわからない
いつになれば答えが出るのだろうか
答えのない問題を自問自答して
答えのある問題から目を背ける。
真っ暗な闇の中道の無い道を歩き続けてる。
今日も昨日もきっと明日も明後日も歩き続ける。
あとどれ位歩けば
あとどれ位進めば
僕はここから抜け出せるのだろう。
"ねえ休んでもいいんじゃない?
そろそろ疲れない?"
つかれた、疲れたけどあと少し頑張ったら
"認めてもらえるんだ"
"もう充分頑張ったよ''
まだ頑張れてない。
"その頑張が終わるのはいつ?''
きっとこない。
"じゃあ休んじゃおうよ、大丈夫少し休んでも怒られやしないさ''
じゃあ少しだけ休むよ、
"うん。おやすみゆっくり(永遠)眠ってね。''
その日はとても綺麗な月が輝いていた。
【星が降る夜に】
ほぼ全ての優しさは
この世に溢れる優しさは
ただの偽善に過ぎない
自分の為に人を愛する人
思ってもない事を並べる人
気遣っているようで
何も理解していない人
そんな人ばかり
そんな優しさばかり
その偽物の「優しさ」に
何度裏切られただろうか
何度気づいただろうか
そしてどれだけ
人を信じられなくなっただろうか
傷ついて、その傷口に塩を塗られて、
痛みに壊れそうになったけれど
貴女の本当の優しさがそれを
癒してくれた
あぁ、優しさって本当にあるんだ
そう思えた
貴女からたくさん優しさを貰えた分
誰かに返したい、と
そう思えた
皆に裏切られて孤独だった時
決して思えなかったその想い
決して人に優しさをなんて思えなかった
本当に、本当に、ありがとう
心を何処まででも癒す
心を何処まででも包み込む
そんな無償の暖かい想い
きっとそれこそが本当の優しさ
世の中には善悪の判断ができないひとが、一定の割合で存在する。それは単に「これはしてはいけない」、「これはしてもいい」などの区別だけでは無い。物事の本質やその言行が及ぼす影響や結果といった想像を伴うものである。物心ついた頃から様々なことを体験しながら成長する。その過程で経験したことなどを元に、善し悪しや影響が及ぼす事柄を考えます。つまるところ、ひとは幼い頃から物事の善し悪しや是非を学ぶ以前に想像力を養って育っていく。その想像の及ぶ範囲というのは人それぞれであり、イメージの仕方にも十人十色の違いがある。事細かに細部までイメージをする人もいれば、漠然とした全体像だけをイメージする人もいる。
例えば絵を描く時、遥か遠くに見える山々の木々や緑豊かな葉の一枚一枚まで繊細に描く人がいれば、雄大で壮大な山と太く幹を構えた大樹を描く人もいる。これはどちらかが優れていて劣っているというものではなく、描くひとが何を思って絵を通して何を伝えたいのかによる。例えば木を描く時、その生命力の強さや春夏秋冬、様々な天候の中逞しく生きる姿から「命」を意識して太くどっしり構えた木を力強く描く人。例えば、木の枝枝や木の葉の一枚一枚に命の尊さ儚さ切なさを見出して優しく温かく描く人。
想像の域や程度はひとりひとりに差であったり、度合いに違いがある。しかし、自分の行うことの結果や及ぼす影響などは親や周囲の大人、それこそ同世代のひとたちと過ごす中で学んでいく。何をすれば嫌がられ、なにをすれば喜ばれるのか。それは、人と接していく中で実際に経験していくことで自分自身の判断材料になっていく。人とのかかわり合いの中でより豊かな想像力を育んでいき、これにより物事の善悪や影響と結果を意識して行動するようになる。
しかし残念ながら、幼少期や成長期に家庭の事情や状況から、そうした基本的には教えなくても学んでいき、養い育んでいくはずの人間性を身につけることなく成長してしまうひとがいる。物事の判断基準に人の喜怒哀楽や気持ちなどはなく、あるのは自分自身の願望や欲望。そして、それをしたいからするという本能的な思考と動機である。
「優しさ」というお題に対して、長々と口弁を垂れたのには理由がある。例えば家族内など身内同士では割と間違いや誤解、常識に欠ける部分を指摘し合うことは一般的でしょう。しかし、これが友人同士となるとなかなかに話が変わってくる。というのは、友人同士とはいえ他人同士でありながら気を同じくして付き合っている関係。「気分を害してしまうのではないか」、「指摘したら仲違いするのではないか」と要らぬ気を遣ってしまうでしょう。ところが、この気遣いは相手を思ってのものではなく自分自身の保身の為に過ぎない。
「言われるうちが華」という言葉があります。これは「ひとが注意をしてくれるうちは、気にかけてくれている証拠だから、よく耳を傾けなさい」というもの。では、注意をする人は好き好んで口酸っぱく指摘をしている訳ではありません。相手が成長してくれるなら嫌われ者になっても構わないという気持ちがそこにはあります。相手を想うからこそ厳しいことを言う。相手を想うからこそ言いづらいことも言う。相手を想う優しさとは、得てして時に自分の心苦しさをも伴うのです。
「人にやさしく」、「環境に優しく」というと温かく包容力のあるイメージをするものです。しかし実際には包容力だけでなく芯の強さや逞しさと強さを持ち合わせています。人にやさしくできる人というのは自分を律して、自分自身に厳しくなれるのです。環境に優しく行動できる人は、生活の中でもそのストイックさや自身への厳しさは目を見張るものがあります。
冒頭に触れた、善悪の判断が出来ないひとが一定数いるというもの。SNSが普及して「自分」というものを発信し易くなった現在、様々な方法でアピールをするひとがいます。その中で俗に言う「バカッター」や「バイトテロ」はひとりで撮影している方もいれば、同僚や友人同士で撮影しています。では、この時にもしもその場のノリなどというものに支配されず、相手の気を害してしまうと思っても注意をするなどしていれば過ちを未然に防ぐことは出来たはずです。もちろん、その場では未然に防いでも本人に迷惑や自分の行動が及ぼす影響についてなにも意識をしていなければ、どこかで誰かの注意を受けることなく過ちを犯してしまうかも知れません。しかし、注意をしたことによって意識を芽生えさせることができるかもしれません。意識を持たせることができるかもしれません。
相手のことを想うなら、その場のノリや雰囲気などに構わずその場で注意をしてあげることが本当の優しさなのではないでしょうか。それで嫌われて離れていくならその程度の関係だった。その程度の友情だったということです。しかし、そこに本当に友情があるならば、注意に耳を傾けてくれます。優しさとは心を鬼にするということにほかなりません。また、これは自分自身にも言えることです。自分のことを心から大切にしてあげるためには自分を律する厳しさや、自分を労ってあげることのできる温かくて大きな心が必要です。
「優しさ」とはなにも親切なものでは無いということを胸の片隅にでも置いておくことができれば、人生はもっと豊かになるのではないでしょうか。
#優しさ
『優しさ』
雪が綺麗だった。
傘に隠れてキスをした夜、彼の家で具だくさんの豚汁を作って、二人で食べた。
あったかかった。
あったかいだけで幸せ気分になる。
「やっぱり日本人は味噌汁だよな。」
なんて納得顔で笑って、おかわりをせがむ彼。
味噌汁って幸せになる。なんだかそう実感して、たっぷりとおかわりを注いだ。
「お前の味噌汁が一番!」
嬉しそうにおかわりに箸をつける。
ふと気になる。
「なんかさ、君って呼んだり、お前って言ったりするよね。」
彼が私の瞳をみつめる。
「あぁ、うん、嫌?」
「全然いいけど。」
彼が目を伏せてゆっくり豚汁を飲みながら答える。
「お前の方が近い気がするし、君って大事に呼びたい時もあるし、両方あるんだ。」
「そうなんだ。」
「どっちが好き?」
「んー、両方。」
「気が合うな。」
お前って呼ばれるのも、私は嫌いじゃない。寧ろドキドキする。彼のものになったみたいで嬉しい。
君って呼ばれるときは、きちんと女性扱いして貰えてる気がして、それも嬉しい。
彼はいつも紳士的だけど、時々男らしいから、ぐっとくる。
子供みたいな彼も好きだし、私を大事にしてくれるとこも嬉しくて。
心を鷲掴みにされている。
でも、それが痛くない。
とても優しい。
彼の私に対する優しさは、まるごと包み込んでくれる安心感があって。
味噌汁のようにホッとする。
かけがえのない、私の恋人。
雪の中でも温かかった。
ー優しさー
花咲いとるね。春やなあ。
空、真っ青や。あ。飛行機雲。
川に何かおらんかな。あ、魚おったよ。
んー、梅雨入りの匂いがする。
自論だが、
自然を感じ取れる人、
それを口に出す人は、
根っからの良い人で、
優しさに溢れている気がする。
[ある小学校の図書室]
おい片桐。もう5時になるから、あとは家で読めよ。貸出票出しな。
図書委員の須藤が、西陽が差す窓側で読みふける少年を呼ぶ。
片桐は閉館までいつも待ってくれる彼の優しさに感謝していた。
図書室を出ると、隣の備品室の引戸が少し開いていることに気づき…思わず須藤が覗き込む。"開かずの間"で有名だからだ。
中で後ろ姿の誰かがしゃがんでいたが、
「須藤?」片桐の呼び声に振り向く。
「あ、しまった…鍵を…」
校長先生だった。そして戸を開け二人を凝視する。何か見てはならないものを見たようだ。
[40年後。同小学校]
片桐は、この小学校の校長に赴任してきた。彼は自分がこの運命の場所に戻ってきたことは偶然ではないと感じた。
校長室からあの図書室と備品室は近い場所に。校舎はリフォームはされていたが、当時とほぼ変わらない。
あの開かずの戸の前に立つと、後ろから教職員が
「校長、お電話です。須藤様という方から」
校長室で受話器を取る
「久しぶりだな。校長着任おめでとう」
「最後に会ったのは、お互い大学に進学した後の同窓会…以来か?」
懐かしさで話が弾むと同時に、この場所に来て彼からの連絡。やはり偶然ではないと直感した。
「片桐。再会も兼ねて飲まないか?そして、あの時の話もしたい…この学校の秘密について」
須藤は私がここに着任することを知っていた?あの開かずの間についての話なら望むところだ。
偽善とか同情なんかじゃなくて
小さな幸せをくれる貴方が好きだった