『何でもないフリ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
何でもないフリ
何か特別な感情や状況を抱えているのに、それを悟られないように、まるで何もなかったかのように振る舞うことです。
取り繕う
平静を装う
仮面をかぶる
※何でもないフリ
まぁー強がりは散々してきてるよ
緊急入院した時に
「突然死のリスクがありました」
「その指定難病で、なぜ喀血していない?」
「悪化したら透析です」
「2年以内に腎不全になる可能性がかなり高いです」
「輸血の影響で内出血しやすいから運動禁止です」
1週間以内に言われてさ
夜中に枕を濡らしてた。
昼間は看護師さんに笑顔だよ
看護師さんたちの優しさが
心を助けてくれたから
強がりも頑張れたよ
なんでもないふりをして気にしている。
横目でずっと見てる。
気づかれているのかな?
なんでもないふりする人
怖いよね
関わったら
どう関われば良いか
わらえばよいか
反応がわからない
怖い
なんでもないフリ
なんでもないフリをいっぱいしてる
揉め事が嫌いで
いざこざはストレスでしかない
伝えても伝わらないなんて
めんどくさいやつに会ってしまったな
早めに気付いたのに
遅めに気づくやつにモヤモヤとする
まあそんなこと言ってもな
好きになっても
仕方ないだとか
年がら年中キリがない
だからなんでもないフリだ
、、、
この気持ちを言葉にするなんて
難しいことだ
あなたのせいで
まんまと
好きになっちゃった
そんなことは言えないけど
まさかねと
思いながら
人生できっと最高の恋
だって、叶えられないのに
好きになっちゃってさ
何でもないフリしてたけど、
ホントは、そうじゃなかったんだよ。
素直に言えれば良かったんだけどね、
そうもいかなかったんだよ。
【何でもないフリ】
そうだな、100×0って感じだよ。
#何でもないフリ
痛くても、何でもないフリ。痛そうにしていたらカッコ悪い。嬉しくても、何でもないフリ。少しはカッコ、つけさせてほしい。
結局、「フリ」である時点で自分の格好を気にしている。わかるよ。たまには何でもないフリをしてクールにキメてみたいよね。それをカッコ良いと思う。わかる。だって、人って誰しも……たとえ自覚していなくても、人からの目を気にしている。こうすればどう見られるだろう。何をすればカッコつけられるかな。結果的にそれが秩序を守っているとも言える。逆に人の前で全力でリアクション出来る人なんてそうそういない。誰もがフリで、自分を他人の目から守っている。
否定しない。他人の目は大切。モチベーションにもつながる。だから、心の中で全力で痛がってほしい、嬉しがってほしい。そして、一人になれば全力でリアクションしてほしい。一人、自分の中で何かを溜め込まないでほしい。
何でもないフリをしているだけです
同じ土俵に立つのは嫌なだけです
愛想笑いをしたのは受け入れたからではありません
労力を無駄に消費しないために
そっと心を閉じただけです
怒りが沸いたのに、何でもないふりをした
悲しかったのに、何でもないふりをした
どきっとしたのに、何でもないふりをした
嬉しかったのに、何でもないふりをした
何でもないふりをする
自分の心に嘘をつく
何のためにそうするのか?
その場を丸く治めるため
嫌なことで心をいっぱいにしたくないため
でも忘れることじゃない
ふりをしたって自覚しちゃってます
その場しのぎのもの
素直に生きよ♪
何でもないフリしてれば、本当に何でもなくなると思ってたの。いつからか、何が何でもないことなのかわからなくなっちゃった。
【何でもないフリ】
12/11 お題『何でもないフリ』
主様が大事な話があるというので執事たちは全員食堂に集められた。
みんな何事かとざわめいていたけれど、主様がやってきて静寂が訪れた。
主様は全員を見渡すと、めずらしく緊張しているのか、ピンクの小花柄の白いスカートを両手で握りしめた。
「あのね、」
口を開いたけれど、はくはくと開いたり閉じたりするだけで言葉にならないようだ。
その様子を見て、俺は例の青年とのことだな、と勘づいてしまった。
おそらくここにいる執事たちもあらかた気づいているのかもしれない。そのくらいふたりの関係はオープンで、彼も何度か屋敷にパイを持って遊びにきていた。
「えっとね、」
主様の額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
うーん、どうしよう……。
するとルカスさんが一歩前に出た。
「主様、具合が悪そうなのでお話はまた次の機会にしませんか?」
そう言うと、さっと主様を横抱きにした。
「ベリアン、カモミールティーを淹れてくれるかな? アモンくんも今が一番見頃な花を採ってきて」
テキパキと指示を出したルカスさんは、腕の中の主様に向かって微笑みかけた。
何でもないフリをできるルカスさんはやはり大人なんだ……それに比べて俺は何もできていないな……。
運ばれていく主様を見送って、ルカスさんと俺とを比べて、また凹んでしまうのだった。
=====
12/10 お題『仲間』
画廊で手を繋いでいたふたりを見てしまったことを、俺は独りで静かに寂しく思っていた。
主様から想いを寄せられて俺は満更でもなかったのかもしれないし、そんなすぐにすぐは恋人と出会って紹介されるとも思ってなかったのかもしれない。しかしいざその場面に直面してみると、思いのほかダメージを受けている。
それでも、これでよかったのだと思う。
俺の想い人は後にも先にも、前の主様ただひとりなのだから。
2階の執事室の小さな椅子に身体を押し込んで膝を抱えていたけれど、『これでよかった』と思ったら少しは心も軽くなった気がする。立ち上がって身体をうーん! と伸ばしたところでドアがノックされた。
ドアの隙間から見えてきたのはベリアンさんとラムリ、フルーレの3人。
「どう……したのですか?」
新鮮な組み合わせに驚いているとラムリが身を乗り出してきた。
「眼鏡くんを元気づけに来たんだよ!」
「あ! ちょっと、ラムリさん!?」
フルーレが慌てているとその背後でベリアンさんが「あらあら」と苦笑っている。
「まぁ……概ねラムリくんの言っている通りなのですが。
もしよかったらお茶でもしませんか? ひとりでいるよりも、気持ちを誰かと共有することでスッキリできることもありますから」
ベリアンさんからの申し出に、
「実はついさっき割り切れたところなんです。あ、でもみんなとお茶は飲みたいです!」
俺はめずらしく素直に返事をした。
「それではみんなでティーパーティーをしましよう!」
「そうですね。ロノのスウィーツも、バスティンのケークサレも、他にもいろいろありますよ!」
それらは俺を励ますために用意されたものだと、さすがの俺も気がついた。
「ありがとう、みんな……」
「お礼はいいんですよ。私たちはみんな仲間、いや【家族】なのですから」
家族。その言葉に胸が温かくなるのを感じながら俺は引きこもっていた2階の執事室を後にした。
大好きな貴方。あの子と話す貴方はとても素敵な笑顔。そんな笑顔が好き。あの子へ気遣いする貴方。そんな優しい所が好き。好き…だからこそ何でもないふりしてるんだ。貴方が好きだから。
何でもないフリ
何でもないという君は、いつも辛そうに笑っていて。
辛い辛いという君は、いつも楽しそうに泣いている。
何でもないフリをした僕は、いつも君を支えられずにいた。
「何でもないフリ」とかけまして
「なし」と解きます。
その心はどちらも「用無し/洋梨」です。
寂しいけれど
心配はされたくないから
なんでもないふりして笑うのです
【何でもないフリ】*184*
辛いのや、悔しいのや、悲しいのは
見られたくなくて
できるだけ平気なフリしちゃうかな
嬉しいのはニヤけちゃって隠せない笑
好きがダダ漏れにならないように
ちょっと大人なフリをしてみるけど…
バレてないかなぁ
バレてないといいな♪
でもなぁ〜かまわずにはいられなくなるから無理っ笑
『何でもないフリ』
何でもないふりをして、なにも知らずに笑うあなたの隣に並んだ。
何でもないふりをして、目線に下に向けたまま悲しさを笑顔の奥に潜めたあなたが大丈夫だよ、なんて静かに息を溢す。
大丈夫じゃないことなんてわかりきっていたけれど、正しい返事なんてわからなくて、ただその肩を抱いた。
あなたの体温が、今にも泣き出しそうな子供のように熱くなっているのがわかる。
何でもないふりをするあなたが、その全てをさらけ出せるのが私であってほしいと思った。
何でもないフリ ここたん
悩みなんか無いでしょ
そう言われる
でも私メンタルが弱く
ちっぽけなことを
くよくよ考えるの
心をオープンにするのが
とてつもなく怖くて
怖いのを悟らせないために
顔に仮面をかぶるの
心を許せるのは
家族やごく一部の
親しい人達だけ
何でもないフリ
してるだけなの
何でもないフリ。
「何でもないフリ」は日常の中に影のように潜んでいる。
ある日SNSを観ていたら、電車での席を譲るか、譲らないか問題が勃発している動画がオススメに表示された。
私が学生時代は、席を譲ることはただの親切で、譲られた側もただの親切を受け取るだけだったのに、と驚いてしまった。
内容は、妙齢の方に席を譲ることが失礼に当たるのだというものだった。
人の親切を裏返しに受け取ることには「何でもないフリ」ができるのに、自分のプライドには「何でもないフリ」ができないのだと、感じた。
席を譲ることは失礼に当たる、年齢を考えて声を掛けるべき、そういったコメントが多く見られ、しまいには席なんて怖くて譲れないといった声まであった。
こんな窮屈な社会になってしまっていたのかと驚いた。
他人を傷つけることに敏感になった私達は、「何でもないフリ」という鈍感力を何処かに置き忘れてきてしまったのだと思う。
嘘をつく事、世間体を保つ事、見栄を張る事で、守れるものもたくさんあるのは事実だが、
それでも人に対する心の持ちようや思いやりといったものは、私達が誇って良い文化ではないのだろうか。
人に優しく、周囲の人に気を配る、ただそれだけで日常はもっと温かい気持ちを共有できるはずではないのか。
眼の前で困っている見知らぬ人にそっと目配せをする。
相手の意思を慮る、察する事ができる私達の一種の超能力みたいなこの共感性は、これまでの文化を築いてきた遺産でもあるはずだ。
私はその動画を観て、悔しくなった。
けれども、そんな私も窮屈と感じるまで「何でもないフリ」をしてきてしまっていたのだ。