沁み圖書房

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何でもないフリ。

「何でもないフリ」は日常の中に影のように潜んでいる。

ある日SNSを観ていたら、電車での席を譲るか、譲らないか問題が勃発している動画がオススメに表示された。
私が学生時代は、席を譲ることはただの親切で、譲られた側もただの親切を受け取るだけだったのに、と驚いてしまった。

内容は、妙齢の方に席を譲ることが失礼に当たるのだというものだった。
人の親切を裏返しに受け取ることには「何でもないフリ」ができるのに、自分のプライドには「何でもないフリ」ができないのだと、感じた。
席を譲ることは失礼に当たる、年齢を考えて声を掛けるべき、そういったコメントが多く見られ、しまいには席なんて怖くて譲れないといった声まであった。

こんな窮屈な社会になってしまっていたのかと驚いた。

他人を傷つけることに敏感になった私達は、「何でもないフリ」という鈍感力を何処かに置き忘れてきてしまったのだと思う。

嘘をつく事、世間体を保つ事、見栄を張る事で、守れるものもたくさんあるのは事実だが、
それでも人に対する心の持ちようや思いやりといったものは、私達が誇って良い文化ではないのだろうか。

人に優しく、周囲の人に気を配る、ただそれだけで日常はもっと温かい気持ちを共有できるはずではないのか。
眼の前で困っている見知らぬ人にそっと目配せをする。
相手の意思を慮る、察する事ができる私達の一種の超能力みたいなこの共感性は、これまでの文化を築いてきた遺産でもあるはずだ。

私はその動画を観て、悔しくなった。
けれども、そんな私も窮屈と感じるまで「何でもないフリ」をしてきてしまっていたのだ。

12/12/2023, 10:34:02 AM