『今日にさよなら』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
辛いことや悲しいことがあった日
引きずるかもしれないけど
頑張って楽しいことや嬉しいことを想像しよう
そして今日にさよならをして
明日へと人生を歩んでいく
今日という今日は二度とこないから
今日という今日を大切に生きたい
平凡で当たり前のように
過ぎてゆく今日だけど
やっぱり
今日という今日は二度とない
今日という今日を一生懸命生きれたかな
今日という今日にさようなら
今日のわたしにさようなら。
わたしは昨日のわたしと今日のわたしは別人だと思っている。
昨日どれだけ機嫌が悪くても、今日はなんだか気分が明るかったり、昨日どれだけ先生に褒められても、今日は全然だったり。
同じ人間ではあるけど、昨日のわたしと今日のわたしでは絶対に何かが変わっている。
とても些細なことかもしれないし、大きな変化かもしれない。
例えば昨日、友達と喧嘩したら、今日の朝は昨日の朝より気持ちが暗い。例えば今日、発表を褒められたら、今日の夜は昨日の夜より心が晴れている。
暗い気持ちにその後光が差すかもしれないし、晴れた心にもすぐに雨が降るかもしれない。
それは予測のしようがないけど、確かに変わっていくのだ。
だからわたしは、できるだけ明日の自分を他人だと思うようにしている。
他人だから、今わたしがどれだけやる気があっても、明日はそうじゃないだろう。
他人だから、あんまりキツいことさせたらいくら自分でも憎まれるはず。
それは分かり合えないとかそういう意味じゃなくて、人であることを覚えておくということだ。
よく言われる「自分を大切にしなさい」って、こういうことかなと思う。
さて、どうせ明日のわたしは学校が嫌で落ち込んでいるだろうから、メッセージでも書いておくか。
頑張ってね、わたし。なんとかなるよ。
これからわたしは、今日のわたしにさようならをして、明日の知らないわたしになる。
おやすみなさい。
【今日にさよなら】
こんな諄い表現を使ったことがない。
さよならしなくとも今日は勝手に去っていくのであるから、挨拶は無用である。
別れ際でも「さよなら」などと私は言わない。
「じゃあね」とか「またね」が妥当であろう。
ともすると私は過去に未練があるのだろう。
「さよなら」は、相手に対する決別の意味合いを持っており、「じゃあね」とか「またね」は再開を前提にした挨拶である。
つまり「今日にじゃあね」とか「今日にまたね」というのは、やってこない今日という日の再開を願っているという、時間概念を考慮しない浅はかな言葉であるのだ。
「今日にさよなら」と言ったなら、明日には何と挨拶をすれば良いのか。
「明日におはよう」であろうか。
明日は正確には午前0時~であるから、朝日も昇っていないのにおはようは場違いである。
NHKでは午前4時頃から「おはよう」というようである。
ではそこまでの0時~4時までは何と挨拶をするのであろう。
まだ夜であるから「こんばんは」が妥当か。
だが私たちは始まりの挨拶を「おはよう」と考えなしに発している。
一日の始まりが「こんばんは」とは聞いて呆れるってもんである。
こんなときに使いやすい挨拶は「お疲れ様です」である。
社会人になると知らぬ間に毒されているこの言葉は再現性が非常に高い。
まだ疲れてもいないのにお疲れ様。
これから訪れる疲労を前提として「お疲れ様」と前もって挨拶をするのだ。
「明日にお疲れ様です」ということだ。
それならば「(陽が昇ってないけど)明日におはよう」でも扱いは同じではないか。
が、そう言ってしまえば私が考えたこの時間が無駄になるので、この結論は論外である。
こんな下らないことを考えながら、私は今日にさよならをするのである。
実に間抜けだ。お疲れ様である。
弟の顔がなくなりました。
まぶたや鼻筋の平たいながらに不規則な顔面の凹凸に、昨日まで存在した眼球や鼻、唇がないのです。
奇妙なのは、いえ、それだけで十分奇妙ですが、とにかく気味が悪くて仕方なかったのは、他の家族がそのことを塵ほども不思議に思わないことでした。
弟の顔がない。半狂乱で訴える私の方が家族の目には不気味に映ったのです。
ソファーに深く体重を預けては、ひどく背中を丸めて座る姿勢は弟そのものでした。小学生ながらに、ずぼらな兄を真似てろくに部屋着を着ない下着姿も弟そのものです。けれどでも、顔がないのです。
弟は顔のない顔で私を見ていました。顔は戻らないままです。
今日にさよなら
今日という日がどんなに楽しくても、どんなに辛くても、長針が24回だけ回転すれば終わっちゃうから―
「今日にさよなら」
今日にさよなら
ふさぎ込んだ今日もあって
上手くいった今日もあって
どの今日も終わってしまえば
あっさりと過ぎていった。
今日と言っていた一日が
どんどん過ぎて1年が経っていた。
この1年はあまりに濃く
長い闘いだった。
そしてこの闘いはまだ続く。
今日にさよならして明日は
新しい今日を迎えよう。
もうすぐ今日が終わる。
初めましての明日が来る。
今日にさよならをする前に、今日の記憶を言葉にしよう。
いつの日か、今日という日を思い出せるように。
どんな日になるか分からない明日を生きる糧とするために。
時は止まることなく流れて、今日と明日の間に境目は無い。
でも人はそこに線を引いて、たとえ今日がどんな一日でも、明日は気持ちを切り替えて新たなスタートを迎えられるようにしたのだろう。
生きていくのなら、そんなシステムが必要なほど辛いことや悲しいことに出会うから。
それでも人は、気持ちの切り替えひとつでそれを乗り越えることが出来るから。
今日あった様々な出来事を、言葉に変えて日記の中にしまい込んで、過去の一日として記録していく。
思い出を心に刻んでゆく、人生はそれの繰り返しだと思う。
日記のページはどんどん増えて、自分が年老いていくのを感じつつ、それでもそこには充実感があふれてる。
生きて日々を重ね、経験を積み感情を揺らしながらここまで来たから。
ちゃんと人生を過ごしてるなって安心できるんだ。
もうすぐ訪れる明日は、図らずも自分の誕生日。
ザザンの桑田さんと同じことに、意味もなく誇りを持ってる。
迎え飽きて何の喜びも感慨もないもんだが、無事にまたこの日を迎えられることに感謝しよう。
日を跨ぐその瞬間に気持ちもリセットして、新しい歳の自分として再デビューする気分で。
デビュー曲は「勝手にシンドバッド」
久し振りに聴いてみよう。
かつてあった青春時代ってやつを、少しは思い出せるかもしれないな。
「今日にさよならだ!」
君はそう言って僕を慰めてくれた。僕は今でもはっきりと覚えている。君はあの時どう思ってそんなことを言ったのかもう確かめることは出来ないが、君のおかげで、あの時僕は勇気を貰えた。
僕は昔から泣き虫で弱虫だ。だから君は僕にとってはヒーローだったんだ。
「もう一度君の声を聞きたい。」
そう願ってももう遅いけれど、君に早く会いたいと思うことだけは許して欲しい。
最後にひとつ言わせてくれ、もう届かないことはわかっているけれど、
「僕と友達になってくれてありがとう。」
今日にさよなら
私は、知ってた
声もかけれなかった
小さくなった父の背中
母の病気介護と
唱えてしまったごめんなさい
父までも
お父さんもう良いよ、
疲れたでしょう
私も疲れたよ
生きても
どうこれから生きていくのよ
疲れた
もう良いよ
永遠の眠りについた父
今日さよならあれから
20年
親の、介護に疲れたからって
あのときの私は、人間失格人生です
今日の風景の色彩も
眠りの中では
輪郭のない記憶となり
ときほぐされて
遠くへと去っていく。
今日にさよなら。
題「今日にさよなら」
récit œuvre originale
明日のためにおやすみ
良い夢を
「今日にさよなら」
「こんばんは、月が綺麗ですね。
また明日ここでお会いしましょう。おやすみなさい。」
【今日にさよなら】
『今日にさよなら』
さようなら今日。
またねは言わない。
だってもう二度と同じ日を繰り返せないから。
私や周りは明日も同じじゃない。
些細なことでも変わっている。
でも、またねと言いたいほど素敵な日もある。
だけどさようならと言わなければいけない。
同じ日はもうないのだから。
今日にさよなら。
明日からは
今日からは 今日こそは
変わるんだと決意して
気づけば今日も終わっていく
そんな自分に今日もさよなら
また明日
【今日にさよなら】
「今日は午後から雨が降るよ」
得意げに僕が言う。
「えー?そんなこと天気予報で言ってなかったよ」
周りは信じない。僕だって最初はそうだった。
信じられないかもしれないが、僕は今2月18日を繰り返している。どうしてこうなったのかは分からない。
ただ、一日が終わって目が覚めると同じ日に戻っているのだ。今じゃクラスメイトの次のセリフまで言える。
僕は「今日」が終わる方法を探す。けれど、いくら探しても見つからなかった。
何度目かの「今日」を過ごしたその日、とうとう見つけた。首と胴体に別れてしまったお地蔵様を。
友達とふざけあっていた時に、木陰に隠れていたこのお地蔵様を知らずのうちに壊してしまっていたようだ。
次のループの際、僕はお地蔵様を壊すことのないよう気をつけながら今までのお詫びも兼ねて綺麗に掃除をした。
翌朝、目が覚めると窓には雨が打ち付けられていた。
『今日にさようなら』
将来を考えて怖くなった
発した言葉は
誰かを傷つけていないかと 不安になった
人に見られながら転んだ脚は あざになった
そんなくだらなくて
心配症で
恥ずかしい
今日は
明日になんか
ついてこなくていい
だから
「またね」
じゃないよ
もう 会わないはずの
今日に
「さようなら」
今日にさよなら
さよならした瞬間
今日がやってくる
今日はどんな一日になるだろう
笑顔でさよならが言える
一日だといいな
今日に さよなら
明日に よろしく
ありふれた日々が
特別でありますように
きみから明日
返信が来ますように
もうわたしは
折れてしまいそうだから。
_ ₁₅₆
「今日にさよなら」と思ったらことはあるだろうか。私は人と話すのが苦手だ。話せる人もいなければ話を聞いてくれる人もいない。だから、学校にはあまり行けてない。学校では帰りのSTでさよならと言うだろう。私は必ず夜家で、さよならと言う。人生の中で全く同じ日はない。似たような日はあるがいつも何かが違う。そんな今日という日にさよならを告げ新しい日を迎える。
それが私の「今日にさよなら」
全く同じ日はありません。
1日1日を大切にしてください。
嫌なことがあってもそれが自分の成長につながるか
もしれません。
明日も頑張りましょう。
2024/02/18『今日にさよなら』