『上手くいかなくたっていい』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
上手くいかなくたっていい
挑戦しようと思って行動することが大切。
そこから学んで次に活かせるか。
そう言う精神で行こ。
#上手くいかなくってもいい
もう何も出来る気がしない、今更頑張れない
『やればなんとかなるなる、とにかく行動してみようよ』
…もう全部面倒くさいな
『上手くいかなくってもいいんだよ
やらないと状況はどんどん厳しくなるよ』
頑張って頑張ってまた心も身体もボロボロにされるのを想像すると身体が動かないんだ
『とにかく立ってここから出るんだ、キミならきっと出来る』
…お前が俺の何を知ってるんだよ
上手くいかなくたっていい。
そう思うのは、始めだけだと思う。
恋に恋しているだけで。
刺激はあっても、後から痛い目にあうか、
別な人が良く見えるか。
言っても無理だろうけど…
今のうちに、やめときな。
どうしようもない
カーテンで日差しがなくなった
五畳半の部屋
そこで上を向いて
憂鬱に浸っている
どうしようもない
挫折で日差しがなくなった
青二才の自分
ただ口を開けて
憂鬱に浸っている
結局
バッシング
間違った道を選んだのだ
合ってない
ただ
辞められないだけなのだ
ただ
やりたいだけなのだ
上手くいかなくたっていい
【上手くいかなくたっていい】
何も上手くいかなくたっていい。そう決めた頃にはもう恐れるものなんてなかった。あの人に見えすぎる目をもらった時から。昔から、我慢が得意だった。だから、気づかなくてもよかった。それでも、当たり前は当たり前ではなかったと気づかされてしまった。でも、それが悪いことだとは思えなかった。あの人は私の見えない世界を広げてくれたんだ。周りに恵まれたくせに蓋を開けてみれば幸せとは思えないことに気づかせてくれた。肯定をしてくれる周りに否定しかしてくれない小さな世界。
「こうすればいいんじゃないか?」
意思のすり合わせ。違う価値観を共有しあって世界の見方を増やしてくれるやり方。純粋で何を言われても聞き入れてしまう私に目をくれた。自分のことに関してはポンコツなのに人のことに対して敏感な私を守るための生き方。上手くいかなくたっていい。そう思わせてくれるやり方。
「私はお前さんに幸せになってほしいんだよ。」
「私も幸せになりたい、何も知らなきゃよかったかなって思う時があるの。」
知ってしまったが故の価値観のすれ違い。あー、この人たちは私の本質なんて見てはくれないという失望。話を聞いてくれないのなら話す必要もないじゃないか。いつしか、呆れて諦めるようになった。
「お前さんは期待しすぎてしまったんだな、あいつらに期待しても無駄だよ。」
「だって、こんな私にだって出来たんだよ? あの人にだって出来る可能性があるの。」
押し付けるには重すぎた。良すぎる目を使うには純粋でお人好しすぎた。今まで、私を見てくれているフリをしているやつは私のことなんて見てはいなかった。自分の過去の過ちに気づいてしまった時には。
「クズだな。」
そんな言葉しか出てこない。分かっていた、分かり切っていた。どこかで見ないフリをしているだけで気づいているはずだったんだ。自分の痛みばかりに見ないフリをして他人の痛みに敏感になることに慣れていた、慣れ過ぎていたんだ。若いのに。あの人はきっとそんな私が見ていられてなかったんだろう、そんな風に思う。だから、賢くするために世界を見せてよく見えすぎてしまう目をくれたんだ。
「ありがとう。」
「何がだ? いや、こちらこそありがとう。」
この関係性に終わりが来るならばきっとそれはどちらかが壊れてしまった時なんだと思う。
うずくまっている私の背中を誰かが後ろから抱いた。
その正体を確認したかったけど、思いのほか力が強くて身動きできなかった。
「そのまま聞いて」
耳元で囁かれた。あぁこの声知ってる。ようやく誰か分かったけど、どうしてこの人に抱き締められているんだろうとも思った。でも、今は素直に言われた通りそのまま動かずじっとすることを選ぶ。
「つらいよね。その気持ちが分かる、なんて軽々しく言えないけど、今のキミはいつもの調子じゃないことくらいは分かってるつもり」
「……それはどうも」
「だから俺は頑張れなんて言わないよ。もう充分、キミは頑張ってるから」
だからさ。あとはやるだけやってみたら?
サラリと言われた。決して投げやりな言い方じゃなかったけど、その言葉はとても軽くて、じんわり私の耳の中に浸透してゆく。まるでそよ風を受けたくらいの感覚。
できなくてもいい。上手くいかなくたっていい。
そのステージに立つことが重要なのだから。逃げも隠れもせず、たった1人で立つキミは誰よりも格好良いよ。
最後にそう言って私の体から温もりは離れた。でも、彼の言葉が魔法となってずっとここにいてくれる気がした。独りじゃないって、思えた。
やるだけやってみようか。挑むことに意味がある。結果なんて最初からあてにしてたら何もできない。立ち上がって大きく背伸びした。太陽が眩しい。風が気持ちいい。今の私は、間違いなく1分前の私より強くなっている。
「何もかもが上手くいかなくても良い。だって、君は君なんだから。君が上手くいかない時は、俺が支えるから」いつの日にか、貴方は、私に、そんな言葉をかけてくれたね。あの時、凄く嬉しくて泣きそうだった…この21年間、誰かに肯定される事より、否定される事の方が多かったから…何かミスしたりすれば怒られる、今までそんな世界で過ごして来たから…貴方は、何時だって優しいね…私が上手く笑えない時は、ひたすら話聞いてくれたり、疲れた時は、マッサージしてくれたり、笑わせてくれたり…いつも、私は、貴方に支えられてるよ。ホントにいつもありがとう。
「上手くいかなくたっていい」#18
人生に正解はないだから楽しい
失敗したっていいそれが経験だから
でもわかってても、、、
つらいのが人間
割り切れるか?割り切れないか?
君はどっち側?
上手くいかなくたっていい
初めては誰も一発で出来ることは何もない。
たくさん練習して、コツを自分で掴んで
トライ&エラーを繰り返して…
初めの頃は時間がすごくかかっていたのが
そのうち慣れてきて、時間短縮もできた。
産まれたばかりの赤ちゃんも
育児が初めての人も、
習い事が初めての人も
新社会人のみんなも大丈夫。
みんな同じスタートラインに立ってたんだから
自分を信じて、まずは目の前のことを一つ一つずつ
それは慎重に、時には大胆に、確実に進めていこう。
いいよ!気にすんな!
挑戦したいなら挑戦して
失敗したらまたやり直そう
いいよ、いくらでも待ってたげる
器用な友達の応援メッセージ
【上手くいかなくたっていい】
最初からうまくいかないのは当たり前
そんなことより
続ける方が大事なんだよね
人生、中々上手くいかないものだ。
ここ数年私の人生は最悪を極めており、何度死のうと思ったか数え切れない。
14歳で初めて自殺未遂をしてから約15年の月日が流れたが、相も変わらず私の希死念慮は消えず寧ろ自傷行為は悪化しているといえる。
私の1番の自傷行為といえば、自発的嘔吐だろうか。摂食障害の典型的過ぎるともいえる症状だけれど、「吐く」という行為に及ぶようになったのはここ2年のことだ。
拒食、過食、非嘔吐過食、そして下剤乱用…。そこまでいけば自発的嘔吐をしそうなものだが、何故かその選択肢だけは、私の脳内に無かった。
吐いたら負け、吐いたらもう終わり、とさえ思っており嫌悪していたのだ。
何故ならTwitterで良く眼にした、所謂「カショオ」している者の「食ツイ」を見て嫌気が差したからである。
「食ツイ」とはその時口にした「食べ物ツイート」の略であり、恐らく界隈では一般的なものだ。カショオをしている者にとっては日々の記録であり日記の1部なのだろう。
だが良く考えてみると、買ったにしろ作ったにしろ食べ物と金を無駄にしていることに違いはないのだ。
中には学生で経済力がなくカショオ食材全てを親の金で賄っている者もおり、経済的に豊かで羨ましい!と思うのと同時に自分で稼ぐ力も無い輩が何をしているのだ!と怒りも込み上げてくる。
それは私が(経済的に)自立心が旺盛であり、且つ稼ぐ力があることを示唆していると思う。
人に養われたくない、誰かの扶養に入りたくない、養われるくらいなら養いたい……。
私は私生活こそ駄目駄目だが、はっきり言って仕事はよく出来る方だと自負している。
前にも書いたと思うが手段さえ選ばなければ1日で10万稼ぐことも可能であるし(実際稼いだ)、バイトのチーフにまで抜擢されたこともあるのだ。
だからこそ、その金を浪費するカショオという行為が許せなかった。
けれど今私は、その嫌悪していた行為を行っている。過食こそしていないが、食べ物と金を無駄にし、挙げ句溝に棄てている。
頑なであった理念を捻じ曲げてしまうほど、摂食障害の「痩せたい」「太りたくない」といった思考回路は根深く、強い。
そして決して治ることもなく、再発する。
本当に恐ろしい病気であると再認識したし、一生涯付き合っていかねばならないのだと決意させられた。
吐き癖がつき、立派に出来上がった吐きダコを見ながら、思う。
所詮私は障害者。擬態こそ出来ても、もう二度と健常者に戻ることは出来ないのだと。
何事も、諦めが肝心である。
お気に入りに追加して下さった方々へ
このような駄文に目を通していただき、誠に有難うございました。
主に自らの精神疾患のことを綴っております。
暗い題材が多くなっておりますので読んで気分を害される方も居るかと思いますが、これが精神疾患を患った者の本音です。
良いことも悪いことも嘘偽りなく書いていきますので、ご容赦ください☆。.:*・゜
上手くいかなくたっていい8/10(木)
僕は剣道部に所属していました。
夏季総体が終わり僕たち3年の幕は閉じました。
人一倍努力が嫌いな僕
強くなりたいという意思が一度も湧かなかった僕
そして負け続ける僕
因果応報ですね。
だってただキツイ稽古を耐え抜いていた
だけですもの
「もう少し自主練しよう」
そんな気持ちが無かったのですもの。
でもこれだけはいつも意識していました
「形を綺麗に」
実力がなくとも形が綺麗であれば
それでいいか、と。
「めしあがれ!!」
ニコニコ笑う小さな君が好き
「ママにね教えて貰ってね作ったよ!!」
そう言って娘が作ったクッキーを彼女が机に置いた。
「ちょっと焦げちゃった」
彼女は娘に聞こえないように小声でそう呟いたけど
娘はすごく笑顔で僕が食べるのを待ってる。
食べてみると確かに少し焦げていて完璧とは
言えないけど
僕はとても嬉しいかった。
僕のために作ってくれたことが
上手くいかなくたっていい
気持ちが嬉しいから
─────『上手くいかなくたっていい』
上手くいかなくたっていい。言いたいことはわかるけど上手くいかないと心が折れるだろ。上手くいかなくても続けられる奴は努力の天才だな。
なにかしらプロになる人は子供の頃に教育者から楽しさとか好きになるための教育を受けたって時々聞くな。なんであれ好きじゃないと続かないよな。
なるほど。上手くいかなくても好きであれば、面白ければそれでいいのか。今日のお題を曲解していたかもしれない。目が開いた、そんな気分だ。
自分が面白いと思えるものを作るべきだな。というかそれしかできないけど。流行りに合わせて小説を書くなんて器用な真似は俺にはできない。
小説最近いまいち筆が進まないんだよな。なんか話の展開とか設定とか細かいことが気になって書けない日が続いている。一日2000文字書きたいんだけど書けてない日々だ。
クオリティより速度重視で書きたいけどそれができない。性格的に難しい。もっと細かいことを気にしない性格になりたかった。
書けない理由に最近は暑くて頭が回らないってのもある。書けない時に温度計を見ると熱中症の危険ありの場合が多い。やっぱりエアコンを買い替えないといけないな。
どうでもいいけど今日大根の浅漬けを作っていたらつけ汁をこぼしてしまった。へこむぜ。
それは無責任で、しかし、最も偉大な休息。
一期一会
人は失敗を恐れる。
何をするにしても、問題なく事が運んだ方が良いに決まっている。あるいは誰かに怒られたり失望されたくない。そう考えるからだ。
しかし、現実はそう上手くいかない。
何事も最初から成功するほど簡単ではないし、自分は思ったより器用ではないと思い知らされる。
そして失敗を咎められた経験が多い人ほど、失敗を隠してしまう。きっと指摘してくるその人も、過去に同じような失敗をしているのにも関わらずだ。
自ずと人は失敗というものに敏感になってしまう。
だが人生は無数の失敗の繰り返しだ。
失敗の数だけ、成功への道が鮮明化してくる。
失敗の数だけ、視野が広くなる。
失敗の数だけ、他者に寛容になれる。
失敗の数だけ、大きく成長できる。
失敗の数だけ、その人の魅力を奥深いものにする。
だから、何も恐れなくて良い。
取り戻せない失敗は、思ったより少ない。
多くの失敗は、前に進むための原動力になる。
私達は無意識の内に様々な選択をしている。
休日に行きたい所から、いつかやりたいことまで。
ある年齢になると、自分の将来をどうするのか、
具体性をもって問われるようになる。
既に決めている人もいれば、そうでない人もいる。
自分の進むべき道を決めるように言われた途端、
どの道が正しいのか分からなくなってしまう。
問題集と違って、正解がどこにも載っていない。
正解は、人の数だけあるのだ。
誰に聞いても正解を教えてくれないし、
誰かの正解が、自分にとって不正解の場合がある。
だから人の数だけ、迷いが生じる。
ここで失敗したくないと、足がすくむ人もいる。
迷えば迷うほど、行動に移すのが難しくなる。
それでも人は、いつか選択をしなくてはならない。
自分の中の、正解を導き出すために。
選んだ道が正解かどうかは、行ってみないと分からないし、死ぬまで分からないかもしれない。
どのみち最初から、正解を引き当てるのは稀だ。
だったら、選んだ道を正解にしていけば良い。
失敗も遠回りも、全ては正解に繋がっているのだ。
『上手くいかなくたっていい』
「上手くいかなくたって良いんだぜ」
そう言ったのは誰だったか。
失敗ばかりする俺を慰める様に言ってくれたアイツの顔が目の前に。
「…今は、上手くやらねぇとな…」
滴る汗を拭う事すらせず、神経をバットに巡らせアイツを真っ直ぐに睨みつける。
上手くいかなくたっていい、あなたが少しでも私を好きになってくれるなら。
うまくいかない日もある。
そしたら、うまくいく日もある。