『一年後』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
一年後、私はどうしているだろう。
ケガや病気もなく元気でいるだろうか。
今のように仕事で悩んでいるだろうか。
私は、相変わらずだろうか。
一つ、もし変わっているとしたら、
マインドフルネスを身につけているということ。
自分を否定や非難をしたとしても、
そういう自分を受け入れ、過去や未来を考えて
いる心を、「今、この瞬間」に優しく戻す。
それができていたらとしたら、普段から、何も
変わらないと思っている自分の内面が、少し
今と変わっているかもしれない。
まあでも、あまり深く考えないでいよう。
とりあえず、平凡でも健康で過ごしていることを
願おう。
「一年後」
今日、朝起きたらあまり話してない子から4時頃に「好きです。付き合ってください。」と送られてきてたんです。いつもなら朝練ギリギリで起きるんですけど眠気も吹っ飛んで既読は付けず通知を眺めていたんです。なんてったって初めての告白ですから。でも、朝練に行く頃になると送信取り消しされてしまいました。結局あれが本当に私に告白してきてくれたのか罰ゲームとかなのかとか今日一日考えていました。どうなるんでしょうね。
2023年5月9日 火曜日
今日あったことです。失礼ながら日記にさせていただきました。ありがとうございます。
誰も知らない、明日の話をしよう。
もうどれほど前になるか。まだ幼かった息子が連れてきた、息子と同い年の男の子にそう話しかけた。辞書で引いたとおりの少年像をしていた息子とは対象的に、その子はどこか浮世離れして見えた。
あるいは、嫌味なほど社会に馴染んで見えていた。
特別印象的な何かがあったわけではない。強いて言えば髪の色が多少明るいことや、瞳の色素が若干抜けていたことは挙げられるが、それらは容姿が整っている、の一言でまとめられるものだ。ならば何が異質さを生んだのかといえば、それはきっとその笑顔だろう。整いすぎた笑顔は、感情を乗せているように見えてそうではない。機械的に作られた有機的な表情を、ただ筋骨格の動きにあわせて入れ替えているだけに過ぎない。それが人間らしさと捉えるには、自身はあまりにも人の内側を見すぎた嫌いがある。
目の前に立つ、息子と比べて幾分か線の細い体は、風にそよぐ柳のようにしなやかで。背丈は同じのはずなのに、その物腰の柔らかさでいくらか大人びて見えた。実際、大人にならざるを得なかったのだろうと、笑顔の裏側を知った今なら言える。
だがその時は、未だそのことを知る由もなかった。知っていれば何か変わったのだろうか。いずれであろうと、きっと自身にできることなど高が知れている。だからあの日、彼と出会えたことに後悔はない。
「父さん、ちょっといい?」
息子にしては珍しい声音だった。取り繕わずとも腕白な息子は、もう少し大きく明々とした声で話すものだと思っていたが。何かを慮るような、伺うような態度に慣れず、思わず眼鏡のつるを直した。
「どうした。唯央がここに来るのも珍しいな」
白の壁に囲まれた空間を、息子はあまり好まない。ツンとした薬品の匂いも、子どもの敏感な嗅覚には毒なのだろう。本能を感じ取る力の強い息子には、よほど堪えそうなものだ。
一年後あなたはどうなっていると思いますか?
今、受験生かもしれません。
今、就職活動中かもしれません。
今、新たな挑戦をしているかもしれません。
人は皆、人生で一度は壁にぶつかります。
それがたくさんある人もいます。
それを気にしない人もいます。
しかし、誰もが壁にぶつかります。
今、辛いからと言って投げ出したりしないでください。
その先に何かが待っているから。
逃げ出すことは悪いことではありません。
楽な道を通ってもいいです。
だから、この先の未来を信じて、
進んでいってください、、、
6回目
1年後には、何が待ってるかな?
幸せに暮らしてるのかな?それとも、死んじゃってたりするのかな、、、
一年後か、いいお題だな。
どうなってるだろ、私。
今よりちょっとでも成長してたらいいな。
そうなるように努める!
正直一年後の自分がどうなっているかなんて分からない。
生きているかさえ分からない。
でも一年後でも何年後でもいいから今のうちに得をつんで、将来に役立たせたい。
自分が行きたい道を進めるように努力したい。
1年後どうなっているだろう。
生きているかな。
親の離婚でお父さんがいなくなり、親友と喧嘩してから親友も友達も失った。
それからは本だけが私のそばにいた。
本に救われていた。
私も本を書いて人を救いたい。
そんな思いから小説家になりたいと思うようになった。
小説家は何歳からでもなれる。
だから上手くいけば今からでもなれる。
そんな簡単にいくことはないけど。
小学6年生から小説家になりたいと思い始め、
中学2年生から小説を趣味で書き始めた。
もしかしたら1年後、小説家になれているかもしれない。
1人でもいい。
本で人を救いたい。
はやく、人を救える小説家になれるといいな。
そう思いながら私は今も、本にしたい物語を考えている。
一年後の僕はどうなっているのだろう、真夏の木曜日の部活。そんなことをぼんやり考える。
クロッキーのモデルの同級生は教室の真ん中で座っている。
「…一年後、なにしてるかな」
彼は僕に視線だけ寄越すとすぐに前を向いて何も答えなかった。開けた窓から風が吹き込んだ。
「ねえ、聞いてる?」
間を開けず聞くと彼はまた視線だけを僕に向けた。鋭くて切長の瞳が僕をにらんだ。聞いてるなら答えてと催促するとセンター分けの髪を揺らしこっちを見る。
「誰かがお前のモデルになってお前はその誰かを描いてる、空は青くて、まだ教室にはクーラーはついてない」
ふ、と笑いを零すと彼はまた前を向いて僕にさっさと描くように促した。真っ白のスケッチブックに線を伸ばしていく。
「随分と具体的だけど君は未来が見えるとでも言うの?」
「ああ、見えるよ。俺は未来が見える。お前の未来も、俺の未来も同級生の未来も。」
「ふふ、じゃあ僕らは来年もこうしてる?君と話してる?」
「一年後の今、お前は俺を覚えてないよ」
顔を上げ彼を見る。
線を伸ばす手が止まる。
風が強く吹く。
カーテンがまあるく膨らむ。
彼の横顔には、何処となく哀愁漂っていた。
彼は本当に未来が見えるのかも知れない、彼は人魚姫の如く泡になって消えてしまうのかも知れない。
「じゃあ、今のうちにさよならを言っておくよ。」
「前払いだな」
一年後のさよならを前払い。
一年後僕がどうなってるのかは
わからないけど
もし最悪な未来だとしたら
その一年後の未来を
変えるように僕は動くだろう
でも、結局僕の一年後の未来なんて
もうないけどね
【一年後】
「大人にならなきゃ駄目」なんて、誰がそんなこと決めたのだろう。
僕は、来年も再来年も子供のままでいたくって、「そんなルール破ってやろう」って決めた。
みんなは僕のことが嫌いで、毎日のように虐めてくる。
みんな僕のことを(精神病の)セイちゃんって呼んで、馬鹿にしてくる。僕はそんな名前じゃ無いのに・・・・・・。
「セイちゃんがしゃべったぞ! ぎゃー、セイシンビョウがうつる〜!」
みんなそう言って、僕から離れていく。
「喋ってセイちゃん菌飛ばすなよ! オレまで嫌われちゃうだろ!?」
親友だったあの子も。
「セイちゃんにも悪いところがあるでしょ? 全部人のせいにするのはよくありませんよ!」
大人も助けてくれない。
「お前が不出来だから悪いんだろ!!」
親にも怒鳴られ、殴られた。毎日毎日泣いた。
だから、大人なんか大嫌いだ。子供も、大人も、全部嫌いだ。
一年が経った。何も変わらなかった。
一年が経った。やっぱり何も変わらなかった。
また一年、一年と時間が過ぎていく。
いつしか僕は中学生になっていて、自分が虐められていた理由や、自分の親が普通じゃないことを知った。
一年が経った。自分の親が嫌いになった。
一年が経った。周りを信じられなくなった。
一年が経った。
自分の家を飛び出した。近くの店に逃げ込んで、「親に暴力を振るわれた」と言った。今まで、世の中は悪い人ばっかりだと思っていた。そういう教育を受けてきたから。でも、みんな僕の話を聞いてくれて、施設に繋いでくれた。僕は施設で「みんな」に会えた。施設のルールで、下の名前しか分からなかったけど、みんないい人だった。
それからもう一年経って、俺はもう立派な高校生だ。
物書きをするのは楽しいし、学校生活も充実している。
一年もあれば、生活はがらっと変わる。
この一年は、何が待ってる?
思春期のころ考えた
残りの人生があとわずかなら
「一年後」までなら
いったい何をして生きるだろう
後世に名を残すものを作る?
だらだらと無為に過ごす?
好きなことだけ、遊んで暮らす?
そしてぼんやり思ったのだ
残り一年でも百年だとしても
普通に暮らしていく中で
その時々に目の前にいる人が
「一緒にいて楽しい」
「同じ時を過ごせてよかった」
互いにそう感じられるような
心が通い合う関係性を日々作っていく
なんだか地味だけど
自分ではそれでひどく納得して
いまもずっと その方針のままだ…
(ゴール設定なくして成長なし😩)
「一年後」
#99
一年後
今一緒に帰ってるこの人はどんな関係だろう
友達?知り合い?セフレ?それとも恋人?
何年一緒に過ごしても。一年という一瞬ですぎてしまう期間に、どんな関係になってるかなんて、何をしているかなんて
分からない。
良い関係だといいな。
わたしは
あなたが泣いたのを
知らなかった
別れた日に
荒れて 荒れて
酔いつぶれるまで呑んで
涙を流したという
その事実を
どう受けとめれば
いいのだろう
一年後の
今になって
悲しみが
わたしだけのものでは
なかったことに
気付いても
もう
あの日の二人に
戻れるはずもないというのに
わたしの心は
あなたが泣いた夜に
戻りたがっている…
# 一年後 (133)
『どっちが先に恋人できるか勝負なー!』
「ふん!私が本気出したらすぐなんだからー!」
一年後
『本当に良いのかよ。』
「良いって何が?」
『いや、俺たち勝負、してた。』
「でも私が好きなのはあんただし、、」
「、、あ、あんたこそ!私が彼女で良いの⁈しょうがなくとか私嫌なんだけ___っ
『しょうがなくとかじゃねぇし!』
『俺もお前が好きだから!!っ、、勝負ふっかけといて信じてもらえねぇかもしれないけど、本当に、本気で好きだよ。』
「、、一年この、、勝負に、」
『この一年も埋めるつもりだし、もう離さねぇから。』
「私も。、、
私も離れないから!!!」
これからが2人のスタート。
まだ生きていた。まだ死んでいなかった。
もう立てないと思っていたのに、まだ歩いていた。
どこに辿り着かずとも、進んでいた。
逃げるようにではなく、目指すために。
馬鹿馬鹿しいほど往生際悪く、呆れるほど愚かしく。
ひとつ、ひとつ、手にとっては捨てて。
ひとつ、ひとつ、踏みしめては過去にする。
あれから一年。
まだ行こう。もう少し。もう少し。
あと一歩だけでも。
#一年後
光陰矢の如しっていう言葉がありますけれども
年取る度に実感するわけです。
もう1年経つのかとか、そんな昔だったかな?とか。
1年後なんてあっという間。
さっき年明けたばっかじゃないの?的な。
1年1年大切に生きようとか思っても、
仕事にかまけてこの1年何してたか記憶すらない。
ただのんびり過ごしたいなぁって思う。
人生80年もあるとしたら生き急ぎ過ぎな気がしてる。
ただゆっくりと周りの風景を愛でる余裕を持ちたいなぁ。
そして周囲から取り残されるのかなぁ。
シーラカンスっぽい感じで、カッコいいかもしれない。
こんな仕事やめてやる
真面目に勤務するだけ馬鹿らしい
そう思い続けて、ずるずる働いている
来年もそうなのかな
一年後。自分の人生のことかな?
となると、正直考えたくも無い。
…と思ったけど、改めて考えるに。
きっと、変わるところと変わらないところがあるだろう。
自分の内外を考えると、
10年単位で変わるもの、1年単位で変わるもの、1ヶ月、なんなら毎日、毎分、毎秒。
気が遠くなるほど、細かくたくさん、何か起きてるはず。
つまるところ変化していくのは、目に見えない抽象的なもの。
今は変わりたいような、変わりたく無いような、複雑な気持ちだけど。
無理して変える必要はない。
きっと何かが変化している常に、と意識するだけで、それ自体、良い変化の流れに導かれるような。そんな気がする。
お題 一年後
一年後なんて、あっという間だよ。
今日寝て、明日寝たら、あら?
気付けばもう一年経ってるわ。っていうくらいに早い。
いや、ちょっと盛ったけど。笑
でも、そのくらい早いの。体感的には。
ちなみに来年のG.Wは四日間ですってよ。
昔付き合った年上の彼氏に
『きみと僕じゃ、流れてる時間の感覚が違うんだよ』と言われたときは意味が分からな過ぎて絶句したな。
今こうして一緒にいて、同じ時間を生きてるのに、そんな筈ないでしょ。
本気で彼のことを愚鈍で間抜けなだけだと思い込んでいた。
あれから何十回と季節が巡って、今さらあの時言われた言葉が記憶から蘇ってきて、ジワジワ体に広がっていく。
全然違ったわ。びっくりするくらい、違った。
なるほど。確かにね。
本当にその通りだった。ごめんね。
突然死とか、余命とか、何か大きなアクシデントが自分に降りかからない限り、私は一年後も生きている。
生きてるけど、一年前になる今日のことは、たぶん忘れてる。
そうやって再来年も、再々年も、私はわたしを消費しながら生きている。
一年後に対して、特別心踊ることもなければ、気負うこともない。
生活が続いていくだけです。