『モンシロチョウ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
モンシロチョウ
ねえ、なに描いてるの?
―――モンシロチョウ
へえ、へんなの
―――・・・
何が変なのか分からなかった
白いモンシロチョウだから白のクレヨンで描いた
白い画用紙の上に
黒い画用紙に雪だるまを描いた子が居た
みんなが綺麗だねと褒めていた
そっかそれが普通なんだね
モンシロチョウ
5,6年生の時、キャベツの葉で育てた記憶がある。
芋虫時代は嫌われて、蝶になったらみんなからかわいいと褒められる。蝶はそんなことは気にせずに生きようとしている。これが本来の生き方だろう。
白い地にに黒い家紋を染め抜いた羽織が風になびく様はモンシロチョウを連想させたが、その男の本質は毒蜂の戦士である。その肉体には無数の刀傷が刻まれており、戰場から帰るたび確実に増えていくため、
「やつはアーティストだ。やつはわざと傷を受け、自分の体をキャンパスにして絵を描いてやがるのさ」
などと話されている。確かに、彼の傷跡をよく見ると、まるで龍が大口を開け咆哮しながら天へ駆け昇るように見えてくるのだ。
その姿は思い出せないが
イメージだけはある
想像した範囲に収まるなら
それがモンシロチョウだろう
モンシロチョウは、高く飛び私を見下ろしている
私は見上げこうつぶやく
君のように高く飛びたい
するとモンシロチョウは、こういった
君のように地面を歩いてみたい
無い物ねだりはもうやめよう
今与えられた世界の中で幸せに
そう誰よりも幸せに生きていこう!!
はたはたとモンシロチョウは魂を
乗せて留まってカーネーション、赤。
題目「モンシロチョウ」
[モンシロチョウ]
モンシロチョウは可愛くて美しい
蝶みたいに空を羽ばたけたらどんなに楽しい人生だろうか
「モンシロチョウ」
綺麗だと言うから見たら、見れば見るほど気持ち悪くて、だけどこれを綺麗だと思えたら、君の視界を感じられただろうか。
風船みたいに飛んでった、
捕まえたら壊れそうだから見送った
朝、学校に向かっているとモンシロチョウを見かけた。白くて、小さくて、かわいい。モンシロチョウを見るたびに、春なんだなぁって感じる。
生き物係だったあの頃、いつも学校が終わると
虫取り網を持ってあの公園に行った
モンシロチョウが飛んでたりすると、
“もう五月だね”ってあの子と笑うの
白い小さなその蝶を追いかけて、追いかけて、
追いかけてたら何時間も経ってたりして
それでも捕まえられるまで帰らなかった
でももうあの子とはすれ違うばかり
きっと私達、追いかけてるものが違うのね
(モンシロチョウ)
幼年の頃のモンシロチョウを追いかけるあの視界を今でも思い出せる。
白光は全ての輪郭を霞ませるほど強く、激しく揺れる視界の中でもモンシロチョウの不安定な羽搏きだけはハッキリと存在していた。
私にとってモンシロチョウは生と若さの象徴であり、大いに清楚なものであった。
それより少し成長したくらいの時分、祖母が死んだ。
人が死ぬと葬式があるというのは、私にとって世界の原則みたいなもので、この喪服の涙と髪のない人の間延びした文言が祖母宛だとは毛ほども思っていなかった。
死の概念は私の世界にあれどそれが祖母に適用されることはなかった。そんな分かっていない子供に対する疎ましさをひしひし感じたのか、私は葬式の間中物言わぬ祖母の棺桶の横に座り込んでいた。別れを惜しむかのように、逃げていた。
火葬場は葬式場と別れていて外に出るとまばゆい日光が私を刺した。春とは思えない日差しだった。
葬式場から火葬場に行く少しの間なのにモンシロチョウを追いかけていたと母から聞いた。
追いかけたことは覚えていなかった。火葬場の自動ドアをくぐるとき手のひらの中にいたことは覚えている。
出棺のときに詰める副葬品の花を差し出された私が手を離すと、紋白蝶が飛び出た。
普通のモンシロチョウよりずっと不安定な羽運びに見えた。彼女か彼は、数秒火葬場に鱗粉をまいた後、棺桶の中に消えた。
ああ、死にたかったのかもしれない。祖母より鮮烈に意識されたモンシロチョウの死であった。
モンシロチョウに年の概念があるのか知らない。しかし、その日から私にとってモンシロチョウの全てが死に近い何かとなった。
死と老い。葬式中の遺産の汚い話。
全てを一心に引き受けたモンシロチョウは『紋白蝶』となり、たびたび私の視界の隅を舞う。
人に落胆したときにきまって。
【モンシロチョウ】2024/05/11
私の書きたいものを書ききれている気がしない
喋るモンシロチョウを見たことがある。
そして見たのはその一度きり。
色々考えては見た。だれかの声をモンシロチョウのものだと誤認した。私がつかれれいて幻聴をした。
ほんとうにそのモンシロチョウがしゃべった。
私としては、聞き間違えであると嬉しい。
でも、もし、しゃべっていたとするなら。
忙しい忙しいと懸命にはばたいていたモンシロチョウはなにが忙しかったのかくらい知りたいのだ。
最後にモンシロチョウを見たのは
いつの事だろう?
アゲハチョウは何度も何度も見かける
のにモンシロチョウは全くと言って
いいほど見かけない。
もしかしたら、その小ささゆえに気付
いていないだけかもしれないが...。
こんな事を書いていたら菜の花と
モンシロチョウのコラボを無性に見たく
なってしまった。
〜お題『モンシロチョウ』〜
お題『モンシロチョウ』
このお題について書こうと思って、モンシロチョウが意味する、たとえば花言葉だったり宝石言葉のような感じで虫言葉というのもないのかと思って、Googleで調べようと思った。
だが、私は『虫』という存在が大の苦手である。虫の実物の画像を見るだけで吐き気を催すほど虫が苦手だ。モンシロチョウは、まだいいが別の虫にぶちあたった時、一日の気分が最悪なものになりかねない。
しかし私の手には今、Google Pixelが握られている。Google Pixelには、GeminiとかいうChatGPTみたいになんでも教えてくれるツール? みたいなものがあって、今、それで『モンシロチョウ 虫言葉』について調べたら、虫言葉はないらしいが、そのかわり創作に使えそうな情報を手に入れることが出来た。それも文字だけの情報で。
私は虫の画像を見事回避することに成功したのだ。
『モンシロチョウ』
モンシロチョウを捕まえようとして、潰した経験がある人は僕だけでは無い筈!!
#18
幼稚園に入園する少し前に引越した家の、本当に目の前くらいに空き地があって、
広さは家10軒分くらい。そこには多種多様な雑草が生えていて、魚を採る網がひと塊、無造作に放置されていた。
魚取りの網と言っても、小さな家1軒分くらいの体積がある。子供たちはそこに集まって、マットやトランポリン代わりに使って、空宙回転したり「ライダーキィーック!!」なんて叫びながら飛んでいた。
畳んだ網の上なので、頭から落ちてもボヨンボヨンして、ぜんぜん痛くなかった(海からかなり離れた空き地だったのだが)(後に網の持ち主から厳重注意があって、更に網は撤去された)。
雑草には沢山の虫が棲息しており、各種のバッタ、コオロギは幼稚園児の私の恰好の獲物となっていた。
そういう中、モンシロチョウはふわふわと良く飛んで来たが、当たり前過ぎて何とも思わなかった。
モンシロチョウは飛ぶ速度も遅いし、捕虫網があれば簡単に捕まえられるが、野球帽でも捕まえられるし(なんなら手掴みでも)、要するにあまりにも珍しくなく、簡単過ぎて、獲物としての対象にならなかったのである。
改めて見れば、シンプルで、可憐で、美しい。その羽根の白は太陽光を受けて輝き、草のグリーンに1番良く映える。
でも食指は動かなかった。もっと珍しいものでないと。アゲハやクロアゲハ、クワガタやオニヤンマも時々飛んで来たのだから。
当時の実家のすぐ近くには、その空き地があり、私はそこを「野原」と呼んでいた。
野原を突っ切って、更にまっすぐ歩くと小川が流れていて、さらに進むと牧場があり、牛がいて牛乳を生産していた。
私は『ファーブル昆虫記』を読んでいたが、牛の糞にはそれに集る甲虫も見かけられた。
小川に入って、ザルで闇雲に泥をさらうと、イトヨ(トゲウオ)が入った。それはすぐ後に天然記念物に指定されてしまった。
「野原」を表側とすると、裏手には高校のグランドが何面もあってそこでも野球などして遊んだが、グランドを良く見れば無数の小さな穴が開いていて、それはハンミョウの幼虫の巣なのであった。
朝、グランドに行くとカッコウが良く鳴いていた。雉も見た事がある。
グランドから少しそれれば林があった。クワガタ、セミなどはそこで捕まえた。ここにも細々とした水が流れていて、そこにはトビケラの幼虫が沢山いた。
自分が入る筒状の巣を作り、枯葉や小石(砂)で美しい巣を作るのだが、彼等が澄んだ水の中をゆっくりと動く様は、まるで万華鏡を覗いたように幻想的で、彼らが妖精のように思えた。
後に自転車に乗るようになれば、本格的に魚を釣れる川もあり、池もあった。もちろんトンボもミズカマキリもゲンゴロウもいた。
こんなに恵まれた環境だったが、誰も彼もが私のように昆虫少年になった訳ではない、そう呼べるのは、多分、クラスに1人か2人いるくらいで、大抵の男の子は野球を中心とした遊び方だった。
このような環境では、モンシロチョウが居ても目に入らなかったと言っても仕方あるまい。学校の教材にもなった気がするが、当たり前過ぎて今さら習う事は何もなかった。
けれど、私は運が良かったのか?トゲウオが採れたと言ったが、後に天然記念物になったのは、子供が採りすぎたせいでは、ない。
当時、行き過ぎた護岸工事が始まって、川がすべてコンクリートで固められてしまったから、環境が激変してトゲウオが絶滅に瀕したのである。
道路も、どんどんアスファルトで固められてしまった。
牧場も、小5くらいの時閉鎖され、後に整備され普通の住宅地になった。
手塚治虫の作品では環境破壊や、自然保護を訴えているものも見られるが、私の子供の頃に自然は無造作に整備されて、かなり失われてしまった。
モンシロチョウは、今年も何度か見かけた覚えがある。
これが「珍しい」だなんて言われる時代が来ない事を願っている。
「モンシロチョウ」
貴方が呟いた言葉に
勝手に傷ついている自分がいるよ
おかど違いなのは重々承知
モンシロチョウ モンシロチョウ
あなたはあなたの道をゆけ
こんなに立派な方を産んで
立派な方に育てたのだから
シングルマザーでも故人の人生は
成功だったと思いますと貴方は言ったの
真白くヒラヒラと 何処ででも目にする
春の蝶
立派な子育てをしなければ
マザーの人生は失敗なのかな
勿論 誰かを貶めようと言った訳ではないのは
重々承知よ モンシロチョウ
わたしの人生は失敗続きよ
だけど親は親 子は子と
歯をくいしばって来た
そんな生き方もあるのよ
モンシロチョウ モンシロチョウ
私は私の 涙は自分で拭くのよ
こうやって芝生の上に寝転ぶのは子供の頃以来だろう。たまには空を見上げるのもいいもんだと思った。そうすることで、自分のちっぽけさを感じられる。今抱えてる悩みとか不安が、この青に呑み込まれていくような不思議な感覚を味わうのだった。
時々、言葉が心に追いつかない時がある。あの人を失ったのもそれが原因だったのだろう。だから間違いなく僕のせいだ。それを思っては塞ぎ込む毎日だった。総て忘れて、あの日の僕らに戻れたなら。何度も何度も願ったけどそんなことは叶うはずがない。時間は巻き戻せない。人生はやり直せない。それを今、寝転んで見上げる青空に言われているような気がした。
不意に白いものが視界に入り込んでくる。ふよふよ浮遊する正体はモンシロチョウだった。壮大な青の中に白く小さなその生き物が映える。僕はたたじっと見つめていた。一定の決まりもないその動きは、自然と僕の興味をひくのだ。
その蝶が、何故かあの人と重なった。無軌道に動く様子も、小さくて白いところも、音もなくどこかへ飛んでいってしまうところも。似ているところが多すぎた。僕は咄嗟に手を伸ばすけど、所詮捕まるはずがなかった。容易く僕の手をすり抜けて、その白い小さな生き物は行ってしまった。こんなところまであの人と似ているのか。嫌だな。春が嫌いになりそうだ。
モンシロチョウ
「あの蝶、可愛いね」
君はそう言った。
蝶なんて普段見てもスルーするのに、と思いながら
「あぁ、そうだね」
と相槌を打った。
モンシロチョウか…
家に帰って、僕はあの蝶の名前を調べてみた。
どうやら、白いモンシロチョウは“幸運”という意味もあるらしい。
幸運か…
僕はまぁ好きな人がいて、その人と付き合いたいなとは思っていて。
まぁそれが今日一緒に遊んだ人なんだけど。
モンシロチョウが幸せを運んでくれたなら、僕はきっと彼女と会って、遊んで、お話ししたこの瞬間に幸せを少しでも多く届けてくれたんだ。
だって、今日は凄く良いことだらけだった。
一緒にカフェに行く時に、予約をし忘れていたことに気づき、「やばい…」とかなり焦ったものの偶然そのカフェにすんなり入れたし。
今日信号にあまり引っかかってない。
まぁ全体的にみて凄く良い日だ。
あとは、僕の努力次第となるか…
もう少しこの幸せを続けるには、勿論今のままでもいいのだが、やはり僕は君と付き合いたい、と思っているから告白をしたほうがいいと思う。
でも告白なんてそんなことは恥ずかしくて。
なかなか出来なくて。もどかしくて。
でも、ああそうだ。
今日LINEでありがとう、という連絡をしてなかった。
しよう。
そして、また会おう。
そしたら、告白しよう。
僕の人生はまだまだなんだから。