『ハッピーエンド』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
幸せなんてないんだって
偽りの平和で踊るって
壇上の下で死体が泣いてんだ
そうだってこうやってどうだって
蛍光灯の光に集ってんだって
そう君が言ったって
これはダメだって!
自己を殺して仮の幸せを創る
それでいいんだって!
そう僕が言ったって
幸せなんてないんだって
仮初の幸せで踊るって
壇上の脇で死体が吊るされんだ
自己仮性オプティハッピーエンド
「ハッピーエンド」
シンデレラも
みにくいアヒルの子も
子どもの頃から好きなお話だった
分かりやすい
典型的なハッピーエンド
″いつか私も…″
そう思わせてくれる
夢を見させてくれる
そんなお話に心を踊らせた
私の現在は…
分かりやすい
典型的なハッピーエンドではなく
何となくハッピーエンドっぽい感じ
人から見たら
すごく可哀想な
すごく哀れな
すごく悲惨な
そんな人生かもしれないけれど…
私にとっては
安心して過ごせる場所を得ただけで
ハッピーエンドなのです⟡.·*.
ぼくが君に気付いたのはほんの少し前のこと。
微かに聞こえた声に耳を凝らした先に君がいた。
君はぼくも君を見ていることに気付かずに、ぼくに語りかける。真っ暗で、月明かりだけが君と君のいるベランダを照らしている。
「綺麗。わたしもそうなれたらいいのに」
そう言って哀しそうな顔をする。
そうか、君はまだ知らないんだね。
君が綺麗と言ったぼくは、君だってこと。
ぼくは昔君だったし、いつかは君になるってこと。
君は昔ぼくだったし、いつかはぼくになるってこと。
そして君の中に、ぼくのカケラがいること。
ぼくの中にも君のカケラがあって、
君とぼくは同じだってこと。
そしてぼくは思い出す。
ぼくも、君とぼくが同じだと知らずに泣いたことがあったな、と。
思い出した時にたったひととき瞼を閉じて、開けた時には君はもうどこにもいなかった。
またいつか君の声が聞こえるだろうか。
何千年、何億年か後にまた君の声が聞こえても、ぼくはきっと覚えているよ。
その時はどうか、幸せにぼくを見つめる君でありますように。
───「見つめられると」
ハッピーエンド
ものがたりにはハッピーエンドが一番
ものがたりそれを人生に置き換えたらどうだろう
今は辛いことばっかりで
しんどくて
苦しくて
それでも楽しいこと幸せなことがある
きっとこれからも辛いことばっかりなんだろうけど
人生というものがたりでハッピーエンドを迎えるために
今を必死に生きようと思う
貴方の幸せを誰よりも願ってた
お花と拍手を浴びて
まばゆい笑顔のお二人の
門出を心から祝福するわ
貴方との幸せを密かに願ってた
私のコイゴコロは
きらめくキャンドルで燃やして
残像を心にしまっておくわ
#ハッピーエンド
ハッピーエンド
“ハッピーエンド”なんて、書く人又は描く人によって別々のルートがあるし、ほんの少しだけ行動を変えることによって、世界がガラッと変わり“バットエンド”にもなる。
『俺もハッピーエンドの世界で生きたかったな。』
そう言葉をこぼすのは、本の中で行き続ける彼。
彼はこの本の悪役。
何をどう頑張っても、ヒーローにもなれないし、ヒロインにも、何者にもなれない。
彼は、同じ本の中で生き続ける彼奴が羨ましかった。この本が読まれる度に同じ様に悪役を演じて、彼奴を輝かせる為だけの登場人物になるだけ。
彼は彼奴の隣に立っている仲間達が羨ましかった。
そう思いながら、今はこの本が読まれていないためぼんやりとしていると、彼奴に声を掛けられた。
「お前も向こうで話そうぜ」
そう言いながら、彼の手を引いた。
彼はこの本の物語では自身はバットエンドだけど、
今だけは、ハッピーエンドだなと感じた。
目の前に天への糸が落ちてくる
もう将来への不安もない
嫌いな人の顔も見なくていい
やりたくないこともやらなくていい
ここで苦しめば終わること
天へと続く糸に引っかかって
引き上げてもらうのさ
これが私なりのハッピーエンド
ハッピーエンド
恋愛物は小説でも漫画でも女と男が結ばれてハッピーエンド…
他の読み物でも大半の物がハッピーエンド
いいなぁ…
【ハッピーエンド】
「幸せな結末」
と言うけれど
最期はみんな
白い無機質に変わる
白く軽やかな無機質
それがハッピーエンドだ
ーハッピーエンドー
ある日、おばあさんが川で洗濯をしていると、桃が流れてきました。
おばあさんは驚きながらも、その桃を持ち帰りました。
そして桃を切ってみると、中から元気な赤ちゃんが出てきました。
おばあさんはその赤ちゃんを「桃太郎」と名づけて育てることになりました。
桃太郎は成長して強くなり、鬼ヶ島に住む鬼どもによる村の悪さを知りました。
彼はおばあさんに刀とおつけをもらい、仲間として犬や猿、キジを連れて、鬼ヶ島へ向かいました。
鬼ヶ島に着いた桃太郎と仲間たちは、鬼たちとの戦いに挑みます。
桃太郎の力強い剣さばきと仲間たちの協力で、鬼どもは次々と倒されました。
最後には鬼の親玉も倒され、村は平和になりました。
桃太郎と仲間たちは勇者として村人たちに称えられ、おじいさんやおばあさんもとても喜びました。
この物語は本当にハッピーエンドなのだろうか。
もし、もしも、鬼に子供がいたとしたら…。
急に来た桃太郎にいきなり仲間を殺され、親を殺され、最終的には村に祝福されている。
村から見たらハッピーエンドかもしれないが鬼の子から見たら、これはハッピーエンドでもなんでもない。
世の中、見方次第では善にでも悪にでもなりうる。
人の数だけ正義があるというのは本当になんだね。
ひさしぶりに、本を読んだ。
本を読めたら何でも良かったから、なんか最近人気の恋愛小説にした。恋愛小説は大っ嫌いだけど、仕事帰りで頭も働いてなかったし、もう買ってしまったから後悔しても遅い。
家に帰って、ご飯とお風呂と寝る準備を済ませて、帰りに買った本をパラパラ読み始めた。
病弱でとある病院に入院していた女子高校生が、同じ病院に入院している男子大学生に恋をするという、簡単に説明するとこんな感じ。
そこまで長くはなく、1時間くらいで読み終わった。
最後は、ハッピーエンド。恋愛小説のハッピーエンドって言ったら、結果を詳しく書く必要はないだろう。
いいなぁ。私は情けなく、そう呟く。
私のハッピーエンドは、いつ来るのやら。
雨の日、傘がなくて帰りあぐねているときに、一緒に傘に入れてくれたら。
いつもの帰り道、ふと手を握っても、振り払わないでくれたら。
不意に近づいたとき、少しでも、動揺してくれたら。
ちょっとは、期待してもいいんじゃないかって思える。
全く脈のない人間に何を求めても無駄だって、分かってるけど。
どれだけ時間がかかってもいいから、二人だけのハッピーエンドを求めたい、なんて思ってしまう。
【ハッピーエンド】
ハッピーエンドか
バッドエンドかは
死ぬ時の環境だと思う
物語の中では
命の責任はないから
続きで終われる
現実は
死ぬまで
わからない
バッドエンドでもいいから
誰かに覚えていてもらえたら
それでいいかな
童話に出てくるような、白馬の王子様が私を迎えに来てくれました。
ハッピーエンド
私に本当にハッピーエンドになってしまうなんて。
あの子より可愛くならなくちゃ。大人しくしなくちゃ。従わなくちゃ。じゃないと「もう嫌。」って捨てられないように。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめ、ごめんなさい。」
しっかりしなきゃ。
「やめて。この子にはやめて。せめて私だけ、私だけに。お願いします。」
私だけでいいハッピーエンドは。
お題『ハッピーエンド』
始まりは知らないうちに泣いていて
せめて終わりは笑っていたい
/お題「ハッピーエンド」より
君からの
プロポーズ嬉くて
嬉しいかったった。
けど待てば待つ程
別れる夢を見たり私が死ぬ夢を見る
確かに君からのプロポーズは嬉しいかった
でもそれよも、
『親に言われた、だから別れよう』
その言葉が突き刺さってて夢を見るの…。
ハッピーエンドという概念はフィクションだけでいい。
死んだときに、「あの人の人生はバッドエンドだね」とか言われたくない。
そんなことを言うお前に出会ったことがバッドエンドの始まりだよ。
【ハッピーエンド】
出会ってすぐのころは喧嘩ばかりしていた、ドラマの中の男女。
男は最初「ブスだ」「お前の全てがイライラする」などと女に暴言を吐いていたが、それには複雑な理由があったし、徐々に頑張り屋の女を気に入るようになった。
女の方も、最初は意地悪だった男の優しさを徐々に知っていく。
そんな二人は晴れて恋人同士となり、ドラマは今日、ようやくハッピーエンドを迎えた。
あんな恋愛ができたら、さぞ楽しいだろう。
けれどあのドラマの主役である俳優の男は、現実世界では私の夫だ。
現実のあの男は、毎日毎日私に対する暴言ばかりを吐いている。
「まだ飯が出来てないのかよ」、「無能だな」、「誰が金を稼いでると思ってる?」など、こんなことを妻に言っていると世間に知れたらすぐにテレビから消えそうな発言ばかりだ。
夫はあのドラマとは逆に、出会ったばかりのころは優しかった。付き合っているあいだも優しかったが、結婚してから一変したのだ。
テレビの画面には、男女が見つめ合いながら笑顔を浮かべている姿が映っている。そこに『Happy End』という文字が現れ、ドラマは終わった。
そこでちょうど、隣の部屋から夫の怒声が聞こえてくる。
「おい!いつまで起きてんだよ!その電気代、誰が払ってると思ってるんだ!」
いつまでって……まだ九時なのに。自分の方が夜更かししていることがあるのに。夫は何かと理由をつけて私に文句を言いたいだけなのだ。
テレビと電気を消し、夫の待つ寝室に向かう。
真っ暗な廊下で、夫に分からないくらいの小さなため息をついた。
布団の中でも、さっき見た『Happy End』の文字がまだ脳裏にこびり付いている。
私と夫のハッピーエンドは、きっと永遠に来ないだろう。
『最後のみんなの笑顔がステキ! ドキドキもハラハラもあってとても面白かったです。連載お疲れ様でした』
コメント欄を開いていちばんに目に入った文章に首を傾げる。
そういう評価を受けるようなものだったかな、これ。
画力も、ストーリーも、キャラクターもなんだかイマイチで。すこし検索すればもっとずっと素晴らしい作品がゴロゴロと転がっているだろうこのご時世に、どうしてこんな、駄作といって差し支えないような漫画もどきに称賛の声が送られるのか。
画面をスワイプしていく。称賛は消えない。お疲れ様でした、面白かったなど、やはり明るいコメントのほうが人気のようだ。
とあるコメントで、ふと、手が止まった。
『俺、この作品、正直好きじゃなかったんだよね』
そりゃそうだ。その言葉を待っていたんだ。
『初めてみた時、絵もストーリーも変にかぶれてる感じがして、好きじゃないなあって。どうして自分がこれを見てるのか分からなくなった』
でも、とコメントは続く。
私はおもわず目を見開いた。
『でも、なんでか読むのを止めようとは思わなくって。んで様子を見てたんだけど、読み進めれば進めるほど伏線が回収されてくし、コマ割りとかすごい見易くなってって。んで、結局ここまで読んじゃった。今では読みきれてよかったなって思うよ。
何様だよって感じになっちゃったけど、先生、連載お疲れ様でした。ここまで逃げずに描き上げてくれてありがとう。この作品と、あなたと出会えて本当によかった』
〝次回作も楽しみにしています〟
その一文で締め括られたそのコメントは、下から二番目のところにあった。
大粒の涙がこぼれる。こんなにもあたたかい言葉をかけられたのは初めてで、胸の辺りがひどく苦しくて、それ以上にぽかぽかと熱を帯びている。
スマホを胸に抱いて、声に出してみた。
「こちらこそ、ありがとう」
また彼らと出会うために頑張ろう。
さあ、次はどんな話にしようかな。
▶ハッピーエンド #68
ハッピーエンド……
"幸せが終わったら"何があるの?
読み聞かせていた絵本を閉じて
「そうだなぁ」と考える
幸せが終わったら
待っているのはバッドエンドなんだろうと
心の何処かでは思う
でもそれは
夢見る小さな子供には要らない物語
「ハッピーエンドの続きはラッキーエンドがいいね」
バッドエンドにさせない"幸運の終わり"
……素敵じゃない?
#ハッピーエンド