『セーター』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
もこもこのかわいいセーター
去年あなたにもらったよね
「この季節じゃ着れないね」と苦笑したあなた
やっと着れる季節になったよ
かわいいって言ってくれるかな
わくわくと胸を弾ませ
あなたを待つ私
セーターで暖まろう。
冷たい言葉にも負けないように。
今年は夏の終わりと同時に棒針を握りました。
なにせ制作期限はクリスマスまで。
孫2人に今年からワンちゃん1匹が増え、合計3着編むのです。早目に取り掛かるに越したことはありません。
ばぁばだって、毎日暇をしている訳ではないのですよ。
あれは日本でアグリーセーターが話題になった年、冗談で編んでみた1着がなんと大好評だったのでした。
それ以来娘夫婦が撮る家族写真の小ネタ係を拝命することとなり、毎冬、画面の賑やかしを手伝っています。
材料費は全部出してくれるし(とびきり良い糸を使い放題よ!)、とにかく編み物欲は満たせるので私は満足。
子供達にしてもお店には置いてないニッチなデザインをフルオーダーできるからとお礼までしてくれます。
本当、win-winの関係ってこういうことですね。
ただ少し心配なのは孫達のほうです。
あんなに小さな頃から本気のコスプレ英才教育を受けていて、後々、学校に入ったら文化祭の演し物なんかつまらなく思っちゃわないかしら……なんて。
いえいえ案外クラスの衣装係で活躍するかもしれない!
あら。これって親馬鹿ならぬばぁば馬鹿かしら?
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「セーター」
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所感:
今時、親子三代で趣味満喫しているご家族も珍しくないですね。ほんとうに良い時代になりました。黒歴史を家族で共有できるのって、最強…それとも最恐?
【セーター】
私が高校生の頃、今思えば恋愛と友達が全ての世界で生きていた
「彼氏が欲しいなぁ」が周りの中の口癖のようになっていた
月日が経つにつれて仲の良い友達達が好きな人ができ、彼氏ができ始めていく。
季節は秋頃になり
こんな私にも彼氏ができた
1つ年上の先輩で彼は卒業して専門学生
会うのは週に1回くらい
先輩達が卒業する前に男女合わせて10人前後で行った1泊旅行がきっかけで仲良くなり
付き合うことになった。
正直彼のことが好きな訳ではなかった
だけど嫌でもなかった。
クリスマスの飾りづけが店頭などで見かけるようになった頃、誰が最初に始めたのか休み時間に編み物する人が増えてきた
「セーター編んでプレゼントするんだ〜♪」
無謀過ぎる…
いきなり難易度の高いセーターに挑戦かよ
と思いつつ
私にはその手編みのセーターを着て仲良さそうに手を繋いで歩いている友達と友達の彼の姿が一瞬で想像できた
友達はとても幸せそうに見えて羨ましかった
今どき手編みのセーターなんて重い女だなと思われて引かれるだろう
だけど、その重さを受け止めてくれるという事が愛情の深さに感じたのだ
私も周りに便乗してセーターを編む事にした
一目、一目、
気を抜くと穴が空いてまたやり直し
毎日母に教わりながら少しづつ編んでいく
だけど彼との仲はどんどん悪くなっていった
だんだんとわかってきたのだ
彼の事が好きにはなれなかった事に
付き合ったら好きになっていくかもしれないと思った
でも喧嘩をするたびに(絶対別れてやる)
という自分の心の声が静まらなかった。
私には重たい手編みのセーターをプレゼントする彼はいなくなってしまった
別れた後もしばらく編み続けてみたけど難しくて編み終える事はできなかった
編み物が好きな人は別として
これは編む側も愛情が深くないとダメなんだ
友達はセーターが完成する頃には春になってしまうと悟ってマフラーに変更して無事に渡していた
結局誰もセーターは完成しないまま冬は終わってしまったのだ
別れて完成できなかった人もいれば
難しくて挫折してしまった人も。
ただでさえ自分と相性の合う人と巡り合う事もかなり難しいのにセーターを受け止めてくれる人なんて夢のまた夢に感じる
いつか私にもセーターを完成する決意ができる相手と巡り合って
その愛を受け止めてもらえるのだろうか…
それは今でも私の密かな憧れなのだ…
「セーター」
私は、2月のパリを、完全に舐めていた。
1997年から1年間、私はロンドンにいた。特に目的があった訳ではない。強いて言えば、旅行ではなく、異国の地で生活してみたかったのだ。アパートを借り、スーパーで買い物をし、学校帰りに映画館や本屋に行って暇を潰す。公園を散歩したり、ノミの市で古着を見たり、普通に日本でしていることを外国でする。ただそれだけだ。しかしただそれだけのことが、とても刺激的だった。足が棒になるほど歩き回り、夢中で写真を撮った。充実した毎日だったと、今でも思う。
しかしそんな日々も、ずっと続くわけではない。所持金が少なくなるにつれ、日本に戻らなければならない日も近づいてくる。当初半年は語学学校に通い、半年はヨーロッパを放浪する予定だったが、気がつけばもう10ヶ月が過ぎていた。ちょっと長居し過ぎたか。ここまできて、イギリス以外の国を見ずに帰国するのはもったいない。そろそろ移動しよう。行き先は、パリだ。
もともと綿密な計画などない旅だから、パリを選んだのも、単なる気まぐれみたいなものだった。ロンドン・パリ間は、TGV(ユーロスター)という新幹線みたいな列車で2時間半だ。イミグレも簡単だし、「世界の車窓から」のファンだったし。そんなお気楽気分で、意気揚々と出発したのだった。
フランス人の友人は、「そんなに寒ないで。ロンドンよりちょっとマシぐらいちゃう?」(というぐらいフランス語訛りの英語で)と言っていたのに、嘘だった。いやたまたま当たり年だっただけかもしれない。とにかく2月のパリは、極寒だった。パリ北駅で降りた私がまず思ったのは、「パリに着いた!」「まずシャンゼリゼ通りでお茶やな」ではなく、「み、耳が痛い」だった。
旅の始まりは、宿探しからだ。「地球の歩き方」と駅にある観光案内所で安宿地域を探し、あとは行き当たりばったりで宿を決めるのだ。今日泊まる宿も、入口に「英語できます!」って書いてあったので入ったのだけれど、宿主のおばちゃんは何かにつけ「ガッハッハ」と笑ってばかりでほとんど通じない、いい加減宿だった。ちなみにそのガッハッハおばちゃんの娘さんが、英語ができる人だったと後から知って安心したのだが。
このガッハッハおばちゃん曰く、「今年の冬は超寒い」らしい。まずは防寒だ。ロンドンで買ったペラペラのダウンでは、寒くて動く気にもならない。そんなことを、お互いつたない英語で話していると、ガッハッハおばちゃんは「ちょっと待ってろ」と言って、奥の部屋からセーターを持ってきてくれた。なんでも亡くなったご主人が着ていたもので、「お前には少し大きいが着ていけ」と言ってくれたのだ。ガッハッハおばちゃん、いい人じゃないか!いい加減宿とか言ってごめんよ。
それから2日間、私は寒さに震えることなく、パリを歩き回った。ありがとう、ガッハッハおばちゃん。クリーニングとかしないで返すけど、ごめんね。助かったよ。
ちなみにあとでよく見たら、手書きのレシートに「frais supplémentaires(追加料金)」として「location : sweater (レンタル代:セーター)と書いてあった。やるな、ガッハッハおばちゃん。しかも娘さんから、お父さんは亡くなってなどいないと聞いて、ますますこのガッハッハおばちゃんが気に入ったのだった。
セーターを着る時期になりましたね。わたしはぶきよだから、編もうとは思いませんがおばあちゃんが編んでくれたセーターがいまでもあります(たぶん)←多分って・・・・
とりあえず、暖かいセーター着て温まりたい
赤とか緑とか白とか、その日の気分に合わせて選ぶ。
今日は1番気合いが入りそうな赤のセーターにした。
君に、気持ちを告げると決めたから。
セーター
ベージュのセーターがかかっとった
妹のところに。かわいいなっておもってかりぱくした
似合ってるかわからんくてちょっと恥ずかしかった。
にあってるらしい。
よかった、
無理すぎ
ほんまに無理すぎなんやけど....
え?!
まじで無理...
病みそう...
泣きそう...
え?!
あんだけ気をつけてねって言ってたやん...
無理やんけど...
え?!
あんだけ、12月に大事なイベントあるって言ってたやん...
無理やんけど...
ほんまに無理すぎなんやけど...
泣きそう...
やっと会えるって思ってたのに....
まじ助けて欲しい...
ギリ会えるかもやけど...
無理メンタルボロボロ...
ほんまに無理すぎなんやけど...
あんだけ会いたい会いたいって言ってたやん
え!?
まんまに!?
無理すぎなんやけど...
メンタルボロボロすぎてやばい...
ねぇなんでいつもこうなの?
そんなに会ったらアカンの?
なんでよ...
ほんまに逢いたいんやけど
ねぇなんで?!
ほんまに無理すぎ...
泣きそう...
寒い冬の中
温かい赤いセーターは
いいね
ポカポカして
温かい気持ちになる
そんな日は
思いっきり寒い方がいい
いつかの夏休み
時期外れだと言うのに
貴方が買ってくれたセーター。
「思い出になるように」
引っ越しが近づき荷造りを始めた私は
押し入れの奥に仕舞いこんでいた思い出たちを振り返っていた。
小さい頃遊んだ着せ替え人形
みんなで組みたてたプラモデル
このパズルは完成するまで5時間くらいかかったっけ。
ひとり思い出に浸りながらダンボールにつめていた。
ふと、ひときは大きな袋を見つけ、その袋を開いた。
今までとは違う、胸の苦しさを感じた。
母の声で はっとし、現実に引き戻された。
いや、これは引き戻されたというよりも決別させてくれたと言うべきか。
いつかの夏休み
時期外れのセーター
「思い出になるように」
そう言ってくれた君
今は大切な思い出
さようなら
「お母さん。このセーター、小さくて着られないから解いてなにかに使っていいよ!」
「寒い」
そう呟く君に
「セーター貸そっか?」
「セーターよりも、君の手がいいな」
だって、
セーター
学校指定のセーター。
漫画とかではすごくオシャレで憧れだった。
実際に着てみるとブレザーの裾からはみ出しててダサいし、
スカートにしまうとネクタイが詰まってしまい太く見える。
なによりブレザーとセーターが紺×紺という色合い。
もう着なくなってしまった。
セーター
この時期に手放せなくなる三種の神器。
手袋、マフラー、そしてセーター。
高校時代、これらは使用許可が降りていたにも関わらず、私は3年間で一つも使ったことがなかった。
なぜか。
ただ、嫌いなだけ。
ふわふわで暖かそう
だけど
たまに聞こえる
痛いという呟き
でも
好きだから着ると言い張るきみ
セーターの罠
セーター
着るとポカポカ暖かい
ぶかぶかのセーターから見える手
君と手を繋ぐためだよ
早く気づいてね
舞華
セーター暖かいよね。
柄もノルディックとかアーガイルとかトナカイとか色々あって可愛い。
私はノルディック柄が一番好き。
好きではない色のセーターを買った。
私には極度に苦手な色がある。
それは母の好きな色で、母はいつもその色だった。
いつもどこかにその色がある、そんなかわいいものではなくて、どこもかしこもその色なのだ。
洋服、鞄、宝飾品はもちろんのこと、爪も目の上も、果ては髪までその色になった。
贈り物を考えるのはとても簡単だ。その色が、薄くても濃くてもその色が入っていればそれでいい。
そして母自身も可能な限りその色を買う。
恐怖の参観日。あるのは濃淡の違うその色ばかり。
どれだけ必死に選んでみても、結局母はその色の人になる。逃れられない。
その色を見るとゾワゾワとした不快感に襲われるようになっていた。
自分の関わるものにその色を入れたくない。絵にすら使いたくなかった。
母とは対称に、その色だけを排除した。
私が大人になっても、母は変わらずその色だった。
それが近年変化を見せた。何かを買うときに、母はその色を選ばなかった。
何故か。その色ばかりなのが少しいやになったと言う。母のその色の許容量が、ようやく満ちてきた。
それから母は他の色も選ぶようになった。
あの色を選ぶこともあるが、いつもどこかにあの色があるくらいの、かわいいものになってきた。
寒くなり、私はセーターを買いに行く。
色違いの三色の中に、淡いあの色があった。それがとても優しい色に思えた。
長年培った抵抗感を拭うように試着室を行ったり来たりして、遂にレジへ向かう。
商品を手渡すとき お揃いですねと朗らかに言われて、相手が同じセーターを着ていることに気がついた。
あの色が、ともに向けられた笑顔を大きく見せた。
今でも好きな色とは言えないけれど、このセーターを着ることは好きだと言える。これくらいでいいんだと思う。
/ セーター
秋はもう
終わりに近い
落ち葉舞う
コートにブーツ
あったかセーター
セーター
セーターは、冬に大きめなのを着ると、女の子が、
可愛いくなっちゃうステキなアイテム。
白、ピンク、ブルーのセーター。
どれも、可愛い。
いいな。
可愛いくなりたいな。