『ジャングルジム』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
ジャングルジムってさ
なんか人生の一部みたいじゃない?
頑張ればいずれ頂点に行ける。
人生もジャングルジムも同じようなもんだよね。
ジャングルジム
高台の団地のジャングルジムから見る景色は、小さな家がごちゃごちゃと並んでいる景色。
でも私はここが好きだ。
家の庭で愛犬と遊んでいる、小さな男の子。 手を繋いだ恋人が路地を曲がった。 小学校の終わりのチャイムが鳴って、一斉に出てくる子供達。 庭師が大きな木に登ってる
ある家の前には黒い服を着た人達。きっと、大切な人が亡くなったのだろう。
そんな景色をこのジャングルジムの上から見るのが私は好きだ。
ジャングルジムの頂点に辿り着くことができれば王様になることができて、明るい未来が待っていると信じていた。頂点に向かう道中で自分の目的達成のためにとあらゆる人を蹴落とし、やっとの思いで辿り着いた頂点は思い描いていたものは全く別物で、見渡す限り鈍色の景色からはとくに感動を得ることはできなかった。ジャングルジムの下で転がっているのは、かつて人だったもの。自分が蹴落とした者の残骸が山積みになっている。その山から一体ずつ蟻たち引き抜き、巣へと運び出している様子も伺えた。背中のネジが壊れてしまっているからかつてのようには動けないだろうし、蟻の捕食物になる運命しか残されていない。自分を恨むだろうか。コンティニュー機能が使えたら真っ先に殺しに来るのだろうか。不穏な連想を巡らせながら、ふと自分の手を見ると赤黒い血で染まっていた。憧れていた王様はこんなにも醜い淀みを背負いながら、ここに立っていたのか。ともすれば、下から見上げたときに王様の持つものすべてがきらきらと輝く宝石に見えていたのは一体なんだったのか。今思えば、それは王様だけが使える狡猾な魔法によって魅せられた幻だったのかもしれない。かつての王様から奪ったこの杖で、自分が憧れた王様と同じように魔法使って夢を魅せてあげなければ。とっておきの明るい未来を。
ジャングルジム
小さい頃は登れなかった。
高くて、高くて。
初めて登れた時の嬉しさ
周りからの褒め言葉
決して忘れない
たとえそれが
もう登るだけでは得られないと
知っていても
僕の住む街の外れに、小さな公園がある。公園の真ん中にポツンと一つだけ大きな丸いジャングルジムがある。周りには子どもたちが集まって、ワイワイ愉しそうに遊んでいる。逢魔ヶ刻、いつもと違う子どもたちが遊んでいた。
#ジャングルジム
外からの指示に従いすぎて
自分は今どうすればいいかわからなくなって
登ることも這い出ることもできなくなってもがくだけの人がいる中で
頂上でゆったり景色を楽しむ人がいる
社会の縮図ってジャングルジムみたいだね
ジャングルジム
昔、酔っ払った親父が俺に言った。
「俺はジャングルジムがいいんだよ!」
「はぁ?」
「何でかわかるか?」
「いや全然……」
「てっぺんに至るルートは一つじゃないってところだ!
どんな登り方をしてもいい。自由にゴールを目指せばいい!」
大人になるに連れ、親父の言葉を思い出すことが増えた。
選択する時、決断する時、必ずあの言葉が俺の背中を後押ししてくれる。
……そんな気がする。絶対言わないけど。
#36
大好きだった。
高く登ったり
上から見下ろしたり
隣へ移動したり。
ジャングルジム。
子どもが消えた公園。
いや、別にシリアスな状況とか最近問題になっている『公園で子どもを遊ばせるな』とかいうトンチキ理論の被害公園というわけではなくて。
現時刻は18時。
いくらまだ明るいと言っても公園で遊んでいただろう子どもは家に帰っている時間だ。
夕焼けの赤い光に照らされた公園の遊具。
幼いころと比べて極端なほど安全に、もっと素直に言えばつまらなくなった遊具たち。
それが悪いことだとは思わないけれど、小さな身体で怪我も気にせず駆けて登って怒られた日々は何故か誇らしさがあって、やはり寂しいと感じるのだ。
「あ、ジャングルジム!懐かしいなあ」
公園の自動販売機で買った飲料を飲みながら待っているとようやく待ち人が来た。
今日はどこを散策して放浪していたのだろうか。
説明を求めてもマトモな答えが返ってくる保証は欠片もないけれど、ある程度は場所を把握しておかないと後で大変な目に遭うことは確実だ。
「こんなに小さかったんだあ……うわあ……」
その反応で本当に合ってるのか?
ジャングルジムのすぐ近くに立った背中に近寄って隣に並ぶ。
「子どもの時より当然身長伸びてるし、こんなもんだろ」
「そーなんですかねえ」
「そーなんですよ」
適当に受け流して、家に帰ろうと手を振った。
明日もしっかり予定が入っているのだ。
帰ったらすぐ飯作って、風呂入って。
指折り数えていたら、その思考を吹っ飛ばすように綺麗な顔が近付いてきた。
「あなたもジャングルジムで遊んでました?」
「は?まあ……それなりに」
「どんな?せーので言い合いましょ」
「交互に言えばいいじゃん」
「いーいーかーらー!」
「あー、はいはい」
「いきますよー、せーのっ」
「てっぺん目指して登ってた」
「下から入って迷路で遊んでましたー」
同時に言って、見つめ合う。
なんだって?
「迷路?」
「てっぺん?」
二人で見つめ合う。
山があれば勝手に登りに行く問題児が、ジャングルジムの下方で遊んでた?
そんな馬鹿な。
「んふふ」
「なんだよ」
「いや、だってさあ」
オレはおまえの幼少期が上手く想像できなくて悩んでるってのに、なに笑ってんだ。
「遊具一つ取っても正反対なのに、今はおんなじ方向見てるって思ったらたまらなくて」
「…………っ」
言葉にされるととてもヤバい。
自分で言っといて照れるアホから急いで目をそらした。
たぶんオレも、見せられない顔になってる。
お題「ジャングルジム」
転校生だった
一年生の時
可愛いとうわさされた
ジャングルジムで
弟と遊んでいたら
懐かしい
思い出
ジャングルジムの攻略本を書いた。どこから足をかければよいか。効率よく登る方法。やってはいけない注意事項。全編270ページ。まず100版刷った。とてもよく書けたので、書店に置いてもらおうと直訴したが、断られた。出版社に持ち込んだら門前払いされた。仕方なくメルカリで売った。2300円。売れなかった。僕はもう、アヒルボートの攻略本の執筆に取りかかっていたから、販促運動もこれまで、という感じだった。
ある日曜日、僕は公園に向かった。手に一冊の処女作を抱えて。黄昏どきの公園は幼児と父親が一組いるだけで静かだった。僕は攻略本をベンチに預けて、一直線にジャングルジムに向かった。ジャングルジムは青色で五層構造の小型タイプだった。このタイプについてはたしか第二章に記したはず。記憶を確かめて、定石通りの一歩目を骨組にかける。瞬間、手と足に過不足なくエネルギーを供給し、フルスピードで頂上へ。10秒、いや5秒とかからなかったかもしれない。満足して一番上から幼児の方に目をやると、彼らはずっと砂場で砂いじりに勤しんでいた。砂場にいれば砂いじりに没頭する。当然のことだ。僕はジャングルジムから下りてベンチに置いた攻略本を回収して家路を急いだ。帰り際幼児にプレゼント、と言って攻略本を手渡すと子供は受け取ろうとしたが父親がそれを阻んだ。僕は一礼して攻略本を丸めて、公園の入り口の自動販売機のゴミ箱のなかに放った。それで公園を後にした。家に帰ったら残りの99冊をどうするか考えなくてはいけない。
ジャングルジム
ーージャングルジムを制覇した。
頂きの向こうは、どんな風景何だろう??
頑張ったって報われないこともあるんだ。
俺たちのSummerhalloweenは、失敗に終わった。
優しくて、イケメンの想先生の側面を俺たちは知った。
ジャングルジムの上で、俺は胡座をかいて思案した。
ガッカリした。
あんずの奴しっかりしろよ、全く。
俺は、ジャングルジムの上で、空を見た。
夜の月。ハーフムーンダ。
俺は、あんずのために何が出来るのだろう。
休みがちのあんず。
ジャングルジムを制覇するのは、いとも簡単だった。
小さな頃は、苦労をしたのにな。
一つ一つ出来ることが増える度に、大切なものも失くしていくのかな。
当たり前のことが、当たり前になりませんように。
俺は、オレらしくいれますように⭐
高橋悟なら、鉄棒で、逆さ上がりから見る空は、
どんな風に映るのだろうな〜。
ジャングルジムに、もう一度立ち、オレは、声にした。
『あんず、オレたちがついているからな〜……。』
と、郊外から外れているから、大丈夫かな(笑)
ジャングルジムは、オレの原点回帰だ〜(≧∇≦)V
『ハーフムーン、オレたちはイマ、ここにいる。』
と、今度、胸に手をあてて呟いた。
ハーフムーンの、残りの半分は、オレたちに微笑みかけて下さいな。
夜の中で、俺は、しっかりとジャングルジムを降りた。
コンビニで、アイスを買って帰ろう〜。
終わり
~ジャングルジム~
山になったり、家になったり、あるときは鉄格子になったりもする。
でも大きくなった今は、ただ中に入って、守ってもらいたい。誰にも話しかけられたくないときとかに使えないかなと思ったり。
ジャングジムを庭に作らせました。80万円で済んだので安く上がりました。
月夜のジャングルジム
ブランコが揺れている
仰いだ空は
星で一杯だった
あれが北斗七星で
あっちがカシオペア座
その間が
北極星だよ
得意げに、君が微笑う。
星のことは、俺に任せろ。
嗚呼……
君よ、君。
僕は、この気持ちを。
この気持ちを、如何したら良い。
ジャングルジムのてっぺんで
ただただ
君を見つめる
「ジャングルジム」
君といつも遊ぶのは毎回決まってあの場所だ。
腰掛けながらお話したり、ちょっと危ないけど追いかけっこできたり、迷路ごっこできたりと1つの遊具で色んな遊びができる、毎日のように学校終わりそこでよく遊んだ。
恋愛話や、今日の出来事を話すのは毎回決まってここだ
ここは、2人のお気に入りの場所だ。
ある日突然君は引っ越してしまった。
そこから君と会わなくなってしまった、どこに行ったかも分からない、毎日のように会っていたから突然姿を消したことにとても驚きで悲しく、寂しかった、。
「なんで…なんで何も言わずに姿を消すの…」と。
この公園を通るたんびにふと蘇る、あの楽しかった頃を、そして今も変わらずにある あのジャングルジムを。
ジャングルジムが視界に写った。ついこの間までは、誰も遊んでいなかったジャングルジム。古くて、塗装が剥がれている箇所もあったから、人気がなかったのだろう。でも、そんなジャングルジムに、今日は子供たちが集まっていた。小学生くらいの子達が、楽しそうに遊んでいる。近くのベンチに腰を掛けてジャングルジムを観察していると、違和感があった。前まで剥がれ落ちていた黄色い塗装は、綺麗な青に塗り替えられており、太陽の光を反射してツヤツヤと輝いていた。不思議に思い、ベンチをたった。気がつくと、私は子供たちに話しかけていた。
「ねえ、君たち。ここのジャングルジム、何かあったの?」子供たちは不思議そうな顔をしながら、ゆっくり口を開いた。
「お姉さんしらないの、ここね、いろんな大人たちが来て、新しくして行ったんだよ。前まで古くて、遊びたくなかったけど、ピカピカになってみんな遊びに来たんだ」
知らなかった。そんなことがあったなんて。小さく頷きながら、私はベンチに戻った。確かに、前のジャングルジムは塗装も剥がれ落ちて、蜘蛛の巣もあって、不衛生さや古臭さが滲み出ていた。きっと私が子供でも、そのジャングルジムでは遊びたくないだろう。でも、なぜだか、モヤっとした気持ちが込み上げてきた。こうやってみんなは、新しい方ばっかりに目をやってしまうのだろうか。きっと、あの黄色いジャングルジムだって、出来たばかりの頃はたくさん遊ばれていたのだろう。だけど、でも。新しいものもいいけれど、時には、昔のものに触れてみてもいいかもしれない。古い、と表現しがちだが、それがまたいいのかもしれない。古ければ古いほど、たくさん遊ばれてきた証拠なんだ。きっと、今だって、みんなで遊んでいて、大切にしていれば、あんなに汚くならなかったのかもしれない。塗り替えられなかったのかもしれない。複雑な気持ちのまま、私は、公園を後にした。
子供の頃は、3階建ての建物を登っていると思うぐらい高くて、怖かった。高さの恐怖より、てっぺんまで登りたいという好奇心が勝ち、登り始めるけれど、いつも途中で動けなくなるか、登ったものの降りられなかった。
そんなジャングルジムに大人になってから登ると、「こんなに低かったの!?」とびっくりした。
今となっては、高さの恐怖なんかより、体が挟まって身動きが取れなくなる恐怖と戦っている。
私は、幼い頃から運動神経が優れているほうではなかったので、ジャングルジムに登って友達を見下ろしたことはありませんでした。そもそも、運動神経の優劣以前に運動が嫌いだったので、ジャングルジムに自分から登ろうとしたこともなかったような。ああでも、猫をかぶる必要のない家族の前では思いきり登っていたような気もします。
中学校に上がった頃には、運動することの恩恵を知ったからか、当時ほどの苦手意識はなくなったのですが、思い返すと幼少期の私は周りの子よりも成長の階段の数段下にいたのかも、いや 勉学には励んでいたため、ませて数段上にいたのか、などと考えを巡らせていました。
現在の、より視野や知見の拡がった(はず)の私が思い返すと、まず皆が同じ階段を(分野毎には分けて考えていましたが)登っていると思っていたのも、少しズレている気がします。階数毎にゴールが書かれているとするならば、それは人それぞれ違いますし、その階段は遠く横に広がっているような。だから「〇〇のレールを外れる」というような表現が存在するのだろう、と
これまで書いたことは、幼少期からの"他人と比較する癖"に関して、と言えますが、世間一般的に、他人と比較することは良くないこととされているように感じます。ですが私にとってそれは、むしろ向上心を掻き立て、幸せを感じるために必要不可欠だと感じています。
私は幸運なことに負けず嫌いな性格なので、他人と比較して自分を醜く思うようなことはありますが、比較対象に勝手に闘争心を燃やし、勝手に目標にし走ることができています。これは、基本的に怠惰な私が唯一エネルギッシュになれる原動力だと思っています。
他人と比較することは、下を見ることにもなりますよね。下を見るということに限っては、他人と比較することよりも過去の自分と比較することの方が多いのですが、この比較によって私は、線で続く幸せを感じることができています。例えるのなら、好きな食べ物を食べたときの幸せのような。この幸せは、好きな食べ物を食べられない時間があり、空腹の時間があり、そんな中で生まれる幸せです。
他人と比較することで得られるふたつの恩恵について書きましたが、これはまた少し成長した未来の自分が見返したときに、今の私と比較してもらうための記録として、そして他人と比較してしまう癖を短所だと思っている方に、ご自身を認めていい方向に活用できるように、伝えたくて書かせていただきました。
久しぶりに母校の小学校に来た。
「懐かしいな」
ふとジャングルジムに登りたくなり、一番高いところまで上がった
「よく友達とあそんだな」
校庭を見渡せて開放感があり、大好きな場所だった。
―もう、来れないけれど―
明日はついに中学校の入学式。
部活、勉強、習い事、これらを両立させないといけなくなり、忙しくなるため、これが最後になる。
『またね、小学校』
#1