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 私は、幼い頃から運動神経が優れているほうではなかったので、ジャングルジムに登って友達を見下ろしたことはありませんでした。そもそも、運動神経の優劣以前に運動が嫌いだったので、ジャングルジムに自分から登ろうとしたこともなかったような。ああでも、猫をかぶる必要のない家族の前では思いきり登っていたような気もします。
 中学校に上がった頃には、運動することの恩恵を知ったからか、当時ほどの苦手意識はなくなったのですが、思い返すと幼少期の私は周りの子よりも成長の階段の数段下にいたのかも、いや 勉学には励んでいたため、ませて数段上にいたのか、などと考えを巡らせていました。
 現在の、より視野や知見の拡がった(はず)の私が思い返すと、まず皆が同じ階段を(分野毎には分けて考えていましたが)登っていると思っていたのも、少しズレている気がします。階数毎にゴールが書かれているとするならば、それは人それぞれ違いますし、その階段は遠く横に広がっているような。だから「〇〇のレールを外れる」というような表現が存在するのだろう、と

 これまで書いたことは、幼少期からの"他人と比較する癖"に関して、と言えますが、世間一般的に、他人と比較することは良くないこととされているように感じます。ですが私にとってそれは、むしろ向上心を掻き立て、幸せを感じるために必要不可欠だと感じています。
 私は幸運なことに負けず嫌いな性格なので、他人と比較して自分を醜く思うようなことはありますが、比較対象に勝手に闘争心を燃やし、勝手に目標にし走ることができています。これは、基本的に怠惰な私が唯一エネルギッシュになれる原動力だと思っています。
 
 他人と比較することは、下を見ることにもなりますよね。下を見るということに限っては、他人と比較することよりも過去の自分と比較することの方が多いのですが、この比較によって私は、線で続く幸せを感じることができています。例えるのなら、好きな食べ物を食べたときの幸せのような。この幸せは、好きな食べ物を食べられない時間があり、空腹の時間があり、そんな中で生まれる幸せです。

 他人と比較することで得られるふたつの恩恵について書きましたが、これはまた少し成長した未来の自分が見返したときに、今の私と比較してもらうための記録として、そして他人と比較してしまう癖を短所だと思っている方に、ご自身を認めていい方向に活用できるように、伝えたくて書かせていただきました。

9/24/2023, 7:07:47 AM