『ジャングルジム』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
①《佐藤にとってのジャングルジム》
「最近、ウチの孫が公園のジャングルジムでよく遊ぶようになってねぇ」
そう自分に語りかけてきたのは、パートのお喋りおばさんこと吉田さんだった。
既に終業時刻を知らせるチャイムが鳴り終わっている。つまり、あとは帰るだけという時に捕まってしまったのだ。
あまりの運の悪さに自分の今日の運勢は最下位だっただろうかと思いつつ、彼女の話に相槌を打つことにした。
「へぇ、そうなんですね。じゃあ、一緒に公園に行く時とかお孫さんから目離せないですね」
「そうなのよ~。ウチの孫、元気いっぱいでホント困っちゃうわぁ」
困ると口で言いながらも、孫のことを話す吉田さんの顔は嬉しそうに笑っていた。そんな様子に自分は、祖母というものはこんなにも孫の成長を喜ぶものなのかと一人でに感心していた。
「佐藤君は小さい頃どうだった?やっぱり、男の子だからいろんな所で遊んで傷とか作ってたりしたのかしら?」
自分の孫の話だけしてもつまらないのか、それとも此方の方に気を遣ってなのか吉田さんは唐突に質問を投げ掛けてきた。正直、それは自分にとってはありがた迷惑の部類に入る行為だった。というのも、自分はあまりそういったことを他者に話したくない質なのだ。理由は、様々あるが一番の理由はまず自分には実の親がいない。というのも、自分は幼い時は孤児院にいたのだ。運の良く小学4年生の時に里親が見つかり、育てて貰った。なので、あまりこういった話はしたくなかった。
「いや、自分はあまり外に出るようなタイプじゃなかったですね…」
「あら、そうだったの?体とか大きいから、てっきり外で遊んでるイメージあったわぁ」
「えぇ、よく言われます」
そう言って曖昧に笑った自分に、吉田さんは何かを聞くことなく、5分程そのまま自身の孫の自慢話を自分に聞かせ続けた。
■■■
そんな話を聞いたからなのか、帰宅途中にある公園に立ち寄ってしまった。近くの自動販売機から微糖の缶コーヒーを買うと、公園内のベンチに座わった。
視線を動かせば小さな子供達とその保護者、それから犬の散歩や自分のように公園で休んでる者があちらこちらにいた。
ふと、今日の話の話題に出てきたジャングルジムに目を向ける。ジャングルジムには、小さな子供達が無邪気にあの格子状の中を巡り回っていた。
そんな様子を見ながら、もし幼い頃の自分があの場所にいたらどうしていただろうかと思った。
ジャングルジムの下であちこち動き回るか、頂上を目指して登るか、それとも――。
そこまで考えて、そう考えることの不毛さに気付き息を吐いた。
今どれほどかつての事を夢想しても、過去は変えられない。それは大人になって、すぐ分かったことだったろうと思いながら缶コーヒーを開けた。
(あのジャングルジムで遊んでいる子供達は、大人になくなったらどう思うのだろうか)
今の自分のように思うのか、それとも別のことを思うのか。
「…きっと、その時にならないと分からないよな」
自分だって、そうだったのだからと残りのコーヒーを飲み干して、ゴミ箱に捨てると立ち寄った公園を後にしたのだった。
② 《あの頃のジャングルジムはもういない》
幼い頃は、ジャングルジムがどこか巨大な物に思えた。
あの格子状の中を縦横無尽に駆け巡るのも、頂上にあたる場所によじ登るのも一苦労だった。だが、どこか満足感とも充実感とも言えるようなものがジャングルジムから出た後にやってくるのだ。
それが幼心に良い刺激となって、また来ようと思えた。
しかし、大人になると子供の頃とは全てが違ってくる。
記憶の中で大きかった筈のジャングルジムは小さく見えるし、思えてしまう。
あの格子状の中を無邪気な気持ちで、縦横無尽には行けず。頂上に登るのは、あっという間になってしまった。
ジャングルジムを出た後は満足感や充実感よりも、疲労感と脱力感。
あの刺激は大人になってすっかり消えてしまった。
これが大人になるということなのか?
いや、大人になってしまったということなのか?
はっきりしたことは分からない。
ただ分かることがあるとすれば、きっともうあの純粋な頃の自分には戻れないということだろう。
作者: 🐡
「ジャングルジム」
言わずもがな、ジャングルジムは、ブランコや滑り台と並ぶ定番の遊具の一つである。
国内の公園や学校に多く設置されており、たくさんの子供たちから愛されている。
私も昔から遊んではいたが、よく考えてみるとジャングルジムについてあまり知らない。
少し調べてみると、1920年にシカゴの弁護士によって発明されたことがわかる。
彼の幼少期、数学者であった父が、竹を組んで作った格子状の遊具が原型とされている。
確かに3次元座標を連想させる構造をしており、数学らしい要素が見受けられる。
慣れ親しんだ遊具でも、調べてみると意外な発見があり面白い。
気になったことは積極的に検索し、新たな知識で脳を刺激すれば人生もより豊かになるだろう。
〘ジャングルジム〙
ぷくちいでぴんなお耳のちこさんと迷路みたいに遊んだ思い出
お題:ジャングルジム
ジャングルジムの上から爛々と「とびおりる!」と言いながら、足が竦んだ子へ「ほらおいで」と手を伸ばして迎え入れ。きゃっきゃと無邪気な笑い声に釣られて、重くなった体重すら愛おしい。
これを愛情と言わずしてなんと言えよう。
ジャンケン、ジャンケン、ジャンケンポイ。
ウンコを踏んだわけでもないのに、蜘蛛の子散らすように皆が離れていく。
自分の運のなさを呪い追いかけるが、誰も鬼を代わってくれそうにない。
辺りを見回すと、一番小柄なユズキが目についた。
目があった途端、奇声を上げながら一目散に逃げ出す。
逃げ場のないジャングルジムへ追い込んだつもりだったのに、野ウサギが穴ぐらへ逃げ込むようにスルリと潜り込んで行く。
小賢しいまねにイラつき頭に血がのぼる。
ふいに厭な匂いが鼻につき、ジャングルジムに手をかけるのに躊躇した。
ペンキの匂い、それとも鉄の錆びた匂い?
指先で少し触ってみるが、ベトつかないし、ペンキが着くこともない。
気の迷いと振り切り、遅れを取り戻すように勢いよく潜り、四つん這いで突き進んだ。
ユズキは悪戦苦闘する僕をあざ笑うように、今度は上へ上へと登りだす。
目で追うように見上げると、ゴーンとすごい音がして、ジャングルジム全体に震えが走る。
ユズキのてっぺんから嘲り見下ろす様に、益々頭が熱くなった。
やっと頂上にたどり着くと、ユズキはそれを見届けたのが合図とばかりにヒラリと飛び降りた。
追いつめたつもりが、またしてもかわされ、行場のない怒りでどうにかなりそうだ。
怒りで頭がクラクラしていると、不意にヌルリと足元がすべった。
バランスを崩したまま足元へ引っ張られるようにひきづりこまれていく。
体中が熱くて自分の身体なのにピクリとも動かないのがもどかしい。
そうか、さっきのは血の臭いか。
身動きの取れない僕を痩せ細って骨だけのジャングルジムがゆっくり捕食するんだ。
ジャングルジム
ジャングルジム
子どもが登って遊ぶ
ではなく
夜、または陽射しきらめく日中
ジャングルジムの上でぼーっとする
実際やった事ある人
どれぐらい居るんだろう
追記
夕暮れ時もあったね
《ジャングルジム》
小さい頃は怖いくらい高く見えたジャングルジムも
蛇みたいに長く見えた滑り台も
今となってはちっぽけだ。
遊具で全力で楽しんで遊んでいた時期に戻りたい
ずっとずっと高く見えた。
だって僕の背丈はジャングルジムの2段分くらいで、足をかけるのがやっとで、それでも上を向いてぐいぐい登っていこうと思えたんだ。
真っ直ぐに上を見つめる。周りの声は何も聞こえない。ただ、掌のじんじんするような感じと、靴の裏のぐっと重たい感覚だけが全てだった。
ただ、真っ直ぐに。白みがかった青空に透けるように浮かぶ、三日月を目指した。
ジャングルジム
公園にあったような
いまはもうないんじゃないの
でかい公園ならあるのかも
なくても困らないと思う
でも子供にとってどうなのか判らない
既にないのが当たり前なのかな
なくても似た遊びがありそう
特に田舎だと
自然は元々危ないもの
ジャングルジムを
問題にしたのは
親や社会に時代の風潮で
それをなくしてもとは思ってたかも
子供にとって危ないものは有り触れてる
危なくないものなんてないからね
簡単に言うと付き合い方の問題ではと
で、ジャングルジム等がなくなって
公園で怪我をする確率が
数%くらいは下がったんじゃないかな
危ないものはいくらでも思いつくし
言えることもなくはないけど
そんなものばかりだし
なんで特別視したのかが不思議
「ジャングルジム」
高い景色が好き。登るのは少し怖い。
冷たい鉄の棒が気持ち良い。握った後に手が鉄臭い。
どこからだって入って出られる。どこもかしこも穴だらけ。
吹き抜ける風が気持ち良い。雨宿りにはむいてない。
子供の頃の自由な城。
足元グラつく不自由な大人。
家のようにして遊んだ
ここがリビングここが寝室
ここはわたしの部屋ね
鉄が組み合わさった物体に
そんな想像を膨らませることのできる感性の柔らかさよ
あの頃はすべてが物語になった
捕まったらここに閉じ込めておくよ
すぐに出られないからぴったりじゃない
牢屋と化したそれも鉄の塊ではないなにか、
に成り果てた
私の生きているジャングルは
コンクリートで覆い尽くされる
コンクリートの中で役割を演じているのではないか
コンクリートの中から出られないよう、なにものかに捕まえられているだけではないのか
大地はちゃんと呼吸できているのだろうか
#ジャングルジム
最近、身体を動かすようなアトラクションが色々出来る某施設に行く機会があり、友人達がクライミングをやりたいといささか興奮気味に言うのでとりあえずやってみたのだが、これが思いの外楽しいのだ。まずそう感じた自身に驚く。そして周りを見回すと、大人が躊躇ってしまうような難しいコースでも軽々と登っていく子どもが何人かいることに気付いて目を見張る。
近所の公園の側を通る時、どうして子どもの頃はあんなに公園の遊具に夢中になって遊んでいたのだろうなんて思うこともあったが、上に登るという行為だけでこんなにおもしろくて、かつ今よりも身体が小さく身軽だったからなおさらなのだろう。
ジャングルジム
ジャングル+ジム、小っちゃい頃は好きだった。ちょっと大きな子供が来たら逃げ込んだ。
少し大きく成ったら回転ジャングルジムの方が好きに成ってた。外から友達に走ってクルクル回してもらった。相当、目が回った。それ以来、余り乗らなく成った。中に入っても友達が近づくと直ぐ出た。
ぎったんばっこん(シーソー)も高学年に成ったら乗らなく成ってた。着地する時、お尻が無茶苦茶、痛かった。
ブランコも危なく1回転しそうになってヒヤヒヤして怖くて辞めた。
全部そういうふうに出来ていた。 各々使用適齢年齢があって大きな子供に取られない用に出来ていた。
33作目 🤒徳博
『ジャングルジム』 175
大して足も早くないのに、あの子は鬼ごっこが強かった。
ほとんど鬼になったことがなくて、それを教室で自慢げに語っていた。
鬼ごっこが始まれば、何時もジャングルジムの中央に陣取っていたあの子は、今ごろ何処で何をしているだろうか?
アイツと遊んでも楽しくないと、未だに言われてはいないだろうか?
あの子の楽しみ方を理解してくれる。そんな友人を見つけることは出来ただろうか?
ジャングルジムの中央で、楽しく笑い続けていけたなら……それが一番幸せだろう。
#51 ジャングルジム
「猿め。」
腹の出た草臥れたスーツ姿のおっさんにそう吐き捨てられても、僕らは何も感じなかった。
むしろ、アルコールに熱せられた優越感がますます膨張して、缶の中身を今すぐにでも空にしたくなる衝動に駆られた。
お金の無さと不自由さに苛まれながら、ただただ若さだけを自覚し呑んでいる僕らには、この公園はあまりに広大で、闇に包まれた安全な楽園で。大人など取るに足らない存在だった。
錆びた歯車が消えていった、暗く茂った道を目で辿っていると、膝のあたりでふわりと風が舞った。咄嗟に振り返る。
そこには彼女が居て、風は、ワンピースの裾が彼女の大胆な歩幅に合わせて翻った証だった。
彼女は公園の中央に佇む城に手を掛けたところだった。僕はあれだけ頼りにしていた缶ビールをその場に捨て置いて、反射のように彼女を追った。
「君も来なよ。怖いよ」
怖いと言う割に、彼女はとても楽しそうな顔をしている。街灯に照らされた恐らくブルーの無骨な遊具は、側から見れば大した高さには見えない。
僕は彼女のスカートの中につい視線を走らせてしまってから、すぐに薄汚れた青い棒に手を掛けた。許可を得た僕は、永くて短い夏休みの愚昧な勝者だった。
確かに実際に登ってみると、足場の頼りなさが高さを押し上げて感じられた。身体を捩り入り組んだ躯体を見下ろしながら、上手くすれば、たぶんこれを使って死ぬことだってできると思った。
「猿ならこんなもの、怖がらない」
僕は気がつくと、余計な言葉をこぼしていた。彼女のかわいい眼球が、僕の方を向いた。
「いい眺めだ」
そう取り繕うように続けた僕に安心した彼女の気配を知って、僕は瞬く間に永くて短い夏休みの英明な敗者となったのだと、悟った。
分かっている。ぼくは公園の正しい広さを知っているし、塞いだ耳から大人の足音を聴いている。
自分がどれだけ不安定なところに座っているかも、ちゃんと、分かっている。
人生って、
ジャングルジムみたいだね。
出口まで色んな道がある。
まだまだ出口まで行けず、
色んな道を今は進んでます。
ジャングルジム
懐かしいなー
ふとあの公園を思い出す
ブランコにも乗ったし
すべり台でも遊んだ
最初は怖くて登れなかったジャングルジムも
大きくなるにつれて
登れるようになった
また
あの公園に行きたいな…
私は幼稚園生の頃ジャングルジムのてっぺんまで登り、そこから他の園児たちを観察することが好きだった。いつもとは違う視点になれることも嬉しかった。
幼稚園の先生たちはそんな私を見守ってくれていた。
他の友達と遊びなさいとか、誘ってくることはなく。
尊重してくれていた。
とても心地よい場所だったなとふと思い出した。
誰にも否定されず、価値観も押し付けられない。
1人で居させてくれる空間。
あの幼稚園に入園できてよかったな。
ジャングルジム #2
私はジャングルジムさんが好きだ。
もちろん、恋愛的な意味で。
周りには、「ジャングルジムのことを好きになるのは、おかしい」とよく言われる。
ジャングルジムさんは、高いししっかりしていて、とてもかっこいいのに。
どうして、周りは私の気持ちを理解してくれないのだろう。
私は中学生の頃、母に病院に連れてかれた。
私のジャングルジムさんに対しての気持ちはおかしいの?と私はその時思った。
私は医者から「対物性愛」と診断された。
医者によると、対物性愛は病気では無いらしいが、人間や動物などの生物ではなく、物に愛情を抱き、性的に惹きつけられるセクシュアリティのことらしい。
対物性愛の対象は、おもちゃから家電、建造物など様々だとか。
母はその医者の話を聞いた後、対物性愛を治す方法はないかと必死に医者に聞いていた。
やはり、母は私がジャングルジムさんのことを好きになるのはダメだと思っているんだろうか…。
*****
時は経ち、私は高校生になった。
もちろん、今でもジャングルジムさんのことを愛してるのだが、母を安心されるため、好きでもない男性とお付き合いをしている。
私がジャングルジムさんのことを裏切っているように感じて、毎日が苦痛だ。
世の中は私を受け入れてくれない。
どうして…、どうして…、わたしがこんな思いをしなきゃいけないのだろうか。
いっそ、私が死んでしまえば…、この苦しみから解放されるのか?
私はそう思いながら、紐を輪っかに縛り天井にぶら下げるて、自分は台に乗り、自分の首を紐の輪っかに通す。
そして、台から足を離す
『バイバイ、大嫌いな世界。大好きなジャングルジムさん…。』と思いながら、私は最後に涙を流すのであった。
ーfinー
『ジャングルジム』
星の子どもたちも 鉄の匂いで目が冴える ジャングルジムは夜に溶ける すべり台よりもよく溶ける 団地のまん中 放課後はみんなの城だった 一人が飛び降り また一人が飛び降り ゆっくり三人目 ジャングルジムがただの遊具になった時 日が沈む 時報が鳴る 星の子どもたちの時間がやってくる 夜がマドラーを持ってやってくる