『ないものねだり』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
必ず人間は誰しも無いものを欲しいと思ってしまう。子供であればねだってしまう。でも欲しくても、ねだっても、手に入れられない物もある。それは人生生きていく上で必ずぶつかる難問である。 【ないものねだり】
「ねぇ!これちょーだい!」
『え、なn...』
「は?うるせぇよ早くよこして」
『わ、分かった...』
「これも、それも...あとこれも頂戴!」
『っw』
「何よ...?」
『アハハハハハwwww』
「早くち...」
『馬鹿だねぇ~君ってwww』
ないものねだり
私はあるものの方が少ないけど
一つだけほしいものがある
それは幸せな生活
ただ愛や
人の温もり
暖かさ
求めるのだろう
普通ならば
「そんなもの、俺には」
ねだりかたさえ無くした記憶の中に
(遊戯王VRAINS:藤木遊作)
自分には持ってないものを持っている人を見ると羨ましく思う
自分は苦労しても手に入らなかったのに
いともたやすく手に入れた人もいる
なぜ周りはあんなにも恵まれているのだろうか……
でも、ふと思う
自分が誰かを羨ましく思うように
誰かも自分を羨ましく思っているかもしれない
恵まれているように見える人も
実は苦労を重ねているかもしれない
いともたやすく手に入れたように見えた人も
本当は並々ならぬ努力を重ねたかもしれない
自分の苦労や辛さが外から見えないのと同じように
誰かの苦労や辛さも自分には見えないのだろう
結局ないものねだり
#7 : ないものねだり 2024年3月26日(火)
私はとあるものが欲しい
それは"母親"
私は物心ついた時から母親という存在がなかった
親戚や父親に聞いても言葉を濁すだけだった
ないものねだりだとわかっている、母親という人物が欲しいな
チョコつけた唇、想いの核心に触れることへの赦しがほしい
題-ないものねだり
ないものねだりだよねぇ〜
【人間世界】
A「はぁ…身長高い人って良いなぁ…"高くなりたい"。」
B「身長低い人って可愛いから"良いよね"。」
A「ぽっちゃりの人って、男の子にモテやすいよね。ガリガリなんか気持ち悪い…"良いな"ぁ…」
B「細い人って"良いよね"。身体が毎日重くて、本当に嫌なんだ…。」
【空の上】
助手「…といった、ないものねだりというものが人間世界で流行ってるらしいですよ。」
神様「う"〜ん………、俺は何も出来ない。多分自分の理想の姿になっても3日ぐらい経てばまた変わってくるだろう。」
助手「何もしなくて良いんですか?」
神様「俺達がどうしようとしても変わらない。"本人たちが変わらないとな"。」
【ないものねだり】
私の友達のエマは、ぱっちりした二重瞼の目が特徴の可愛い女の子だ。
一重瞼で切れ長の目をした私は、幼い頃からずっと、そんなエマの目が羨ましかった。
けれど、最近エマと二人で買い物に行った時、びっくりしたことがあった。
化粧品コーナーを見ていると、鏡が備え付けてあったので、私は用もないのについ覗き込んだ。
私の目は、隣に居るエマの目の三分の一ほどの大きさに見える。すでに分かっていることだけれど、こうして見てしまうとやっぱり落ち込む。
でも、私と並んで鏡を見ていたエマが言ったのだ。
「いいなあ。ハルカは鼻が高くて」
「えっ……?」
「私、鼻が低いのがコンプレックスなんだ」
言われて鏡をよく見てみると、確かにエマの鼻は可愛らしくちょこんとしているが、高い方ではないかも知れない。
自分の鼻が高いことは、時々周りから言われて自覚していたけど、あまり深く考えたり、誇らしく思ったりはしなかった。むしろ、エマみたいな目だったら……と自信のない目のことばかり考えていた気がする。
「私は、エマの目が羨ましいよ」
「目!?」
「小さい頃からずっと、エマみたいな目に憧れてたんだ」
「えー!私、小学生の頃は男子にギョロ目とか出目金とか言われて、目のことでからかわれてたよ!」
「そうなの?」
話を聞いてみると、エマは成長するにつれて目を褒められることが増えたが、子供の頃の経験もあって自分の目に自信を持っているわけではないようだった。そして私とは逆に、コンプレックスの鼻のことを考えてばかりいたらしい。
「そっか……知らなかったなあ」
「ハルカみたいな顔だったら良かったって、何回も思ったんだ」
「嘘でしょ!?」
だって、エマは可愛いから私の三倍くらいは男の子にモテるのに。けれど、エマは「誰かが褒めてくれても、自分は気に入らないの」といって力無く笑った。
――それから五年。
エマは、整形で鼻を高くした。本人には言えないが、まるで魔女の鼻みたいだ。
今のエマは男の子には全然モテなくなったけれど、幸せそうに笑っている。
ないものねだり
アイツは幸せで羨ましい。
幸せな家庭で過ごして、誰からも愛される。
たまに失敗するけれど、そこが良いと言うやつもいる。
しっかり相手のことも理解して、話を進めたりする。
オレには出来ないこと、無理な事をやり遂げる。
羨ましいな......。
アイツみたいになりたかった。
彼が楽しそうで羨ましい。
周りから信頼されていて、誰もが彼の元に行く。
たまにやらかしをするけど、笑ってやり過ごす奴もいる。
相手の事を理解しているから、誰でもすぐに打ち解ける。
僕には出来ないものは、彼が成し遂げる。
羨ましいな......。
彼みたいになりたかった。
思いついたらすぐに行動に移す自由奔放な少女と、決められたことを遵守し道を外れることなく生きる少年がいた。
二人の相性は最悪で顔を合わせるたびにいがみ合い喧嘩していた。ただ喧嘩とはいってもお互いの悪いところを指摘し合うだけの戯れに過ぎなかった。
だが、周りは違った。
二人が喧嘩をするたびにどちらかに便乗してもう片方を酷く罵った。ありもしないことや嘘、罵声や否定を繰り返した。周りの苛烈さに本人が止めに入っても事態は悪化するだけで、終いには二人の存在自体を否定した。
周りから孤立してしまった二人は、自然と手を取り合いその場を去っていった。もともと意見や価値観が合わなかっただけでお互いを嫌ってはいなかったのだ。そう、嫌いではなかった。
―少女は少年の常に正しくあろうとする芯の強さに憧れていた
―少年は少女の即決し即行動する姿に憧れていた
お互いになんとなく察していた。相手が自分に憧れていること、自分が相手の憧れになっていること。二人は知っていたのだ。
譲れないものがあるからこそ喧嘩になってしまっていただけで、相手を否定することも罵ることもありえないことなのだ。二人にしかわからない、歪なコミュニケーションをとっていたのだ。
「あの人たちは正しくないね」
「はやくあの人たちから離れるべきだったな」
クスクスと笑いながら二人は歩く。
身勝手極まりない周りの声が聞こえなくなるまでずっと、ずっと。
【題:ないものねだり】
私 『あの子、いつも貴方(♡さん)と話してるなぁ。あの子いいなー。』
あの子『叶逢ちゃん(私)、♡ちゃんの事見てるなぁ。♡ちゃん、いいなー。』
【歌詞考察】
春の歌 スピッツ
君と別れて曖昧な日々を生きてきた。
空っぽな体で歩いてきたから
鈍くなった心と体は
いつの間にか
ぬかるみやトゲ藪にいても
冷たさも匂いも痛みや温度も
感じなかった。
やだな、それでも腹は減るんだ。
さっきまで聞こえていなかった
自分の足裏から鳴る音を知覚した。
カツン、カツン、それは確かな音だった。
長いトンネルの中
それを認識したのは
わずかな光を見たからだ。
久々に触知した光の色は
それはそれは鮮やかな「色」だった。
そうか僕は
何かを探していたんだった。
大切にしたい存在があった
大切にしたい言葉があった。
だけどカケラを沼の底に落としたり
藪に引っ掛けて
ズタボロにしてしまったのかもしれない。
僕の中にその輪郭は残ってる
目が合うより先に
君を愛してしまっていた。
声をかけるより先に
二人の未来に、希望を見てしまった。
それはまるで春の祝福
君が見上げる空にも同じ虹が見えるかな。
記憶が蘇る
光にさらされて自分の形が見えてくる。
やはりガムシャラだったんだ。
引き攣れた頬が硬く、痛い。
擦り切れたスタンプ見たいな空っぽの顔
人を癒す笑顔なんて知らない。
ただ息をするだけで光になる君とは違う。
裸の僕は脆くて弱くて
形を保てないけれど
君の名で皮膚をなぞれば
僕が確かな僕になる。
春の祝福は
途切れることのない夢
君が笑って光が溢れて
僕に当たって影ができる。
影の中で漂っていたあの日々は悪夢
もう触れない君を焦がれてみた悪夢。
難しい話はやめよう。
思考に囚われ、足を取られては
同じところの堂々巡り。
何処に向かうか わからなくても
前と信じて歩いてみよう
目が合うより先に
君を愛していたよ。
声をかけるより先に
確信していたよ。
それはまるで春の祝福
君は見ていなくても
君の上にある虹が消えないことを僕は祈り
その姿を永遠に記憶しよう。
だけど終わらない夢はない
だから僕も君の幻は捨てて
僕の道をゆく。
大袈裟なものでなくて
ふと振り返り
足跡が残っていればそれが僕の道。
霧は晴れ、春がふと香る。
頬に優しく触れて僕を見送った。
……………………………
というわけで、歌詞考察しようと
噛み砕いた文章つらつら書いてたら
割と読み物っぽくなったので
投稿しちゃうゾ✨です。
なんのこっちゃよね、ごめんね。
企画なの、そういう企画なの。
……………………………
思いつかないので一言。
みなさんいつもお疲れさまです!
平凡で普通すぎる毎日だと思っている方もいると思いますが、それがどれだけ幸せか…
考えてみてくださいよ。
毎日新鮮な水が飲める🚰c(* ॑꒳ ॑* )
ご飯が食べれる🍙( ˙༥˙ )🍙ŧ‹"ŧ‹"
治安がいい( ` -´ )bイイネッ✨
これ、メッッチャ良いですよね!?!?(^^(圧))
ないものねだり
「二重なのいいな」
「一重なのいいな」
「奥二重なのいいな」
「ないものねだり」
それは、形にはならないのかもしれない
羨ましくなったり嫉妬してしまったり…
でも時には、叶わなくても望むことだって生きていくには必要な一つなのだと私は思う
他の人ができていることが自分自身が全部が全部できるとは限らなくて心に傷を追ってしまうこともなくはなくて
そんなときに、’ないものをねだる’ことで変わるかもしれない
そしたらきっと私も君もできることが増えていくのだということを
それは 一歩前進!
友達が羨ましい。
友達の旦那はよく稼いできてくれるみたい。
うちの旦那の稼ぎは低いから、私も働かなきゃいけない。
友達は専業主婦。
私も専業主婦がしたくて結婚したのに。
旦那はよく家事もしてくれて、仕事が終わったらまっすぐ帰ってきたり、私が行きたいと言った場所も覚えてくれてて連れて行ってくれるし、誕生日や結婚記念日も忘れずに一途に愛してくれている。
でも、友達が羨ましい。
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友人が羨ましい。
私は結婚しても仕事したかったのに、旦那に頼まれて仕方なく主婦をしている。
稼ぎはいい夫だから、生活には困らない。
夫は主婦なんだからって家事育児は全て私任せ。
そして何より、私の稼ぎがなくて簡単に出ていけないのを良いことに不倫をしているようだ。もう何年も一緒に夕食を食べていない。結婚記念日はおろか、誕生日もずっとお祝いしてくれていない。
だから、友人が羨ましい。
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私たちって、ないものねだりね。
なんて、会話をしながらカフェでコーヒーを飲んだ休日の午後。
「ないものねだり」
ないものねだり
ついついしてしまうけど
ないものばかり追いかけると
もってるもの分からなくなってしまう
もってるものを探して
その中から無いものを生み出せたら
いいのにな
子供の頃のお話です。
私は三人兄弟の一番上。
長女という役目もあり甘え下手でした。
しっかりしなくてはいけないという使命感もありましたが、
やはり時には甘えられる存在が欲しくて
いつも優しいお兄ちゃんが欲しいなあと思っていました。
4歳下の弟は一緒に遊べる弟が欲しいと言い、
7歳下の妹は可愛い妹が欲しいと言いました。
どんなに欲しいと願っても叶わないおねだりです。
ないものねだりとはこのことだなぁと
三人で笑い合った事を思い出しました。
【ないものねだり】
仕方ない。というのがまず結論となる。ないものねだり。
ないものねだりをしても仕方がない。この一文に二つの意味が込められて、その両方が適切だ。
簡潔明瞭に言葉を正すのなら、「ないものねだりをすることは人生において妥当なことである」及び「ないものねだりなんて行為は無駄であり、それをしても状況が改善することは無い」の両者の意味が込められて、そのどちらもが議題に対する結論として適当である。
ただ、単に仕方のないものであると結論だけで終わらせるには思考の出力量が少ないので、Whyに議題を移そうと思う。
何故ないものねだりが妥当でありかつ無駄であるのか。或いは、無駄であるのに妥当であるのか。
無駄とされる理由は単純して明快だ、「無い」「物を」「強請る」行為だからだ。この「無い」について具体性を求めると際限が無くなるので自重するが、少なくともその時間・場面において存在可能性が無い、可能性においても小数点以下を切り捨てればほぼ「無い」と断言できる物を欲しがり求めようと、存在しない以上願いは叶わないからだ。ないものねだりが「無い」ものねだりと表現される時点でその場に求めるものは無い、故に願い求める行為にそれが叶わないという結果が裏打ちされる。願いは精神充足的な評価軸においてプラスの要素を持つものだ。それが満たされないということは、算出される事象としてはマイナスになる。その概念の時点で自身にとって望ましくない結果となることが確定している行為は、それを実行する労力がそのまま徒労となる。故に、ないものねだりという行為は無駄である。
次に、ないものねだりが妥当とされる所以。上述した内容に対する矛盾を孕むこととなるが、というのも既に充分な量所持しているものを「強請る」ことはできないからだ。とうに手元にあり、所有権を有しているものを心の底から求めることはできない。なぜなら、認識として既に自身のものとして所持しているのだから。
対象が物質的なものでなかったとしても同じことだ。例えば救援。例えば愛情。例えば関係性としての他人。例えば才能。人はその瞬間己が主観において「必要としたから」願い求めるのだ。現状態では満たされないから必要とするのだ。主観的な不足を補うために、その時自身に足りていない対象を求める。これは感情的な、本能に近い衝動である。対してそれが手に入らないと判断するのは思考であり、思索であり、理性である。ないものねだりという単語において「ないもの」を判断するのは理性で、「ねだる」を出力するのは感情である。故に無いものを強請るというのは「無いものであるのにどうしてか欲しがってしまう」のではなく、「足りないものを欲しがる感情を存在しないという理屈で納得させようとする」至極順当な精神防衛、ストレスが解消されない状況に対する緩衝材としての機構である。故にこの行為は妥当であり、順当であり、人間として自然な反応である。
これらを基に最初の表現を正そうと思う。
ないものねだりは無駄である。得られないと理解しているものを求めるというのは無駄にコストを払っているに等しいからだ。
ないものねだりは妥当である。必要なものを得られない状況に欲を出力する感情も、手に入らない理由にそれが無いからであると理屈を述べる理性も、精神のバランスを保つために必要な要素であるからだ。
故に、ないものねだりは行為として判断するなら無駄なものだが、現象として認めるのなら全く意味のあるものである。
手に入らないとわかっているにも関わらず望んでしまうことは何ら異常なことではない。得られないという事実は望むことを無為にする必要を意味しない。
その観念と付随する感情は総て仕方のないものであり、否定されるべき理由は無い。
それだけだ。