『ないものねだり』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
転職活動をしています。
会社の歯車にはなりたくないですが、少なくともこの日本では、ひとりで生きていくためにはそこそこのお金が必要なので。
でも、そんなことを正直には言えません。なので、あなたの会社でこんな風にお役に立ちたいのです、と別角度からにこにことアピールをしなければなりません。
そんなとき、わたしにもっとコミュニケーションスキルがあったなら、英語が話せたなら、あの知識があったなら、なんて、今ないものばかりに目を向けてしまいます。
学生の頃。数年前の流行病の影響で、仕事を失くしてしまった頃。もっと勉強をしておけばよかったなどと、いまさら後悔をしています。
今この時間努力している人たちの前でないものねだりなど、この愚かな人間たるや。羨ましがる前に掴む努力をすればよかったのです。
残念ながらもう立ち止まっている時間はないので、このままなりふり構わず進みます。皮肉と毒を織り交ぜたことばをたくさん書き連ねましたが、こんな愚かなわたしが何を掴めるのか、ちらと横目で眺めてくだされば幸いです。
“ないものねだり”
「空を飛びたい」と人は言う。
でも、「もう、飛びつかれたよ」と鳥は言う。
つまり、
誰かが何かを“ほしい”と思ったとき、
誰かが何かを“もう、いらない”と思う。
【ないものねだり】
神様お願いです、
いくら食べてもまったく太らず健康を保つ身体と、
いっさい運動をしなくても衰えない筋肉と、
安達祐実そっくりの外見をください!
あと、5000兆円欲しいです!!
ないものねだりか‥
今はそぅ思うことないかな‥
とゆー事は今の日常に満足してるってことかな
ないものねだり。(十日目)
僕には無いものをねだる癖がある。
僕は無いものをあるかのように接する癖がある。
それはきっと、そうしないと生きてけないからだと思う
僕はまだ子供だけど大人になりたいと思う。
大人になって、バイクにでも乗ってあの子と遠くに逃げ出したい。
僕は心があると信じ込んで生きていると思う。
いつもコロコロ気分が変わるお母さんとタノシクご飯を
食べる。そうタノシク。
お母さんと一緒に座る。
お母さんと一緒にお話をする、相槌をうつ。
お母さんの意見に同意する。
お母さんに反論すると見えない矢が飛んできて
僕の心を貫通させる。
「僕のお母さん。ヤサシイでしょ?」
「僕のジマンのお母さんなの。」
「本当にそうだよね!あの人はダメだよ!!うんうん!
わかる!わかる!んふふっ!(笑)」
[ナンデ?こっちの方がいいでしょう?何故ソッチにするの??意味がわからないわ。]
[はぁ…本当なんで【こいつ】が産まれたの。本当産まれなきゃ良かったのに、本当邪魔だワ。]
[ね!もう〜!!【○○】はカワイイわ〜!お母さんっ!お金いっぱい貯めるからね!そしたら一緒にこの家を出ようね!!]
「…ウンっ!ボク、ウレシイなぁ!」
あぁ…お母さんがホシイ。気に入らないことがあれば愚痴を言うお母さんはいらない。僕の人生を自分のモノにしようとするお母さんはいらない。僕の主張に耳も向けない、そんなお母さんはイラナイ。
あぁ…ないものねだりだ。
(最後の言葉)
うーん……なんと説明したらええんかわかんねっ!
言いたいことは生きる為には嘘を付ける人間になれということかな。目上の人間の下につきゴマを擦る。そして自分も地位が高くなり目上だったものを支配する。
生きる為には我慢しろ。そして気に入られろ。反抗するな。そう言うしかないね!
ここまで読んでくださり誠にありがとうございます。
🍐
ないものねだり
ほんとうはね
あなたがいれば
もうほかには
なんにもいらないの
特大サイズの
ないものねだり
テーマ ないものねだり
「これやっといてwwwww」
「「「クスクス」」」
雑用の自分。悲しみが湧き出てくる。こんなの見られたらわらいもにのにされちゃう。そうして必死に感情を無くした。そうして段々と感情がなくなっていった。
今は感情がこれぽっちもなくなっている。だが、
「これがほしい」
そう言ったら何でももらえる家になった。自分がかわいそうに思えたらしい。かわいそうってなんだか忘れてしまったけど。ある日、
「感情がほしい」
といった。自分がなくしたものなのに。
「ごめんね。無理だ」
と一蹴り。もう自分には感情がないため、悲しくはなかった。そうなんだ。それだけだった。
そうして人生の終わりまで過ごした。
来世では笑ったり、泣いたり、楽しい感情があったら良いな。
おわり
ないものねだり
あれも欲しい これも欲しい
もっと欲しい もっともっと欲しい
なあんて思っているだけじゃ
結局何も手に入らない
思うだけのないものねだり
あの子の身長が、
あの子の顔が、
あの子の身体能力が、
あの子のすべてが
羨ましい
生まれ持ったものかもしれないけど、
努力したのもあるだろう
あの子のようになりたい
ないものねだりだってわかってるけど
君が思いっきり笑って、楽しんでる姿が見たい。
ないものねだりじゃないよね。
だって絶対に、実現するもん。
写真は嫌い
ありのままの私を写すから
加工アプリが好き
理想の私を写すから
例えば私の鼻が、あの子みたいに高くて
例えば私の口が、あの子みたいに可愛くて
例えば私の瞳が、あの子みたいに美しかったら
世界は違って見えたのかな
どうして私の鼻は、あの子みたいに高くなくて
どうして私の口は、あの子みたいに可愛くなくて
どうして私の瞳は、あの子みたいに美しくないの?
どうして私は、あの子じゃないのかな
鏡を見つめて考える
ないものねだりの1日
あるもので勝負を決めるふたりならないものねだりも悪くないけど
ないものねだり
私は姉が嫌いだ。私が母と話しているのにお構いなしに割り込んでくるから。割り込んでくると母は、姉の話しか聞かなくなり、姉が話し終わってから私が続きを話しても適当に聞き流すし、また姉が割り込んでくる。姉が居ると私の話を聞いてくれなくなるから。
姉はやりたい放題だ。夜に出かけて朝に返ってくることが多く言っても聞かない為、両親共に諦めている。だから姉は好き勝手している。その態度にも私はすごくムカつく。姉ばっかり自由にできるなんて。そしてイライラすると私や両親などに当たり散らす。ものを蹴飛ばしたり投げたりする。
だから私は「お姉ちゃんなんか居なければ良いのに」と、つくづく思う。同時にお兄ちゃんが良かったと思う。優しくてカッコいい、私の理想のお兄ちゃんを勝手に想像したりする。
これが私のないものねだりだ。
あの頃は子供だった。ないものねだりで、隣にいるあの人が羨ましかった。羨ましすぎて、あの人を心底嫌いになった。自分のものには簡単にならないってわかってたけど、どうしても欲しいと願ってたあの頃。今は少し成長できたかな。
空を自由に飛べる羽が欲しい
ピアノを上手く弾けるような腕が欲しい
テストで100点取れるような頭が欲しい
皆に愛されるような愛嬌が欲しい
このような願望を少しでも抱いたことは
あるだろうか?
私はある
自分の能力より他人の能力を羨ましがった
絶対に無理な願いを
ないものねだりしてまで欲しがった
白色の粉に水を加えて混ぜると、色が変わる。
ねるねるねるねを練るという営みは、0を1に変換する行為だ。
しかし、見方を変えれば、それはないものねだりとも言えるだろう。
あなたは何を求めて、ねるねるねるねを練ったのか。この機会に、考えてみてはいかがだろうか。
Theme:ないものねだり
平均よりも共感能力の高い彼女はよく私を羨ましいと言う。
「想像しようとしなければ相手の気持ちを拾ってしまわないから、貴方が羨ましい」と。
私からすると、とても贅沢な悩みに思えた。正直に言うとまったく理解できなかった。
相手の気持ちを無意識に察知して、相手が自分に何を望んでいるのかを正確に拾えるなんて天性の才能だ。努力してもそう簡単には身に付かない。
「私は貴方が羨ましいよ。相手の気持ちをじっと観察して想像するのって、すごく集中しないとできないし、やってみても失敗することばっかりだよ」
素直な気持ちを言葉にして返したら、彼女は少し寂しそうに笑った。
「お互い、ないものねだりしてるのかもね」
そんな話をした数日後、暇つぶしに読んでいた短編集にこんな話が載っていた。
音に極度に神経質な男の話。
どんな小さな音でも気になってしまう彼は、常にイヤホンを手放せない。
敏感すぎるのも不便なのかもしれない。
ふと、彼女のことを思い出した。
この物語の彼のように、知りたくもない気持ちを望まずに拾ってしまったら?
音は耳栓で緩和できるかもしれないが(尤も主人公はイヤホンでも不十分だったようだけど)、気持ちを遮断できる栓はない。
常に相手の望みが見えてしまったら、今の自分の振る舞いが相手の望みに従っているのか自分の意思でやっていることなのか、分からなくなってしまうのかもしれない。
……この考えに辿り着くまで、実は相当時間がかかったけれど。
「たぶん、お互いないものねだりしてるんだろうね」
ないものねだり
君はないものねだりばかりするね。
今ある大事なものを見落として、後悔しても知らないよ。
今日は綺麗な花を見つけた
昨日は輝く星を見つけた
世の中の目に映るものは全てが美しい
「いいな、いいな」と物欲しげに見る
僕はどうしてあんな風に輝けないのだろう
磨いても擦り減っていくだけの砂のよう
ああ、今日もまた君は僕に笑いかけるんだ
君には何が見えているの
_ないものねだり
「ないものねだり」
『ねぇ、これ買って!』
『こっちがいい!』
『〇〇ちゃんのやつ、私も欲しい!』
子供の頃、欲しいものはほぼなんでも手に入っていた。
ゲーム機も、新作のゲームソフトも、美味しいお菓子も。
一言「欲しい」と言えばほとんどのものが手に入った。
両親は私を可愛がって育ててくれた。
そうやってなんでも手に入っていくうちに、段々とそのもの自体に興味がなくなっていってしまった。
ゲームはほとんどやらなくやった。
友達がしつこく勧めてくれば、無料ゲームぐらいは入れてやるが。
それも、30分プレイすればいい方だろう。
お菓子も、食べはするが欲しいとは思わない。
食べるとしたら友達にお店へ連れて行かれる時ぐらいだろう。
もしくは貰い物か。
子供の頃、散々欲しがっていたあれこれは、既に飽きるほどに味わってしまった。
新しいものが出たとしても、大体どんなものかわかってしまう。
だから、想像すればそれだけで満足してしまう。
子供の頃、ないものねだりをしすぎたせいで、どうやらほぼ一生分の「ないものねだり」を使い切ってしまったようだ。
つまりは、足るを知った、ということなのだろう。
私は幸せ者だ。
制限がない環境にいれば、本来足るを知るというのは難しいことだと思うから。
これからも、自分の環境には感謝しなければならない。
この生活があと何年持つかもわからないのだから。