文月。

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「ないものねだり」
『ねぇ、これ買って!』
『こっちがいい!』
『〇〇ちゃんのやつ、私も欲しい!』
子供の頃、欲しいものはほぼなんでも手に入っていた。
ゲーム機も、新作のゲームソフトも、美味しいお菓子も。
一言「欲しい」と言えばほとんどのものが手に入った。
両親は私を可愛がって育ててくれた。
そうやってなんでも手に入っていくうちに、段々とそのもの自体に興味がなくなっていってしまった。
ゲームはほとんどやらなくやった。
友達がしつこく勧めてくれば、無料ゲームぐらいは入れてやるが。
それも、30分プレイすればいい方だろう。
お菓子も、食べはするが欲しいとは思わない。
食べるとしたら友達にお店へ連れて行かれる時ぐらいだろう。
もしくは貰い物か。
子供の頃、散々欲しがっていたあれこれは、既に飽きるほどに味わってしまった。
新しいものが出たとしても、大体どんなものかわかってしまう。
だから、想像すればそれだけで満足してしまう。
子供の頃、ないものねだりをしすぎたせいで、どうやらほぼ一生分の「ないものねだり」を使い切ってしまったようだ。
つまりは、足るを知った、ということなのだろう。
私は幸せ者だ。
制限がない環境にいれば、本来足るを知るというのは難しいことだと思うから。
これからも、自分の環境には感謝しなければならない。
この生活があと何年持つかもわからないのだから。

3/26/2024, 10:26:27 AM