『たとえ間違いだったとしても』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「たとえ間違いだったとしても、回答欄は全て埋めなさい。先生は皆さんに何度もこの言葉を伝えてきたと思います。」
卒業式の日、壇上に上がった先生はそう語りだした。
「回答欄が全て埋まれば、もしかしたら正解している問題があるかもしれない、部分点が貰えるかもしれない、だから埋めなさい、そう言ってきましたね」
「それは、この先の人生でも同じことです。」
「あなた方の人生はテストのように明確な正解のある問題ばかりではないでしょう、大きな壁にぶつかってしまう事もあるでしょう」
「壁にぶつかってもめげずに立ち向かって行きなさい、なんて言うつもりは無いです、他の道を探す、一度立ち止まってみる、時には逃げてしまうのも一つの手です。」
「たとえそれが間違いであっても、間違っていると言われても、これが自分にとっては正解だと胸を張って言える人になってください」
「私が3年間見てきたあなた方にはそれができる力があると私は確信しています。」
「長くなってしまいましたね、それでは皆さん、ご卒業おめでとうございます。」
そう締めくくった先生の目には少し涙が滲んでいた。
「…かつて私が学生の頃、恩師がこんな言葉を送ってくれました。」
先生、次は私がこの言葉を若い世代に教えていきます。
たとえ間違いだったとしても
あの時選択した道は自分には合ってる
今のところだが…
人生は回り道が多い
どんな回り道してもいいように
色んな努力や経験を身に付けたい
運動しなくても痩せるという考え方が
たとえ間違いだったとしても
イメージトレーニングは止められない
5作目✴️たとえ間違いだったとしても
詩『たとえ間違いだったとしても』
たとえ間違いだったとしても
死んでいたってゴーストでいたい
たとえ間違いだったとしても
生きていたってゴーストでいたい
たとえ愛されなくてもいいの
あなたを守って身代わりになれたら
たとえ愛されなくてもいいの
わたしが勝手に好きになったから
たとえ間違いだったとしても
恋を悔いたり絶対にしない
たとえ間違いだったとしても
これが最上の幸せだから
たとえどちらか生き延びたって
心中した日がふたりのゴール
たとえ運命が引き裂いたって
愛はゴースト、あの世もつづく…
心のメトロノームが欲しいな。
包容力がある人、常に余裕がある人、飄々とした人、
楽観的な人、マイペースな人。
そういう人たちが好きです。
私は自己嫌悪と自虐癖がひどくて、過度に自分を責めてしまう。傷つきやすくて脆いから、常に誰かから悪意を
向けられることを恐れている。
他人に傷つけられる前に、自分で自分を嫌いになって
しまえばいいのだと気づいてからは、「私」にはとても
嫌われた。それが私なりの自己防衛だった。
間違えることが怖いです。
自分を責める理由ができることがどうしても嫌です。
だって私は、弱虫だから。
私自身が自分を嫌いだと言う事実にすら耐えられない。
だから、
一緒にいると、こっちまで気が抜けて笑ってしまう、
そんな素敵なテンポを持っている人が好きです。
間違えたけど、しょうがないよね。そんな時もあるよねって言えたら、きっともっと生きやすい。
心のメトロノームが欲しいな。
あなたのテンポで、リズムで生きられたらいいな。
私がいちばん息をしやすいペースで歩くあなたへ。
私の心のメトロノームになってください。
#9 たとえ間違いだったとしても
たとえ間違いだとしても
昔、何かで聞いたか読んだか忘れてしまったけど!
ハワイに新婚ツアー旅行で行った人が、間違がって別のパートナーの部屋に入って、そのまんま、赤ちゃんが出来ることをして、そのまんま、夫婦になったとか?
同じ頃、もっと良く聞いた話!
何年も経っても、赤ちゃんが出来ないので医者に相談したら、どうも違う処を攻撃してたと判明!
“たとえ間違いだとしても”何かハッピーな感じ?
皆さんも、くれぐれもお間違いなく!
徳博🤪
♡もっと読みたい♡1112♡記念号
通算98作目
たとえ間違いだったとしても
私のこの恋が
間違いだとしても
後悔はしない
この7年間
私はあの人を思い続けた
毎日
だからこの思いを
後悔したりはしない
[たとえ間違だったとしても]
被災地 つづく断水
風呂に入れてない。
たとえ間違えだったとしても
もう私はもう、死にたい
耐えられない…
人は水がないと死ぬって本当だな…
私が発した悪い言葉全部嘘です。
全て間違いでした
私は自分を許します。
どうか被災地の人達が幸せに満ち溢れます
私は愛と光と忍耐です
ありがとう
「たとえ間違いだったとしても、あなたが私を選んでくれて嬉しかったよ」
私は、なんの取り柄もない没個性的な人間だ。生まれつきの才能なんてものも無いし、何をやっても中途半端で、極めるほど得意なことも持ち合わせていない。言わば他人からしたらモブにしか見えないような存在だ。それに対して愛しの彼は、恵まれた美貌を持っていて、頭脳明晰で紳士的な人だ。世間一般でいう「モテる」要素をこれでもかと詰め込んだ彼は、今まで引く手数多だっただろう。隣に立つのが私なんかじゃ釣り合わない存在なのは見てわかるはずだ。
素直に想いを伝えられないひねくれ者な私は、つい彼にそう言ってしまった。それを聞いた彼は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに真剣な表情に戻って私を見つめた。
「間違ってなどいませんよ。俺は俺の意思で、貴方を選んだんです。自分では気づいていないでしょうけど、貴方は他人を思いやる気持ちが人一倍強いのですよ。俺はそんな貴方に救われたんです。だからどうか、貴方自身を卑下しないでください…」
私を真っ直ぐに見据えるその瞳は、最後の方には潤んでいるように見えた。なんで、私なんかの為に涙を流してくれるの?という気持ちを言葉に出来ずにいると、彼は私の心を読んだかのようにこう言った。
「俺は、大好きな貴方が悪く言われるのが悲しくて、嫌なんです。たとえそれが他でもない貴方自身からだとしても」
私を強く抱きしめる彼の表情を見ることは叶わないが、声が震えていたので泣いているのだろう。私だって彼と出会い、愛し合うこの幸せを間違いだって思いたくない。そう考えながら彼を抱きしめ返す私にも、いつの間にか涙が頬を伝っていた。
テーマ「たとえ間違いだったとしても」
私は私が生まれてきたことは間違いだと思う。でも親は私が生まれてきたことに喜んでいるから正解かもしれない。
_たとえ間違えだったとしても
自分で自分を突き放さないひとでいたい。
自分なりの優しさを不器用なりに注いで、
想いを伝えられる人でありたい。
「たとえ間違いだったとしても」
SNSなど情報伝達が発達し、様々な情報が手に入る時代になった。
その影響かどれが間違いで、どれが正解なのかをはっきりさせようとする傾向に感じる。
例えば、最近ではYouTubeにコミュニティなるものがあり、そこで二択だったり四択の質問が投稿され、パーセンテージが高いものがひとつの指標になる。
しかし僕は、パーセンテージが高いものが正解なんだとは思わない。
パーセンテージが僅差の質問もあるし、質問に答えてる年代によって違いも出るだろう。
なにより人の考えは千差万別、それぞれに、それぞれの正解がある。
もちろん、その選択肢の答えは指標にしても良いと思うが、完全にそれが正解なんだと決めつける必要はない。
たとえ世間から、それが間違いなんだと指摘されたとしても、自分の中の正解に自信をもってほしい。
それが自分の蓄積してきた正解なんだから。
たとえ間違いだったとしても
本気の本気で信じている人たちに
真実を告げることが正解かは
わからないままだ
だって信じてくれないし
そもそも真実はいつもタツタ!
じゃなくて
1つしかないとしても
見ようとしなければ見えないままだから
自分の見たいものを
見たいものだけを見る
そうして片寄っていく
(自身の自戒もこめて)
(チキンタツタおいしかったです)
[たとえ間違いだったとしても]
君のワントーン高くなる声
君のグラウンドを見つめる視線
たとえ間違いだったとしても
君が僕に振り向くことはないのだろう
No.2
思えば 間違いばかりしてきた
今日も 仕事で 同じミスをした
前の職場でもそうだ
自分で 呆れることばかり
でも 私は 自分のことが
嫌いじゃない
歌にある 歌詞に強く惹かれるものがある
「悲しいことは自分を信じてあげられないこと」
何度も 間違えても
私は 自分を 信じていたい
「たとえ間違いだったとしても」
流れるように辿り着いた今というこの時。
正解も不正解も答えがなく。
この道がたとえ間違いだったとしても、
私は私を誇れるようにありたい。
「たとえ間違えだったとしても」
たとえ間違えだったとしても、あの事は、忘れられないだって、私の責任なんだもん
7年前、私と親友の女の子と遊んでいた、
鬼ごっこをしていると、私は道路に走って出た、
車に引かれそうになった私を、親友の女の子が私の代わりに車にひかれてしまった
その道路の場所は、今は公園になっている、女の子がひかれてしまった所に一本の桜の木が咲いている
その桜の木は、私たちを見守ってくれている公園の神様になってしまった、
大切なお友達を、見失った私を今でも後悔している、
たとえ間違えだったとしても、
『我慢』
月曜日の夜は鬱々とする。ああまだ4日も働かないといけないらしい。なんて酷い生活なんだろうか。
何をするでもなく動画サイトに時間を溶かす日々だ。
その日も別に特別なことは無かった。何となく流れてきた動画を、何となくで再生する。
今日は日本語字幕付きの海外の料理番組が流れてきた。昨日、料理系の動画を大量に流し見していた結果だろうか。
日本人の体型とは比べて大分ふくよかな料理人が、遠慮なく肉を焼いていく。カロリーが命らしい。
「深夜に見るもんじゃねぇかも」
スマホで時間を見ると0:23の文字が見える。残念ながらとっくのとうに夕飯は食べ終えているし、そう出なくても夜食には遅い時間。歯磨きだって終えてしまった。
料理が完成した後に、料理人の言葉が字幕で表示された。
『実は医者からはカロリーを控えろー、痩せろーなんて言われてるんですけどね。人生短いのに我慢なんてしてられないじゃないですか!』
豪快に笑いながら肉を切り、口に含み飲み込む。そこに追い打ちをかけるかのように炭酸ジュースで口内の油を全て胃へ流し込んでいた。きっとこの人の担当医が見ていたら卒倒するだろう。
ただ、本当にしょうもないが自分の頭の中で『我慢なんてしてられない』という言葉が残り続けた。料理番組の、それも医者の判断を総無視するような言葉から得た教訓なんてロクなもんじゃないだろうに。
「……た、食べてもいいよな。うん。これよりマシだもんな」
ロクでもないと理解はしつつ、どうしてか既に立ち上がり
左手にはカップ麺を持ってしまっていた。
免罪符になりもしない、新しくできた教訓で深夜の罪から目を逸らした。
(テーマ:たとえ間違いだったとしても)
たとえ間違いだったとしても。
あなたが見つめてくれたあの瞬間は忘れない。
もしかしたら僕のこと好きなのかもという勘違いをさせてくれてありがとう。
たとえ間違えいだったとしても、
私が正解だと思ったら、正しいと思ったら、きっとそれは正解なんだ