『たそがれ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
たそがれ、黄昏。夕方のこと。
特に、地平線や水平線上に夕日が
くっきりと赤色のラインを形成し、
その上には夜を思わせる濃紺が既に存在する時間帯。
数ある「夕方」を示す言葉の中でも、
比較的夜に近い頃合ではないだろうか。
どうも昔は黄昏を「誰そ彼」と書き、
「貴方は誰ですか?」と尋ねなければ顔を判別できない時間帯であるところから発生した語句らしい。
言われてみれば、先述の通り、夜の濃紺が展開済みで
場合によっては星が輝き始めているのだから、
昔のような灯りのない黄昏では
顔の見分けは難しかっただろう。
現代では、ちゃんと街灯が準備されていて、
相手の顔が見えない心配はほとんど無い。
そのおかげか、黄昏の空独特のコントラストを
安心して楽しむことができる。
心身の安全が保障されたために気づける美もあるということだ。
河川敷のベンチ、当たり見渡す限り人影も見えないような田舎町では人に迷惑かけなければ都会のような厳しいルールは存在しない。
タバコに火を付け、煙を取り込む。
しかし、遠くから子供が走ってくるのが見えて、持ち運びの皿に押し当て火を消す。
子供はすれ違う時こちらを目で追えなくなるその時まで凝視していた。
少年にはどんな風にみえたんだろうか。
子どもの頃、僕は彼らを見てなんて思ったんだっけ。
こんなこと考えるなんて、僕も黄昏れる歳になったんだな。
たそがれ
昼と夜の間、
少し薄暗くなってきた夕方の時間帯
日が暮れて薄暗くなり
相手の顔の見分けがつきにくく
問いかけた
「あなたは誰ですか?」
「たそがれ」
たそがれ #15
もうすっかり半袖では肌寒い季節に。
上を見上げると綺麗な星空、そして…
「きれいだね」
横には君がいる。
たまには空を見上げて黄昏れる日があってもいいな、と思った。
でも 空にある無数の星よりも、私は君に夢中だよ
たそがれ
黄昏色の紅茶
紅茶を流したような空
放課後の教室
夕陽が差して
柔らかい光
柔らかい風に揺れるベージュのカーテン
反射して金に光る廊下の床
下校時間の曲
通学路の橋
煌めく川の水面
蜜柑のような夕日
懐かしいあの日々
たそがれ
仕事帰りのスーパーで
買物袋提げながら
急いで出てきた駐車場
まわりはすっかり たそがれ色で
何だかふいに寂しくなって
私はだあれ?
私はなあに?
私は私に問いかける
ばたばたするのは止めましょう
せかせかするのはよしましょう
時の流れを踏みしめながら
今の時間を愛しみながら
ゆっくりじっくり歩きましょう
一つ大きな深呼吸
友人との別れ
またね
綺麗な赤が空を染める頃
もう会えない友人と
またいつか会えることを願って
言葉を交わす
「たそがれ」
紅に染まる雲の裏側に
紺の夜が忍び寄る
紅の空を丁寧に
心を込めておいつめる
紺にのまれる紅は
あと少しだけと叫びながら
いちにちのおわりに瞬く
〜たそがれ〜#16
【たそがれ】
オレンジ色の空に見惚れる
日が落ちるのが早くなって
心がざわつく
からだや気持ちが重くても
歩く足だけは急かしてしまう
遠くでカラスの鳴き声がする
早く帰ろうと
言っているみたいだ
最初に出会ったのは、髪の長い儚げな印象の女性でした。すすり泣くその声があまりに悲しげで、頬を伝う涙があまりに綺麗で、私は彼女に笑って欲しいと思い、手を取ったのです。
次に出会ったのは、夕日にきらめく金髪が美しい男でした。彼は眩しい笑顔を私に見せて、右手を差し出してきたのです。彼と肩を並べて歩きたい。私はそう思い、彼の手を取りました。
白い手が美しいその少女は、私のようになりたいのですと言って力強い瞳を向けてきました。私は慕ってくれる彼女に全てを伝えたいと、その瞳に頷き返したのです。
昏い瞳をした男は、私の全てが憎いと言いました。その手で全てを救えると、疑いも無く信じているその在り方が受け入れ難いと、私に指を突きつけました。
私は男の憎しみも、怒りも、まるごと受け流せると笑みを向けました。
私が出会った彼等は、誰だったのでしょう?
私は出会った彼等に、何を与え、何を奪ったのでしょう?
私は出会った彼等の全てを壊してしまったのです。
夕焼けの中で立ち尽くす私に、彼等の顔はもう思い出すことが出来ません。
私にとって彼等は·····愛するものでした。
END
「たそがれ」
私は、夏の大きい雲を見ると、
あの日を思い出す。
貴方が、病室の窓から外を眺めている景色にあった大きい夏雲。
私は、その夏雲を見ている貴方の横顔に胸が締め付けられる思いだった。
いつまで、この横顔を見ていられるだろうか。
貴方は、その景色に何を思っているのだろうか。
貴方の気持ちを知りたくても、知れないもどかしさに胸が痛んで泣きたい毎日だった。
でも、あの日に選んだ貴方の思いは、正解だったと思ってる。
貴方が、病室から眺めていた目線の先にある思いは本当はずっと帰りたいだったでしょう?
人生に正解なんてものは無いけれど、
あの日だけは、間違って居なかったと思ってる。
だって、
夏の大きい雲を見る度に、
あの日の貴方の嬉しそうに笑った顔を思い出せるのだから。
たれがれに染まる街を見つめて、もう帰れないあの頃を恋しく思う。陽が沈むまで手を繋いでいたあの子は今、深い海の底で眠っているって誰かが言っていた。僕は相変わらずここで生きているけど、息苦しくて堪らないや。助けてとか誰にも届かない嘆きは、ぬるい缶コーヒーで安直に流し込む。僕は、きっと明日も同じように過ごすんだろうなあ。涙が零れてくるけど、どうしてか温度はない。それどころかとても冷たい。ひょっとしたらさっき流し込んだ缶コーヒーの方がぬくいかもしれない。あーあ、ちゃんとした「人」で居たかった。きっと叶わないことだろうけど、今夜もしも星が流れたら、願ってみようかな。
(お題:たそがれ)
未来について語る時、心が僅かばかりたそがれてしまったように澱んでいく。
それは、未来への期待と不安からなる両極端な感情に心が鈍っているからだろう。
とある人間がこう言った。
「人生とは心が暇を持て余さなければ自ずと豊かになる」
差し当たって人間がこう言った。
「未来には、後悔がたくさんあって、過去には後悔が残ってしまう。なら、今が後悔を取り除く最後のチャンスである」
誰だったか、その人はこう言った。
「格言を格言と理解した時には、既に老いぼれている。若人は、格言が難たるかを知らない」
未来を考える時、私は格言となるその言葉を思索し考えている。その言葉を実感するために、或いはその格言が確たる言葉でないことを知る為に。
若者には、言葉の重みを感じることは難しい。
なんせ、言葉が心に染みる経験が浅いからである。
浅い人生であれば、心に言葉が染み入ることはないだろう。まさしく今の私のように、たそがれ気分で思い違いをしている凡弱には言葉の重みなど早々わからない。
人混みの中
あの人を見かけた
懐かしさと
寂しさが込み上げて
あの人を見てた
あの人は
相変わらず
忙しそうで
私には気付かない
この場所で知り合い
この場所で別れた
人混みの中
消えてくあの人の
背中見つめてた
私とあの人は
私の親友を
選んだ
あの時に終わったの
もう
戻れない二人
私は夕日に照らされ
ながら
駅を出た
たそがれと聞いて真っ先に思いつく言葉は「とき。」
たそがれ時とはよく聞く言葉だが、私のたそがれ時はいつだろう。そもそもたそがれ時っていつなんだろう。どうやらたそがれ時は夕日が沈む直前らしい。
最近ずっと家で過ごす時間が増えてしまっている。
惰性でスマホを触っていれば気づけば日が暮れているようなことがある。やらないといけないことを先延ばし、現実逃避しようとする。そんな日の終わり毎回何もすていない自分に対して後悔する。何もせずたそがれる時間も必要だろう。空っぽの頭になってしまいたい。
たそがれ
少し難しい言葉だ。
また、次、考えよう。以上
たそがれの暗さに、貴女の沈んだ顔がより悲しげに見えます。
これから世界は、争いに満ち溢れます。
貴女はそれを憂いているのです。
悲しいですが、止められることではありません。
それでも人は、生きてゆかねばならないのです。
もう今では早い時間帯で暗くなる。
前までは結構明るかったんだけど…秋に近づいてきたし、6時にはもう暗くなってる。
よく帰る時に、たそがれてたんだけど。夕日が綺麗だったから。
人と人の距離がよく分からない。
どの距離なら仲良しなのか。どの距離なら好きなのか。なんて、僕の脳じゃ全くわかんない。
ただ必ず一歩は引く。
いつ、何が起こるかだなんて分からないし。だから秘密だって全部嘘のことしか言わない。
本当はそんなこと思ってない。
人の考えることや行動を、自由に操れるわけじゃないから。だから、情報を操る。
情報を狂わせたら、何が本当で何が嘘かだなんて分からないでしょ。
好きな人だってそうするよ。だって、好きな人であろうとも人間でしょ。AIじゃないんだから。
ただ他の人よりかは仲は深いみたいな感じ。
だからうちや僕と仲良くしてる人は可哀想に思う。
はっ、クズすぎるね。今更だけど。
家族だって、誰も信用なんてしてない。信頼すらもしてない。
リアルでいい子だなと思う子はいても、仲良くなる、秘密を共有する、だなんて考えは全くない。
なったらなったで後悔するのは僕なんだから。
あ、でも…そうだなぁ…相手が秘密をばらしてきたら僕はひとつ秘密を言うのかもしれない。
実際ばらされたことなんてないから分かんないけど。
相手もしてきてくれてるんだし。それが嘘か本当かだなんて分からないけど。
たそがれ。
この短い人生の中で、考え事なんてつまらない悩みを抱いてる時間ってのは、どれだけを占めるのだろう。
私は追われている。仕事に家事に趣味に世間なんてモノに、常に追われて、追い越されて、嫌悪している。たった独りの暮らしでも、これだ。
君は毎日ベランダで外をみている。僕が仕事から帰ると、少し早めに終わったんだって微笑んで。何をしている訳でもなく、つっ立って見える。
必要なもの程、目に見えないと思う。
目に見えればそれを、認識して、吟味して、取り入れて、排斥して。やり様と持ち様があり、天秤に掛けることができる。
欲しいモノと我慢するモノ。
それが自分にとって不可欠でも、見えないとそりゃあお座なりにもなる。あたりまえだ。
あたりまえで、必然で、少し悲しい日常。
日に一度、時間を作ろう。
電気を消して、スマホを置いて、窓を開けてジッとする。妄想でもして、物想いにでもふけって、ただ淡々と遠くをみる。
とりあえず、ぼーっと。
ただ、ぼーっと、たそがれる。