『さよならは言わないで』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
さよならは言わないで
その背中が語っている
どうにもできなかった
今日までの道のり
どちらも悪くないから
どうにもならないよね
こういう日が来るって
いつから思うように
なったんだろう
無意識のカウントダウン
ついにこの日を迎えた
あなたの向かう道のり
ここから見ているね
見つめ合い触れあって
確かな時間があったから
こう思えるんだよね
さよならは言わないで
あなたが見えなくなるまで
ここに立って見送るから
まさに青春を謳歌した時間だった。
締切ギリギリで第一志望から変更して入った学校。
ここでやりたいことなどあるのだろうかと言う気持ちで始まった。
蓋を開けてみると、やりたいことは山ほど見つかり、それを片っ端からやっていった。
第一志望の学校ではやらなかったであろう事がたくさんあった。
新しいクラブの立ち上げをしたり、バンドを組んでライブに出たり。
学校祭ではクラスを仕切って、たくさんの催しをした。
先生の代わりに授業もした。
結ばれなかったけど、最愛の女性に出会い、人生最大の恋愛も経験した。
green daysとかbrilliant daysって表現がピッタリの素晴らしい時間。
あれから30数年。
またみんなに会えることに、今から楽しみで仕方ない。
みんなでまた、輝いた時間を過ごそう。
卒業式の日に、みんなで誓った約束。
「さよならは言わないで、またねって言って別れよう」
この言葉がいよいよ現実になる。
〜さよならは言わないで〜
さよなら
深い意味を持たせず
去り際のただの挨拶として
時には
別れを押し付ける言葉として
永遠の別れを前に
感謝を込めて贈る言葉として
たったこの四文字が
一つの区切りを思わせる
少し
寂しさを帯びて
さよなら
悩んだ君が
恋しいと言った次の日に
私に手渡した言葉
もし苦渋の決断で
涙を飲んだのだとしても
その言葉を
置いていったのなら
二度とノックしないで
再びの扉は
私は開けない
「さよならは言わないで」
さよならはいわないで
もうあなた
ないている の
だから
「またね」って、いつもの別れの言葉。
よく知らない人には「さようなら」だけど
君には、また会いたいって思うから
いつも「またね」って言うんだ。
きっと、明日も会えるから
一週間後も、一ヶ月後も、一年後も、十年後も。
きっとまた、会えるから。
きっとまだ、一緒に居られるから。
永遠の別れはまだまだ先だって
そう、信じてるから。
僕はずっと、「またね」って、言い続けるよ。
それが、君をこの世界に留める〘呪い〙になるように―
まだ「さよなら」なんて、言わないからさ
君も、さよならは言わないで
さよならは 言わないで?
確かに言ってしまっては誰かの心が悲しくなるかもしれない、けど、自分とのさよならは時々必要になる。例えば、成長する前の自分、変わる前の自分、きっと皆んなだって自分とはよくさよならはしているはずだ。なぜなら一日一日生きてるのだから。
ここできっと誰かしら 自分は何も変わってない と思う方がいるだろう。それも個性だ。だが、本当に何も変わってないだろうか?これは屁理屈になるが、君が朝起きるときにベットから降りるときの足はどっちから降りる?君が何かを食べるときの歯の場所は?絶対に毎日変わらないだろうか?きっと変わっているはずだ。もし変わってないのであればそれはとてもすごい事だと思う。それは誇ってもいい。君にしか出来ない事だ。
以上で私の考えを終わらせる。屁理屈に付き合ってくれてありがとう。
さよならは言わないで
「いってきます」
「いってらっしゃい」
いつもはこれだけの挨拶だった でも最近は変わった
いつからか「さよなら いってきます」になっていた
あまり気にしてはいなかったけど不思議には思ってた
今だから分かる あいつなりの親切心だろう
だけど 直接的に伝えて欲しかった
死ぬ可能性があるって
分かっていたのなら 尚更
「さよならは言わないで欲しかったな」
今日は初めてできた彼女と初めてのデートの日。何をするかは決まっていないが、とりあえず駅で集合する。彼女に会うという緊張で、これから何をするか考えることができなかった。合流すると、「何する?」と彼女は言ってきた。私は「うーんと。」と言って何も提案することができなかった。結局、カラオケを彼女が提案してくれた。記念すべき初デートで、それまで恋愛経験のなかった私は上手く彼女を楽しませることができなかったのだ。いよいよ別れの時間となった。そのとき私は思っていた。「さよならは言わないで。」今思えば、あれは自分がさよならと言いたくなかったからなのだと思う。
こころあてに
君思ふ夜
明けやらで
なりかはる月
声は聞こえず
No.4『別れの前日』
散文 / 恋愛 / 掌編小説
貴方に気づかれないように、少しずつ荷物をまとめた。二年半に及ぶ同棲生活のなかで、少しずつ増えていったものを。
お揃いの歯ブラシや茶碗、マグカップ、日常生活で使う日用品なんかはまだ置いてある。ただ、一年を過ぎる頃から家事を一切やらなくなった貴方は、わたしのマグカップや茶碗がなくなったからといって、この部屋を出て行くために荷造りをしているだなんて思いもしないのだろう。
お互いに仕事で忙しいわたしたちだけれど、二年目までは毎日一緒に朝食をとっていた。夕食もできるだけ一緒にとっていたし、仕事が終われば寄り道もせず、真っ直ぐ帰宅していた。
それが、いつの間にか残業を言い訳に帰りが遅くなり。気づいた時には朝食で顔を合わせることもなくなっていた。
もう何日、貴方と口をきいてないのかな。これなら別れの言葉もいらないね。
明日、貴方が仕事に行っている間に、さよならは言わないで出て行くね。
お題:さよならは言わないで
ありったけの愛情を注いだ子どもたち。
子どもの成長を一緒に喜んだお家の方たち。
あたたかく励ましてくれた先輩たち。
やさしい眼差しで見守ってくれた地域の人たち。
今日で一旦道は分かれるけれど。
生きていれば
また会うことだってあるだろう。
だから
さよならは 言わないで。
泣き笑いになるぐらいは許してね。
精一杯の笑顔で
「またね」を言うから。
さよならは 言わないで
さよならは 言わないで。
せめて。
また、あしたって言って、欲しい。
まぁ、ずっと一緒なんて、ね。
この気持ちは、どこまで続くだろうか。
「さよなら」は言わないで。
記念日の日は一日楽しいのに
君がどこにもいないもんだからさ
ケーキを食べてもむつこくて気持ちが悪いし
君に渡すつもりのプレゼントは
僕の手元に残ったままだし
言うはずだったプロポーズは
来世持ち越しになったし
君がいないと僕は生きていたくないし
願っても叶わないとわかったから
せめて別れ際は「またね」にしようよ。
…本当は行かないで|
「さよなら」と言うと、次が来ないようなイメージがある。
いや別に「さよなら」と言ってもいいけれど、
それなら「またね」も一緒に言ってくれ。
また私に会ってくれる気があるならばの話だが。
私は「さよなら」が大嫌いだ。もう一生会えなさそうで、寂しい気持ちになってしまうから。最後だとわかっていても言ったり、言われたくはない。でも、今日だけは言われても仕方ないだろう。もう二度と会えない。その言葉の意味どうりさよなら。だ。もう二度と会えない。もう二度と戻れない。大嫌いで終わりたいから。大嫌いな言葉を発する。「さよなら」
#さよならとは言わないで
【引っ越し】
男友達が引っ越すからと、最後に会いに来た。
「今までありがとな」
「こちらこそ、楽しかったよ」
「ごめん…時間ないから、そろそろ行くな。」
「忙しいのに来てくれてありがと」
「気にすんな、俺ら友達だろ?」
友達は笑顔をみせる。
私は涙を堪えて友達に言う。
「悲しくなるから…さよならとは言わないでね…」
「あぁ、言わない。また会おうな。」
そう言って友達は新たな地へと旅立った。
『さよならは言わないで』
ここで話したいことは2つほどある。
まず1つ目。
前提として、私は乃木坂が好きということを知っておいてほしい。
今年を持って卒業するメンバーがいる。
『齋藤飛鳥』だ。
私が乃木坂を好きになったきっかけが齋藤飛鳥だった。
この知らせをみたときには一瞬時が止まったように感じ
その瞬間に色んな感情とともに涙が溢れ出てきた。
とても悲しかった。私の生きがいでもあった。
そんな存在が来年から見れなくなるなんて信じられなかったし
信じたくもなかった。
『さよなら』というのは突然やってくるということ、
明日が必ず来るとはかぎらないこと、
でも私は齋藤飛鳥を好きになって後悔はない。
さみしい気持ちは山ほどあるけど、
卒業する時にはちゃんと『おめでとう』と言えるファンでありたい。
そして2つ目。
私には付き合っている人がいる。
今日その人から別れを告げられた。
頭が真っ白になった。
理由は、受験生だから勉強に集中しないといけないからだ。
私は自分にいいきかせた。無理くり。
ちゃんと受け止めてあげなければいけないと思っていても
心が受けいれてくれなかった。
彼が言うには受験が終わるまで別れて欲しい。とのことだった。
心がぐちゃぐちゃだ。それでも前を向いて歩かなければならない。
クリスマスは2人ですごせると勝手に思い込んでいたのは
私だけだったのかととても痛感した……。
これからもずっと一緒に入れると思っていた。
でも、そうではなかった。
正直私も最近彼の態度を見て、距離をおこうか迷っていたところだった。
この考えがあったのにも関わらず私はとても辛かった。
若干冷めているのではないかとも思ったほどだった。
でも、そうではなかった。
私は彼のことが好きということがあらためて分かった。
今は正直気持ちの整理がつかないけど、
他の人で埋めては行けないというのはちゃんとわかっている。
でもその考えになってしまった。
ダメとわかっていたのに……。
このことを彼が知ったらどう思うだろう……。
悲しむに違いないし、彼を裏切ることにもなる。
私は最低な人間だと改めて思った。
いつかこんな思考が無くなるような生き方をしたいと思った。
最初の方にも書いたが、
『明日は必ず来るとは限らない』
これをちゃんと心にとめて生きていかないと
いつか自分が壊れると思った今日この頃の私です。
―さよならは言わないで―
さよならは言わないで。
あわよくば、またねって言って。
君はもう諦めてるのかもしれない。
もう、どうしようもないのかもしれない。
でも、私は信じてるの。
この世界では、『滅多に起こらない』
と言われている、
奇跡ってやつを。
『奇跡なんて起こらない。
そんなこと願うなんて、子供っぽい。夢見てる』
至って現実主義者の君のことだもの、
そういう風なことを言うんでしょう?
でも、私はこう思うわ。
子供っぽいからって言って、
ただ、されるがままに生きてたら、夢がない
夢は見るものじゃない
自分で頭に描いて、自分の力で追うものよ
奇跡だって、起こらないなら、起こせばいい
起こせなくても、追い続けることは辞めない
あなたが生き続ける限り、
奇跡は起こり得るから
あれから、長い長い月日が経った。
あの日産まれた子供たちは、一体、
何度目の人生を送っているのかしら。
あの時、あなたは珍しく、
『ここを離れるのが怖いんだ』なんて、
私の目の前で弱音を吐いたけど、
もう、怖くは無くなったかしら。
わかっていたつもりではあったのだけど、
ここを離れることが出来ないって、
こういうことなのね。
毎日同じ日々なはずなのに、飽きてこないのは
とても不思議だわ。
ここは、本当に目まぐるしく回っていて
決して止まることは無い。
ずっと進化や退化が進んでいるの。
面白いくらいよ。
あと、私はまだ諦めていないわ。
ちゃんと覚えてる。
君の死がたとえ何度目だったとしても、
やっぱり私は、さよならなんて言いたくないの。
だから、いつかまた、あなたと巡り会える日を、
楽しみにしながら生きていくわ。いつも通りね。
『あなたに忘れられたとしても、
私は絶対忘れないから』
[さよならは言わないで]
僕のお兄ちゃんは今日事故にあった
今は病院にいて全身管に繋がれている
意識はあるけど喋らないし動かない
まるで植物になっちゃったみたいに…
僕がお兄ちゃんの手を握りしめて泣いていたらお母さんが入ってきた
「○○ちょっと来なさい」
お母さんは冷静を装いながらも目は真っ赤に腫れて泣くのを我慢していた
それを見て僕は察してしまった
病室を出た廊下でお母さんから告げられた
「お兄ちゃんはもう明日は迎えられないみたい…」
それを聞いて僕は泣き崩れてしまった
その日はそれからずっとお兄ちゃんの手を握りしめて泣いていた
ずっと動かないお兄ちゃんだったけど最後の10分だけは少し回復して僕の方を見て一緒に話してくれた
「泣くなよ○○笑」
「すぐ良くなるって笑」
「治ったらまた一緒にサッカーしような!」
お兄ちゃんは普通に話していた
僕はお母さんの言ってたことは間違いだと思った
明日もお兄ちゃんは生きていてこのまま退院して前みたいに一緒にサッカーが出来ると思った
でも違った
僕は話してるうちに安心感と泣き疲れたので寝てしまった
意識が遠のく中でお兄ちゃんは言った
「じゃあな」
次の日僕は手を握っている冷たさで起きた
『さよならは 言わないで』か…
うーーーん どうしようもないからなぁ、「さよなら」は。
なんとかして受け入れてくしかないものだからね…