『いつまでも捨てられないもの』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
**「道化の心」**
古びたサーカスのテントが静かにたたまれる夜、道化師のミロは一人、空っぽの舞台に立っていた。彼の仮面はいつも通りに明るい笑顔を作っていたが、その下に隠された心は、もう長い間静かに泣いていた。
ミロはサーカスの顔として、観客に笑いを届けるために自分を犠牲にしてきた。彼の身振り、言葉、ジョークは全て、他人を楽しませるために作られていた。しかし、仮面を外すことは決してできず、その内側に隠された感情や過去の記憶は、誰にも見せることができなかった。
その夜、ミロは静かに鏡を見つめた。仮面を外してみると、そこには疲れた目を持つ中年の男が映っていた。彼の心には、忘れられない過去の痛みや、夢の欠片が残っていた。かつての希望や失望が、彼を支え、時には苦しめていた。
「笑ってやるさ、世界がどうあろうと。」
ミロは小さく呟きながら、再び仮面を装着した。仮面の下には、捨てられない感情と記憶が、静かに残っていた。それでも、舞台に立つときには、誰もその本当の自分を知ることはない。彼は笑顔を作り、観客を楽しませるために踊り続ける。
サーカスの灯りが消え、夜が深まると、ミロは一人、仮面をつけたまま外に出た。星空の下で、彼の心の奥には捨てられないものが残っていた。それは、彼が道化として生きる限り、ずっと付きまとい続けるものだった。
しかし、ミロは知っていた。その捨てられないものが、自分を人間らしくさせることも、彼の役割を全うする力にもなることを。暗闇の中で、彼はまた笑顔を浮かべる。道化の心に抱かれたその感情は、静かに彼の一部として存在し続けるのだった。
2025年-8月-18日-日曜日
【いつまでも捨てられないもの】
自分の子供の頃の思い出。これは要らないもの。捨てていいものだ。だか、自分の子供の思い出。自分の子供の子供の頃の思い出など、これらは捨てては行けないものに値する。捨ててはいいが、"いつまでも捨てられないもの"は誰にでもあると思う。今すぐにでも思いつけなくても、きっといつかはとある場面で思い出すことだろう。そうなる事を私は願っている。
いつまでも捨てられないもの
物は捨てたら無くなるけど
嫌な記憶と気持ちはなかなか
私の中から捨てることが出来ない
この記憶と、この気持ちを
捨てることが出来たなら
どれだけ楽になるんだろうと思う
けど、それもひっくるめて私
嬉しくて、楽しい記憶も気持ちも
いっぱいあるから
まぁいっか
2024年も8月18日になっちゃったね〜
今日は初めてのお題だよ
捨てられないものか…
みやびは人から貰った物かな
好きな人 友達 家族
それは問わずに、全部綺麗に保管してある
その一つ一つが大切な物になるからね。
「そんなこと言ってたらいつまでも捨てられないもの」
そう言ってお母さんは写真をゴミ袋の中に置いた。
捨てたのではなく置いたように見えたのが、唯一お母さんを人間だと思える事象だった。
捨てられた写真には僕と、お母さんと、お父さんが居た。
お父さんが死んで10年、写真を捨ててお母さんは
「やっと前に進める」と言った。
やはり人間ではなかったと思った。
お母さんなら、お父さんの写真はずっと飾っておくものではないのか。前に進むためとはいえ、写真を全て捨てるのは冷たすぎやしないかと言いたかった。言わなかった。
ここで何も言わない冷たさはお母さんに似たのだろうか。
これからもお母さんの中にお父さんはいるのだろうか。
そんなことを考えながら僕はテレビをつけた。
人は生きていく中で長く持ち続けている物って少ないと思う。
私は物持ちはいい方だと言えるけれど、大掃除の時はしっかり吟味して整理整頓する。
そんな中でまだ捨てられない物、それはシルバニアファミリーの人形たちとお家たち。
少しずつ少しずつ集めては小さい小道具を無くし、その度悲しんだシルバニア。
友達が居なくてずっと私の友達でいてくれていたシルバニア。
お人形さん遊びは少し恥ずかしくて出来ないが、物語を持たせて配置を決めたりするのはいいと思う。
今度は、大人の遊び方でシルバニアファミリーを遊ぶとしようかな。
いつまでも捨てられないもの
忘れたくない思い出
あの人にもらったもの
うれしかったこと
→いつまで続けるのか。
言い得て雑だと知りながらも作り続ける文章に、
止まぬ表現欲求の影
なけなしの才能を探して書き殴り、
意地の果に自己嫌悪
何度も夢を破り捨て
何度も拾い集める
何度も、
何度も、
何度も……
テーマ; いつまでも捨てられないもの
愛はこころの中にあり続ける
それがどんなに苦しくても
涙が出て寂しくて辛くても
愛とはこういうものだと受け入れなければならない
ずっと捨てられないものである
あなたにとっていつまでも捨てられないものは?
その質問に、それぞれが答える。
『ぬいぐるみ!』
『形見の指輪。』
『大切にしている本』
あなたは?
私?そうね…私は…
未だに叶うことの無いものを抱えてるわ。
『片思い』をね。
「 いつまでも捨てられないもの 」
貴方から貰ったもの。
別れた今でも捨ててないよ。
2024 . 8/18
私がいつまでも捨てられないものは、以前ゲームセンターにあったアイカツのゲームで使用するためのカードです。(通称:アイカツカード)
既にそのアイカツカードに対応するゲーム機はゲームセンターから撤去されており、カードの使い道は存在しません。しかしカードの質感やデザインが大好きなのはもちろん、何年も遊んできた思い出や今でも観ることの出来るアニメなどを見返してみると、どうにも手放すことが出来ないのです。
恐らく一番の理由は、忘れていた頃に部屋から出てきたアイカツカードを眺め、その思い出と未だに燻られる子供心に胸が踊るからだと思います。いつになっても、いくつになっても、アイカツは女の子の憧れだな、と感じさせられました。
お題:いつまでも捨てられないもの
いつまでも 捨てられないものは私にとって、うささんのぬいぐるみ(うさリカちゃん)と思い出と家族だ。
2歳で出会ったうささんは、私の家族のようなものだし、お母さんがドレスを縫ってくれたのも思い出。
思い出はかなり覚えている方で、私の人生最古の記憶は2歳。卵焼きをお母さんと一緒に作ったり、あっちゃんにおまんまをあげたり、あっちゃんが乗っている歩行器をおしたりしていた🤭
家族とこのまま一生永遠に楽しく過ごせたらいいのに、、と思ってしまう。年取るの嫌だな、小さい頃に戻りたいな、親に死んでほしくない、ずっと家族元気でいてほしいな、と思う。
2024/08/18/(金)/晴れ
いつまでも捨てられないもの
昔のトラウマです。前を向いて歩いていこうと決めて歩み始めた足を気が付くと止めて下を向いている事ばかり
人前に立てば、かつて私に向いていた悪意ある声が脳内再生されていつの間にか人に期待する事をやめていた。
相手を理解して、こちらが全部折れて、自然とわたしを好いてくれる簡易的な友達は沢山できたけれど、悩み事は誰にも言わず自己解決するようになった。
この足枷を捨てられる日が来たら、私のことを見てくれる人が、なんて、私は高望みをしすぎなのかな。
「幼馴染で親友で」
どんなに仲が良くても、これ以上は入り込めない。
どんなにお互い知り尽くしていても、これだけは知られてはいけない。
男女の友情は成立すると信じている貴方。
私は何年も前から、貴方を異性として見ている。
貴方が私のことを、そういう目で見ていないことは、わかっているのに。
フラれることよりも、幼馴染として、親友として側にいることを選んだのは、どんなことをしても貴方の隣を譲りたくないから。
どんなに知りたくても、聞かないことがある。
どんなに知ってほしくても、言わないことがある。
実は、私たちの友情は成立していない。
貴方がそれに気付いていないのをいいことに、私は嘘をつき続けている。
どうか貴方はそのままでいて。
いつか、貴方が私以外の誰かの手を取るまで。
いつか、私が今の関係に耐えられなくなるまで。
────いつまでも捨てられないもの
いつまでも捨てられないもの
小さい頃、母に買ってもらった
ハートの形をしたネックレス。
20歳になった今でも、空き箱で作った
"たからものいれ"に入っているよ。
他は色々整理しちゃったけれど
このネックレスだけは唯一手元にある。
成長した私も、プリンセスになれる気がして。
いつまでも捨てられないもの
私の捨てられないもの。
元カレとの写真。
楽しかった日々を思い出すと、
何度もゴミ箱へ運ぶけれど、
押せない。削除のボタンが。
私の捨てられないもの。
彼に貰ったプレゼントたち。
にこにこしながら楽しそうに笑って
プレゼントをくれた彼。
捨てたいのに捨てられない。
あの笑顔を思い出してしまうから。
私の捨てられないもの。
彼への恋心。
彼にはもう、あたらしい彼女がいるのにね。
『いつまでも捨てられないもの』
いつまでも捨てられないもの。それはきっと、思い出が詰まったものだろう。意を決して、それを持って、ごみ袋に入れようとする。そうすると、そのものに関する思い出が、チラチラと頭の上を舞う。それで、『これは取っておこうかな』と考えて、元の場所に置いてしまう。
私は些細なものにすら思い出を感じて、捨てるのに躊躇してしまう。本当に、短くなって使えなくなった1本の鉛筆すら、未だに捨てられない。友人と旅行に行った時のおみくじの結果なんて、もっと捨てられない。もう意味なんてないはずなのに。それすら捨てられない私はきっと、文字通り本当に何も捨てられないのだろう。
人はものを捨てるのに躊躇する。私は、それは人が『忘れる』という能力を持っているからだと思う。『思い出す』という行為は、頭の中にある『思い出』の棚から、探したいものを探す行為だ。そして、人が捨てられない『もの』というのは、そのあまりに巨大な棚から、たった一つの思い出したい事柄を見つけるための手がかり__鍵なのだ。自ら鍵を捨てようなんて考える人はいない。
なら、逆に捨てられるものもあるが、それは一体何なのだ、ということになる。進んで捨てるもの__ごみに関する思い出はあるだろうか。例えば、これは私の個人的な経験になってしまうのだが、中学校の頃の友人と、夏休みにバーベキューをしたことがある。盛り上がって、暗くなって片付けを済まして、解散の流れになった。皆は参加費も払わずに帰っていき、私と数人の友人は、人気がなくなったバーベキュー場で、油でベトベトになったり、割り箸が突き出たりしたゴミ箱を持って自転車に乗った。ひとつもいい気分じゃなかったけれど、ふざけんな、と思いながら乗った自転車の風は爽やかだった。でも、もちろんそれは捨てた。いくら思い出だったとしても、ごみを残していたってどうしようもない。臭くなってくるだろうし、場所をとるだけだ。こんな汚くなったごみで、私にできることはない。じゃあ、その使っていない短い鉛筆は? 使っていないならごみじゃないの? これは、これはごみじゃない。小学生の時にずっと使っていた鉛筆なんだ。昔からずっと取って置いてるんだ。それに、まだ使える。
まだ使える?
そう言っておきながら、一度も使っていない。削ることもなければ、取り出すこともない。ここ数年、その鉛筆の姿すら見ていない。ただ、そこにあるということだけは知っている。当時、一生懸命に『大吉』『中吉』『小吉』と書き込んだ鉛筆がそこにあることくらい、覚えている。机の上でその鉛筆を転がしたことも。
一体何なのだろう、捨てるという行為は。お洒落な言い方をするならば、『思い出の継承』ということになるだろうか。使い古された自分の思い出を捨て、リサイクルして新しいものに生まれ変わって、顔も名前も、何も知らない誰かの元にそれが届いて、それがその人にとっての思い出になったとしたのなら、思い出は皆と繋がっているということにはならないだろうか。なんだか素敵な話に思える。けれど、自分は、もう少し長く、もう少しだけでいいから、その思い出に浸らせてほしいと願うのだ。あくまで、思い出は継承されていくものだが、共有されるものではないということだ。自分が持っている思い出は自分しか持てないのだ。それなら、余計大切にしたいと思う。
結局、ずっと捨てられないものなんて言うのは、自分の思い出の鍵であり、まだ使えると言い聞かせたものであり、それでも自分にとって害になるものなら、躊躇もなく捨てるということだ。ただ単純に、『捨てたくない』__『思い出の品』と思ったものは残しておきたいという、わがままな人間の欲望、ということなのだろう。
きっと人は、『忘れる』という能力を持っておきながら、『忘れたくない』と感じている。それを捨てれば、その棚は一生開かない。それが怖いのだ。それが嫌なのだ。だから、ものを捨てたくないと思うのだ。どれだけ部屋が散らかっても、それはすなわち、思い出の宝庫ということになるのだから。
ぬいぐるみって捨てられない。
親がたまに、部屋のクローゼットに沢山収納されているぬいぐるみに対して「捨てちゃいなよ」って言い放つことがある。
私はそれに「怖いから捨てれない」って咄嗟に返しちゃうんだけど、本当は怖いなんて思い微塵もない。
ただ沢山の思い出を手放したくないだけなの。
『いつまでも捨てられないもの』
「いつまでも捨てられないもの」
私には捨てられないものがない。
私は生まれてこの方、何度も引っ越しをして、捨てたくないものも、やむなく捨てることになっていた。
これから先、捨てられないものが、できるだろうか。
心にあるものだけは、捨てないようにしよう。
一人だけになって今、私に残ってる数少ないもの を抱えて、この先を歩いて行こう。