日曜の夜、ネオン街にくたびれたスーツ姿で一人歩いていた。広告や人の声、一瞬のうちに目や耳に飛び込んでくる情報量で脳のメモリがパンクしそうになる。逃げる様にして路地裏に情けなく座り込む。
一瞬を生きることってこんな大変だったけ。
子供の頃は毎日が楽しかったと今になって思う。あの頃は、10分休みでも満足感が高かったのに、大人の10分休みは短すぎると思ってしまう。
「刹那」「一瞬」に対する価値が歳をとるにつれて変わってしまっていく。本来大切にされる様なものが蔑ろにされていると考えていたら、口の中に塩の味が広がった。もう少し一瞬を大切にできる様な社会になれたら。
そうして、俺は人混みの中をかき分けながら駅に向かって歩いた。
生きる意味なんて無い。
古代から現代に至るまで考えていることなのに、未だに一つにまとまっていない。もうこれなら考えるだけ時間が無駄なのではないか。
人は親によって生まれさせられた存在。真っ白なキャンバスを、勝手に与えられた。ただ、そのキャンバスに何を描くのかは個人の自由だと思う。
だから、「生きること」自体に意味は無くて、「生きていく」その過程によって意味付けされる。
私はそう思う。
深くため息を吐く月曜の朝。昨日は雨が降ったから、地面も少し濡れていて湿度も高い。車の排気ガスの匂いに鼻が曲がり、憂鬱感を加速させる。このままサボろうかな。何もかも投げ出したい。幸せなことなんて無いんだ。なんてことを考えていた。
ビル風の勢いと共に前を歩いていた人からラベンダーの匂いがしたような気がして前を向いた。数年前に好きだったあの子を想起させた。ラベンダーの香りがするシャンプーをよく使っている子だった。背丈も髪型も記憶にある彼女と一致している。高校卒業と同時に空中分解してしまったけど、未練がある俺は間違っているのだろうか。そもそも、街中ででいきなり声をかけるなんて犯罪になったりしないか。
でもたとえ間違いだったとしても、幸せを掴みたい。
そうして早く歩いてみたけれど足元にある水溜りに気づかず滑って転んでしまった。気がつくと女性の姿も見失ってしまった。やっばり幸せなんて無い。あるのは憂鬱だけ。しかし、何とも言えない満足感で満たされている自分がいた。少しでも夢を見れたとして今日は頑張ろう。信号が青に変わった。