『私だけ』
転職して、仕事の工程を教えてくれる人が、私より年下になった。
食堂と言われている場所は、折りたたみテーブルに、パイプ椅子。自動販売機に、段ボールいっぱいにペットボトルのお茶。
ホワイトボードに張り出されている予約という紙には、お弁当が要るかどうかを書くみたい。
「さとみさん、持ってきてるんですね。かっこいいなぁ」
「かっこいいかなー……?」
「弁当作るのに、逆算しなきゃいけない。早く起きたり、ある程度は下ごしらえしたり、大変じゃないですか? 出来るの、かっこいいです」
あー、なるほど。まぁ、そうね。スマートにできればかっこいい。
わたしの手元を絶賛してくれる彼のほうはというと、予約しておいた弁当があった。
お腹はいっぱいになるだろう。ただ野菜が少ないから偏っちゃうね。
「彩りにどう? なんて言ったらうるさいか」
母親ともいえる年齢差。瓶の蓋を開けて、彼の手元へ差し出す。
「この瓶って、ジャムが入ってたやつだったりしますか?」
「小さいタッパーを買うのも考えたけどね。使わないなら、邪魔になるだけだし」
スティックにしたきゅうり、真っ赤なミニトマト。彼はひとつずつ食べた。
昼の時間が合えば、世話焼きをして、彼もそれを受け入れてくれる。楽しい時間になっていった。
「さとみさん、作ってみました。どうですか?」
彼の手元にはタッパーがあった。中身はおにぎり、それから卵焼き。
「お弁当じゃないんだね。お腹いっぱいになる?」
いつもの量に比べたら絶対に少ない。
「さとみさんと一緒に昼を過ごしてたら、作りたくなって。バランスよくは出来ませんでした」
いさぎよいな。
「さとみさんに、卵焼き、食べてほしくて」
彼にとって初めての料理かは知らないけれど、私に食べてほしいと言ってきた。
焼き加減が丁度よくて、私だったら塩をもう少し入れるかな。
「丁寧な味、美味しい」
「マジですか、やった」
私、野菜しか出してこなかったのに。いいのかな。ていうか、このやり取りって、私だけだったりする?
『遠い日の記憶』
「あの頃はさ〜……」と語りだす、先輩の遠い日の記憶。
やりがいを感じたのは、入社してからいつまでですか。
『終わりにしよう』
テレビの音量は18にしてあり、他に聴こえる音は、子どもがままごと遊びをしているおもちゃが当たる音だけだったはずなんだ。
「終わりにしよう」
ままごと遊び、飽きたのかな。姉ちゃんとその友達の子どもを、美容院へ行ってくる間見ててほしいと頼まれて、今は俺を含め家には3人。
長い間付き合ってきたのに、突然の別れ。そんな声が聴こえたように感じて思わず子ども2人の様子をチラ見してしまった。
2人の手は動き続ける。
飽きてはいないらしい。
「どうして? 好きな人ができた?」
いや、やっぱりカップルの別れ話!
「好きな人ができたのは、そっちじゃないの?」
「なんでそんなこと言うの?」
「オレといても楽しくなさそう」
「仕事で忙しいのかもって思って、いろいろ話すのがまんしてるんだから」
「ほんとにそれだけ?」
「それだけよ。あたしユウくんのこと好きよ」
「オレも、カナちゃんが好き」
ままごと遊びの設定とはいえ、本名で呼び合うのって恥ずかしくない? リアル過ぎて見てられない。
『優越感、劣等感』
小学生の頃は、興味で話しかけていた。というより、わたしより話せない子がいることに、興味がわいていた。
何十年越しだろうね。流すように見ていたネットで気になる記事に目が止まった。
緊張で上手く話せないし、笑うことも難しい? もしかしたらって、記憶の中の女の子と、症状が重なっていった。
だけど、記憶の中の女の子は顔を真っ赤にしながらも、笑っていた。大人しい、控えめであったけど、リアクションは悪くなかった。イジられキャラとして成り立っていたのが救いだろうと、今なら思う。
大人しい、控えめ。そういうのは、わたしにもあったから、本当は話せるんじゃないの? そう思ってたから、興味がなくなったら話しかけるのを、やめた。
他者から見て、はっきりとした嫌がらせにはいかないものの、周囲の目が気になって話すのをやめたこと。
中途半端なこと、したな。
『目が覚めると』
無理に起きることなく、自然に目が覚めた。たぶん、アラームも鳴ってない。
スマホ、画面に表示されたロックを解除して、まだまだ早い時間帯に少し驚いた。
暑くなってきて寝苦しいのもあるかもしれないけど、仕事の疲れだ、そうすぐに思った。
一時期、ひきこもった。
感情のコントロールが難しくなった。
自分はどうしてこんなにも出来ないのかと責め続けた。
自分が壊れたことによる、日々が来る中で感じる、ちょっとした変化。
でもそれは、長期で見ると、充分すぎる変化だ。
疲れ、ストレスによる、浅い眠り。憶えてはないけど夢を見た。
仕事が一段落すると、夢は見なくなるから不思議だ。
壊れないほうがいいに決まってる。だけど、限界というか、脆いんだと。無理をしないようにそう考える瞬間が増えていく。
これ以上は壊れる、自分のなかで警告があったりもする。
どんなに自分を大切にと思っていても、少しの無理は要るんだよね〜。
再度目が覚めて、時間はアラームが鳴った頃。これ以上は遅刻する、気合いを入れて起きた次は、今日の最高気温と服装の熟考。