糸花

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4/2/2024, 1:59:10 PM

『大切なもの』
階段を下りたら、靴の底にじゃりっと何かを踏んだ感触がした。
よく見てみたら、どんぐりだ。それもたくさん。

仕事の関係で訪れた古い団地、ここに住んでる方のお子さんが遊んでたのかな。
どんぐりの山があるから、きれいに並べてたわけではなさそう。少しであっても蹴ってしまったのは本当だから整えておかないと。

視界の隅にぼんやりと、誰かが立っているのを感じて顔を上げた。女の子がふたり居た。

「ふたりはここで遊んでた?」

スーツを着た知らない人の質問に、ふたりは小さく頷いた。

「ごめんね、ここにあるの知らなくて。蹴っちゃったんだ」

ひとりが駆け寄ってきて、どんぐりを差し出してくる。

「あげる」
「いいの?」
「いいよ」
「ありがとう〜」

たくさんある中で、大きくてきれいなのをもらった気がする。

自然のものに目を向けたことって最近あったかな。ふたりに会わなかったら、こうしてじっくり見ることもなく過ごしていくんだろうな。

玄関を開ける前から伝わってくる、愛犬の動き。尻尾を必死に動かして、ぴょんぴょん駆け回って。私に伝えてくる。

「はいはい、ただいま〜」

一度は飛びついて、好感触! そう思ってても気づけば遊ばなくなってる玩具。
着古したパジャマがあって、そろそろ捨てようと思ってダンボールに入れてても、気づいたら無くなってる。

愛犬が取り出してきては、それで遊んで、身体に巻き付けてる。
長いこと着てたから、そこまで気に入ってくれると、私も嬉しいけど。

「大切なんだね〜」

元気よく、わんっ! そう返事がきた。

4/1/2024, 1:30:38 PM

『エイプリルフール』
そういや今日は、嘘をついてもいい日か。そう思ってまわりを伺っても、なんの変化もない。

バレンタインだの、節分だの、いろんなイベントがあっても、エイプリルフールは特に何も無く一日が過ぎるだけだ。

寝起きに見たSNSで、企業が可笑しな投稿をしていて笑えた。
それだけで、個人が何かをするにはハードルが高いようにも感じる。

「エイプリルフールだから言いますね。好きになりました、未和さんのこと」
「ん?」
「もうすぐバイト終わりますよね、俺もなんで。コンビニで春限定のもの買って、近くを歩きませんか?」
「歩くのはいいんだけど」
「じゃあ、外で待ってますね」

エイプリルフールだからって何。そもそもエイプリルフールって何よ。

バイトの合間にさらっと言ってきて。

好きと言われたことが頭に残って、今さら身だしなみを整えるとか。色付きのリップクリーム、無いよりましか。

バイトの終わりが合えば、互いに共通してる話題で笑い合って帰ってた。

好きって言ってきて、コンビニで買い物しようって、近くを歩こうって。いつも通りになれないんだけど。

買い物をしてるとき、コンビニを出るとき、スマホを何度も見る。見るのは一瞬だから、時間を気にしてる? でも何で? あー、午前中までだっけ? 嘘をついてもいいのは。え、嘘、好きって言ったのって。

「午前が終わったから言いますね」
「エイプリルフールだからって言ったよね」
「言いました」
「じゃあ、好きって言ったのは?」
「好きになったのは本当です。去年のバレンタイン、貰えたので」
「本命じゃなくて義理だよ?」
「 嫌いな相手に渡せますか?」
「そうだね、無理だ」
「嫌われてないのは確実なんで、言いました」

だからって、四月一日に言わなくてもいいじゃない。でもまぁ、かなり印象には残ったか。

3/31/2024, 2:00:08 PM

『幸せに』
パパパッと打ち込んで、持っていたスマホは、ソファへと投げ込まれた。

座って沈み込んでいた部分に落とされたスマホは、スーッと流れて俺の膝で止まる。

このあと姉貴はトイレに行く。いつものことだけど、食卓のテーブルに置いておけばいいのに、なぜかソファだ。

いつも通りに、手の甲で払って、ソファの隅へと流してやろう。

自然と眼に飛び込んできた、「幸せに」の文字。退屈そうな、自分にも関係のある事柄だけど直視したくない、つまらない眼をしながら打っていたのがこれなんだ。

歳の離れた姉貴。友達だろうと思われる相手のアイコンには、赤ちゃんの写真。
姉貴はよく誰かと付き合っている。その分、別れもあって泣いているのを聞くこともあった。

トイレから戻ってきた姉貴は、料理を始めた。時刻はとっくに昼を過ぎている。
親が仕事で居ないとき、気まぐれに姉貴は料理をした。

食卓に二人分が並べられた。できたよ、とか、ごはんとか、いろんな呼び方あるだろ。無言で自分だけ食べ始めんなよ。

「味付け丁度いい」
「いつもチャーハンなのに、なんで今日は感想言ってんの」

幸せに似た漢字……あぁそうだ、辛いっていう字。ちょっとしか違わないなら、この瞬間の表情みたいに、笑ったときを笑えたときを、幸せと考えればいいんじゃないの。

3/30/2024, 12:17:45 PM

『何気ないふり』
話すことがほとんどない男子と、日直になってた。

今朝取りに行ったから、日誌はあたしが持ってたし、当然あたしが書いた記録がある。

どうしよ。

とりあえず、やれることはやって、記入しないと。

背伸びしてやっと消せるところまで、びっしり書かれてる。その上を軽々いってしまう男子の手。

日誌持ってる?
そう言ってきて、声が出せなくて、指差しをした。

ぱらぱら捲って、シャーペン借りていい? その声にも頷いて返事するのが精一杯。

「黒板、上のほう、消してくれてありがとう」
「……別に。そういうの言われ慣れてないから、知らない振りしとけよな~」

言わなきゃよかったかな、なんか気まずい。
窓も閉まってる、あとは鍵をかけて日誌も一緒に職員室へ持っていけばいいだけ、なんだけど。

日誌を持っていた両手が、突然軽くなる。

「日誌、俺のすることほとんど無かったし」

そう言ったら、鍵も一緒に持って行ってしまった。また言うと気まずい空気になっちゃう? でも、「ありがとっ」そう言い切ったら「んー、じゃあな」そう返ってきた。